「じゃっじゃっじゃーん!!」
能天気極まりない軽薄な声と伴に私の眼前に立ちはだかったのは二枚の遊園地のチケット。チケットの向こう側にはさらりと前髪を梳いている森山先輩の姿があってこれまた不快で極まりない。はあ、と乾いた声で抑揚なく言う。
「来週の日曜…女バス、練習午前まで…なんだよね?偶然なんだけどさ〜男バスもないんだよ」
「それがなんですか」
「おバカさんだな好美ちゃんは〜」
「あいにく学年五位から落ちたことないです。さようなら」
「あー!!ごめん俺が悪かった!!お願いします!!一緒に行きませんか!!」
後輩相手に敬語遣って、必死に頭下げて、馬鹿じゃないのだろうか、この人。
何回も私に頭を下げてくる森山先輩に向かって思い切り白い眼で睨むが、森山先輩は変わらず頭を下げてくる。
何度も、何度でも。
私は年下だ。後輩だ。そして、普段さんざんな態度をとっているが、曲がりなりにも体育会系だ。
先輩にこんなにへりくだられた態度をとらせてなんかいられない。
それだけのことだ。
「この前のお菓子のお礼ってことで!お願い!」
「いいですよ」
「なんでもするから!!なんでも奢るから!!マジ、で、…え?」
「待ち合わせ時間とか場所とかはLINEで決めましょう。それでは」
言うがいなや、くるりと背を向けて、私はすたすたと森山先輩から離れた。何秒後かに、森山先輩の「ぃよっしゃー!!」という喜びに満ちた大きな声が背中に飛んできて。
ああ、鬱陶しい。と、払いのけたくなった。
「いたっ!!」
なれなれしく肩に回そうとしてきた手を払いのけると、森山先輩は大げさに声を上げた。
「大袈裟ですよ、払いのけただけじゃないですか」
「痛いよ!?今のすっげー痛かった!ほら見て!?すっげー腫れているよ!?」
森山先輩の言うとおりかなり腫れた赤い手の甲を私の眼前にずずいと突き出してくる。ちょっとやり過ぎたか…。軽く頭を下げて「すみません」と小さな声で早口で謝る。
「まあ…俺は君と言う天使に出会った時点で大きな火傷をおっているからな…これくらいへのかっぱだよ」
さらっと前髪を手で流して格好つけて言う森山先輩を見ると、ああ、なんで私はこんな人に向かって謝っているのだろうと情けなくなってくる。
ほんと、いきなり肩に手を回してこようとするし。そういう行動、やめてほしい。
なんか、心臓おかしくなるから
またはやくなった鼓動を抑えるかのように、胸のあたりのぎゅうっと服に皺がつきそうなくらい掴んで、俯く。なにか話そうと思うのだけど、私服の森山先輩を見ると、胸の奥をきゅっと掴まれたみたいになって少し苦しくなる。きもちわるい。
「…好美ちゃん?」
森山先輩はだんまりを決め込む私を怪訝そうに呼ぶ。今声を出したら裏返りそうだから、私はそのままだんまりを続行する。森山先輩は「おーい?」「どしたの?」と声をかけ続ける。次第にそれは焦った声に変わり「もしかして…、え、マジで…!?」と慌てはじめた。
パン!と綺麗な音が響いた
目の前には両手を合わして必死の表情で頭を下げている森山先輩。
「ごめん!今の、マジでなれなれしかったよね!もうしません!ちょっと…テンションあがって!そんで!!マジで、すんまっせんでした!!」
…ぺこぺこと、年下にむかって…。この人にはプライドというものがないのだろうか。
やっと声をいつもの調子で出せるように準備が整った。私は気づかれないようにふうっと小さく息を吐く。
「先輩がなれなれしいのは、いつものことなので気にしていないです。行きましょう」
「…え、マジで…?」
「本当です」
「でもなんか様子がいつもと違ってない…?」
私の顔を覗き込んでくる森山先輩。どんどん、顔と顔の距離が近くなっていって、顔の体温が上昇していく。どんどん赤くなっていっているであろう顔を見られたくなくてぷいとそむけた。
「いいから、はやく行きましょうってば」
「え、ちょ、待ってくれ好美ちゃーん!!」
ああもう、なんか、ほんと私キモい。
頬に掌を当ててみると、熱く感じて、それが鬱陶しく思えて仕方なくて舌打ちを鳴らしたところで、森山先輩が私の横に並んで「え、な、なんで舌打ちしているの…?」と恐る恐る問いかけてきた。
私よりかなり上にある顔をじとっと睨むようにして見上げる。目と目が合ってキリッと歯を見せて爽やかな笑顔をつくってくる森山先輩はいつも通り鬱陶しくて「ただの気分です」とすげなく返してから、私はまた顔を背けた。
「何に乗りますか」
私は遊園地の地図を広げながら問いかけた。
「君の好きなものでいいよ」
「じゃあお化け屋敷で」
「え」
森山先輩が笑顔のまま硬直した。すうっと笑顔から温度が下がっていくようで、凍り付いている、という表現がぴったりだ。
「…なんなんですか、その反応」
「え、えーっと…」
ハハハと乾いた笑い声を誤魔化すようにあげる森山先輩は、ぎこちない動作で頭を掻いているのを見て、とある仮説が生まれた。もしかして、と口を開いてみた。
「先輩って、お化け屋敷苦手なんですか?」
「そっ、そーんなことないよ!」
裏返った声で言われても全く説得力ない。
ハァ、とため息が零れ出る。
「そんなつまらない見栄はらないでくださいよ。苦手なら苦手ってきちんと言ってください。嫌がる人を無理矢理連れ込むほど私は性悪じゃないです」
「で、でも、好美ちゃんは…お化け屋敷が好きなんだろ?」
「…まあ、そうですが。でも別に今日行かなくたって」
「じゃあ行こう」
「…先輩、あの、」
「俺は好美ちゃんを楽しませたいんだよ!」
もっと恥ずかしい台詞を言われてきた。君の瞳はダイヤモンドだの羽をなくして地上でさまよっている天使かと思っただの、ハーレクイン小説のような甘ったるい台詞を良い声で囁かれてきた。もう慣れきっている。そう、もう慣れきったはずなのに。
なんで顔に熱が集中していっているのだろう。
「…じゃあ、遠慮なく行かさせてもらいます」
「よっ、よし!行こう!」
「先輩。あのですね」
「ん?」
顔に集まっていく熱を必死で抑えて、私は綺麗な笑顔を作った。
「ここのお化け屋敷、すっごく怖くて泣き出す大人も後を絶たないらしいんですけど、よろしくお願いしますね?」
摂氏氷点下。先輩の体温がそれくらいまで下がったかのように凍りづいた。
「あ、あのー好美ちゃん…。や、やっぱりあっちのメリーゴーランドとか」
「さあ、行きましょうか」
「え、ちょっ、ひっぱ…あああああああああああああ」
先輩の手首を掴もうとして、やめる。
今先輩の肌に直接触れたら。私の体温が異常なほどまでに熱くなっているのがばれてしまうだろうから。
熱ではない。足元はしっかりしているし視界もクリアーだ。
この熱がどういう意味を指しているのかは薄々私も感づいているけれど。
「ギャアアアアアアアアアアア!!」
耳をつんざくような、恐怖におののいて叫び声をあげているこの男にこんな感情を持っているなんて腹立たしいから、ハァッとため息をつきながら、素知らぬフリをしてやった。
耳障りな子守歌