「うっまそ〜!」
ひろが今にも涎を垂らしそうなので、私は自分の作ったカップケーキをさっと持ち上げて避難させた。案の定、私のカップケーキが置いてあった場所にひろの涎が滴り落ちた。軽蔑の眼差しをひろに送るが、目の前のカップケーキのことしか見えていないひろには何の効果も出なかった。
「楽しみー!はやく食べたい!」
弾んだ声をあげて喜ぶひろに、同じ班の村山さんが怪訝そうな顔をしてひろに言った。
「え、それ、自分で食べちゃうの?」
「…え?」
「彼氏にあげないの?」
「えっ」
「あげればいいのに〜。私あげるよー」
自分が作ったお菓子を彼氏に渡すという発想が、ひろの頭にはなかったようだ。黄瀬くんを師匠と崇めていた時はクッキー渡していたのに。師匠としての黄瀬くんなら渡す行動が思い浮かぶのに、彼氏としての黄瀬くんには渡す行動を考えもしない…。ちょっと黄瀬くんが不憫だ。黄瀬くん嫌いだけど。
「そっか〜…。でも黄瀬くん、喜ぶかなー…」
「絶対喜ぶって!」
「喜ぶ、かー…。んじゃ、あげる!」
「そうしよそうしよ〜!私ラッピング材料余っているからこれあげる!使って!」
「え、いいの!?」
きゃぴきゃぴと、恋する乙女達が盛り上がっているさまを私は冷静に観察していた。
あの汗臭くて髪の毛ボサボサでガサツなひろが、自作のカップケーキを可愛くラッピングしているなんて…。長生きしてみるもんだわ。まだ十六だけど。
「あれ、田中さんは?」
ふと、村山さんが私に声をかけてきた。何故、このタイミングで私に声をかけるのかさっぱりわからず、私は怪訝そうな表情を浮かべる。私の表情を見て、村山さんは説明のため、次の言葉を口にした。
「森山先輩にあげないの?」
「何いってんの?」
突然訳のわからぬことをほざいたクラスメイトに、私は間髪入れずキツイ口調で返した。だが村山さんは気おくれすることもなく、いけしゃあしゃあと言葉を続ける。
「え、だって、今いい感じなんじゃないの?もうすぐ付き合う一歩手前みたいな感じのところなんじゃないの?」
「何をどうしたら私とあの人がそういう関係だと誤解できんの?」
「えー!違うの!?」
「違う」
「お似合いなのに!」
カップケーキを村山さんの顔面にぶつけたい衝動に駆られた。
苛々が体をむしばんでいく。森山先輩がところ構わず私に話しかけてくるせいで、このように私と森山先輩が付き合っていると勘違いしている輩が最近地味に増えているのだ。冗談じゃない。私はどちらかというと笠松先輩のような男気溢れた人が好みなのだ。それか小堀先輩のような穏やかな優しさを持っている人。早川先輩はうるさいので却下。黄瀬くんはひろの彼氏じゃなくても論外。
「でも、あげたら森山先輩喜ぶんじゃないかなあ」
ラッピング(といっても、カップケーキを袋に突っ込んでリボンで口を結んだだけ)をし終えたひろがひょこっと私の顔を覗き込んで言ってくる。
「よっちゃんさ〜、口で言うほど、森山先輩のこと、嫌いじゃないじゃん」
「は?」
「だって、最近森山先輩に手を振られたらため息吐きつつもちょっと嬉しそうじゃん」
「は??」
何、言ってんの、こいつ。
眉間に皺を寄せたまま、ひろを見下ろす。が、ひろは物怖じせず、じいっと丸くて大きな瞳で私を見上げてくる。
「絶対喜ぶよ、先輩」
…だから、ひろって嫌。
いつでも、真っ直ぐだから。
私はハァッと観念のため息を吐き、村山さんに顔を向けた。
「ごめん。私にも、一つくれない?」
気が強いと言われる私でも、上級生の廊下は緊張する。
時折物珍しそうに投げかけられる視線を受けながら、私は先輩の教室に向かう。
これはお礼だ。
一応、私はあの人に二回ほど、気を楽にしてもらった。
それに、愛情表現がうざいと言っても、私に好意を向けてくれるのだ。ものすごく鬱陶しいが。
ならば、まあ。こんなカップケーキで喜ぶのなら、渡してあげた方が、いいだろう。
あげた方がいいなら、あげる。そう、それだけ。
心の中に大義名分を並び立てる。
カップケーキを渡すことはなんらおかしいことでもなく、やましいことではない、と。
ゆっくりと、教室の中を覗き込む。
すると、森山先輩がクラスメイト達と楽しげに笑い合っているのが目に入った。
…変な口説き文句を使わずに、いつもああしていれば、もうちょっとモテるだろうに。
私はそう思いながら、森山先輩を呼ぼうと口を開いた。
すると。
「森山、これ食べてみてー」
森山先輩の前に、女の先輩が立ちはだかった。背中しか見えないが、なにかを森山先輩に渡したようだ。
…なに?
教室の中はざわついていて、聞き取りにくいが、耳を澄まして聞き取ろうとする。
「お、サンキュー」
「田中も宮下も食べてー」
「食う食うー」
「うま!よくこんなの作れるな!」
「でっしょー?」
「もしかして、俺に気が…」
「ないから」
どっと沸き上がる笑い声。
対等の、同い年の女の子と話す森山先輩。
私が見たことのない、森山先輩。
どんな顔をして笑っているのか、女の先輩の背中に隠れているせいで、よく見えなくて、
今、この瞬間も私は知らないまま。
右手で包み込んでいたカップケーキにぎゅうっと少し力をいれる。
袋越しに生地が押しつぶされていく感触が伝わる。
…ばかばかしくなってきた。
私は踵を返して、何も知らず呑気に笑っている先輩に、背中を向けた。
…あーあ。これ、どうすっかな。
目の前にカップケーキを掲げて、ぼけっとそんなことを考える。
何が俺に気が…だっつーの。
ほんっと、調子いい人。
だから信用できない。
森山先輩に対する悪口がぽんぽんと出てくる。
あの人が私を構ってきたのは、たまたまだ。
しょっちゅう彼女が欲しいと連呼していたし、性別が女ならば、誰でもよかったのだ。
たまたま目に留まったのが私っていうことだけ。
あの女の先輩でも、自分を受け入れてくれるならよかったに違いない。
そんな人に情をかけようとするなんて、私は馬鹿か。
あげなくて、よかった。
そう、あげなくて正解、なのだ。
なのに。
なんで、こんなに心が晴れないのだろうか。
「好美ちゃん!」
人の心を曇らせた人物に名前を呼ばれて、不快感が最高潮に達した。
聞こえなかったふりをして、すたすた歩くが、不快な声は私の名前を呼ぶのをやめず、前に回り込んできた。
息を弾ませて、「さっき、俺の教室に来ていた、よね?」と訊いてくる。
「…行っていませんが」
「いや、きていたよね?小堀が見たって言っていたし」
…余計なことを…。
小堀先輩への好感度が少し下がった。
だんまりを決め込む私に森山先輩は色々と話しかけるが、私は口を開かない。
困ったように眉を下げて、頭を掻いている森山先輩が、「あ」と何かに気付いたような声を上げた。
「それ、カップケーキ?」
しまった…!なんで隠してなかったんだ私…!
ぼんっと赤くなりそうな頬を抑えて「そうですが」と冷静に返す。
「うっまそう…!も、もしかしてそれ俺にくれたり…!?」
「するわけないでしょう」
間髪入れずきっぱりと否定する。
「え…っ、じゃ、じゃあ、誰にあげ…!?」
「誰にもあげませんよ。自分で食べます」
「そんな綺麗にラッピングしてあるのに自分で食べんの!?」
「私の勝手でしょう」
私は乱暴にリボンを解いて、カップケーキに齧り付こうとする。
と。
「わー!!待って待って!!」
大きな声をあげて、森山先輩が邪魔してきた。
「…なんですか」
鬱陶しげな視線を森山先輩に送りつける。
「お願い!俺にも!!一口ちょうだい!!」
ぱん!と両手をあわせて、頭を下げて懇願してくる・
「マジで!一口だけでいいから!!」
必死に、必死になって、森山先輩は頼み込んでくる。
「…馬鹿じゃないんですか。こんな、素人がつくったやつ、年下に頭下げてまで食べる価値ないですよ!」
「ある!君がつくったやつなら、食べたい!!」
馬鹿真面目に、真っ直ぐな視線と言葉が、私の胸に届く。
「君がつくったやつなら、頭下げるよ!だって、君が作ったお菓子は、その、天使の…あれ、こういう時はなんと…なんといえばいいんだ…!天使の調べにより行われる…くっそうまく思いつかん…!!」
頭を掻いて口説き言葉を模索する森山先輩を見ていたら、
なんだか、
全てどうでもよくなった。
「先輩」
「そうだ、天使の息吹が…!ん?って、うおっ!?」
カップケーキを放り投げると、顔を俯けながら、くだらないことに試案していた森山先輩の顔があがり、あたふたしながらカップケーキを受け取っていた。
「あげます、それ」
「…え…。え!?ぜっ、全部!?」
「はい、あまり美味しくないので食べる気がおきませんでした」
「や…やったあああああああああ!ありがとう!!ありがとう!!」
美味しくないって言ってんのに。
よくもまあ、こんなに喜べるな、この人は。
カップケーキを掲げて、馬鹿みたいに喜ぶ森山先輩に白い眼を向けていると、ひろの言葉が、再生された。
『絶対喜ぶよ、先輩』
「…喜びすぎ」
あの女の先輩からお菓子貰った時よりも、喜んでいる森山先輩を見て、
不思議と、胸にあたたかいものがこみあがってくるのを感じた。
単調になれないリズム