とおまわりの記録番外編 | ナノ



ミーンミーンと蝉が少ない余生を楽しむかのように一生懸命になって鳴いていた。もくもくと昇り立つような白い入道雲と青空のコントラストを眺めながらああ夏だなあとしみじみと実感していると。

「起きろー!」

「わ!」

張り上げた声が耳に飛び込んできた。頬を少し強く引っ張られる。友達の香弥ちゃんがわたしを睨み付けてから呆れたようにため息をついた。

「また空見てボーッとしてー。レポートの提出日聞いてた?」

「…あ、あの、なんでもするので…」

「7月××日。お礼はまあいいよ。よく幸子にノート見せてもらってるし」

「あ、ありがと〜。こういうのをなんて言うんだっけ…フィフティフィフティ?ほら河原くんがよく言ってるあれ」

「ウィンウィンじゃなかった?…ってゆーか幸子さ〜よく河原のあのビジネス用語混じりの会話聞けるよね。あれ私マジで無理。マジでムカつく」

「ムカつきはしないけど難しいから頭はこんがらがっちゃうねえ」

河原くんとはバイト先でいっしょの男の子のこと。わたしが通っている短大よりはるかに超える偏差値の大学に通っている。香弥ちゃんとは学校もバイト先も同じで色々とお世話になっている。香弥ちゃんは「…あのさあ」と不満げに声を上げた。

「河原、幸子が自分のことすきって勘違いしてんだって」

「へ」

間抜けた声がするりと漏れた。目が点になる。なんで。純粋な疑問が沸いてくる。香弥ちゃんはシャーペンを器用にくるくる回しながら苦々しく言った。

「みんな煙たがってるのに幸子だけ聞くじゃん?そうなんだ〜って感心とかしちゃうじゃん?調子乗りの河原さらに調子乗るでしょ、で、なんか一度あれあいつオレのことすきなんじゃね?ってキモい勘違い始めたらしくてさあ、ああいう手合いって思い込み激しいじゃん。幸子がやっほ〜って言っただけでオレにやっほ〜って言った…オレのことすきなんだ…!って勘違いしてんだってさ。マジで典型的なキモい勘違い童貞」

けっと吐き捨てるように言った香弥ちゃんの隣で、わたしは口をぽかーんと開けて間抜け面を晒すことしかできなかった。

「…わたし彼氏いるって言った方がいい、のかなあ」

「おーいいね。言え言え、ついでに処女じゃないことも言お」

「い、いや、それは…」

熱くなった頬を人工的な冷気が冷やしにかかる。香弥ちゃんは「冗談だって」とけらけらと笑った。

「今度の呑み会であのイケメン彼氏の写メを河原に見せつけようよー河原の絶望顔想像しただけで…クックック」

香弥ちゃんは口元に手を当てながらあくどい笑みを浮かべた。ほんとに嫌いなんだなあ…。わたしは別段河原くんのことを嫌っていないから河原くんの絶望顔を想像しても特に喜びを見いだせない。好ましく思っているわけでもないから、悲しくなるわけでもないけど。ほんの少し申し訳ないな、と罪悪感が沸くぐらいだ。改めて実感する。わたしは取り立てて言われるほど優しい人間じゃない。優しくするのは、すきな人達にだけ。

『お前は本当に優しいな』

いつか言われた言葉が脳裏で再生される。違うよ、とあの時と同じく胸の内で呟く。わたしの優しさは偽物だ。あの時、抱き締めたのは『優しさ』からじゃない。ただたまらなく嫌だっただけだ。尽八が苦しんでいるのを他の誰でもないわたしが取り除きたくて押し付けた、ただのエゴだ。

そんなエゴを『優しい』と表現してくれる尽八の優しさが滲み出た穏やかな笑顔が脳裏に浮かぶ。

もう、何カ月も直接見ていない。

声は時々聞いているけど。

…今、何してるんだろ。

ぼうっと物思いに耽る。わたしはこの三十秒後、「またアンタはぼーっとして!」と、香弥ちゃんに耳を引っ張られるのだった。









いくつものテストを潜り抜けレポートと闘い、とりあえず打ち勝つことができた。…た、多分…。見えない心配は置いとくことにして、わたしは居酒屋でバイト先の子達とお酒を呑んでいた。いわゆるお疲れ様会というやつだ。

「あのすみません、生もう一つお願いできますか?」

店員さんに空っぽになったジョッキを手渡しながら注文を取ってもらう。店員さんは「はい、かしこまりました〜」と明るく笑いながら注文をとってくれた。ジョッキを三、四つも持ちながら。居酒屋の店員さんってみんな垢抜けてて可愛いなあ…とぼんやりと思いながら背中を見送る。

「幸子ちゃんって酒強いよなあ…すっげー意外…」

河原くんがわたしをまじまじと凝視しながら言葉の通り意外そうに呟いた。「そっかなあ」と気の抜けた返事をしながら唐揚げを食べる。おお…肉汁が…じゅわっと…おいひい…。頬っぺたが自然と緩む。

「レモンかけないの?」

「わたしレモンかけない方がすきなの」

「えー絶対つけた方が美味いって」

河原くんは断りなくわたしのお皿の唐揚げにレモンをかけた。あ…あー。でも、河原くんは善意100パーセントでかけてくれたんだ…ううん…。わたしは曖昧に笑いながらレモン汁のかかった唐揚げを口の中に入れた。…わたしはやっぱりかけない方がすきだなあ…と思ったけど、それは喉の奥に押し込んだ。目の前の香弥ちゃんはカシスオレンジを呑みながら河原くんを睨みつけていた。けど、河原くんはその視線に気付いていない。ど、鈍感だ…。

「幸子ちゃん絶対弱いって思ったんだけどなー。ぼけーってしてるし」

「あはは…間抜けだもんね、わたし」

「良かったねお酒強くて。幸子ちゃんみたいなぼけってしてる子がお酒弱かったらお持ち帰りされてそう。あ、や、幸子ちゃんがちょろいって訳じゃないよ?」

楽しそうに言う河原くんに、わたしは口の端を引きつらせながら「あはははは…」と笑うことしかできなかった。香弥ちゃんが小さく口を開いて何か呟いた。(死ねばいいのにと呟いていたそうな)

わたしは人から馬鹿にされやすいタイプだ。何言ってもへらへら笑っているので、こいつは何を言われても平気な人種だと思われている節がある。多分、河原くんもそう思っている。へらへら笑って受け流すわたしに原因があるのでわたしが悪いのはわかっているけど、少し、悲しくなる。

「幸子ちゃんあれでしょ、彼氏いない歴イコール年齢でしょ」

「え、あ、」

「いいよ無理しなくて、大丈夫引かないから」

河原くんは狼狽えているわたしを置いて、うんうんと頷きながら話を進めていく。え、ええ。ええええ。いや、えっと…。「大丈夫、オレもそうだから。や、別に全然恥ずかしいとか思ってないけどさ?」と、べらべらと饒舌に話しはじめた河原くんにどう彼氏がいるか切り出そうとした時だった。

「幸子すっごいイケメンの彼氏いるよー」

前から、不自然なほど明るい響きを持った声が真っ直ぐに飛んで、わたしと河原くんの間を裂いた。香弥ちゃんに目を向ける。にっこりと、綺麗に微笑んでいた。

「幸子、河原に見せてあげなよ。かれぴっぴの写真」

「かれぴっぴ?」

「彼氏のことだよダーリンのことだよいいからほら」

苛立った様子で香弥ちゃんは急かしてきた。う、うんと頷きながら鞄からスマホを取り出した。データフォルダをスクロールしていくと、知らない風景を背景にして、自撮りしている尽八の写メが出てきた。今のスマホにはこれしか入っていない。短大に上がる時にケータイからスマホに買い替えたから。

ある日突然、LINEを通して尽八から自撮りが送られてきた。驚きつつも嬉しくて、ありがとうと返そうとした時に電話がかかってきて、夜分遅くにすまないと一言断られてから『お前も送れ』と言われた。

『…へ。じ、自撮りを…?』

『自撮りじゃなくても構わんが。プリクラより写メがいい。最近のプリクラは顔が変わり過ぎる。ありのままのお前が良い』

『え、ええ…』

自分の容姿に自信が尽八の百億分の一しか自信がないわたしは尻ごみをした。プリクラならまだ送れるのに。しばらく逡巡しているわたしに『なあ』と甘えを帯びた声が鼓膜を揺らした。

『頼む』

鼓膜だけでなく、心臓すらも揺らした。

『…わたしお風呂上りだからすっぴんだよ』

『高校の時常にすっぴんだっただろう。今更何言っている』

尽八のおかしそうな笑い声に、それもそうだねと笑って返した。

『…ちょっと待って』

そう言うと『ああ』と嬉しそうに弾んだ声が聞こえてきた。

一度電話を切って、緊張しながらカメラを起動する。画面に向かってにこっと笑いかける。一度目、…う〜ん。二度目、…まあまあ。三度目、うわまた失敗…半眼だ…。五回チャレンジする。けど、これ以上良いものは撮れないと踏んだわたしは、二度目のを送ることにした。

これが一番マシ…と無理矢理自分に言い聞かせながらタッチして、送った。

間違って、三度目の半眼の写メを。

『…へっ!?あ、え…わー!!』

慌てて中止を押す暇もなく、写メは送信されてしまった。呆然としていると、尽八からの着信が響いた。どんな反応を取られるかわかりながら通話ボタンを押すと、『ワッハッハッハッ!!』と騒々しい笑い声が響いた。

『忘れて!!お願い!!』

『これ、ハッハッハッ!ちょ…っ、ここ最近で一番笑ったぞ…!!ははっ、これ…!!』

お腹を抱えて笑っている様子が目に浮かぶ。せっかくお風呂に入ったのに汗がだらだらと流れる。恥ずかしい。穴があったら入りたい。そして埋めてほしい。

『も、もう一枚送るから、それは消して…お願い…』

『もう一枚送ってくれるのか。それは有難い。けど消さん』

『なんで!?』

そんな他愛ないやり取りをした過去が脳内を駆け巡っていると、「幸子ちゃん?」と訝しがるようにしてわたしの名を呼ぶ河原くんによって現実に引き戻された。はっと我に返る。

「あ、ご、ごめん。この人がわたしの彼氏です」

人に尽八を彼氏として紹介するのは何だか気恥ずかしくて「あははー」と照れ笑いしながら見せる。河原くんは目をぱちくりと瞬かせた。

「イケメンでしょー、この子こんなぼけーっとした顔しといてこんな上玉ゲットしてんだよー、ねー、そこらの男なんてニンジンに見えるでしょー」

香弥ちゃんがにやつきながら煽るような調子で言う。か、香弥ちゃん…いや香弥さん…。「ニ、ニンジンには見えないかな」と、そっと反論する。

「…へ、へー。イケメンじゃん」

「あはは…」

本人もめちゃくちゃ自分の顔の良さを自覚しているからなあ…。そして…ものすごく誇っている…。あははーと笑いながら、いつか大会のDVDで見た『登れる上にトークも切れる!さらにこの美形〜』のくだりを思い浮かべた。『うわぁ〜』と、思った。わたし初対面の人にあんなこと言われたら真面に反応できないだろうなあ…。

「幸子ちゃんの彼氏モテんでしょ」

「うん。すごくモテてる」

事実なので頷く。河原くんは引き攣った笑顔を浮かべながら「じゃあさ」と継いだ。

「浮気とかされたことあんじゃないの?」

わたしはそれに、間髪入れず「え、ないよ」と答えた。地球は青い。雲は白い。そんな当たり前のことを口にするように言った。

「えー、絶対そんなイケメンならしてるって」

「ないよー」

ふるふると首を振って否定する。事実だから否定しかすることができない。河原くんの引き攣った笑顔がどんどん増していく。香弥ちゃんのにやにやが増していく。…香弥ちゃん…。

大切にされているから、浮気をされていないと断言できるのもあるけど。
それ以上に、尽八は好きな人ができたら、きちんとわたしを振ってからその人に向かうという確固たる確証があった。すまない、なんて真剣な顔して謝ってくるのだろう。

…いやだなあ。

心に影が差した時、河原くんの空々しい笑い声が響いた。あ、いけないいけない、ぼうっとするところだった。視線をぎこちなく笑っている河原くんに向ける。

「…ははは、へー。幸子ちゃん、彼氏と仲良いんだ。そんなきっぱり言い切れるくらい。どんくらい会ってんの?」

「最近は全然だなあ。四カ月会えてない」

河原くんが目を丸くしてから「…え、遠恋?」と訊いてきた。

「うん。そうだねえ。やりたいことあるからって、遠くに行っちゃった。すっごく忙しいみたいで全然会えてない」

「やりたいことって…幸子ちゃん置いて?」

「…うん」

こくりと首を縦に動かす。事実だから、頷くことしかできない。河原くんは目を瞬かせた後ぷっと噴出した。

「幸子ちゃん、それ絶対遊ばれてるってー」

明るい声が無邪気にぶつけられた。

「…河原あんた何言ってんの?」

香弥ちゃんが不快感を丸出しにした声音で河原くんを問い詰めるように訊く。河原くんは「だってさあ」と言った。

「幸子ちゃんと全然タイプ違うし、何カ月も放置とかありえないって。幸子ちゃん遊ばれてるよ」

…遊ばれてる。

尽八との思い出を引き出していく。デートなんて片手で数えるほどしかしなかった。その遊びのことを指しているわけではないのだろう。

ぎこちなくわたしに触れる角ばったマメの潰れた指、嘘なんて一かけらも混じっていない真剣な声音、真っ直ぐにわたしを見つめる瞳。

…遊ばれてる、かあ。

「…やー、それはないなあ」

あははと笑いながら否定する。わたしが思うような反応を取らないことが気に食わないのか、眉間に若干皺を寄せて、河原くんが苛立ちを必死に抑えた声で話す。

「…幸子ちゃんぼけっとしてるから、騙されてるんだってー」

「騙されてないよ。わたし人を見る目はあるもん」

「何カ月も放置されといて?彼氏何やってんの?」

「ロードバイクだよ〜」

「…は?」

「ロードバイク。つまり自転車。じんぱ…、わたしの彼氏、自転車に一生懸命なんだ」

誇らしい想いからか、へへへと照れ笑いが漏れた。それでね、と口が動きそうになって慌てて留める。わたしは尽八の自慢になると饒舌になってしまう。危ない危ない…。べらべらと自慢話をするところだった…。ほっと胸を撫で下ろした時、空気の破裂音が響いた。

「ぶ…っ、あは、あはははは!!あはははは!!自転車って…!!チャリって…!!ガキかよ…!!ガキの遊び…!!」

河原くんは嘲りの意味で、大きく笑っていた。

「もう絶対だって、チャリに負けるって、幸子ちゃん絶対遊ばれてるって…!!」

喧しい笑い声が耳から耳を通り抜けていく。

お腹の底が熱くなっていく。

「ちょっとアンタ、いい加減に、」

河原くんに食って掛かろうとする香弥ちゃんを眼で制した。何故か香弥ちゃんがびくっと強張った。

「すみませ〜ん、大変お待たせしました〜、生のお客様〜!」

わたしはすっと手を挙げた。店員さんが「すみませんお待たせして」と申し訳なさそうに謝る。わたしは「いえいえ」と手を振った。

「次の注文いいですか?」

「あ、はい。どうぞ」

店員さんがリモコンを取り出した。わたしはにこやかに笑いながら注文した。

「この焼酎のロックでお願いします」

「かしこまりました〜」

店員さんが一礼して去っていく。まだ騒々しい笑い声が響いている。それを掻き消すようにして、わたしはぐびぐびとジョッキのビールを喉の奥に流し込んだあと、ダンッとテーブルに叩き付けるようにして置いた。

大きな音が鳴ったので、しいんと静まり返った。

みんな、わたしを見ている。人の視線が常に気になるわたしなのに、今はそんなことどうでも良かった。目を点にしている河原くんをすうっと冷めた眼で見据えてから「ねえ」と声をかけた。

「河原くんって、尽八のレース見たことあったっけ?」

「え、」

「ないよね?」

「そ、そりゃそうだろ」

「ないのに、遊びってどうして決めつけるの?」

「…えっとー、幸子ちゃん?酔ってるよね?」

「話逸らさないで」

へらっと間抜けに笑う河原くんに、叩きこむようにして問い詰める。きょろきょろ目を泳がしている河原くんを睨みながら、残りのビールを一気に呑んで、ぷはあっと息を吐いた。香弥ちゃんが「オッサンか」と小さく呟いたのが聞こえた。

「何かに懸ける人のこと馬鹿にして恥ずかしくないの?」

「懸けるって、そんな大袈裟な…」

「大袈裟じゃない。尽八は全部懸けた」

「…幸子ちゃんって、意外と熱くなるタイプ?スポ根とかすき?」

「わたしのことは今どうでもいいの。ねえ、恥ずかしくないの?」

「や、恥ずかしいのは幸子ちゃんっていうか。ほらみんな固まってんじゃん」

「知らない」

「え」

「どうでもいい」

河原くんが口をぽかーんと開けた。いつも周りに気を遣ってばかりいるわたしの発言と信じられないからだろう。

「確かに、わたしは置いてかれたってことになるんだと思う」

視線を少し下に向けて、ぽつりと言葉を漏らす。

彼女より、自転車を優先した。事実だ。反論の余地はない。寂しくないわけがない。胸が抉られるような寂しさを初めて覚えた。傍にいないことが、触られないことが、ここまで苦しいことなんて、知らなかった。

でも、

「…でも、自分のやりたいことをきちんと見つけて、血が滲むような努力して、頑張るような尽八が、わたしはすきなの」

じいっと河原くんを冷たい眼で見据えながら言うと、店員さんが焼酎を持ってきてくれた。ありがとうございます、と小さく頭を下げてから半分呑んだ。濃い。お酒が強いわたしでも少しきつい。少し目の前が揺れた。

「それで、」

巻ちゃんとの勝負を心底楽しそうに語るきらきらした瞳を思い出す。わたしもこれくらい楽しませてあげられたらいいのになあ、と寂しく思った。でも、どれだけ寂しくても望んでも、それは一生かかってもできない。わたしがロードバイクに跨っても、尽八を楽しませてあげることはできない。命を削るような昂揚感を分け与えられない。福富くんや荒北くんや新開くんのように、一緒に肩を並べて戦い合ってきたわけでもないから、ロードバイクに関する苦しみや葛藤を分け合うことなんて、できない。今からどれだけロードバイクの勉強をしても、尽八が大切にしているものにわたしは浅いところでしか関われない。だって尽八が原因だからだ。ロードバイクがすきで、ロードバイクの勉強をするわけじゃないからだ。そんな不純な動機で勉強したって深いところで関われるはずがない。

わたしがすきなのは尽八であって、ロードバイクではない。

きっとわたしはこれから何度も疎外感を覚える。ロードバイクに関してわたしが関われる余地なんてない。尽八が大好きなものに深く関われない寂しさは一生かかっても拭いきれないだろう。

目の前の間抜けな男の子をすきになれたら、楽だったかもしれない。引き攣りながら笑っている河原くんをじいっと見据えながら想像をめぐらす。きっとこの人はどこにもいかない。わたしを置いていかない。デートにもたくさん連れていってくれる。誇れるものが特にないからわたしを唯一の一番として扱ってくれるかもしれない。

楽かもしれない。
けど。

「そんな尽八をすきになれたことが、わたしの誇りなの」

よどみなくはっきりと言う。

たとえ入り込む余地をくれなくても、いつでもわたしを最優先にしてくれなくても、寂しくても、楽じゃなくても、尽八をすきになれたわたしがすきだ。

あらかじめ幹事の子に呑み会のお金は渡していたので、さっさとお暇することにした。すくっと立ち上がってキャメルのパンプスに足を通す。黙々とアンクルストラップをとめているわたしの背中に数多の視線が降り注ぐ。

「ばいばい」

呆然としているみんなに向かって手短に言ってから、わたしはお店の外へ出た。夏の生温い風が頬を撫でる。夜だからか、昼よりは幾分マシだった。



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