ものすごく今更の話だが。
その。
吉井は。
オレと初めてシた時、イけたのだろうか。
あの日の記憶を振りかえるとお花畑で、天国で、ひたすら吉井が可愛くて、ひたすら気持ちよかった記憶しかない。絆創膏を剥がす時、少しずつ剥がす方が痛いから、一気に挿れた方がいいのかと思って、そうした。吉井のがきつく締め付けてきて、オレのでいっぱいいっぱいになっていることが伝わってきて、嬉しくて気持ちよかった。じゃ、なく、て。
「バージンの女はさー、ちょっとずつちょっとずつヤんなきゃいけねーからめんどくっせーよなァー」
「めんどくせーとか言いつつ、そうしたんだろ?」
「まァ、そりゃあ、なァ。痛い思いできる限りさせたくねえし」
「かっこいい〜流石非童貞は違うわ〜」
「童貞はがっつくからなー。余裕あるように見せて結局自分のことばっか。暴走して血ィ出させるやつとか、最悪」
「ヤバイたっちゃん超かっけえ…」
「オレ女だったらたっちゃんに抱かれたかった…」
たっちゃんくんよ。
なんでオレに、それをはやく教えてくれなかった。
黒田に用事があって、二年の教室に向かった帰り道。二年の女子に騒がれることが少しいやかなり快感で回り道をして戻ろうとしたら、二年男子が廊下の隅で猥談をしていて、気付かれないように盗み聞きしたら、たっちゃんという男子によってとんでもない事実に気付かされた。
吉井と初めてヤッた時、シーツに血がついていた。
吉井は何も言わなかったら、気付かなかったのだろう。オレも、言ったら吉井が気にすると思って、言わなかった。
吉井が痛いと自己申告してくれたから、安心した。が、吉井が痛いというほどの痛みだ。オレの想像を絶するような痛みじゃないのだろうか。あのあと腰は大丈夫かとメールを送って大丈夫だよという返信にほっと胸を撫で下ろしたのは間違いだったのではなだろうか。
『童貞はがっつくからなー』
自分より年下の男子の言葉が、こんなに刺さるなんて。
たっちゃんくんは好きな子を、本当に本当に気持ちよくさせられたんだろうな。
ハァーッとため息を吐いてから、自分の教室に戻った。
今思い返してみれば、アレ、ほとんどオレが気持ちよがっていた…。終わったあと…寝るし…。寝るなよ…絶対腕枕するって決めていたのに…。寝るって…寝るって…。そこでもスリーピングビューティしてどうする…。
いつも自信家なオレだが、あの時吉井はオレの想像を絶する痛みを味わっていて、しかもそれを味わせたのがオレということが、自信をなくさせていた。正直やりたいものならやりたいが、無理強いは絶対嫌だし、かといってシようとオレが言ったら吉井は本当は嫌でも了承してしまうだろうし、記念日とかに吉井をそういう雰囲気に持っていこう…と目論んでいたところで、あの会話を聞いてしまって。
…ああ、がっついた。がっついた。でも、あれでもセーブしたつもりなんだ。オレが、もっとがっついたら、あんなものじゃ。
ドンッと誰かにぶつかった。ふわりと鼻孔をくすぐる甘い匂いは、世界で一番好きで、オレをおかしくさせる匂いで。
「わ、ごめんね?」
見下ろすと、眉を八の字に寄せて謝ってくる愛しの彼女、吉井。
僅かな間だが、淫らな妄想を繰り広げていたところに吉井が現れて、ぼんっと顔に熱が集中する。
「い、いや、こっちこそ、よそ見していてすまない」
「ううん。わたしがよそ見していたんだよ〜。お詫びにこれ、一口どうぞ」
吉井はオレに紙パックのジュースを差し出してきた。にこっと笑いながら「さっきこれ買ってきたの」と言う。
「美味しいから東堂にも飲ましたいなあ、って思っていたんだ」
一言で言うと可愛い。
二言で言うととんでもなく可愛い。
「…ありがとう」
じゃあ、遠慮なく。とほほ笑んでから差し出してくる吉井の手に自分の手を重ねて、ストローをくわえ、紙パックを押す。口の中に広がる甘ったるい味。吉井は甘党だ。
…吉井に、訊いてみるか?
ちゅーっとジュースを吸いながら、思う。
大分前にオレ達セックスしたが、その時、本当はものすごく痛かったんじゃないのか?というか、吉井はイッたのか?
ちゅーっと吸い続ける。
「東堂、いちごミルク気に入ったんだねえ。これ美味しいもんね〜」
いやいや、今更?という話だ。あれから何日経った。
だいたい、不躾すぎるだろう。絶頂を迎えたかどうかを聞くなんて。吉井は本来そういうネタに耐性がないんだ。それなのに、えっちなことをしたい、と頑張って恥らいながら言う姿が。
「…?」
ぎゅうっと手に力が入る。なので、吉井の手を触る力も、紙パックを押す力も強まった。
じゅこ、と変な音がして、口の中に味がしなくなって、はっと我に返った。
「これ、そんなに気に行ったんだね〜」
ふふっと嬉しそうに笑う吉井を見下ろして、吉井のジュースを飲みきってしまったことに気付いて、慌てて謝った。
「す、すまない!ちょっと考え事をしていたら…!」
「いいよ〜。でも、東堂もぼーっとすることあるんだね。一緒だね」
えへへと可愛らしく綻ぶ吉井。きゅうんと胸の奥がうずく。可愛いので頬を親指でなぞるとくすぐったそうに目を細めて笑う。…ってこういうことしている場合ではなくてだな!
「今すぐ買って―――、」
キーンコーンカーンコーン。チャイムの音が鳴り響いた。
ハァ…と寮で頭を抱えていた。
勉強する気にもなれない。今日が厄日過ぎて。久々に部活に顔を出してみたら、ロッカーに入れっぱなしだったオレの一番過激なエロ本がどっからか出てきて、「おいこれ誰のだよ」「すげーなオイ」と後輩たちに回し読みされていた時は白目を剥きそうになった。
吉井のこと、好きになってから、吉井方面のことになると、かっこいいことをできていない。ファンの女子達に『キャーッ!いつもの指さすやつやってー!』と言われたら。最高の決め顔をしながら、指をさせる。でも、この前。練習していた時にファンがいて。いつも通り言われたので指をさした。キャーッと湧き上がる歓声にフッと鼻高々になっていると。ふんわりとした柔らかな声が耳に届いた。
『え、ええ、でも』
『吉井さんも言ってみなって〜!』
『東堂様お喜びになるから〜!』
『じゃ、じゃあ…。きゃ、きゃー!い、いつもの指さすやつ、やって〜!』
ファンの女子にせっつかれて、恥ずかしそうに言ったあと、へへっと照れ臭そうに笑う吉井を見たあと、オレは。
どんがらがっしゃんとこけた。
『何やってんだテメェェェ!』と怒鳴る荒北の声をBGMに空を見上げながら、何をやってるんだオレは…と思った。
「だせェ…」
顔を覆う。そういえば、吉井と友人をやっていたころ、『いつもの指さすやつやって〜』と冗談交じりに言われたことがあった。ワッハッハッと高笑いしながらやったが。やったあと、恥ずかしくなったのを覚えている。
吉井の前で一番かっこよくいたいのに。現実とは残酷なもので、吉井の前で一番かっこ悪くなる。
姉の少女漫画を読んだことがある。少女漫画は少年漫画以上にきわどいシーンが多かった。登場人物の男達は何故か皆セックスが上手いらしい描写をされていた。上手くないとあんなに主人公喘がないだろう。自分が上手いのか下手なのかなんてよくわからないが、吉井が処女とは言え出血させたし、イかせられなかったかもしれないし。
「ハァー…」
ため息を吐いたあと、ヴーッとケータイが振動を始めた。億劫な気持ちでケータイを開くと、『吉井幸子』の文字が浮かび上がっていて、慌てて通話ボタンを押した。
「東堂?」
丸みのある落ち着いた声が鼓膜をやわらかく揺らした。
もう、最後までした仲だというのに、声を聞くだけでドキドキする。
「今、だいじょうぶ?」
「だ、だいじょうぶだ」
「? ほんとに?どもったよね、今」
「だいじょうぶだ!ぜんっぜん、だいじょうぶだ!」
「そっか、よかったあ」
ふふっと小さく笑ったあと、吉井は会話を切り出してきた。
「なんか、今日の東堂おかしかったから、気になって電話してみた。悩み事とかあるの?」
心配そうに問いかける吉井の声を聞いて、目を見張った。
吉井はよくぼうっとしているが、肝心なことは見逃さない。誰かが悩んでいたり悲しんでいる素振りを少しでも見せたら、なにかあったの?とこっそり聞いてくるらしい。それもあって、女子の間で可愛がられているらしい。
…吉井には、一生、敵わんだろうな…。
「…相当、失礼なことを訊くぞ」
「? はい、どうぞ」
「お前、その、オレと…シた時、イッたか?」
「…へ」
吉井がそう漏らしたあと、息を呑んだのが電話越しでも伝わってきた。あれ以来、結局シていないオレ達。タイミングを逃し続けているのと、する場所も時間もないというのが実際。寮ですることはもうないだろう。そうそう女子を簡単に連れ込めない。
「え、ええっと…ど、どうなんだろう…。いくってことが…どういうことかよくわかんない…」
「意識が吹っ飛んだりしなかったか?」
「えーっと…ぼうっとはなったけど…吹っ飛びまではしなかったかな…」
…イッてないな。
吉井は一人でシたことがないだろうから、イくというのがどういうことなのかわかっていないだろうから、確信は持てないが、多分…多分、イッていない。少なくとも意識飛ぶほどイッたのはオレだけ。…ああ…。
自己嫌悪で落ち込みそうになるが、次の質問をしないわけにはいかなかった。
ごくっと唾を飲み込んでから、聞く。
「吉井、さらに失礼なことを訊いてもいいか?」
「え、あ、うん」
「吉井は、また、その、シたい、とか、思うか?」
言っていて、自分が恥ずかしい。なんていうことを訊いているんだろう。この変態!と怒鳴られて電話を切られたって文句は言えない。
でも、吉井は。
「へ…!?え、あ…ちょ、ちょっと待って…!言う、心の準備を…させてくれる?」
こうやって、受け止めてくれるんだ。頭ごなしに否定することは決してしない。どこまでも優しい。この優しさは短所でもあるだろう。でも、オレは。吉井のこういうところが好きだ。大好きだ。
すう、はあ、と息を吸い込む音が聞こえる。
「…うん」
恥ずかしそうに小さな声で、吉井は言う。嬉しくて舞い上がりそうになる気持ちを抑えて、冷静に訊く。
「痛かったんじゃないのか。無理して言わなくていいんだ」
「ちょっと痛かったぐらいだから」
「シーツに血がついていたぞ」
「え!? て、ていうかわたし汚していたの…!?わ、ご、ごめん」
「いや、いいんだ、それは別に。…どれくらい痛かったんだ?正直に、言ってほしい」
少し、間が空いた。
「…股が裂けそうになるくらい?」
おずおずと探るように言われた言葉に、驚きでぶっと噴出してしまった。
「も、ものすごく痛いだろソレ…!」
「まあ、大丈夫だよ〜」
大丈夫じゃねえよ…!股が裂けるって…!
吉井がそこまで痛い思いをしていたとは。甘く見ていた。自分の見通しの甘さが腹立たしい。
「…ごめん」
「え」
「なにからなにまで、悪い、本当に」
「ええ〜、どうしたの?なんでそんな。しかも結構前のことを…」
電話の向こうで吉井が狼狽えているのがわかる。立ち上がってうろうろしてそうだ。
『童貞はがっつくからなー』
たっちゃんくんの言葉が、脳裏に浮かぶ。女のことならオレに聞け、とか言っていたけど。実際は童貞で。知識だけは人並みにあるが、技術は童貞そのもので。頑張って気持ちよくさせよう、と思ったけど、吉井の体に負担をかけさせてしまっていたことに今更気付いて。
「…オレが童貞じゃなかったら、良かったのに」
思わず、そう、ぽつりと漏らしてしまった。
少しの間、静寂が流れて、「東堂」と静かに名前を呼ばれた。
「怒るよ」
…え。
予想外の言葉を発されて、目が点になった。吉井はわずかに怒りを含んだ声で話す。
「それって、つまり、他の人と、えっち、しちゃっておけばよかったってことでしょ?なにそれ」
「や、でも。吉井だって、慣れててうまい方がいいだろ?その方がもっと気持ちよく、」
「いや」
吉井の頑なに拒絶する声。電話の向こう側で、むうっと頬を膨らましているのだろうか。
「うまいとか、そんなの、どうでもいいよ。わたしは、」
吉井は一旦言葉を区切った。なにか、言葉を探しているみたいだ。言いよどんでいるのが伝わる。吉井?と呼ぼうとした時だった。
「…東堂だから、あんな恥ずかしい姿、見せたんだよ。裸になって、あんな、声、あげて。胸とか、あんなとこ、他の男の子に絶対触られたくないし。…東堂にも、わたし以外の女の子に、東堂のあんな顔、見せたくない」
恥ずかしそうだけど、きっぱりとした物言い。普段ふわふわとしていて、すべてに流されてそうだけど、こういうところで芯の強いのを見せつけてくるから。
本当に、かなわない。
「…吉井」
「…」
「悪かった」
「…うん」
「でも、次までに、もうちょっと、うまくなれるよう、頑張る。い、イかせられるように、頑張る」
「へ…!え、あ、うん、よ、よろしくおねがいします…!」
吉井はそこまで恥ずかしそうに言うと、「次…」と小さく呟いた。
「あ、あの、東堂」
「ん?」
聞きたいことも聞けて、幾分気持ちに余裕がでてきた。穏やかに対応する。
「わたし、もう、次は痛いとかそういうことないと思うから、ちょ、ちょっとくらい乱暴にされても、大丈夫だよ。め、めちゃくちゃにしたいとかあったら、その、どうぞ」
「ワッハッハ、そうかそうか乱暴でめちゃくちゃ―――は!?」
驚きで、どんがらがっしゃん、と椅子からずっこけてしまった。
「…ってえ…!!」
後頭部を打った。ものすごく痛い。尻も打った。痛い。けど、ケータイを持つ手は離さなかったので、ケータイの向こう側から「だ、大丈夫!?どうしたの!?」とオレを必死に心配してくれる声が聞こえる。
「だ、大丈夫って、訊きたいのはこっちの方だ!お、まえ、なにがどうなって、そんな…!」
乱暴にしてとかめちゃくちゃにしてもいいとかどこのAVだ!
「だ、だって、男子って、き、鬼畜攻めとか、ネクタイで手首縛るAVが好きって、友達が」
「全員がそうだと思うな!オレは普通にノーマルな純情で清楚な女子高生が街で声かけられて初めての…って、ウワーッ!!今の!!今の忘れろ!!」
ああ、もう。
全然かっこつけらんねえ。
不格好にアイラブユー
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