とおまわりの記録番外編 | ナノ



パタン、とドアが閉まってから、わたしはへなへなと足から崩れ落ちた。

「き、緊張した…!」

「ワッハッハ、おもしろいぐらいに緊張していたな!」

今日は東堂の家に遊びに来ました。ご実家の方です。東堂庵です。ものすごく伝統のある旅館だというのは外観からして伝わってきた。そして東堂のご両親に挨拶をした。とても感じの良い人達で、ああ東堂のお父さんとお母さんだ…としみじみと思った。お姉さんはご不在だったので挨拶できなかった。ほっとしたような、悲しいような。でも、やっぱり挨拶したかったなあ…東堂に似ているらしいし。東堂の女の子バージョン…?登れる上にトークも切れる…いや登れるはないか。でもきっと何かしらで輝いてらっしゃるのだろう、うーん、「吉井!」わ!

東堂に大きな声で名前を呼ばれて、びくっと肩が跳ね上がった。わたしの横に座っている東堂が、呆れ顔でわたしを見ている。

「またぼーっとしていただろう」

「え、えへへ…」

笑って誤魔化したあと、きょろきょろと周りを見る。東堂の部屋。寮の部屋ではない、東堂の部屋。こちらも綺麗だ。あまり物が置かれていない。緊張して自然と正座になる。

「もっとくつろいでいいぞ」

「な、なんか緊張しちゃって」

「まだ緊張しているのか。吉井、父さんと母さんの前で何回噛んだだろうな。まず、はじめましてをひゃじめましてと言い…」

「わー!わー!わー!!も〜それを言わないで〜!!」

真っ赤な顔で抗議すると、東堂はおかしそうに笑った。東堂ってわたしの失敗談を笑うところがあるよね。むうっと膨れて睨みつけるけど、全く効果がないみたいで、それどころかさらに笑い始める始末。

「娘さんとお付き合いさせていただいているってなんだ。オレはいつから女になった?」

「それは、だから…テンパってて…!」

「テンパりすぎだろう」

「と、東堂だって、わたしのお母さんの前で…。…。……。………なんにも失敗してなかったね」

真面目な好青年で美形、お母さんああいう子大好き!と、わたしのお母さんは絶賛していた。東堂と付き合っていると言った時、言った台詞が『羨ましい〜!』だったぐらいだからなあ…。お母さん、東堂のファンクラブに入りたいって言っていたし…。

「ワッハッハ!そうだろうそうだろう、オレは山神だからな!」

「う、うぐぐ」

でも東堂の言うとおりだ。わたしは何回舌を噛んだことか…。粗相のないようにしようとあれだけ気を付けていたのに…。

「き、嫌われちゃった、かなあ…」

自分の数々の失敗を思い出して、しゅんとして落ち込む。東堂はわたしのお母さんの前でちゃんとしていたのに、わたしときたら…。視線を下に向けると、

「何を言う。あれだけ笑っていたんだぞ。面白い子だなあ、と言っていたよ」

「ほ、ほんと?」

気分が明るくなって、つられて顔も上げる。

「可愛らしくて素直な良いお嬢さんだとも、言っていた」

東堂は柔らかく細めた瞳をわたしに向けながら、そう言った。

「ほ、ほんとにほんと!?」

「こんな嘘、言っても仕方ないだろう。このオレが選んだ彼女が可愛くない訳ないんだがな。ワッハッハ!」

嬉しくて東堂の言葉が耳から耳を通り抜けて行った。面白くて可愛らしくて素直な良いお嬢さん…!

「う、嬉しい〜…!」

嬉しくて、にやけそうになる頬を両手で包み込むことで懸命に抑える。すると、手に東堂の手が重ねられた。ちらっと見ると、東堂が真剣だけどどこか熱っぽい瞳をわたしに向けている。でも、わたしの視線の先は、東堂の向こう側の本棚に向けられていた。

「吉井…」

「あれって卒アル?」

「え」

「東堂の小学校と中学校の卒アル?」

首を傾げながら訊くと、目を点にしていた東堂が後ろを振り返った。ああ…と合点したようで、もう一度わたしに顔を向けながら「そうだ」と答える。

東堂の、小学校時代と中学校時代…。

み、見たい…!

「ねえねえ、」

「わかったよ。見せる」

「ほんと?わ〜い!ありがとう!」

笑顔でお礼を言うと、東堂は「ワッハッハ!このオレの輝かしい半生をとくとご覧あれ!」と高笑いした。そして、小さな声で「あともうちょっとだったのに…」と呟いていたのだけど、小さな声だったから、わたしには聞こえなかった。


「わ〜!可愛い〜!」

アルバムの中の東堂を見て、わたしは歓声をあげざるを得なかった。可愛い、ひたすらに可愛い。頬っぺたがふくふくしている。可愛い。でも基本的にいつもきりっとした顔だ。で可愛い。わたしの知らない東堂の姿に、わたしはいちいち歓声をあげて喜んだ。

「いいなあ、可愛いなあ、タイムマシーンがあったらこの頃の東堂に会いに行きたいなあ、可愛いなあ」

「今の俺じゃ不服か」

東堂を見ると、むうっと頬が膨れていた。じとっとした眼でわたしを睨んでいる。

「もう、自分にまで嫉妬しないの」

そう笑ってから、今度は中学の卒アルを広げた。一年生の頃の東堂を見て、「可愛い!」と手放しで絶賛する。おすまし顔が可愛い。可愛いなあ、とほうっと息を吐いた時だった。

一枚の写真が目に入ってきた。東堂が友達と仲良くピースして映っている。けど、写真の隅っこで女の子が東堂のことを見ているような気がした。

「…東堂って、中学の頃からモテてた、よね?」

「まあな」

前髪をいじりながら、得意げに言う東堂。まあ、それはそうだろう。モテていない東堂とか、想像がつかない。いつだって女の子達にきゃあきゃあ騒がれている、それが東堂だ。

「だよねえ。…あ、こっちにも東堂映ってる。よく映ってるね〜」

この女の子は、わたしの知らない東堂を間近で感じていたんだな、という考えからは目を逸らして、違うページを捲った。









卒アルを見終わったあと、最近読んだ本の感想とか言い合ったり、オレの武勇伝を聞かせたり、吉井のお母さんがオレのファンということを知って鼻高々になったり、と色々な話をしたあと、トイレに行った。戻ってくると、吉井はこっくりこっくりと首を上下に動かしていた。

緊張していたし、疲れたんだろうな。

「吉井」

優しく名前を呼ぶと「んぅ…」と返事の意味を為さない返事が返ってきた。もう意識がほとんど夢の世界へ飛んでいるようだ。オレはふっと笑ってから、吉井の背中と膝の裏に手を回し、自分のベッドへと上げた。すやすやと寝息をたてている。可愛い。頬を親指で撫でたあと、音をたてないようにして背中をベッドに預けながら小説を手に取った。

吉井を気にいった母さんが吉井に客用のごはんをごちそうすると言っていた。オレにはカレーらしい。息子に対してその仕打ちはなんだと思ったが、まあいいか。その時間になったら起こそう、そう思った。


四十分ごろ経過した時のことだった。ごそごそとシーツが大きく動く音がした。振り返ると、吉井が唇を合わせながらむずむず動かしていた。

お、これは。

想像通り、吉井はうっすらと目を開けた。ぽやんとした眼差しはどこに向けられているのかわからない。

「もう少し寝ててもいいぞ」

髪の毛を梳かすように撫でながら言うと、吉井が「とお、ど…?」と首を傾げた。まだ半分夢の中らしい。修学旅行の時も朝いつもの十倍ぼけーっとしていたし、寝起きが悪いタイプなのかもしれない。

「ここどこ…?」

おお、ここがどこかもわからないほど寝ぼけている。面白くなってきて「さあ、どこだろうな?」とからかってみた。

「知らない…とこ…。夢、かあ…」

夢だと勘違いしている。またからかう材料ができた。ぷっと噴出した時だった。

二本の腕が伸びてきて、ぎゅうっと首の裏にまわされた。

…え?

突然のことで、瞬きをしていると。

「夢なら、くっついちゃおう」

甘い香りに包まれながら、聞こえてくるのは甘い囁き。ふわりとした髪の毛が頬にあたってくすぐったい。吉井がオレの腕をぐいっと引っ張ったので、上半身だけベッドに上がり込んでしまった。吉井の体を押しつぶしてしまいそうになったが、腕をたてて、すんでのところで吉井の上に跨っているような姿勢ですんだ。目の前にはとろんとした吉井。吉井はへらっと笑った。

「とうど〜の夢だ〜」

ぎゅうっと抱き着いてきた。

なんなんだ、この可愛い生き物は。

オレの頭の中で天使と悪魔が生まれた。悪魔がしきりに囁いてくる。もういいだろ、と。ここまで吉井が積極的なんだ、いいだろ、と言ってくる。しかし、天使がすかさずバカヤロウ!!吉井は寝ぼけているんだぞ!!寝ぼけている女子に手を出すなんて男のすることじゃない!!と怒鳴りつけてくる。

そうだ、天使の言うとおりだ。オレは悪魔にうるさいと怒鳴りつけてから、吉井に言った。

「吉井、これは夢じゃない。だから、こうされるとな、ごきゃいをまにぇくじょ」

「あはは、おもしろーい」

オレの台詞は、吉井がオレの頬を引っ張ったので、途中からうまく喋れなくなった。誤解をまねくぞ、と言いたかった。

けらけらと軽やかに笑う吉井はいつもと違って、少し、奔放的だ。いつも気を遣ってばかりの吉井がこんなことをするなんて…新鮮で可愛い…じゃ、なく、て!

これはヤバイ。好きな女の上に跨っている。でも相手は寝ぼけて意識がない状態。意識がない女子に手を出すなんて、そんな卑劣なこと、したくない。

「とーどーはかっこいいねえ」

「ま、まあな!ワッハッハ!」

吉井の息がかかる。甘い匂いがすぐ近くからする。とろんとした眼差しが色っぽい。笑いでもしなきゃ、やってられない。

「もーちょっと、ブサイクにならない?」

「なんでだ?」

「だって、こんなカッコいい人が、カッコいいことするから、みんな好きになっちゃう」

吉井は悲しそうに呟いてから、オレの首筋に顔を埋めた。

「やだなあ…」

パーンと理性がはじけ飛びそうになって、すんでのところで耐えた。今すぐキスをしながらワンピースの中に手を突っ込もうかと思ったが、すんでのところで耐えた。今日は吉井はへとへとに疲れているんだ。するとしてもキスまで、って決めたんだ。だからダメだ。

「ファンクラブの人はね〜いいの。でもねえ、東堂のこと、わたしと同じ感情で好きな人が、やなの」

顔を埋めたまま喋るから吐息をダイレクトに感じる。嬉しくて辛い悲鳴を堪えるのでいっぱいいっぱいだ。

「絶対あの写真とあの写真とあの写真の子、東堂のこと好きだったあ」

顔を上げてじとっとした眼でオレを睨みながら「だから〜」と言って、再びオレの頬に手を伸ばした。

「ブサイクになろう〜」

そう言って横に引っ張る。でも痛くはない。夢の中でも人を攻撃することが嫌いなのだろう。オレはどう言ったらいいのかわからず、されるがまま。

吉井が、ヤキモチを、妬いている…?

オレはすぐヤキモチを妬くけど、吉井は妬かない。〜さんが東堂のことかっこいいって言っていたよと嬉しそうに言ってくるぐらいだ。だから、ヤキモチを妬いてくれないのか…と、実は寂しく思っていた。でも、今。自分と同じ感情をオレに向けている女子に対して、吉井は明らかに嫉妬している。

…ヤバイ、嬉しい。

頬が緩みそうになる。まあ、頬を引っ張られているから、緩むも何もないんだが。

「でも、ブサイクになったって、東堂は優しくて話し上手で周りのことよく見てて…ああ…」

悲しそうに眉を寄せる吉井に、オレは言おうとした。誰のことを言っているかわからんが、中学時代、告白は全部断った。だから気にするな、と。

だが、口を開いた時、耳をぺろっと舐められる感触がして。

「…っ!?」

がくっと、立てていた腕が折れ曲がるぐらいには、力が抜けかけた。けど、寸でのところで留まる。

吉井がオレの下でくすくすと笑っている。

「顔真っ赤。可愛い」

「な…っ」

いつも、オレがからかっている側なのに。ちょっと前までのあのテンパっている吉井はどこに行った。悔しくて、「お前なあ!」と言った時、優しく耳に手をかけられた。吉井が優しくオレを見据えて、何も言えなくなっている間、包み込むように、塞がれて、もうひとつの耳に吉井は唇を寄せて甘噛みした。

「っ」

体中に電流が走った。腕が震える。力が抜けていく。声を出しかけた。危なかった、と思っていると、耳の中に舌がぬるりと入った。もうひとつの耳を塞がれているせいか、行き場をなくした舐める音と息遣いがこもって聞こえる。

「ちょ、ま、っ、ぅ、あっ」

腕の力がとうとう抜けて、吉井の体を下敷きにしてしまった。大きな胸がオレの胸で押しつぶされて、形が変わっているのがわかる。

くらくらする。全身が熱い。ごめん、と退こうとした時。

「…気持ち良かったあ?」

心配そうに訊いてくる吉井に、ぶちんと何かが切れた。

腕に力を入れて、再び四つん這いになった。まだぼけっとしている吉井の半開きの口を塞いで、舌をねじこむ。

「ん…っ、んぅ、…ふっ、ん」

艶っぽい声を漏らす吉井。しだいに、目が見開かれていき、それは驚きの声に変わっていった。

「ふ、っ、え、と、う…んんっ」

顔が赤くなっている。起きたようだ。なんでキスされているのかわかってないらしく、目がぐるぐる回っている。吉井の真似をして、耳朶を噛むと「ひゃうっ」と声を上げた。

「な…っ、え、どうし…っ」

真っ赤になって、息切れをしながら吉井が問いかけてくる。

「お前が、煽ってきたんだろ…っ」

涎を手の甲で拭って、オレも息切れをしながら言うと、吉井は「え…」とぽかんとしたのち、目を見開いて、さらに顔を赤くさせた。

「あ、あれって、夢じゃ」

「夢じゃない」

恥ずかしくて言葉にならないらしい。口をぱくぱくさせている。次第に顔色が赤から青に変わっていった。

「ひ、引いた…?」

吉井は眉を八の字に寄せて、今にも泣きだしそうに訊いてくる。ハーッと溜息と吐くと、吉井の肩がびくっと震えた。

「…好きな女に、触られて、嬉しくない訳ない、だろ」

吉井から目を逸らして、ぼそぼそ言うと。

「よかったあ…」

ホッと安心したように、嬉しそうに言う吉井。

その時、オレのケータイが振動を始めた。吉井から退いて、電話を取ると、母さんからだった。オレの部屋は少し離れているので、わざわざ呼びに行くより電話の方が手っ取り早いと思ったのだろう。とっておきの刺身を用意したから幸子ちゃん連れてきて、と。あ、あんたはカレーだからね、と。吉井を横目で見る。

「…吉井、夕飯、準備できたって」

そう言うと、ぱあっと吉井の顔が明るくなった。

「わあ〜い、おっさしみおっさしみ!」

オレはここでひとつ賭けていた。

もし、吉井が、ここで、前のようにオレを熱っぽいオレを求めるような瞳で見たら、母さんにウソを吐いて、吉井に再び覆いかぶさろうと。

でも、実際は。

「サーモンサーモン」

吉井は嬉しそうににこにこ笑っている。性欲より食欲が勝っている。まあ、女子なんだし。そうだろう。そうだけど。

すっかり、そういう気分になっているオレは、ここで勝手に嘘を吐くか、とも思った。吉井は優しいから、オレがしたいと言ったら、了承してくれるだろう。

…でも。

「お刺身食べるの久しぶり〜」

こんな嬉しそうにされたら。

…はあ。

なかなか返事を返さないオレを不審に思ったのか『尽八ー?』と母さんに呼ばれた。わかった、と呟いてから、電源を切った。

「ちょっと、行ってくる。ここで待ってろ」

「うん。どこに行くの?」

立ち上がって、ドアを開いたところで、吉井が訊いてきた。呑気に刺身刺身喜びやがって。オレはむすっとしながら振り向いて、言った。

「トイレ」

…と、呆けたあと、ぼんっと吉井の顔が真っ赤になった。

「え、あ、うん…いってらっしゃい…」

力なくしおれるように言う吉井を尻目に見ながら、いつか絶対に覚えてろよ、と固く誓ったのだった。





とかすのはまた今度


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