「フッツーに、避けられてんなァ」
容赦ない荒北の一言が、オレの胸に深く突き刺さった。隣の隼人が焼き鳥を頬張りながら横目でオレを見る。
「オレも避けられてると思うぜ、それは」
うっ、と胸をおさえる。向かい側に座っているフクが、じいっといつものような真顔でオレの顔を見据えて、厳かに言った。
「何か嫌われるようなことをしたんじゃないか」
グサァァァッと、研ぎ澄まされた刃のような言葉が、オレの胸を切り裂いた。がくっと肩を落として、額をテーブルにつける。ひんやりとして気持ちいい。が、気分は最悪だ。
オレ達は卒業してから二度目の春を迎えた。進路は別々なので、高校の時のように毎日会えているわけじゃない。だから、少しでも会える時間を見つけたら、すぐさま会いに行っていた。
だが。最近、幸子はなんだかつれない。会えるか?と訊いても、すべて断ってくる。最初はタイミングがあわないのだから仕方ない、と考えていたのだが。もうこれで断られるのは十回目だ。今日、フク、隼人、荒北と呑むのでそのことを相談してみたら、容赦ない言葉の数々を寄越された。
「最後に会った時、どんな感じだったんだヨ、吉井」
「…いつもと同じように、笑っていた、と思う…」
何回も、何回も、記憶を掘り起こした。巻き戻し、再生。それを繰り返しすぎて、記憶がビデオ状だったらぼろぼろに擦り切れているところだ。何回思い出しても、幸子はいつものように笑っていた。出会った時から変わらない笑顔で。
「オレと会った時はいつも通りだったんだがな」
「そうか…。…って、幸子と会ったのか!?」
あまりにもあっさりと言うものだから、あっさりと受け流しそうになった。フクは唐揚げを頬張りながら、こくりと頷く。
「い、いつ!?」
「昨日だが」
「昨日!?最近すぎるだろ!!」
「吉井が気に入ってるケーキ屋がアップルフェアをやっていてな。誘ってくれたんだ。素晴らしかった、あれは青森産のリンゴだな…アップルパイになっていても、オレにはわかる」
いつもの鉄仮面に少しの誇らしさを滲ませているフクを、荒北が「さすが福ちゃん」と褒めた。隼人がフクに「尽八のこと、吉井さん何か話してなかったのか?」と問いかける。その問いかけに、思わず身構える。何か、オレへの不満を漏らしていたら。ショックで打ちひしがれるが、その欠点を治そう。死にもの狂いで。
「いや、なにも」
あっさり、きっぱりと、フクは言った。ほっと胸を撫で下ろす気持ちと、何も言っていなかったのか、という悲しみが胸に宿る。
「そうだ。髪の毛を切っていた。このくらいになっていた」
…え。
フクは顎の位置に、手を水平に持ってきて、幸子の髪の長さを表現した。だいぶ切っている。幸子は高校の時からずっと同じ髪型だった。胸の位置までのセミロング。色素が薄くて、触ると柔らかくて、気持ちいい。
そうか、髪、切ったのか。
「似合っていた」
淡々と言うフクに、嫉妬を覚える。
「…そうかよ」
だから、少し不貞腐れた口調で返してしまって、荒北に「福ちゃんに当たんなよォ」と睨まれたのだった。
どれだけ言葉を交わしても、キスをしても、実際につながっても、心を共有することなんて不可能で、オレと幸子は、別々の個体だということを痛感する。そんなの、当たり前だ。オレと幸子はミミズじゃない。人間なのだから。それでいい。別々の個体じゃなかったら、触れない。けど、別々の個体である限り、相手の考えなんてわかることができない。
言葉にしてくれないと。
…というわけで。勢いのまま、幸子が一人暮らしをしているマンションに来てしまったのだが。
…なんか、ストーカーっぽくないか、これ…?
来てしまってから、気付いた。最近距離を置いている彼氏がマンションまで『話がしたい』という理由できた。…ストーカーっぽい…!自分でも思う、ストーカーっぽいぞ、これは…!!
首を上げ、幸子の部屋のあたりを見ると、電気がついてなかった。まだ家に帰ってないのだろうか。こんな夜遅くまで何をやっているんだ。ぼうっとしている幸子がこんな夜更けに一人で歩いていることを考えると、心配で仕方がなくなる。こ、この場合はもう男に送ってもらった方が…、いやでもソイツが幸子に下心あって家に乗り込もうとしたら…。…はっ、も、もしかしてこういうところが避けられる原因なのか…!?荒北にも『お前過保護すぎ』と呆れられたことが多々あるし…!!
頭を抱えながらぶつぶつと考え込んでいると、とんとんと肩を叩かれた。ん?と思いながら、振り向く。自然と、目が見開かれた。
「やっぱり、尽八だ」
うれしそうに、相好を崩している幸子が、そこにいた。
「どうしたの?」
首を傾げて、問いかけてくる。顎の位置で切りそろえられた髪の毛が揺れる。オレがじいっと見ていることに気付いたのか、「あ」と小さく言ってから恥ずかしそうに笑った。
「髪の毛切った姿、初めて見せるね。ちびまるこちゃんみたいでしょ」
オレが何かを言う前に、幸子はこの話は終わりと言うように、次の話題に移った。
「もう終電ないでしょ、うちんち泊まってく?」
…え?
避けられていると思っていたので、嬉しいという感情よりも戸惑いが勝る。幸子はオレに冷たい態度をまったくとらないし。一体全体どうなっているんだ、とハテナマークが頭の中を埋め尽くしていく。
「尽八?」
なかなか返事をしないオレを不思議に思ったのか、幸子は不思議そうな表情で、顔を覗き込んできた。高校の時と同じように見えて、少し違う、大人っぽくなった。控え目に施された化粧が、肌に馴染んでいる。こうやって、どんどん、綺麗になっていく。
「…上がらせて、もらう」
どぎまぎする心臓を必死の思いで抑えて、平静を装って答える。幸子はぱあっと顔を輝かせて「うん」と大きく頷いた。
避けられていると思っていたのに。いつもと同じ態度で接してくる。訳がわからない。
「お〜い、尽八〜」
ひらひらと眼の前で手を振られて、はっと我に返った。
「わたしの話、聞いてた?」
「わ、悪い。ぼうっとしていて聞いてなかった」
「ううん、いいよいいよ〜。えっとね、お風呂どうする?って聞いたの。沸かそうか?シャワーがいい?」
「面倒だろう。シャワーでいい」
「別に面倒くさくはないけど。…まあ、いいか。じゃあ、シャワーね」
そう言ったあと、幸子は眉を少し眉間に寄せて、心配そうにオレを見た。
「どうしたの?今日、すっごくぼうっとしてる。何かあった?」
…避けている、自覚ないのか…?
演技をしているように見えない。本気で、オレのことを心配している。そのことは幸子の眉間に刻まれている皺が証明している。
オレと幸子は別々の個体だ。何をしても、一生、ひとつになることはできない。相手の気持ちなんて聞かない限り、全て憶測でのことだ。聞いたって、本心を言われるという確証はない。嘘を吐かれる可能性だってある。でも、聞かない限り、本心を知ることはできない。
だから、オレは訊くことにした。幸子のことを、誰よりも大切にするために、幸子のことを誰よりも知りたいから。
「幸子、オレのことを避けてたんじゃないのか?」
冷静に訊こうとしたのに。声が少しだけ震えた。ああ、くそ。と舌打ちをしたくなる。一番かっこつけたい相手の前で、かっこつけられない。人生とは難儀なものだ。幸子は、パチパチと瞬きをしたのち、唇を真一文字に結んで。
「…うん…」
小さく頷きながら肯定した。
横っ面を張り飛ばされたような気分になった。遠のきそうになる気をなんとか捕まえて、なんとか気丈に振る舞いながら「なんでだ」と問いかけた。
幸子は、ふうっと息を吐いたあと、苦笑を浮かべた。
「わたし、重いから」
…は?
オレへの不満をぶつけられるものだと思って、身構えていた。肩すかしをくらって戸惑いが胸のうちを占める。
「重いって、どういうことだ?」
意味が分からなくて問いかけると、幸子は、片眉を下げて、苦笑しながら話した。
バイト先で、男の子の友達ができたの。
ずっと仲良くしてくれててね。わからないことがあったら、ささっとサポートしてくれる、優しい男の子。
尽八と最後に会った日の次の日かなあ、女の子の友達に、幸子ちゃんの彼氏ってすっごくカッコいいよね〜って言われてね、わたしに彼氏いるんだーって話になって。
高校の時からずっと同じ人と付き合ってるのって言って。でも、それだけ長く付き合ってるなら、一回ぐらい心の浮気するよね、ってその男の子の友達に言われて。ないよって言ったら、
幸子ちゃんって、おっもいなあ、って言われちゃって。
あー、確かに、わたしって重いなあ〜って思って。
髪の毛切ったのも、尽八が髪の毛短い子好きだからだし。
薄い色の服ばかり着るのも、まあ、そういう色が好きなのもあるけど、尽八に似合うって言われたからだし。
尽八の言うことに、ほとんど反論しないし。
こういうの、主体性がなくて、つまんないなあって思って。
尽八は優しいから、重いって思わないんだろうなあって思って。
で、ちょっと、尽八に会わないようにして、尽八離れしようと思ったの。
…でも、駄目だなあ。
幸子はそこまで言うと、一層濃い苦笑いを浮かべた。
「会っちゃったら駄目だね。もっと一緒にいたくて、泊まる?なんて聞いちゃった」
言いたいことが色々あった。
その男絶対幸子に気があるだろ、とか。だからなんでそうやってすぐに貯めこむんだ、とか。
けど、それよりももっと強く溢れ出してくる気持ち。付き合うよりも前から、オレの全てを支配している。
好きだ、という単純な気持ちが、オレをまた突き動かした。
ぐいっと腕を引っ張って、胸の中にしまい込むようにして抱きしめる。いつ抱きしめても柔らかくて、良い匂いがして、眩暈がしそうになる。
「…オレが、お前のこと重いって思わないのは、優しいからじゃない」
淡々とそう言うと、幸子は「…え?」と吃驚したように声をあげた。体を少し離して、真ん丸になっている幸子の目を真っ直ぐに見て、ゆっくりと、厳かに言った。
「オレの方が、お前より重いからだ」
「…へ?」
幸子は、いっそう、目を丸くした。こほん、と咳払いしてから、オレは誰にも話したことのない人生プランを話しはじめた。
「まず、オレがきちんとした収入を得て仕事が軌道にのってきた二年目か三年目に、幸子にプロポーズする」
「…へ!?」
「そして、大きな窓と小さなドアがある家を建てる。真っ赤なバラと白いパンジーが庭に植えてある。青いじゅうたんを敷き詰めて、楽しく笑って暮らすんだ。庭で、オレが子供と楽しく遊んでるのを幸子が微笑ましく見つめているんだ」
「そ、それ、何かの歌の歌詞と同じ内容だよ、ね…?」
「子どもはどちらでもいい、と言いたいところだが。正直な話、お前に似た女の子がいい。大きくなったらパパと結婚する〜!と言われたい」
「え、えーっと」
「結婚式の仲人はフクか隼人か荒北にしてもらいたい。あみだくじで当たった人物にしてもらおうと思っている」
「そ、そこまで考えてるんだ…」
「そうだ、そこまで考えてる。高校の時から」
「…へ!?」
驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げる幸子の頬を、輪郭を沿うようにして触った。
ふっと小さく笑ってから、ワッハッハッと少し大きな声で笑う。
「どうだ、オレは重いだろう!」
ぽかんと小さく口を開けていた幸子は、しだいに、表情を和らげていった。ゆるりと細められた目が、少し潤んでいる。うん、と頷いたあと、小さく笑った。
「幸子」
「ん? …わ!」
幸子の後頭部に手を回して、床に打ち付けないようにしてから、押し倒した。目を白黒させている幸子の唇を塞ぐようにしてキスをする。一度、離してから、もう一度、キスをする。やんわりと閉じられた瞼に唇を移す。唇を離したあと、ゆっくりと瞼が開いた。少しむくれているオレが幸子の瞳に映る。
「…寂しかった」
「…へ?」
「すっげえ、寂しかった。会えなくて、マジで寂しかった」
「…ごめんね?」
ゆっくりと、オレの後頭部に手を回して、撫でる掌は小さい。やんわりとほほ笑んでくる顔が可愛くて仕方ないが「許さん」ときつい口調で返したら「ええ〜」と困ったように笑われた。
「どうしたら、許してくれる?」
小さな指が、オレの髪の毛を梳かしていく。
「…一緒に、風呂入ってくれたら」
「…へ」
少し頬を赤らめて「え、えっと」とたじろぐ幸子を、じとーっとした目つきで睨みつける。すると、観念したように小さくため息を吐いて、片眉を下げながら「しょうがないなあ」と、笑った。
ふれて未来を
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