1.
「共にステージへ!!巻島裕介―――!!!」
ステージの上で巻ちゃんに呼びかける東堂を、わたしは“ああ…うん…”と生温かい眼で見守っていた。うん。東堂こういうことやりそうだな〜とは薄々感じていたけど、いざ実際にやられると…うん…。巻ちゃん…来ないだろうなあ…。
ステージの上でマイクを片手に立っている東堂は、とても堂々としていた。わたしがあそこにたっていたら、みんなの視線を浴びるなんてこと恥ずかしくて俯いてろくに話すこともできなかっただろう。
インターハイで、山岳賞をとるなんて。
…すごいなあ…。
東堂が、遠く感じられる。元々、近い存在ではなかった。東堂はクラスでも目立つ存在だし、王者と呼ばれている自転車競技部のエースクライマーというやつで、山神と呼ばれていて…。
嬉しいんだけど、なんだか、寂しい。
我が儘な感情が顔を出したところで、東堂と目が合ったような気がした。合っていたらいいな、と思いながらニコッと笑って手を振る。すると、東堂の目が輝いた。あ、よかった。合っていたんだ。
「吉井!」
マイクを通してわたしの名前が呼ばれた。
周りの人たちの目が点になる。わたしの目も点になった。
「吉井?」「誰それ」「選手の名前?」「あの人見ているから、あの人のこと?」
視線がわたしに集まる。目立つことに慣れていないので、ひええとおののいていると、東堂がステージを降りてわたしの名前を呼びながら駆け寄ってくる。
「吉井ーっ!!」
「と、東堂恥ずかしいから…わっ!」
腰を掴まれ、持ち上げられていた。普段は見下ろされている東堂の顔を、わたしが見下ろしている。
「へ、え、え〜!?」
な、なにが…起こって…!?東堂がわたしを抱き上げている!?へ!?なんで!?
周りの人たちが目を点にしてわたし達を凝視していて、恥ずかしくて顔が熱くなる。とりあえずおろしてと頼もうとして、東堂の顔を見ると。
「勝ったー!勝ったぞー!ワッハッハッハー!」
満面の笑顔で、喜んでいたから。東堂が、とても嬉しそうだから。だから、先ほどまでの寂しい気持ちも、羞恥もどこかへ飛んでいって、わたしも自然と笑顔になった。
「…うん!おめでとう!」
そう言うと、東堂はさらに笑って、「おう!ありがとう!」とわたしに言った。やっとおろされて、地面に足がついたら、今度は抱きしめられた。先ほどまで汗を大量にかいていたからか、肌が微妙に湿っていて、汗臭い。
「勝った…!勝った…!…はは、わっはっはっは!」
どんどん腕の力が強くなっていって密着していく。汗の匂いも強くなるけど。でも、この汗臭さは東堂が頑張った印。戦った印。それを身近で感じられているんだと思うと、嬉しくなって、へへっと笑いが漏れた。
「おめでとう、ほんとに、かっこよかったよ」
だらしのない緩みきった声で言うと、東堂の動きが一瞬とまってから、「ふ、ふふ、ふは、はっはっはっ!」と嬉しそうな笑い声を上げる。抱きしめられているから、顔はよく見えないけど、嬉しそうな顔をして笑っているんだろうなあ、ということはわかる。そして。
「何やってんだテメェ!!」
「あいたっ!!」
東堂が荒北くんに殴られるということも。
東堂の肩の向こう側から、眉をつりあげた荒北くんがずんずんと近寄ってきて拳を振り上げたのが三秒前に見えた。
東堂が荒北くんの方を向いて、噛みつくように怒鳴った。
「何をするんだ荒北!!」
「それはこっちの台詞だこの馬鹿!!ステージから降りて女に抱き着く奴がいるか!!」
「抱きしめたくなったんだから仕方ないだろう!」
「ブァーーーーーーカ!!!」
「馬鹿って言うなーー!!馬鹿って言った方が馬鹿なんだぞーー!?」
ああ、また二人の口げんかが…。
二人の口げんかを生温かい眼で見守る。うん…。なんか話題がどんどんおかしくなっていって、きのこの里のうまさをわかんねえお前は屑だとかタケノコの美味がわからないお前はお子様だとかそんなことで喧嘩している…。
東堂の背中をじいっと見る。
東堂はいつもわたしに近づいてきてくれる。心細い時、不安な時、寂しい時。笑顔で名前を呼んでくれる。
それが、どれだけわたしを支えてくれているか、ねえ、知っている?
「…おい、なにきもちわりィ顔してんだ」
「え?」
荒北くんと東堂越しに目が合った。え、と思って頬を触るとものすごく緩んでいたので、慌てて引き締める。
「気持ち悪くない!可愛い!」
「あーはいはい可愛いですねー」
「…!?お、おまえ、もしかして吉井のこと…!」
「ダーーーッ!!めんどくっせええええ!!」
2.
ぷすっと、ハートに矢が刺さる音が聞こえた。
「吉井…?」
東堂の声が耳から耳を通り抜けていく。
丸い眼鏡をかけた小柄な男の子が「あ、あの…」と、わたしの顔を心配そうに覗き込んできた。
も、もうだめ。
「あ、あの…メガネくん…」
「は、はい…?」
「あ、頭なでなでしてもいいかな…?」
恐る恐る問いかけると、メガネくんはぱちぱちと瞬きをした後「え」と漏らした。東堂も「え」と漏らした。
出会いは三分前。東堂と話していると、東堂が誰かに気付いて「おおっ、メガネくんではないか!」と声をあげた。つられてその方向に顔を向けると、そこにはクマ次郎とゆかいな森の仲間達に出てくるメガネザルにそっくりな男の子がいて。
わたしのハートに矢が刺さった。
東堂にメガネくんのことを総北のメガネくんだ!と紹介されている間、思っていたことは、ただひとつ。
か、か、か、可愛い〜!!
「お、お願い!わたし汚くはないから!ちゃんと手も洗っているし!」
ああ初対面の男の子にたいしてわたしは何を言っているんだろう…!でもとめられない、可愛い、撫でたい、頬ずりしたい。…わ、我ながら気持ち悪い欲求だ…!
ぐっと衝動をこらえてお願いする。
「い、いいです、けど…」
「ほんと!?」
自分でもわかりやすいくらいに声が弾んだ。では早速…!と、メガネくんの頭に手を伸ばして、髪の毛を撫でる。ああ、可愛い…。メガネくんは恥ずかしそうにあわあわしている。そんな態度をとられると余計可愛くなって…。
「…小野田〜、お前何して…って、え。なんで吉井に撫でられてるッショ」
「…巻ちゃん。俺は今、メガネくんが猛烈に羨ましい」
「はあ…」
「…」
「…」
「…なんか、あの二人のところからマイナスイオン出ているッショ」
「…メガネくんが羨ましい…」
「お前それしかないのかよ」
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