とおまわりの記録番外編 | ナノ



「バス行っちゃったばかりだ〜」

吉井は時刻表を見ながら、言葉とは裏腹に呑気な口調で言った。吉井はのんびりしている性格なので、待つことを苦と思わないからだろう。

「よし、じゃあオレもバスが来るまで待とう」

「え、いいよ〜」

「もう少し一緒にいたいんだ。いさせてくれ」

真剣な瞳を向けて、そう言うと、吉井は目をぱちくりと瞬かせたのち、少し頬を染めて、嬉しそうに「ありがとう」と綻んだ。きゅうん、と胸の奥が鳴いた。ああ、もう、可愛いったらありゃしない。抱きしめたくなる衝動を必死に抑える。オレはスキンシップが激しいらしいから、吉井の体力が持たないんじゃないのか、と隼人にからかわれたので、ちょっと抑えることにした。がっついているのは、正直格好悪いだろうし。

吉井と一緒に、肩を並ばせてベンチに腰を掛ける。吉井は鞄からポッキーを取り出した。いる?と首を傾げて訊いてくる。欲しい、と言うと、ポッキー美味しいもんね、と小さく笑いながら袋を開けて、袋ごとオレに向けてきた。礼を述べながら、ありがたく一本頂戴する。

さくさくとポッキーを食べていく。ちらり、と横に視線を滑らせて吉井を見る。ヒマワリの種を一心不乱に貪っているハムスターを連想させるような食べ方が面白くて、ぷっと噴出した。突然笑われて、吉井は驚きで瞬く。

「どうしたの?」

「や、なんか、…吉井って動物っぽいよな」

「そうなの〜?」

特に嬉しがりもせず、嫌がりもせず。不思議そうにふうんと頷いてから、吉井は、一気に、ポッキーを二本口の中に突っ込んだ。オレに袋を向けてくる。もう一本貰った。

「ありがとう」

「いえいえ〜」

吉井は、ポッキーを咥えながら、気にしないでというように顔の前でひらひらと手を振る。小さな手だ。触れたらとても柔らかいということを知っている。

…って何考えているんだ。すぐに邪なことを考える。童貞じゃないのに、いつまで経っても、吉井の前だと。…一体、いつになったら余裕を持てるんだ。

「あ」

ふと、吉井がポッキーを咥えながら、声を上げた。空っぽの袋を見て残念そうに眉を潜めている。そんなにポッキー食べたかったのか。食い意地張っているな、とからかおうとした時だった。何故か、「ごめんね」と謝られた。なんで謝られたのかわからず、ハテナマークを浮かべているオレに、吉井は顔を向けた。少し、眉を垂らしている。

「わたしがポッキー、いっぺんに二本食べたから…。東堂の分、一本盗っちゃった。ごめんね」

しゅん、と小さく項垂れる吉井を見て、きゅううんと胸が締め付けられる。甘酸っぱい思いで胸が満たされる。何に対しても可愛いという女子高生のようだが、もう、本当に。触れたい。抱きしめたい。と、また欲望がむくむく沸いてくるが、理性で必死に抑えつける。冷静になれ、東堂尽八…!

必死に葛藤しているオレの隣で、「そうだ!」と明るい声のあと、パチンと手を合わせる音が聞こえた。

「これ、半分あげる」

自分が咥えているポッキーを指しながら、にこにこと笑っている吉井。目が点になる。脳内にポッキーゲームをしているオレと吉井が浮かんだ。ぼわんっと、一気に体温が上がる。

と、時々急に大胆になるが、そ、それが今だったのか…!?

頭の中で、ポッキーを両端から食べていって、最後には唇を重ねるオレ達が思い浮かぶ。

甘いね、と恥ずかしそうに笑う吉井。オレの両手で包み込んだ頬は柔らかくて。リンゴのように赤くて。

「こうやって、半分に折れば〜」

吉井の能天気な声と、ポキッと半分に折る音は、すっかり興奮しきっているオレの耳には届かなかった。はい、と差し出す半分に折れたポッキーも目に入らなかった。入っているのは、吉井のポッキーを咥えている唇だけ。

吉井の頬を両手で水を掬うように優しく包み込んだ。軽く持ち上げる。へ、と小さな声が吉井から漏れる。吉井の眼が丸くなった。

「…いくぞ」

「…へ、え、なに、を、」

もともと丸くなっていた瞳が、さらに丸くなる。吉井が咥えているポッキーの端を咥えた。最初から距離がとんでもなく近い。ポッキーってこんなに短かったっけ、と思いながらサクサクと食べ進めていく。吉井の顔は真っ赤だ。オレンジ色の夕日ととてもよく合っている。瞳が大きく開いている。オレの掌に合わせるように、掌を重ねてきた。小さくて、柔らかくて。

―――可愛い。

そう思った時には、唇が重なっていた。クッキーの部分を食べ終えたところなので、クッキーの味と、わずかに残ったチョコの味と、吉井の味がした。今まで食べたポッキーの中で、ダントツの甘さを誇る。もっと、と思って、唇をさらに押し付ける。

「んっ、むぅ」

それに負けないくらい、甘ったるい声が唇の隙間から漏れる。半分伏せられた瞳から覗くのは恥じらいと悦び。そのまま、押し付けていると、何かが落ちる音がした。でも、吉井以外どうでもよくて、さらに押し付ける。吉井が苦しそうに眉を潜めたので、名残惜しかったが、唇を離した。ぷはっと、息をついてから、すうっと酸素を求める吉井の頬は、真っ赤だった。視線がぎこちなく絡み合う。吉井は照れ臭そうに「あ、あはは」と笑った。

「わ、わたし、いつもギブアップするのはやいね。肺活量とか鍛えた方がいいの、かな」

ぽりぽりと頬を掻きながら、視線を下に向けて話す。顔がよく見えない。そっと右手を頬に添える。ぴく、と、少しだけ吉井が動いた。そのまま、持ち上げる。吉井は、少し潤んだ瞳に恥じらいを宿していた。顔を近づけて、もう一度重ねる。ちゅっというリップ音が鳴った。

「…そのままで、いい」

耳元で囁くと、吉井からぷしゅうと煙が沸く音が聞こえた。オレも、本当に、もう限界だが、吉井はもっと限界のようだ。今回は、オレの方が、余裕があったようだ。…よっしゃ、と心の中で小さく呟く。すると、その時、視界に、地面に転がっている半分に折られたポッキーが目に入った。吉井も気付いて、「あ」と声を漏らす。

「あれ、東堂にあげようとしたやつなんだけど…。こっちの方が良かったんだね。そんなに、クッキーがある方食べたかったの?これからクッキーがある方全部、東堂にあげようか?」

吉井は、えへへ、と照れ臭そうに笑いながら冗談交じりで問いかけてくる。

―――ん?

冷や汗がたらりと背中を伝った。

吉井は、ポッキーゲームの提案をしたのではなかった…?

そういえば…。

先ほどの出来事を巻き戻しにしてみる。再生する。吉井は、そういえば、ポッキーを、わざわざ半分に折って…。

真実にたどり着いた瞬間、ぶわっと顔が一気に熱くなった。

「わ、顔が真っ赤だよ、とうど―――、わ」

吉井の肩に顔を埋める。恥ずかしい。穴があったら入りたい。どうしたの、と心配そうに問いかけてくる声がやまない。

「―――勘違いした」

だから、早口で答えた。

「ポッキーゲームしようと提案されているのだと思い込んで、ポッキー半分くれているのに、気付かなかった」

言い終わると、…と沈黙が流れた後、ぷっと噴出す声が聞こえた。吉井の体が小刻みに震えている。笑うな、と言いたいところだが、これは笑われても仕方ないと観念して、黙って笑い声を聞く。

「あは、あははっ、早とちりだなあ。…でも、」

ひとしきり笑ったあと、吉井は、嬉しそうに、言葉を紡いだ。

「早とちりしてくれて、勘違いしてくれて、…良かった」

…え。

肩から顔を上げる。吉井の顔を見る。視線があう。頬をほんのり赤く染めている吉井は、優しくて穏やかな微笑みを浮かべていた。

「すっごく、うれしかった」

筋肉の抜けきった笑顔で。そんなことを、言ってしまうものだから。

オレの頭からぷしゅうううと煙が沸く音が聞こえた。




しょせん踊らされる身なのです


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