「私、この子がほしいわ」

私に向けられたのは白い指先。降りしきる雨の中、従者と思われる男に雨傘をさされている。傘が影となって目元がよく見えないが、すっと通った鼻筋、人形のように小さな口元から整った顔立ちだということが伺われた。紅を引いている唇が楽しげに口角を上げている。指は掌に形を変えた。

「私と、来なさい」

臼緑色の羽織ものが天女の羽衣に見えた。




「名前…」

「なんでしょうか、姫様」

「もう少し、白粉をはたいた方がいいんじゃないかしら?」

鏡面台に映っている姫様の眉間に皺が刻まれる。髪の毛を人差し指と中指でくるくるもてあそんでいた。

「昨晩、あまり寝られなかったし…」

「大丈夫ですよ。姫様のお肌は今日も珠のように輝いてます。あまり塗りたくると姫様の良さが失われてしまいます」

「…そうかしら」

「ええ」

「そ、そうよね!」

姫様は得意気に胸をそらした。落ち込んだり、喜んだり、秋の空のようにうつろいやすい姫様のお心が微笑ましくて、自然と口元が緩む。桃色の頬紅を手にとって姫様の頬の上にぽんぽんと弾むようにしてのせる。

すると。バタンッと荒々しい音と供に、ドアが開かれた。こんな無作法な真似をするのは宮中にただひとり。

「よォ、紅玉。 名前」

年齢にそぐわない悪戯っ子のような笑みを浮かべて手を挙げているジュダル殿に忌々しげに視線を滑らせてから、低い声を出した。

「…姫様がご準備されている時にこのような真似はやめてほしいと、」

「あーはいはい、もういいから、それ。聞きあきた」

べえっと覗く挑発的な赤い舌が蛇のように動く。苛立ちに比例するように眉間に刻まれた皺が更に深くなった。

「本当に 名前の言う通りよ!ジュダルちゃんは私を何だと思ってるの!?」

「ババア」

「んまぁ!!」

この重くどろどろした雰囲気に似つかわしくない、明るい怒りが浮いていた。でも、それは私の心を軽くした。ジュダルちゃんって本当にひどいわよね!とぷりぷり怒りながら私に同意を求めてくる姫様の愛らしい姿に、瞳を緩ませた。

「…うわ、出た」

明らかに侮蔑を孕んだ物言いはジュダル殿から私に向けられたものだった。ジュダル殿に目を遣る。三日月のように細められた瞳には好奇が宿っていた。カァッと羞恥の熱が全身を駆け巡る。気まずさを隠すように私は早口でジュダル殿に申した。

「はやく出てってください。姫様は次着替えられます。殿方がご婦人のお着替えに立ち会うなんて、」

「お前の方が危険だろ?」

サァッと血の気が一気に引いた。ジュダル殿はニタニタと悪どく笑っている。氷付けされたように、私の体は固まった。足の先から、冷たくなっていく。

「何をいってるの、ジュダルちゃん」

姫様は怪訝な表情を浮かべて、ジュダル殿に問いかける。ジュダル殿は質問に答えず、私に近づいてきた。蛇に睨まれた蛙のように身じろぎすることもできない。気がついたら愉悦で緩んでいる二つの眼差しがすぐそこにあった。

「女でよかったなァ。好きなだけ、ベタベタ触れるもんな?」

ささやくようにせせら笑われて、私は大きく目を見開かせた。ジュダル殿は私の耳元から顔を離し、私の顔を見て楽しそうに頷いた。

「…っ、ジュ、ジュダルちゃん!あ、あなた、あなたそんな…!はしたないわよ!!女の子にそんな顔を近付けて…!」

顔を真っ赤にした姫様が人差し指をジュダル殿に突きつけながら、そう喚く。ジュダル殿はへいへいと軽くいなしたあと、私たちに背を向けて去っていった。ぺちぺちと裸足が床を鳴らす音がすっかり遠退いたあと、姫様がほうっと恍惚の息をついた。姫様に目を遣ると、先程の名残で、まだ頬に赤みを差していた。私の視線に気づいたあと、気まずそうに視線をそらしコホンと咳払いした。

「…あ、あなたとジュダルちゃんは…そういう関係なのかしら?」

「…え?」

「む、睦言を交わす仲、なのかしら?あ、あんなに顔を近づけてたし」

…ああ。姫様が何を言わんとしているのか理解した。姫様は恋愛ごとにてんで疎い。武の道を志していて、周りにいる年頃の男性は兄かジュダル殿だけだから仕方ない話なのだけど。

初な姫様。可愛い姫様。そんな姫様のお心をあっという間にかっさらってしまったあの男が憎くて憎くて仕方ない私がジュダル殿と恋仲だなんて。

あんまりにも面白くて、ふっと笑みが零れた。

「わ、私は貴女が幸せなら良いと思うのだけど…でもたとえジュダルちゃんでも…、」

ぽつり、と紅を引いた小さな唇から悲しげな声が吐息混じりに紡がれた。

「ちょっと、嫉妬しちゃうわね」

面白くなさそうに膨れた頬に、ただひたすら愛しいと胸が鳴く。

そっと瞑目してから、私はゆっくりと目を開けた。床に膝をついて、姫様の顔を覗きこむ。子供のように拗ねている愛くるしいお顔。安心させるように、誓うように、そして、懇願をこめて、私は言った。

「大丈夫ですよ、姫様」

「私の身も心もすべて姫様に捧げました」

「一生、お側に置いてくださいませ」

深々と、頭を下げる。
たった一人の私の主に。たった一人の、愛しい人に。

ぎゅうっと細い腕が私の首にまわされた。少しきつい香水の匂い。ああ姫様、またつけすぎたのですね。少量でいいと申しましたのに、と、笑いそうになる。

「当たり前じゃない!私、 名前のこと大好きだもの!」

そっと目を閉じる。今だけは、この暖かさと柔らかさを愛しく思うことを許してほしい。けど、どこにいるかもわからない神に許しを請うのは癪だ。だから、天女に許しを請いだ。許してください、と。





そうして美しい塵になる

恋患い

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