昼休みも中盤に差し掛かったころ、喉が渇いたので自販機に向かった。すると、自販機の前で吉井さんがオロオロしながらボタンを何度も押していた。
「吉井さん、どうしたんだ?」
オレが声をかけると、吉井さんは「東堂くん」と困ったように眉を八の字に寄せた顔を向けた。
「自販機が壊れちゃったみたい。お金いれたのに、どれも買えなくて。どうしよう、わたしが壊しちゃったのかな」
吉井さんは悲しそうに言ったあと、しゅんと項垂れる。たまたま、吉井さんが金を入れた時に壊れたか、元々壊れていただけだろう、そう言おうとした時に、気付いてしまった。顔を俯け、肩を小刻みに震わせながら指摘する。
「…十円、足りんだけだと思うが」
「…へ?…あ」
表示金額のところに、110円と表示されていた。一番安い飲み物でも120円はするから、買えるわけがない。吉井さんを見ると、顔が真っ赤に染まっていた。
「まあ、そういうこともある!気にするな!」
ワッハッハッと高笑いしながら、肩にぽんと手を置く。吉井さんはオレを見上げ、「ありがとう…」と真っ赤な顔で照れながらお礼を言った。慰めてくれてありがとう、という意だろう。うんうん、素直でよろしい。
「吉井さんは何を買うんだ?」
「バナナミルク」
「おお、あの甘ったるいやつか。吉井さんは甘党なのか?」
「うん、甘いの大好き」
まだ飲んでいないのに、甘い味を思い出したのかうっとりとした表情を浮かべる。よほど好きらしい。吉井さんは甘党、と心のメモ帳に書いておく。吉井さんに関することは、できるだけ知っておきたかった。犬のキモチや猫のキモチなど、ペットの飼育雑誌を買う人間の気持ちが今ならわかる。何が駄目で、何が良いのか。詳しく知っておきたい。
吉井さんはオレにとって、初めてできたタイプの友人だ。いつもぼうっとしていて、何度名前を呼ばれても気づかないこともしばしば。風邪を引いて入学式に参加できなかったことと、人見知りな性分が手伝って、なかなか友人もできなかったらしく、オレが高校で初の友人らしい。女子の輪になかなか入れなくて困っているところを、オレが絶妙のタイミングで入れた。すぐにマスコットとして可愛がられるようになって、日々オモチャにされている。女子の友人ができて嬉しそうな吉井さんを見ることができて、嬉しいのだが。実は、ちょっと寂しくもある。巣立ちする子供を見ている親鳥の心境だろうか。
「東堂くんは何を買おうとしていたの?」
「オレはミネラルウォーターだ!美とは日々の積み重ねの集大成だからな!ワッハッハッ!」
「東堂くんは努力家だねえ」
「いや、違うぞ。吉井さん。全ては天が与えたものだ」
「そうなの?」
「そうだ」
首を傾げる吉井さんに、うん、と力強く頷く。吉井さんはふうんと頷いたあと、ゆるりと目を細めて、えへへと笑った。
「東堂くんとたくさん話すの、ちょっと久しぶり。嬉しい」
…旅行から帰ってきたら、玄関先で待ち構えていた犬に飛びつかれて悶絶する飼い主の気持ちが今ならわからなくもない。
「まあ、このオレと話すのだからな。嬉しいに決まっている!学校中の女子が吉井さんを羨望の眼差しで見ているぞ!ワッハッハッ!」
「だろうねえ〜。三年生も二年生も、東堂くんのことかっこいいーって言っているらしいよ〜」
「そうだろうそうだろう!ワッハッハッ!」
腰に手をあてながら、高笑いするオレを微笑ましく暖かい眼差しで見守る吉井さん。ほんとに、東堂くんはすごいよね、と噛みしめるようにしみじみと、柔らかな声に乗せた。
「東堂くんみたいなすっごく人気者〜な男の子と友達になれるなんて、人生って何があるかわからないなあ」
「ワッハッハッ、誇りに思うがいい!」
「うん。すごい。ほんとにすごいこと」
満面の笑顔を浮かべながら、こくりと首を縦に動かす。うーん、素直だ。この素直さを色々な人物に見習わせたい。ファンクラブの子も素直にオレを称賛してくれるが、それとはまた違うんだよなあ。頭をぽんぽんと撫でると、嬉しそうに目を細めた。
「お、尽八」
聞きなれた声がして振り向くと、隼人が手を挙げていた。隼人は一年の中じゃ、オレの次に美形だ。まあ人それぞれ好みはあるので、中にはオレよりも隼人の方が美形だと言う輩もいるが。
よ、と手を挙げ返すと、隼人が近づいてきた。吉井さんがぴくっと体を強張らせる。ああ、そうか。吉井さんは人見知りで、しかも男子にあまり慣れていないんだった。大丈夫だ、と眼で言うと、こくりと頷いてきた。
「吉井さん、こいつはオレと同じ部活の新開隼人だ。隼人、この子は同じクラスの吉井幸子さん」
「は、はじめまして」
吉井さんは、おずおずと、伺うように隼人に挨拶した。ああ、オレにも最初はこんなんだったなあ…。何回も話しかけて、話しかけて、話しかけて。やっと、東堂くん、と吉井さんから話しかけられるように持ってこれた。
隼人もはじめまして、と爽やかに挨拶する。吉井さんの緊張はなかなかとれないようで、曖昧に笑った後、えっと、とぎこちなく紡いだ後、黙った。仕方ない、ここはトークが切れるオレの出番だ、と二人の橋渡しをする。
「吉井さん。隼人はな、オレの次にモテるんだぞ!」
「ああうんそうだな」
「おいなんだそのどうでもよさそうな口振りは」
「だって実際どうでもいいし」
「お前なー!モテてるかモテてないかは大事な問題だぞ!」
噛みつくオレに、適当に流す隼人。少しの間、そうやって喋っていると、はっと我に返った。しまった、吉井さんを放置していた。吉井さんはオレ達の会話のスピードについていけず、いっぱいいっぱいになっていた。目と目が合って、「あ、あはは」と困ったように笑いかけられる。
「え、えっと〜、モテモテなんだね、二人とも。すごいなあ」
頑張って話を合わせてくれる様子が、なんともいじらしい。おしんを見た時と同じ気持ちになる。
「ファンクラブとかあるんでしょう?すごいなあ、ジャニーズみたい。彼女さんはいないの?」
「ああ、よく言われる。…そう、箱学のジャニーズとはオレのこと!どうだ隼人、尽八&隼人でも組むか?オレがタッキーで隼人が翼の方だ!」
吉井さんが頑張って挙げた話題を盛り上げるために、冗談半分本気半分で、隼人に笑いながら提案する。…いやこれ洒落にならないな。オレと隼人だと本気で尽八&隼人が組めてしまう…!
「うーん、いないなあ。しいていうなら自転車が彼女?」
隼人は真顔でオレをスルーした。ずっこけそうになる。
「おい!!…あ、オレもいないな」
…そういえば、15年間いない…。
…ま、まあ、できるだろう!!彼女いない歴イコール年齢なのは仕方ない!だってオレは好きな女子と以外付き合いたくないのだから。ロードくらい、夢中になれる子。その子と出会うまで、暫しの辛抱だ。
湧き上がってくる焦りを必死で抑え、心の中で必死に言い聞かせている。落ち着け落ち着くんだオレ…。大丈夫隼人もいない…。オレはモテるんだし大丈夫だ…。
吉井さんは目を丸くした。
「東堂くん、いないの?」
「ま、あな…」
「お。尽八のトークが鈍くなった」
「茶化すな隼人!」
「ははっ」
余裕たっぷりになって快活に笑う隼人をぐぬぬと睨みつける。吉井さんは目を丸くしたまま「そうなんだあ…」と呟いていた。
「…でもいつかできる人間の彼女さんは、二人にぴったりの女の子なんだろうねえ」
ふふっと笑いかけてくる。安心させるような吉井さんの笑顔。見ていると、焦る気持ちが自然とおさまった。
たくさんの女子に好意を向けられてきたけど、それを受け取ったことは一度もない。人を好きになれないのかもしれない、と不安に思ったこともあったけど。どうやら、その心配はないようだ。
吉井さんの笑顔を見ていると、オレは人を好きになることができる。根拠のない自信が沸き上がってきて。
「…そうだな」
そう、柔らかく微笑みを返した。
胸に覚えた小さなざわめき。不快ではなく、心地よい。
原因不明のざわめきの名前がわかるのは、もうちょっと、いやだいぶあとの話。
ゆらめいてあふれる
「目の前で自然に少女漫画劇場繰り広げられたなァ…」
「どうした隼人!遠くを見るような目をして!」
「いや、吉井さんと初めて喋った日のことを思い出していて」
「…な、なんで、吉井のことを思い浮かべて…!も、もしかしたらお前…!」
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