とおまわりの記録番外編 | ナノ



晴れて付き合うことになったわたし達に対しての周りの反応は、このような感じだった。

「あっそ。で?」

「え、まだだったのか?」

「…あ〜やっとか〜。遅かったね〜」

「あー…はいはい」

「きゃーっ!羨ましーっ!!告白したの!?されたの!?いつもの指さすやつやられた!?きゃーっ!」

もっと驚かれるものだと思っていたので、目から鱗だった。何をいまさら…みたいな雰囲気が蔓延していてわたしはたじたじとするばかり。福原さんとは言葉は交わしていないものの、目と目が合ったら優しく微笑まれた。本当に良い子で、この子の方がお似合いだとは思うけど、やっぱりどうしても譲れない。

わたしの周りには、たくさんいい人がいて、恵まれているなあと箒を持ちながら感慨深く頷いていると、同じく掃除当番の西川くんに頼まれた。

「吉井ー、わりーけど、これ、東堂に返しておいてくんねー?」

「これを?」

渡されるがままに受け取ってしまった。お、重い。紙袋の中を見ると二十冊は漫画が入っていた。

「あいつ、まーた部活さっさと行っちゃってさー。俺のロッカーぱんぱんで入らねえから置いてくの無理だし、だから、頼む」

「いいよ〜」

毎日暇人ライフを送っているわたしは二つ返事で了承した。特に断る理由もないし。

「流石東堂の彼女だわ」

「え、い、いや、それは関係ないかと…!!へ、へへへ」

ちょろいな…と小さく呟く声は舞い上がっているわたしの耳には届かなかった。

何もかもがうまくいきすぎていた。だから、そろそろ悪い事が起きるのは必然だったかもしれない。



わたしは二十分後、雨に打たれていた。

突然空が雲に覆われて、これは大変なことになる…と思っているうちに雨がザアザアと音をたてて降りだした。とりあえず漫画は守らなきゃ、と思って紙袋を丸めて、さらにそれをカーディガンで包み込む。さ、さ、さ、さ、寒い。寒いけど漫画を濡らすわけにはいかないよね…。ここまで来たら引き返した方が時間かかるし。

ぶるぶる震えながら雨に打たれていると、自転車部の人たちが見えてきた。あまりにも土砂降りだからやめたのかなあ…ロードレースって雨が降ってもやるスポーツだからめったなことで部活を中断しないって聞いたんだけど。まあ、いいか。あ、あれ、多分東堂だ。

小走りで泥が跳ねるのも構わず東堂に近寄った。

屋根の下でロードをとめている東堂は、わたしほどではないけど濡れていた。へ、と口をあけてぽかんとしながらわたしを凝視している。

「東堂〜、ややややっほ〜」

寒すぎて歯がガチガチ鳴る。うまく喋ることができない。

「…。…吉井!?お、お前何しているんだ!?なんでずぶぬれで、しかもカーディガン着ていないんだ!?」

東堂が目を見開きながら、わたしを指さした。

「ま、ままままんがを届けに…。これをカーディガンで包んでいて…ささ、寒すぎてうまく喋れない…」

「吉井なんかばあちゃんみてェな喋り方になってんぞ」

「入れ歯をなくしたうちのばあちゃんの喋り方そっくりだ」

「と、とと東堂、荒北くん、新開くん、お、おおおお疲れ様〜。は、はいこれ漫画〜。じゃ、じゃじゃあね〜」

東堂に漫画を渡したあと、ぶるっと震えた。カーディガンから着ようとしたら見事にずぶ濡れだった。うわあ…。どうしよう…。そう考えていた時、東堂が「吉井!」とわたしの肩に手を置いた。

「ん〜?」

「それで帰るのか!?」

「そうだねえ。体操服も持ってきていないし、これで…」

「だ、駄目だ!!そんな濡れた服で帰ったら風邪ひく!!」

「もうひきそうだけどネ」

「そ、それに、それにお前な、そのな…!」

東堂の視線がわたしの胸元あたりを見ていた。つられるようにしてわたしも見る。カーディガン着るからいっか〜、と思ってブラの上にキャミソールを着ていなかった。なので、ピンクのブラが水にぬれて透けていた。え、ときょとんとしたのち周りを見渡すと、ものすごい速さで荒北くんと新開くんに目を逸らされた。

東堂を見上げると、「ち、違う!俺は邪な気持ちでは見ていなくてだな!荒北隼人見たら許さんからな!」と顔の前で手を振ったり荒北くんと新開くんを怒鳴ったりと忙しい。

「みてねーヨ!!」

「顔赤いではないか!!」

「しょうがねーだろ見えちまったんだからヨ!!」

「やっぱり見たのではないか!!」

「尽八、その、俺達も不可抗力でさ…!」

ぎゃんぎゃんと口げんかしている東堂と荒北くんの仲裁をはじめる新開くん。みんな仲良しだなあ。さて、わたしは帰りますか。透けているけど…、このずぶぬれカーディガンとずぶぬれブレザーを着ればなんとかなる。踵を返すと、ロードを押している福富くんがいた。

「福富くん〜、おお、お疲れさま〜」

ああまだ口が震える…。わたしはひらひらと手を振りながら福富くんに言った。福富くんは「ああ」と小さく頷いたあと、「…ん?」と不思議そうに首を傾げたあと、硬直した。わたしの胸元あたりを見て、硬直した。

そして、そのまま、後ろに倒れた。

「福チャアアン!!」

「寿一ィィィ!!」

「え、え、え」

急いで福富くんに駆け寄る荒北くんと新開くん。わたしは何が起こったのかよくわからずあたふたするばかり。

「福富くん、大丈夫…?」

「おめーは近づくな!!福ちゃんはなァ、そういうことに耐性がマジでねェんだよ!!」

心配して近づこうとしたら一喝された。え、ええ…。おろおろしていると、ふわりと肩と背中にあたたかい感触がした。見ると、大きなブレザーがわたしの肩にかかっている。

「吉井、こっちに来い!」

「え、う、うん」

東堂が制服のシャツとズボンにいつのまにか着替え終えていた。着替えたというか、ジャージの上からシャツ羽織っただけといった感じが正しい。ほとんどボタン止まっていないし…。わたしの手首を掴んで、ぐいぐいと引っ張って行く。やっと小雨になってきた雨の中を、わたしは東堂に連れられて歩いた。後ろから見る東堂の耳は真っ赤だった。





行きついた先は男子寮だった。東堂はわたしの手首を掴んだまま、男子寮に入っていく。男子寮に女子を入れたらまずいんじゃ…と心配になっているわたしの手首をやっぱり掴んだまま、東堂は寮母さんと思われる窓口に座っているおばあちゃんの前に立って、口早に説明した。

「この者が濡れているから着替えと拭くものを貸すために急きょ部屋に招き入れるが構わんよなおばちゃん!?」

「はえ?なんだかよくわからんけど良いよ〜」

「ありがとう!!」

えー。なんて杜撰な入国?管理…。

力強く引っ張られていく。さっきからわたしの方を一度も見ようとしない。ポケットに手を入れて鍵を取り出した。がちゃんと鍵を回して、わたしを引きつれて入っていく。

ここが東堂の部屋なんだ〜、ときょろきょろ見渡しているわたしに、東堂はタンスから服を取り出して、わたしと目を合わせないようにして渡してきた。

「これ、シャワーを浴びたあとに着ろ」

「へ」

「ほら、入ってこい!タオルは適当なの使え!」

東堂はわたしに無理矢理服を押し付けて、洗面所に押し込んだ。なにもかもが急展開で頭がついていかない。ええ、っと…。じゃあ、お言葉に甘えるか…。

わたしはリボンをはずして、洗面台に置いた。ぷちぷちとボタンを外していく。

…ドアを一枚隔てた向こう側に、東堂がいるんだよ、ね。

そんなことを意識したら、カーッと熱が顔に集まってきた。

ちゃ、ちゃっちゃと脱いで!ちゃっちゃとシャワーを浴びよう!!

わたしはものすごい速さで脱いで、浴室に入った。

へ〜、ユニットバスなんだあ。

しげしげと見渡す。ユニットバスをあまり使ったことないから使い勝手がよくわからない。カーテンを引くんだよね。しゃっとカーテンを閉めてシャワーを出そうと蛇口をひねった。

最初は冷たかったけど、どんどん暖かくなっていく。
お湯の粒にあたりながら、東堂はここでシャワーを浴びているんだなあ、と考えてしまい。ぼんっと体温が急上昇した。

なんかわたし、変態…?








「で、でたよ〜。ありがと…おっとっとっと」

シャワーをちゃっちゃっとすませたわたしは、東堂がいる部屋に戻って、お礼を述べていると、裾を踏んづけて転びそうになった。

「だ、大丈夫か…。…っ」

わたしの姿を見て、何故か目を見張らせる東堂。顔がどんどん赤くなっていっている。

「大丈夫大丈夫、東堂の服っておっきいね〜」

ズボンの裾がものすごく余ったので歩きづらい。トップスの袖の方も余っているし、全体的に大きくて首元もゆるゆるだ。腰周りも大きくてウエストの部分を掴んで転ばないように気を付けながら、東堂の隣に腰を下ろす。

「東堂?」

ずっとわたしを凝視している東堂を不思議に思い、首を傾げると東堂の肩が跳ねた。

「な、なんでもないからな!」

「うん?」

「…寒くないか?」

「寒くないよ〜」

東堂は優しいなあ…。ほっこりと心臓が温かい気持ちで包まれて、自然と笑みがこぼれる。東堂はそんなわたしを見ていたかと思うと、目を逸らした。まだ耳が赤い。

「東堂って部屋を綺麗に片づけているんだね〜」

「ま、まあな!わっはっは!」

「懐かしいな〜、あの漫画一年生の時東堂がわたしに貸してくれたの覚えている?」

「覚えているぞー!わっはっは!」

「東堂なんでそんな笑っているの?」

「笑いたいからだ!わっはっは!」

「そっか。よくわかんないけど、なんか楽しいんだね、よかった」

東堂が笑うからつられてわたしも小さく笑う。すると、東堂が笑うのをやめた。じいっとわたしを見つめてくる。

奇妙な沈黙が流れた。

どうしたのかと思って名前を呼ぼうとした時、「吉井」と静かに呼ばれた。まるで、何かを決意するように。

「しても、いいか」

「なにを?」

「…キス」

言われた意味を数秒かかって理解したあと、「えっ」と声をあげてしまった。

前、結局できなくて。本当に付き合い始めてから、カップルというものはそこまで一緒にいないものだと知ったわたしたちは、お昼はやっぱり友達と一緒に摂ろうということになった。というわけでふたりになる時間も減って、更に誰もいない空間にふたりきりになる時間は皆無になって。忘れていたわけではないけど、今言われるとは思わなかった。

「何回も言って、がっつきすぎだって思う気持ちはわかる。…引くかもしれないが」

東堂が言い辛そうにボソボソと話し始めた。

「吉井とキスしたいって、ずっと思っていた。実は、結構前から」

「い、いつから…?」

「…、吉井の家行った時くらいには、無意識のうちに思っていた」

「へっ!?」

あの時のことを思い出すと、今でも体が沸騰しそうになるくらい熱くなる。わたしの勘違いだと思っていたけど、勘違いじゃなかったんだ。

東堂は赤い顔で視線を下に向けた。

「…引いたか?」

恐る恐るといった調子で問い掛けてくる。

みんなは知らない。自信家の東堂の、こんな自信なさそうな姿。わたししか知らない。わたしだけが知っている。そんな優越感に浸れるほど好きな人がわたしにキスしたいと言っている。

「…引くわけないよ」

ぽつりと漏れた自分の声は、とても穏やかだった。東堂の顔がゆっくりとあがって、わたしを見る。でも、わたしは反対に俯いたから、どんな顔をしているのかよくわからない。

「わたしも、したいもん」

わたしも、その時から、無意識のうちに思っていた。
ずっと、ずっと。

息を呑む音が聞こえて、身を縮こまらせる。恐る恐ると肩に手を置かれてびくんと肩が跳ね上がった。

「顔、上げてくれ」

「う、ん」

ドッドッドッドッと心臓がうるさく鳴り響く。緊張で体が震えて、うまく首が持ち上がらない。怖い訳じゃない。嫌な訳じゃない。なのに。

髪の毛を耳にかけられた。ぞわっとした感覚が体中を走る。ちら、と伺うように東堂を見上げると、顔を真っ赤にして余裕なく唇を結んでいて。

わたしは唾を飲み込んでから、顔をゆっくりと上げた。

頬に右手を添えられた。いつかと同じ感触。そっと目を閉じる。どんどん近づいてくるのがわかった。

間がなくなっていって、最後にゼロになった。

唇をぎこちなく押し付けられた。ファーストキスはレモンの味なんて言うけど、何も味がしなかった。

どくんどくんどくんと心臓がただひたすらうるさい。

唇が離れていって、わたしは目をゆっくり開けた。東堂の顔はまだすぐ近くにあって驚くいていると、真剣な瞳でわたしを射抜いて、甘えたような口調で問い掛けられた。

「もう一回、したい」

「…うん」

震える声で了承するがいなや、また唇を塞がれた。今度はさっきよりも長い。やっと離された時、息を大きく吸い込んでしまった。

「もう一回」

甘えた声色に、こくんと小さく頷くと、またすぐにキスをされた。今度は角度を変えてしてきた。する度にうまくなっていっている気がする。柔らかくて甘くて頭がふわふわしていく。

さっきよりも深くて長くて。流石に酸素が足りなくなってきたわたしは東堂の胸をトントンと叩いた。唇が離されて、わたしは息を吸い込んでから、「ご、ごめん」と謝る。

「息が続かなくて」

「あ、ああ。悪い」

シーンと沈黙がまた流れた。三回もしてしまった。ついこないだまでわたし達は友達で、こんなことするなんて、予想もしなかった。もう本当に“友達”じゃ、ないんだ。

そんなことを考えていたらまた恥ずかしくなってきた。沈黙を破るためにも、わたしは笑い声を上げて冗談交じりに言う。

「と、東堂の胸って固いね〜。やっぱ鍛えているんだね。前東堂の上乗っかっちゃった時も思っていたんだけど、すごいね〜」

つんつんと東堂の胸を人差し指で突いてみた。

「っ、ちょっ」

「…わ〜、ほんとすごい…。固い…わたしと全然違う…」

冗談で始めたけど、だんだん本当に興味を持ち始めて、何度もつつく。すると、東堂の大きな手がわたしの手を掴んだ。

「お、まえなあ…。だから…っ、そういうのなあ…っ」

顔を真っ赤にして、“もういやだコイツ”とでも言いたげな口振りで話す東堂。ん?と首を傾げていると、少し大きな声で説教するように言ってきた。

「今のなあ、俺がお前の、む、胸を触るようなものなんだぞ?!」

「…あ」

「ふたりっきりの部屋で!」

「…」

言われてから自分のしでかしたことの大きさに気付いて、恥ずかしくなって固まる。

「い、嫌だった?」

「嫌とか、そういう問題じゃなくて…!」

「わ、わたしのも触る?」

「とめられなくな…、は?」

「わたしだけ東堂の胸触ったのは、不公平かなー…と思い、まして…」

東堂がなにも言ってこないことに不安を覚えて、最後あたりの言葉は小さくしぼんでいった。顔を俯ける。引かれたのかな、と、ちらっと伺おうとした時後頭部に手を回されて、顎を持ち上げられる。目の前には目を閉じた東堂の綺麗な顔。

「…んっ」

キスをされた瞬間、小さく声が漏れた。今までのキスが可愛く思えてくる。一瞬だけ唇が離れて、その時にめいっぱい呼吸をする。そしてまた荒々しくキスされる。力が強い。わかっていたけど、知っていたけど、東堂って男の人なんだ。生理的な涙が浮かんでいるせいで顔がよく見えない。東堂の胸板に手を置く。何度も角度を変えてキスをされて、ようやくわたしはようやく解放された。

東堂が俯いてから、バッと顔を上げて、無理して得意げに笑った。

「わ、わっはっは!こうなるんだぞ!あんな男を煽るようなことを言うとなあ、こうなるんだ!肝に銘じておけ!!わっはっは!」

余裕そうなフリをしているけど、顔が真っ赤な時点でなにもかもバレバレだ。

東堂は、わたしがあまりにも警戒心なくぽんぽんと無防備なことを言うから、このあたりでわからせておこう、と考えてのかもしれない。自意識過剰な考えかもしれない。でも、東堂は優しいから。キスをしてもいいか?なんてわざわざ訊いたり、呼吸できるように間を何度も空けてくれたりするような、優しい人だから。

「…東堂になら、触られたいって思ったんだよ」

ぽつりとつぶやくと、東堂の笑い声がやんだ。何秒か沈黙が流れた後、東堂が真剣な声で小さく訊いてきた。

「…本当に、いいのか」

「…うん」

小さく頷いて、自分の膝の上に手を置く。東堂が深呼吸をしたあと、恐る恐るといった調子で、手を伸ばしてきた。



「福ちゃーん!!東堂の部屋には行くな!!」

「なんでだ?」

「なんでって…!えーっとォ、それは…!」

「裸でズッコンバッコンしているかもしれないからなあ…」

「裸でズッコンバッコン…?」

「新開てめー福ちゃんの前で変なことを言うなァ!!」

手は途中でとまった。

東堂のドアの前で聞きなれた声が騒いでいる。東堂は顔を俯けてぷるぷる震えたかと思うと、すくっと立ち上がってドアを荒々しく開けた。

「お前らなー!!」

「うおっ、東堂!!」

「よかった、服着ていた…」

「東堂、謝りたいことがある。お前のカチューシャを踏んづけて割ってしまった」

「…はァー!?」

「本当にすまない。ゴミだと思って踏んづけてしまった」

「謝りたいのか俺を傷つけたいのかどっちなんだ!?」

「わざとじゃねーんだから許してやれヨ。ムッツリエロエロ大魔王」

「俺はそんな…!…くそ、否定できん…!!」

ぎゃあぎゃあと口げんかしている東堂たちを見ていると、笑いがこみあげてきて、お腹を抱えながら笑ってしまった。

やっぱり、わたし達は遠回りをする運命にあるらしい。







果実はまだあおい


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