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どさっ。
お、も、かった…!
荷物を床に置くとそれなりの音がした。そりゃこの量ならそうなるか。図書館で借りた本や参考資料でパンパンに膨れた鞄を見て納得する。
「お帰り」
音を聞き付けた翼さんが出迎えてくれた。そして、荷物を見て目を丸くした。
「すごい量だね、これ」
「はい、レポートに必要なものをかき集めてたらこんな量に…。では、いってきます」
「え?今帰ってきたばかりじゃん」
「まだ晩御飯の食材買ってないんです。荷物が多くてスーパーに寄れなくて…。だから、今から行ってきます」
「じゃ、俺もいく」
「え」
「荷物持ちする。居候なんだからそれくらいやらせろよ」
スニーカーに片足を突っ込んで、爪先をとんとんと床に軽く打ち付けながら、翼さんはそう言う。続いて、もう片足も。
「じゃあ…おねがいします」
「ん、こちらこそ。じゃ、いこっか」
翼さんはキィッとドアを開いて、夕陽が玄関の中に差し込む。
オレンジ色の光が翼さんの顔を照らした。
「重くないですか?」
「重い」
「や、やっぱり私が持ちます!」
「ぶっ。いーよ。全然重くないって言ったら嘘になるけど、そんなものすごく重いってわけでもないから」
私一人では持って帰ることができなかったと思われる重さがあるビニール袋を、翼さんは涼しい顔をして、両手にぶら下げている。
小柄だけど、女の子みたいな顔立ちをしているけど。
…男の人、なんだなあ。
「? 行かないの?」
「あっ、はっ、はい!」
翼さんを異性として意識していたことがなんだか気恥ずかしくて、私は声を上ずらせてしまった。
「あ、あのーやっぱり、私が片方持ちま…」
「いいって。お前だってそれ持ってるじゃん。何回同じこと言わせんの?」
鬱陶しげにきつい口調で払いのけられ、口をつぐむ。確かに私は同じことも何度も訊いた。だがしかし、いくら男の人とは言えど、翼さんも食べるとは言えど、ぱんぱんに食材が入っているビニール袋を二つ持たせているのだ。私はプリンが二個入った袋を持っているだけ。人一倍気を遣う私だ、気が引けるのも仕方ない。
「お前ねー、男の使い方とか学習しておいた方がいいよ?」
「つ、使い方…」
そんな高尚な技術、私が身に着けるなんて…。うん、ないな…。
「大学生なんだろ?なら、」
突然、翼さんの言葉が途切れた。
私の向こうにある、何かに目を奪われている。
「翼、さん?」
呼びかけても、返事は返ってこない。
翼さんの視線の先に、なにがあるのだろう、と不思議に思った私は振り返った。
そこには、とても平凡な光景が広がっていた。
小学生くらいの男の子達が、河原で、サッカーをしていた。
時折起こる、歓声、楽しそうな笑い声。
微笑ましい光景だ。
翼さんの瞳が、揺れていた。
「翼さん?」
もう一度、少し声を大きくして呼びかけると、翼さんがハッと我に返った。
「あ…、ごめん。ぼうっとしてた。…行こう」
翼さんは綺麗な笑顔を浮かべて、前を向いて歩く。
振り切るようにして、歩いていく。
でも、私は先ほどの、何かに身を焦がすほど惹かれているような瞳が忘れられなくて、根がはったかのように、私の足は動かなかった。
いや、違う。
動いてはいけない、と思った。
翼さんが振り向く。浮かべている表情はとてもじれったそうだ。
「何してんだよ。はやく、」
「ちょっと待っててください!」
私は翼さんの言葉を無理矢理遮って、河原をくだっていった。
少年の一人に声をかける。
「あの、きみ」
「…はい?え、俺?」
怪訝そうに眉を寄せる少年。全速力で河原におりてきた知らない人から声をかけられたのだ。そりゃあ不審に思うだろう。
不審者と思われるのを覚悟で、私は彼に頼んだ。
「取引してほしいの」
少年の眉が一層不審げに顰められた。
翼さんは腕組みをして、不機嫌そうに立っていた。
だが。私が両手で抱えているものを見て、少し目を大きくした。けど、すぐに、それから目を逸らして何でもないように、平静を装って、はあっとため息を吐いてから口を開いた。
「あのさ、居候の分際でエラそうな口を叩くけどさ、急にどっか行かれても困るんだよね」
「…はい。すみません。翼さん、それで、その」
「なに」
「私と、サッカーしてくれませんか?」
両手で抱え込んでいるサッカーボールを、私は翼さんに少し突き出した。
翼さんはその質問に答えることなく、少し経ってから「そのボール、どうしたの」と逆に私に質問を返してくる。
「借りてきました。私のプリンと引き換えに」
かさり、と揺れ動いた腕にかけているビニール袋の重み(もともと無いに等しかったけれど)が、先ほどより軽くなっている。
「なんで、借りてきたんだよ」
翼さんの声色は、とても冷静で抑揚がついてなかった。
でもそれはどこか不自然で、まるで、溢れ出る感情を抑えているみたい。
「翼さんサッカー、」
すきですよね?
続く言葉は呑みこんだ。
そんなの、訊かなくてもわかることだ。
確認するまでもない。
翼さんがサッカーを好きなことは、あの瞳を見れば誰にだってわかる。
あの、恋焦がれているような、惹きつけられて仕方ない、瞳を見れば。
「…なに」
言いかけてやめた私にイラついているのだろう、翼さんの声が刺々しい。
それが少し怖くて、私の肩がびくっと震えて、顔を俯けてしまった。
冷や汗がじんわりと皮膚から噴き出る。
どうしよう。なにを、言おう。
私は、何がしたいんだろう。
…私が、したいこと?
「…言いたいことが特にないなら、それ返して、」
「私と、サッカーしてくれませんか?」
顔を上げて、視線を真っ直ぐにして、翼さんにお願いをする。
私がしたいこと。望んでいること。
それは、翼さんを知りたい、ということ。
今、ようやく翼さんの好きなものを知れた。
だから今度は。あなたがどんなふうに、好きなものを好きか知りたい。
そして、あなたの好きなものに、私も触れたい。
数秒、沈黙が流れる。沈黙をやぶったのは、翼さんだった。
「…高くつくよ?」
断られるのを覚悟の上だったから、驚いて、私は「へ」と間抜けな声を漏らしまった。
「ボール、落として」
言われた通り、ボールを落とすと、翼さんは難なくとボールを足で拾って、ぽーんと後ろに放り投げる。綺麗な円を描いて、着地しかけたボールをもう片方の足で拾って、そのまま弾ませる。
目を奪われる。
「足が手みたい…」
「まーね。春花って、どれくらいサッカー知ってんの?ほどんど知らないだろ?」
「は、はい…」
「んじゃ、特別に教えてやるよ。この翼さんが」
翼さんは、不敵に笑いながらボールを操る。
もしかして、翼さんって。
頭の中に一つの考えが浮かぶ。
このネット社会だ。調べたら、多分すぐにわかる。
けれど、それはしたくないとはっきり思った。
「ご教授、お願いします」
多分、それをしたら。
「ん、いい子だ」
翼さんの笑顔を、もう二度とみられなくなるような気がしたから。
いつかその意味に出逢うよ
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