もうすぐで、所謂記念日というやつをオレ達は迎える。
「巻ちゃん、ティファニーってすっげー高いな…」
「お前ティファニー買おうとしてたのかよ」
巻ちゃんの呆れた声がスマホ越しに耳にするりと入り込んできた。久しぶりの電話だ。どうしても相談したいことがある、とメールを打って、今相談に乗ってもらっている。日本は現在朝の六時だがイギリスは夜の九時ごろ。早起きは苦に思わない性質なのでしんどくはない。というか部活引退する前は通常のことだったしな。
「ティファニーを嫌がる女子はまずいないだろう。オレの姉も好きだし」
「まあいねえと思うけど…。っつーか吉井さんなら何でも喜んでくれんだろ。お前高校生なんだしそんな無理すんなッショ」
「確かに幸子は何でも喜ぶ。一年の時メロンパン千切ってやっただけなのにそれでもものすごく嬉しそうにしてくれた」
「なにその適当すぎるプレゼント」
「そうなんだ!!聞いてくれ巻ちゃん!!オレは自覚するまで!!」
「うるっせー!!急に声でかくすんなッショッ!!」
「おお、すまんね巻ちゃん」
巻ちゃんは鬱陶しそうにため息を吐いた。ひどくないか巻ちゃん。巻ちゃんは投げやりに「ティファニーとかやったらあの子恐縮すんじゃねーの、もっと安いモンにしとけよ。高校生っぽいの」とアドバイスしてくれた。ありがとう巻ちゃん。ふむ、と頷く。確かにそうだ。やたら高いものをやって、ええ、えええ、とあたふたする幸子を容易に想像できる。困った顔をしている幸子は可愛い。それは身を以て知っている。困らせたいという子供じみた欲望が生まれる。でも。
『わあ、すっごく可愛い、ありがとう…!』
満面の笑顔で、礼を述べてくる幸子も、見たくて。
「…そうだな」
ふっと笑みを零す。ありがとう、巻ちゃん。と礼を述べ、親指で電源ボタンを押したあと、丁寧にベッドの横のタンスの上に置いた。気付いたら日が昇っていた。窓から差し込む日光が気持ち良くて、目を細める。ん、と腕を伸ばしてから、身支度を始めた。
姉がいるせいか。それとも察しが良い部類に入るからか。女子はこういったものを好むのだろう、という予想を外したことはない。綺麗で、繊細で、可愛いらしいもの。乱暴に扱ったらあっという間に壊れてしまうもの。それらを女子は好む傾向にある。でも、女子はひとりひとり違う。だから、ひとりひとり好みが少しずつ違う。さらさらと流れるせせらぎのような繊細な作りのブレスレットを手に取った、その時。
「吉井さんに?」
ひょっこりと。オレの顔を覗き込んできたのは見知った顔。福原だった。にっと笑って「やっほー」と手を振ってくる。
「よくわかったな」
「東堂くんがそういう系あげるとしたら吉井さんにだけでしょー。しかもそれ、なんか吉井さんっぽいし」
福原はオレが手にしているブレスレットを指さして言ったあと、やれやれと肩を竦めた。何故肩を竦められたんだオレは。
福原に告白されて、断った時、『東堂くん、吉井さんのこと好きだもんね』と悲しそうに笑われた。あの頃のオレは、幸子のことを邪な目で見るという自分自身を認めたくなくて、無自覚に気持ちを封じ込めていた。だから、そう指摘されて目を見開いた。『え。気付いてなかったの…!?』と心底呆れている福原が記憶に新しい。
オレのことが好きだというのに、背中を押してくれた。
振ったあとも、変にオレを避けることせず、友人関係を続けてくれていて、言葉では言い合わらせられないほど、感謝している。
「なになに、吉井さん誕生日?」
「いや、違う。もうすぐ記念日なんだ」
「へー!おめでと!」
パチパチと拍手をして祝ってくれたあと、後頭部で手を組んで「いいな〜。私もそーゆーことしてくれる彼氏ほし〜」と拗ねたように唇を尖らせた。美人で気さくで男女供に人気のある福原なら、その気になったらいつでも作れるだろうに。福原は「じゃ、私友達と待ち合わせしてるから」と手を挙げ、ばいばーいと去っていった。じゃあな、とオレも手を挙げて、それで終わりだった。
月曜日を迎え、廊下を歩いていると、福原に「おはよー」と挨拶された。おはよう、と返す。同じ学年なので、同じ階だ。自然に肩を並べて、一緒に向かう。
「記念日っていつ?」
「明後日だ」
「へー!どれにしたの?やっぱ、あれ?」
「ああ。派手過ぎずかつ地味過ぎずアイツの可愛らしさを表現するにあたって、」
「もういいわ」
「聞いといてなんだそれは!」
福原は「だって東堂くん話長いんだもーん」と、けらけらと楽しそうに笑った。オレは「そっちから話を振っておいて」とわざと憮然とした表情を作る。オレと福原は頭の回転の速さが大差ないのだろう、ぽんぽんとキャッチボールするように会話が弾んでいく。クラスが違うので、教室の入り口で別れる。じゃあな、と手を挙げた時、幸子が見えた。自然と気分が高揚する。「幸子、」と名前を呼んでから、しまったと思う。学校じゃ恥ずかしいから苗字で呼んで、と言われていたんだった。咎められる、いや咎めてくる幸子も可愛いだが、と思っていると。
「おはよ〜」
にっこりとした、朗らかな笑顔が返ってきた。え、と目を白黒させていると「福原さん、おはよ〜」と、福原にひらひら手を振る。
「おはよー、うんうん、今日も可愛い可愛い」
「わ」
福原は幸子をぎゅうっと抱きしめる。幸子は女子ウケがすこぶる良い。よく頬を引っ張られたり、抱き着かれたり、とオモチャにされていることもしばしば。現に今も頬っぺたすべすべ〜もちもち〜、と頬を上下に動かしてオモチャにされている。オレはやんわりと福原を嗜めた。福原は「つまんないの」とわざとらしく唇を尖らし、「じゃあね〜」と自分の教室に向かった。
「お前はすぐに女子にオモチャにされるな」
幸子の頬を右手で触ると、幸子はくすぐったそうに小さく笑った。滑らかで冷たい頬が心地よくて、柔らかく頬を揉む。幸子はこういうことを人前でされても、嫌がることはしない。でも、恥ずかしがり屋なので、ちょっと恥ずかしいかな、と困ったように恥らいながら笑う。困らせたいけど、困らせたくない。相反する二つの感情の間で、オレはいつも揺らいでいる。そろそろ言われる頃合いか、と見計らった時、幸子は小さな両手でオレの手を自分の頬に押し付けた。『いつも』から外れた行動に目を僅かに見開いて驚く。嬉しいが、疑問も沸きあがる。もしかして、と、一つの可能性に行きついた時、幸子は手を離した。
「ごめんね、ありがとう」
手短に言ったと、女子の群れの中へ逃げるようにして飛び込んだと思ったのは、オレの勘違いじゃない。
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男の子って。尽八って。なにがすきなんだろう。
うーん、と首を傾げる。一人っ子で、男の子の友達もあまりいないから、よくわからない。尽八がすきなもの、すきなもの…。お洒落がすきだから、おしゃれなものをプレゼントしたいんだけど、わたしそういうのに疎いしなあ。男の子がすきなおしゃれなものなんて、検討もつかない。数少ない男の子の友達に連絡しようか、と、鞄から、ケータイを取り出そうとして、動きを止めてしまった。視界に飛び込んできたのは尽八の背中。隣には、女の子。福原さん。仲良さげにお喋りしている。
どくん、どくん、と。心臓が唸るようにして軋む。二人の視界に入り込んだらいけないような気がして、そっと柱の後ろに隠れた。浮気、なんて思わない。箱学生が集まりやすいショッピングモールだから、偶然出くわして、とりとめのない会話をしているだけだろう。それに、なにより。尽八は好きな子ができたら、わたしをきちんと振ってから、好きな子に向かう。絶対に。そういう、とても誠実な男の子。
「ねえねえ、あの人超カッコいい!」
「うわ、ほんとだ!…あーでもイケメンにはやっぱ彼女いるねー」
「まあ彼女可愛いし仕方ないじゃん。あれぐらいかっこいい人の彼女が並とかブスだったら嫌だけど、あれなら認めるわ。可愛い」
もし、わたしが隣に立っていたら、この子達は『えーなんであんな子が?』と眉を潜めたのだろう。被害妄想と片づけるには真実味を帯びていた。わたしの周りだけ酸素が薄くなったのか、呼吸がしづらい。お腹が痛い。
結局、わたしは何も買わないで、家に帰った。いつもたくさんしてもらってばかりだから、何かしたくて、何かあげたくて、でてきたのに。結局なにもできないまま。洗面所で手を洗っていると、お世辞にも可愛いと言えない女の子が鏡にぼけっと映っていた。
「…ハァ」
溜息をひとつ零して、ハンカチをスカートのポケットに戻す、トイレからの帰り道。半ば意識のない状態で歩いていると、ドンッと誰かにぶつかった。また荒北くんだろうか。いつも本当に申し訳ないことをしてしまっている。ごめんね、と顔を上げて謝ると、隣のクラスの、顔は知っているけど名前は知らない男の子だった。
「や、こっちこそごめん」
「いやいや、こっちこそ…」
ごめんね、と頭を下げようとした時、頭皮を引っ張られる感触を覚えた。いた、と顔を顰めてから気付いた。わたしの髪の毛が、男の子のカーディガンのボタンに絡んでいた。
「わ、わあ、ほんとにごめんなさい!」
「え、あ、ボタンに絡まってる」
「ごめんなさい、ほんとにごめんなさい!」
そんなに謝らなくても…という苦笑は、パニックになっているわたしの耳から耳を通り抜けた。ボタンから髪の毛を抜こうと必死になって、視界が狭まり、距離を詰めてしまう。え、と驚く男の子の声が遠くにあるものかのように聞こえる。ああもう、何をやってるの、わたしは。知らない男の子にすら迷惑かけてしまう自分が情けなくて腹立たしい。もう!と心の中で言った時、髪の毛がはずれた。
「…や、ったあ。ごめんね、ほんとに、めいわ―――、」
顔を上げて、体が強張る。男の子とわたしの距離は、一般的な男女の高校生の距離感とは言えなかった。カァッと頬が火照る。尽八に対するものとは違う熱。たんなる羞恥が襲ってきて、わたしは跳ねるようにして飛びのいた。
「ご、ごめんなさい」
「あ、や、やー、全然、そんな」
後頭部に手を回しながら、照れ笑いで口元がにやけている。あ、この人絶対良い人だ。と、直感が働いた。雰囲気も優しくて暖かい。中学時代はこういう男の子としか話せなかったなあ。目立たないけど、優しい男の子。男の子の照れ臭そうな笑いに釣られて、笑ってしまう。「ううん。わたしがぼーっと歩いてるから」「いやいや、オレもぼーっと歩いてるから」「違うよ、わたしが」と終わらないやり取りを繰り広げていると。
「迷惑かけて、悪かったな」
少し棘を孕んだ声が隣から聞こえた。へ、と声の先に目を遣る。尽八がにこやかに悠然と笑っていた。
「…あ、そっか。この子、どっかで見たと思ったら東堂くんの」
「すまんな、コイツよくぼうっとしてるんだ。幸子、毛先見せてみろ」
尽八は親指と人差し指で、わたしの毛先を摘み上げた。ボタンに絡まっていたせいか、痛んでいる。
「これ切った方がいいぞ」
「そう、だね。あちゃー」
「え。あ。ごめん、オレのせいで」
「ううんううん。わたしが悪いの」
「そうだ。君が気にすることはない。じゃあな」
行くぞ、と言われるように、手をやんわりと引っ張られる。どうしたんだろう、と首を傾げて考えて。行きついたのは『ヤキモチ』。いつもなら、手放しで喜ぶ。好かれて、必要とされているみたいで、嬉しくてたまらない、と。でも、今回は。じりっと、這いずるようにして湧き上がってくる、ねっとりとした思い。初めて抱く、心地いいとは言えない感情に、戸惑う。
なに。これ。
こんなの、まるで、わたしが。
「幸子」
わたしが、尽八に。
「幸子」
違う。だって、わたしは、付き合って『もらってる』側なのに。
「幸子!」
はっと我に返った。パチパチと瞬きをしていると、「ぼうっとしすぎだ」とおでこを軽く押された。気付いたら、人気がない場所に連れて行かれていた。話を聞いていないことを申し訳なく思って、謝ろうと口を開く。
「ごめ、ん、んむ、ぅ」
謝っている最中に、唇を押し付けられる。反射的に目を閉じて、また開けて。近すぎてよく見えない尽八の顔。薄い唇の感触は、何度味わっても、味わいきれない。ふわふわと宙に浮いていく感覚。触れあったところから、溶けて、ひとつになってしまえばいいのに。
ああ、でも、ひとつになってしまったら、駄目だ。ひとつになってしまったら、こんな、薄暗い気持ち、分不相応な気持ち、バレてしまう。
「お前はこうやって隙だらけなんだから、男に迂闊に近づくな」
咎めるように、そう言いつけられる。わかった、と頷くものの、心は納得していなかった。
…自分は、女の子と、たくさん話すくせに。
「…それと。幸子。お前、オレと福原の仲に嫉妬しただろう」
「…え」
ズバリ、と真実を言い当てられて、目を白黒させる。尽八はふうっと短く息を吐いた。あのなァ、と腕を組みながら、わたしを見下ろす。
「アイツとオレはただの友人関係だ。もうアイツもオレのこと何とも思っていない。気にする必要なんて一つもないんだ」
つらつらと、滔々と、物分りの悪い小さな子に言い聞かせるような口振り。そんな小さなことでくよくよ悩むな、という副音声が聞こえる。尽八と付き合っていく限り、一生まつわる悩み事を、尽八は『そんなことか』で済ますに違いない。
じりじりと、小さく、積もっていく。
わたしは、付き合ってもらっている側。わたしは地味で、尽八は派手で、中心にいるような男の子で、優しくて、頭も良くて。だから、こんなこと、思っちゃ駄目で。
「大体、お前は溜め込みすぎる。言いたいことがあるなら言え、と何度言えばわかるんだ」
上から目線の、呆れたような物言い。それが契機となって。
―――ぷっつん
何かが音を立てて切れた。分不相応とか、ですぎた想いとか。すべて、切れて、どこかへ散り散りに消えていった。
「…くせ、に」
ぽつり、と落とした言葉は、小さくてよく聞き取れなかったようだ。尽八は片眉をぴくりと動かして「なんだ?」と訊き返す。ぶっつん、と今度は先ほどより勢いよく切れた。
「尽八はたくさん女の子と話すくせに…!」
キッと睨みつけて、不満をぶつけた。初めて見せるわたしの強い反抗に、尽八は驚いて、何も言えないらしい。目を白黒させている。
言いたいことはたくさんあった。わたしの悩みを小さなこと扱いして。あんな、尽八のことを好きだった、ものすごくお似合いの子と楽しそうに話していたら不安に思うのは当然じゃん、お似合いすぎて、割り込めないんだから。自分に自信が合って、わたしと男の子が話していたら何の躊躇もなく割り込めて威圧できる尽八にはわかんないんだろうけど、とか。色々言ってやりたい。けど、わたしはバカだから、口が回らなくて、代わりにでてきた言葉は。
「もう知らない!バカ!!」
なんとも陳腐な、たいして毒にならない、ありふれた罵倒だった。
踵を返して、ダーッと走る。その間も、わたしの怒りは収まらなかった。
これがわたしの初めて、尽八に、心底怒った日となった。
(つづく)
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