とおまわりの記録番外編 | ナノ



わたしは、あまり人に腹を立てない。小学生の時、男の子に『このグズ!鈍間!!』と怒鳴られても、ただただ突然の罵声に驚いて、まあそうだよねえ、と納得して頷いてしまったぐらいだ。

だから、自分でもびっくりしている。
わたしが、今、腹を立てていることに。

「幸子ちゃん、なんか怒ってる?」

「…うん」

「わー!めずらしー!東堂くんと喧嘩してるの!?」

こくりと頷くと、美紀ちゃんが歓声をあげた。依里ちゃんが白い目を美紀ちゃんに向ける。

喧嘩。
これは、喧嘩になるのだろうか。
『もう知らない、バカ!』と怒鳴って、逃げるように走って。
…喧嘩になるんだろうな。

「…よく東堂と喧嘩してるってわかったね」

「だって東堂くんも不機嫌オーラ出してるもん」

美紀ちゃんが尽八を指さした。珍しく、机の上でふて寝するように突っ伏している。尽八の友達が「おーい、とーどー」「返事がない。ただの屍のようだ」「「ギャハハハハ」」と笑っている。尽八は眠っているように、ぴくりとも動かない。

「喧嘩の原因はー?」

依里ちゃんが所在なげに問いかけてくる。わたしは小さく口を開いて、ボソボソと呟くようにして言った。

「…わたしが隙だらけってのは、わかるんだけど、わたしには男の子に迂闊に近づくなって言うくせに、東堂は女の子とたくさん喋ってるの、なんか…すっごい腹立って…バカって言っちゃった…」

美紀ちゃんは「ほほー、なるほど〜」と、依里ちゃんは「あ〜…はいはい」と、ふたりして頷いた。

「でも、それって今更の話じゃない?付き合った時からずっとそんなんでしょ」

「…多分、東堂に告白したことのあるすっごい可愛い子と東堂がいっしょにいるの、見ちゃって、お似合いって言われてて、それで、わたしの気が立ってたんだと思う」

「東堂くんあんなに幸子ちゃんのこと好きなんだからヤキモチ妬く必要なんてなくない?」

「…ヤキモチっていうか」

ヤキモチ妬いてない、というのは嘘になる。でも、わたしの場合。ヤキモチというより、不安という単語の方が適切だろう。不安なのだ。たまらなく。優しくて格好良いわたしの彼氏がいつわたしの元から去ってしまうんじゃないかと。尽八は何度も何度も辛抱強くわたしにすきだと言ってくれる。その時は嬉しくて嬉しくて、不安はあっという間にどこかへ飛んでいく。でも、しばらくすると、不安が芽を出す。どれだけ尽八が摘み取っても、不安の種はなくならない。この種は尽八が優しくて格好良い限り、わたしが尽八のことを好きな限り、なくならない。
ファンクラブがあって、インターハイで山岳賞をとって、そんな人の彼女ということ。品定めされて『え、この子が?』と驚かれる感覚は、どうしたって慣れることができない。他人の目なんて気にしなければいい、なんてどうしても思えない。

尽八と付き合う限り、この二つの悩みは絶対に消えない。そして、尽八はこの悩みを、理解できない。尽八は『平凡』じゃないから。自分に自信を持っているから。なあんだ、そんなことか。気にするな。そう言うだろう。オレが好きなんだから、大丈夫だ、なんてわたしを安心させてくれる言葉を甘く囁いてくれるのかもしれない。

気にしないことなんて無理なのに、気にするな、と、言うに違いない。

尽八に絶対聞こえないように、ぽつぽつと小雨が降るよう口調で、愚痴をこぼす。「じゃあ、幸子ちゃんは東堂くんにどうしてほしいのー?」と美紀ちゃんがスルメを噛みながら最もな質問を投げかける。どうしてほしいか。そう問いかけられて、返事に窮する。謝ってほしいわけじゃない。じゃあ、何をしてほしいのかというと。

完璧に理解してほしいわけじゃない。尽八が尽八である限り、この悩みは永遠に理解されない。だから、しょうがないことだと諦めをつけるべきなのに。尽八と付き合いたてのころのわたしなら、『しょうがないよねえ』と思えただろうに。今では。

ほんの、ほんの少しだけでいい。小さな悩みじゃないと、思ってほしい。

「…めんどくさすぎる…」

自分で自分の煩わしさに絶望して、顔を覆った。東堂くんに話しかけられただけで嬉しい。それだけでほくほくと頬を緩めていたあのころのわたしはどこへいったのだろう。もちろん今も話しかけられたらものすごく嬉しい。でも、それだけじゃ足りない、と、心の底から叫んでいる。解決策の見えない悩み事を持て余しているわたしは、ハァッと息を吐く。重苦しい息は掌の中に籠った。






なんで、幸子が怒ったのか。脳みそをフル回転させても、よくわからない。今思い返すと、少々高圧的な態度をとってしまった。アイツがすべて受け入れる性分だからって、子供じみた独占欲を正義のように振りかざしてしまった。それはオレが悪い。認める。だが。女の子と話すくせに…!と詰られたのはなんでだ。詰られた直後、ぽかんと呆け、そのあとすぐに我に返って、幸子の肩を掴んで、ぐいっとこちらに向けさせた。

『女子と、話してほしくないのか。だったら、』

『…違う、そういうことじゃなくて…』

『じゃあ、どういうことだ』

『…尽八には一生わかんないよ』

ふいと視線を逸らし、ぽつりと吐き出されたのは拒絶の言葉。それが見事に癇に障って、眉間に皺が寄る。オレには一生わからないってなんだ。その内容を話してすらもないのに、なんで決めつけるんだ。苛々が募っていく。幸子がさっき知らない男と楽しげに話していたのも、オレへの当てつけなんじゃないだろうか。そんな考えが頭を過る。幸子はそういった行動をする女じゃない、と、すぐ打ち消す。でも、そうすると、もう一人のオレが『本当に?』と囁きかけた。『幸子のことわかっているようで全然わかっていないお前が、本当に幸子はそんなことしない、と断言できるのか?』と。

『…いっ』

小さな呻き声で、我に返る。幸子が顔を苦痛で歪めていた。悪い、と慌てて力を緩める。いつもならここで『だいじょうぶだよ』と、ふんわりと柔らかく笑うのに、幸子は、唇をきゅっと結んだあと、無言で背を向け、小走りで去っていった。


「尽八」

「なんだ」

「吉井さんと別れの危機って聞いたぜ」

茶目っ気たっぷりに、ウインクを飛ばしながら軽口をたたいてきた隼人をぎろりと横目で睨んだ。隼人は「あれ」と拍子抜けしたように目を丸めた。

「もっと喚くと思った。別れの危機じゃねーよ!!って。意外と落ち着いてるんだな」

オレは「…落ち着いてる…?」と呟いたあと、ハッと鼻で笑い飛ばした。あ、全然落ち着いてねえな、と、隼人が呑気に笑う。落ち着いてねーよ。全然な。ハァッとため息を吐いたあと「幸子の考えてることが全然わからん」とボソッと不満げに漏らす。

「アイツがなんであんなに怒ってるのか全然わからん」

「で、尽八もキレてんの?へー。尽八が吉井さんにキレるって珍しいな。いつもでろでろに可愛がってるからさ」

オレが、キレてる。第三者から見てもわかるらしい。隼人の言う通り、オレは幸子に怒らない。声を荒げてキレたのが片手で数えるほど。幸子もオレに怒らない。もう、と少し頬を膨らます程度だ。けど、今二人ともふつふつと互いに怒りを持っている。謝れば解決するのだろうけど、何故だろう。謝りたいという気持ちが沸かない。嫌いになった訳じゃない。腹が立っている今でも、すきですきでたまらない。

『尽八には、一生わかんないよ』

「…わかんないってなんなんだよ」

ぼそっと呟いた声は苛立ちを帯びていた。わかんない、なんてこっちの台詞だ。幸子の考えていること全然わかんねえ。ハァッとため息を吐くと、「ため息吐いたら幸せ逃げんぜー、今以上に」と隼人に茶化されたので、もう一度ぎろりと睨む。ごめんごめん、と謝罪を感じられない明るい声音で謝ってきた後、隼人が放った言葉に、オレは目を見開かずにはいられなかった。そういえば、そうだ。目から鱗が剥がれ落ちる。

「…そうとらえれば、悪いことばかりじゃないかもな」

「だろ?」

「隼人のそのどや顔なかなか腹立つぞ」

「尽八に言われたらおしまいだな」

「それどういうことだ!?」




次の日になりました。

しつこいと自分でも思いますが、わたしはまだふつふつと怒りを煮込んでいた。幸子ちゃんは怒ると長引くね!めんどくさいね!と美紀ちゃんに言われた。グサリ。言葉のナイフが頭に突き刺さった。体育館へ向かう途中なので、美紀ちゃんは体育館シューズが入った袋をぶんぶん振り回している。

「や、でも、いいんじゃない?」

ふと、依里ちゃんが放った言葉に、へ?と口をポカンと開けた。依里ちゃんは「だってさ」と言葉を継いだ。

「幸子ちゃんってさあ、東堂くんに我が儘言ったことないでしょ?」

「え、結構あると思うよ?」

「多分幸子ちゃんの言う我が儘は世の我が儘の基準に達してないよ。我が儘っていうのはねえ」

「唐揚げ食べたいよお、ねえねえ依里ちゃんのお母さんの唐揚げ食べたいよお、今度また泊まらせてえ」

「そう、こういうのを言うの。わかった今日おいで」

「やったー!」

わーいわーい、と万歳三唱している美紀ちゃん。わ、わたしも泊まりたい…、と、恐る恐る頼んだら「はいはい」と面倒くさそうにオッケーされた。やったあ。嬉しくて顔を綻ばせる。依里ちゃんが「そんでさ、」と続けたあと、ぶるっと体に震えが走った。

…。

「対等な喧嘩ってゆーか、」

「ご、ごめん。ちょっと、トイレに行ってくる」

「あらま。いってらっしゃい」

「いってらっさーい」

ひらひらと手を振られて、トイレに向かう。二年生の女子トイレが一番近い。下級生のトイレを使うのに少し抵抗を覚えるけど背に腹は代えられないということで、使用させてもらった。用を足して、ズボンを引き上げたところで、誰かがトイレに入ってきた。三年生が出てきたら吃驚させちゃうかなあ、と出るのを躊躇した時、「東堂先輩さー!」と、知り過ぎている名前を出されて、どきんと心臓が鳴った。

「今彼女と喧嘩してるみたいだよ!」

「え、マジ!?」

え、も、もう広まってるの…!?情報の流れる速さに目が点になる。でも、少し考えたら納得した。尽八はいつも注目されている。だから、行動のひとつひとつを見られているんだ。

ということは、隣にいるわたしもついでに見られているわけで。

「え〜チャンスかなあ〜!」

嬉しそうに弾んだ声。ぐしゃっと、胸の奥を無遠慮に鷲掴みにされたような感覚を覚える。他の女の子達も「だよねだよね!」と、同意している。

「ってゆーかあの先輩、東堂先輩と喧嘩するとか何様〜!?」

「ねー!生意気ー!!私だったら東堂先輩の彼女になれたら絶対迷惑かけないのにな〜!!」

「あんなに優しくされといてこれ以上何望むのって話!!」

容赦なく叩きつけられる『正論』は、ドアを破ってわたしの胸に深く突き刺さった。うん、うん、そうだね。力無く、小さく頷く。私だったら、私だったら、私だったら。女の子たちは口ぐちにそう叫ぶ。みんなが喉から手が出るほど欲しがる位置に、わたしはいる。分不相応な場所に立つことを尽八が許してくれていることで、やっと、わたしは立てているのだ。

それなのに。わたしの悩みを理解してくれないとか、そんなことでいつまでもぐちぐち怒って。『もう知らない!バカ!!』なんて暴言も吐いて。今更自分のしでかしたことの大きさに気付いて、怖くなる。なんであんなことを言っちゃったんだろう。取り返しのつかない後悔の波が襲ってきた。後悔の渦に巻き込まれる。ぐるぐる。ぐるぐる。

…おなか、いたい。

どうしてこうして、わたしはこんなに面倒くさい女の子なんだろう。下腹部を抑えながら、唇を噛んだ。





「吉井さん、まだしんどい〜?」

カーテンの向こう側から先生が朗らかな声でわたしを気遣う。なにやら楽しそうだ。いいことあったのかなあ。寝てたらちょっとマシになったけど、正直今日はこのままもう帰りたい。尽八にどういう顔すればいいかわからない。卑怯なわたしは逃げることにした。

「…家に帰れる程度にはマシになりました」

「あら、そう。おうちの人家にいる?」

「はい、母が多分います」

「そう。じゃあ連絡してくるわね。じゃあそれまで彼氏頼むわよ」

…へ。

彼氏。彼氏。わたしの彼氏。胸の内で確かめるように反芻する。改めて言葉にされると照れてしまう。…じゃなくて!あたふたしていると、カーテンがシャーッと開けられて、飛び込んできたのは。

「大丈夫か…!?」

額にはうっすら汗がにじんでいて。眉を八の字に寄せて。いつもは涼しげな瞳が動揺で揺れていた。驚きで何も言えないでいると、尽八はわたしの枕元に膝を付いて、肘をベッドに乗せて、視線を合わせてきた。

「また、気分悪くなったんだろう?」

心の底から、わたしを心配してくれている声。

「少しマシになったと聞いたが。それでもしんどいよな」

心の底から、わたしを心配してくれている瞳。
わたしの頭に伸ばされた手は優しく髪の毛を撫でてくれる。

ああ、そう。こう思うのは何回目だろう。ゆっくりと口を開く。「ん?どうした」と尽八が優しく問いかけたあと、ぽろり、と想いが口から零れた。

「…すき」

わたしの頭を優しく撫でる手つきがとまった。無理矢理、口角を持ち上げて「きゅ、急に、どうした」と、目を泳がせながら言う。尽八の手を頬にあてながら起き上がった。あたたかい。手が冷たい人は心があたたかいと言うけれど、手があたたかい人だって、心があたたかいよ。だって、尽八の手はこんなにあったかい。薄い水膜が張られて、尽八の顔が滲んでよく見えない。瞼を下ろすと、水膜はあっけなく壊れた。頬を伝っていく冷たい雫が気持ちいい。幸子、と、わたしの名前を心配そうに呼ぶ声音が鼓膜を満たした。ぐすっと鼻を鳴らす。尽八は「幸子」と、もう一度呼びかけながら、ぎしりとベッドに腰を下ろした。

こんなに優しい人を、困らせるなんて、わたしは本当に馬鹿だ。

「我が儘言って、ごめんなさい」

わたしのこと、こんなに考えてくれているのに。

「バカ、なんて言って、ごめんなさい」

ちょっと、理解されなかったからって、あんな風に怒って。いつまでも子供のように怒って。

瞼を再び開ける。涙で覆われた眼球。視界はぐちゃぐちゃ。しゃっくりを上げているから、声は喉に絡みついてうまく発せない。ぽとり、ぽとり、とシーツに涙のあとが浮かんでいく。

「ほん、と、に、ごめんなさ、い」

滲みきった世界で、何かが動いて、柔らかいそれはわたしの額に少し冷たい温度を落とした。カーディガンの裾で涙を拭われ、視界が晴れる。クリアになった世界で、尽八が緩やかに目を細めていた。優しくて、でも、少し寂しそうだった。どうしたの、と訊こうとするよりもはやく、尽八が淡々と話しはじめた。

「オレな、幸子に、言ってもわかんないよと言われて、正直すっげえ腹立ったんだ」

どくん、と心臓が深く軋んだ。腹を立てられた。自分は腹を立てたというのに、腹を立てられて、ショックを受けている。なんて自分勝手な子なんだろう。尽八はそんなわたしを安心させるように微笑んだあと、髪の毛を一房摘まんで親指と人差し指で弄った。

「オレとお前はどうしたって別々の人間だし、心を覗けるわけじゃないから、考えていることをお互いいつでもわかりあえることなんてできない。幸子の考えや感情に全く共感ができない、ということもこれからたくさん出てくるだろう。けど、それでも、オレは」

わたしの耳に髪の毛がかけられた。長い間ロードバイクのハンドルを握ってきた手はマメがつぶれていて、綺麗な指とは言えない。けど、この指がわたしの耳に触れる瞬間が、泣きたくなるほど、すきだ。

「少しでもいい。理解したい。少なくとも、理解したいという姿勢はあきらめたくない。ほんの少しでも、お前と同じものを感じ取りたいんだ」

心に、優しい気持ちが流れ込んでくる。尽八の優しくて暖かい気持ち。面倒くさい、と放り投げないで、抱き留めてくれる。

「そういうのが、傍にいる、ということだろう?」

涼やかな切れ長の目元には確かな愛情と優しさが色づいていた。ああ、もう。頭だけじゃない。体中から『すき』が溢れてとまらない。想いのままに体を動かした。両腕を伸ばして、尽八の首に回す。

「…何にあんな怒っていたんだ?」

わたしなんかが、尽八に怒った理由を言うなんて。分不相応な怒りを述べることに躊躇って、唇を結ぶ。すると、背中にぎゅっと優しく包み込むようにして腕を回された。

「言ってほしい」

せがむように頼まれて。わたしは観念した。自分の嫌な行動をあげてほしい、なんて言う人初めて見たなあ。恐る恐る、手探りをするような不安げな口調で述べていく。

「…福原さんみたいな綺麗な女の子と仲良くしてるのを不安に思ってるわたしのこと、馬鹿にした」

「…馬鹿にしたつもりはなかったんだがな、と言い訳はさせてもらう」

「『そんなことか』って思ったでしょう。『そんなこと』じゃないの。わたしみたいな平凡な子が尽八の彼女って、すっごいプレッシャーなの。わたしは周りの目を気にしないなんてこといられないの」

詰問口調になっていたことに気付いて、慌てて口を噤む。けど。

「そうかそうか、調子づいてきたな。いいぞ、もっと言え」

尽八は、何故かどこか楽しむようにして快活に笑う。どうして?と問いかけるよりも前に、答えてくれた。

「幸子は、どこかオレに対して、一歩遠慮しているようなところがあったからな。付き合う前も、付き合うようになってからも。昨日隼人にお前がそうやってむき出しの怒りをオレにぶつけてくるようになるなんて、そう悪いものでもないんじゃないかと指摘されてな。…確かにな、と。お前が怒っているというのに、不謹慎だが、少しだけ嬉しくなったんだ」

肩に両手を置かれて、距離をあけられる。熱が離れて寂しく思う暇は与えられなかった。代わりに、澄んだ瞳が熱を湛えてわたしを真っ直ぐに見据える。どきり、と心臓が揺り動かされる。尽八は目線を一度だけ下に向け、もう一度わたしを瞳で捉えてきた。

「今回のことでよくわかったと思うが。オレは失言する。情けない思考煩悩に捕らわれることだってしょっちゅうだ。細心の注意は払うが、お前を傷つける発言をこれから全くしないとは、言い切れない。山神という二つ名を持っていても、一人の普通の人間だ。だから、遠慮なんてするな。腹が立ったら罵れ、怒れ。お前の前だと、どうしたらいいかわからない、一人のちっぽけな人間なんだから」

自分に自信を持っていて。
常にカッコいいと賞賛されることが大好きな尽八が、こんなに自分を卑下して。
それもすべて、わたしのため。

「…さっさと謝れば良かったな。すまん。ほら、これがその証拠だ。自分の非を認めたくなくて、謝りたくないなんて子供じみた意地を、」

わたしから視線を少しだけずらして、自嘲している尽八の唇を言葉ごと塞いだ。柔らかい唇から甘い痺れが全身に流れる。痺れて動けなくなってしまいそうだけど、これだけは言わなきゃ。尽八のふたつの耳に手をかけて、包み込んでから、わたしはふるふると首を左右に振った。

「…誰よりも、かっこいいよ」

だって、わたしの彼氏だもん。冗談めいた言葉を付け足してから、首を傾げて「あはは」と照れ臭くて笑う。でも、まぎれもない本音。惜しみのない優しさを絶え間なく降り注げてくれる人。誰よりも、かっこいいと心の底から思う。背中に腕を回されて、尽八の胸の中に閉じ込められる。耳を置いた場所がちょうど心臓の辺りで、どくんどくんと騒がしく鳴り響いている心音が嬉しくてたまらない。

「めんどくさい彼女でごめんね。訳わかんなかったでしょ」

「…正直そう思った」

「あはは、うん、だよね」

包み隠されていない丸裸の本音を聞けたことが、今は嬉しかった。さっきは腹を立てたと言われてあんなに悲しかったのに。今は尽八の胸の中にいるからだろう。わたしは尽八に抱きしめられている時、無敵になるのだ。

「幸子、今日、放課後空いてるよな」

「うん」

「オレの部屋、来ないか」

「わあ、うん、行く」

「…お前、今日が何の日かすっかり忘れてるだろう」

再び、肩に手を置かれる。わたしを見下ろす目は呆れ果てていた。今日って…、えーと…んーと…。先ほどまで尽八にひどいことをしてしまったという後悔と嫌われてしまうかもしれないという恐怖で埋め尽くされていた思考は、今日が何の日だったかをすっかりどこかに追いやってしまった。んーと…、と顎に手をあてながら考え込む。尽八は仕方のないやつだな、と苦笑を零した。

「まあ、その方がいい。驚かせ甲斐がある」

頬を撫でられた後、意味ありげに笑いかけられる。悪戯を仕掛けた子供のような笑みだった。首を傾げた三時間後。手首に巻く可愛くて細い輪っかと伴に甘ったるい言葉を耳元で囁かれた。あ、これを買うために。なのにあんなに怒っちゃって、と恥ずかしく思っているのも束の間。何にも用意してなかったわたしがあげられるものは、たったひとつだけでした。



普通の幸せを贈るね

(…アリバイ工作、ありがとうございます依里ちゃん…。)


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