「ちょっと…!なんでこっちに連れてくんの…!」

「いいからいいから!」

制服に着替え終わって、居残り練習をしているひろに「じゃ、私帰るね」と声をかけたら、「あー!ちょっと待って!」と素っ頓狂な声を出され、ハァ?と眉を寄せる私の腕をがしっと掴んできたのだった。私の抗議の声を「いいからいいから!」と受け流されて、腕を掴まれたまま、私は引っ張られるようにしてずんずんとどこかへ連れて行かれる。どこかへ、と行っても、もう行先はだいたい予想ついているけど。

ハァ、とため息を吐く。

「はい、到着!」

男バス専用体育館の出入り口で、やっと私は解放された。何すんのとひろに抗議しようとした時、しゅっとボールが放たれる音がした。

目を遣ると、そこには。

今まで私が見たことのない形でシュートを打っている森山先輩。回転は悪くて、綺麗なシュートとは言えない。けれど。

ゆるり、ゆるり、と変な回転をしながら、すっぽりとゴールに入った。

「わー!!すごいです!!森山先輩すっごいです!!」

ひろの大きな歓声にハッと目を見開く。少し、目を奪われてしまった。悔しい。今のはなかったことにしよう。
森山先輩はひろの方を見て、次に私に視線をずらした。カッと見開かられる目。ウザい。

で、私の元へダッシュしてきて、「今の見た!?今の見た!?」と物凄い剣幕で訊いてくる。必死の形相が暑苦しくて鬱陶しく、私は「はあ。見ましたが」と気のない返事をする。

それなのに森山先輩はパアッと晴れ晴れとした顔になり、「よっしゃー!」とガッツポーズをする。

「ありがとう林野ちゃん!ナイスタイミング!!このタイミングで連れてきてくれるなんて!」

「いえいえー!その代り今度森山先輩のシュート教えてください!!マジすごいです先輩のシュート!!」

「いいよいいよ!」

冷めた私を置いて猿のように盛り上がる二人。どうせこんなこったろうだと思ったっつーの。ひろが森山先輩に餌付けでもされて、俺のカッコいいシュート姿を好美ちゃんに見せたいから連れてきて!とか頼まれたんだろうね。もっさもっさとやきそばパンを頬張りながら「アイアイサー!」と敬礼しているひろの姿が思い浮かぶわ。

「森山先輩ポカリなかったんでアクエリで…って!?なんで林野さんここにいんの!?ってゆーか、森山先輩近い!!林野さんに近いッス!なに腕とか触っちゃってるんスか!!」

アクエリアスを二本揺らしながら姿を現したかと思うと、目を見開き、閃光のような速さで森山先輩とひろの間に割り込んで、ひろを背中に隠して威嚇する黄瀬くん。忙しい奴だな。てゆーか私もいるんですけど。アウトオブ眼中?愛しの彼女以外アウトオブ眼中?死ねばいいのに。

「ハァ?黄瀬な〜お前もうちょい余裕持てよ。シュート教えてくださいって言われたから教えているだけだぜ?」

「じゃ、私帰るので」

「待ってえええええええ!!待って好美ちゃああああああん!!」

あんたこそもうちょい余裕持てよ。
すがりつくようにして私に向かって手を伸ばす森山先輩に背中を向けたまま口の中で舌打ちをする。

「俺も帰る!もうちょっと待って!」

「もうちょっと自主練していったらいいじゃないですか。ひろにシュート教えなきゃいけないんでしょう?」

「いやそこは大丈夫!俺が教えるから!」

横から首を突っ込んでくる黄瀬くん。ね!?と同意を促すように詰め寄ってくる。

「黄瀬…!お前いつからそんなに俺想いに…!」

違うと思う。ひろに森山先輩を近づけたくない。アーンド、苦手意識を持っている私に早くどっか行ってもらいたいだけだと思う。

「じゃ、俺着替えてくるから!黄瀬!好美ちゃん引き留めとけ!これ先輩命令な!」

「えっ」

明らかに嫌そうな声を上げた黄瀬くんと私を置いて、更衣室に向かって一目散に走った。ひろはゴール下で「こうかなー?いや、それともこうかな!?」と森山先輩のシュートを見よう見まねで真似している。全然できていないけど。

黄瀬くんは…と黙ったあと、ゆっくりと瞳だけを動かして、私を見た。『この子と何話せばいいんだよ』とでも言いたげなその瞳。

大嫌いって言ったもんな。黄瀬くんって、女子から好意を向けられることはたくさんあっただろうけど、敵意を向けられたことはなかったっぽいし。初めて自分に嫌いと言ってきた私に苦手意識を持っているその様を見るのは、正直面白い。

「ねえ」

「…なに?」

こいつ、俳優にはなれないな。私に綺麗な微笑みを向けているけど、口角がひくついている。

「ひろのブラ見たことある?」

黄瀬くんが言葉を失った。ちらっと視線を上げると、頬を赤く染めて「な…な…な…!」と不明瞭な言葉を漏らしている。

「なに、その反応。黄瀬くんなら女の子のブラくらい見たことあるでしょ?」

「そっ、そういう問題じゃないッスよね!?」

否定しなかった。モテる男うっぜー。

私の白けた目の意図に気付いたのか「いや、別にそういうことじゃなくて!俺んち姉ちゃんが二人いて!!」とあわてふためいて弁解する黄瀬くん。

「あの子さー、時々ブラの上にキャミ着るの忘れててさー。よく透けブラになっているんだよね。ひろの透けブラ見たことあるでしょ?」

「…勘弁してほしい、ッス…」

おやまあ。真っ赤な顔を俯かせて。

加虐心スイッチがオン状態になる。

「スカートだってのにぴょんぴょん跳ねて。スパッツも履けって言っているんだけど、時々履き忘れてくるんだよね。パンツ見えたことあるでしょ?」

「だから…っ!」

「ムラムラした?」

「…っ、ちょ…っ!」

図星か。

「好美ちゃーん!おっまたせえええ!」

真っ赤な顔を私に向けて、声を荒げかけた黄瀬くんの言葉を遮ぎながら森山先輩が飛び込むようにして登場した。

「さあ帰ろうか。俺が紳士的にエスコートしてあげるよ」

森山先輩のウインクをしっしと手で払いのけて「あーどうもどうも」と心のこもってない声で返す。

「黄瀬、ご苦労!」

「…マジでご苦労だったんスけど、俺…」

ハアッとため息を吐きながら、がっくりと肩を落とす黄瀬くん。

「黄瀬くーん!久々に1on1やらない!?」

けど、ひろの声を聞いて、ゴール下でぶんぶんと大きく手を振っているひろの姿を見て、目元が柔らかく緩んで、頬があがる。しかし次の瞬間そんな自分に気付いたらしく頬をぱんと叩いて「うん、やろっか」なんて冷静ぶってかっこつけている。

その姿が妙に腹立ったので。

「ひろー。黄瀬くんあんたの透けブラとパンツにムラムラしているから襲われないように気をつけなー」

友人に忠告をしとくのは大切なことだよね?善意からそう思った私はひろに大声で忠告をして、くるりと身を翻した。あとは野となれ山となれ。

後ろから「は…!?ち、ちが!!林野さんちがっ!!」と慌てふためきながら弁解をしている黄瀬くんの声を背中に受けながら、私はすたすたと歩みを進めた。










「いやー、黄瀬…ザマァ!」

森山先輩はあくどい笑みを浮かべながら、しみじみと黄瀬くんの不運を喜んでいた。顎を撫でながらうんうんと頷いて、喜びを噛みしめている。

「好美ちゃんは本当に女子なのに黄瀬にデレデレせず!毅然としていて!そういうところ本当に最高!」

「はあ、どうも」

さっきから私、はあとかどうもとかそうですねとかそんな言葉でしか返していないのに、べらべらと立て板に水のごとく喋り続ける。この人結婚式の司会とか向いてそうだな、と横目で見て思う。この人結婚できなさそうだな、とも思った。

「ていうか、マジで好美ちゃんって黄瀬に冷たいよな。アイツになんかされた…!?大丈夫!俺が守ってあげるから!!」

「何にもされていないのでご心配なく」

即座にすげなく返すと、森山先輩は「えっ、そうなの」と拍子抜けした顔。
私はマフラーに少し顔を埋めて、口内で小さく呟いた。
呟かれた言葉は二重の壁によって阻まれ、うまく森山先輩の元まで届かなかった。
『え。今なんて言った?』と、間抜け面で訊いてきたら『何にもないです』とスルーしようと思っていたのに。

「ただの、嫉妬?」

なんでこういうことは聞こえてんの、この人。

間抜け面で問い掛けてくる森山先輩を横目で見てから、視線を前に戻した。ふうっと吐かれた息は、白いものに変わって消えていった。

「…そうです。嫉妬です。凡人が天才に嫉妬しているだけ」

それだけです、と淡々と短く言って、この話を終わらせようとする。
けど。

「あの、それもうちょっと聞かせてくれないかな?」

ほんっと、この人って。

はあっとため息を吐いてから、投げやりに言う。

「しょうもない話ですよ。聞く価値もない」

「そんなことない!好きな子のことは知りたい!!」

大真面目な表情で、大きな声を私にぶつける森山先輩。
が、次の瞬間自分の言った言葉の意味をわかったようで、「あ。いや、これはその…!」と真っ赤な顔で弁明を始める。

いつももっと寒い台詞を言っているくせに。なんで今の台詞で恥ずかしくなって、君の瞳はまるであの夏に見た湖のようだ…とかは恥ずかしげもなく言えるんだ。と、私は白けた気分になる。ていうか、あの夏っていつ。私森山先輩と夏に一言も言葉交わしたことないんですけど。

けど。

森山先輩からの何回目かわからない告白は、私に話の続きをさせる程度の効果は持っていた。

しょうがないな、と心の中で呟いてから、口を開いた。

「ひろがバスケをやるようになったキッカケって、私なんです。小学生の時ミニバスに入っていて、ひろのところの小学校と試合していたら、ものすごい視線を感じて。振り向いたら泥だらけのチビがいて」

そのチビは。ひろは。教えて教えてとせがんできた。次は試合をしろとせがんできた。鬱陶しいので負かしてやった。一か月後、擦り傷だらけになった姿で私の前に現れた。そして、今度は私が負かされた。

最初は負かされたことにたいして、バスケ初心者に負けた羞恥とか、あっという間に私を追い越したひろに嫉妬したけど、ひろがどれだけ努力をしているかを知ったら、羞恥も嫉妬も、飛んでいってしまった。

がむしゃらに、一つのものに対して努力することへの情熱が、私なんかと全然違った。

『あ…!よっちゃん!みっつけたー!!』

『わかっていたけど…同じ中学なんだね本当に…うぜえ…』

『よっちゃんと私同じクラスだよ!すっげー嬉しい!』

『人の話聞けよ』

『よっちゃんこれからはいっしょにバスケやれるね!あ〜楽しみ!
私にバスケを教えてくれたよっちゃんとこれからいっしょだと思うと…すっげー楽しみ!』

「とかなんとか言っていたくせに、中学途中から黄瀬くん信者ですよ」

愚痴を子供が拗ねた時のような口調で言ってしまったことに気付き、ハッと小さく目を見開く。

私は慌てて取り繕うために口を開いた。

「まあ、しょうがないんですけど。強豪校にいるけど、私はちょっと平均よりはまあマシかな程度の部員ですし。そんなのとキセキの世代を比べても、」

「…たのか…」

「は?」

不明瞭な言葉をぼそっと呟きながら、ぶるぶる震えている森山先輩をいぶかしげな眼差しで見ていると、森山先輩は悲痛な顔で小さく叫んだ。

「お、俺のライバルは…!林野ちゃんだったのか…!」

何言ってんだコイツ。

「すっげー好きってことじゃないか!黄瀬に盗られて悔しいってことだろ!?え〜マジかよ〜うわ厳し〜!!」

森山先輩はうわあああとムンクの叫びのように引きつらせてオーバーヒートしていた。
ちょっとこの人誰かどうにかして。

「しかも純愛かよ…!たとえ嫌いな男でも、好きな女の子がソイツのことを好きなら背中を押すという…!あ〜太刀打ちできる気が…!」

「ちょっと。私の話聞いてください」

「いやでも!俺は頑張る!!」

「話聞いてくださいって言っているのが聞こえねーのか」

ぼそり、と。地を這うような声でドスを効かすと、森山先輩の体が氷のように固まった。
そして、私を恐々と見下ろした。恐怖に戦く森山先輩の瞳の中に、にっこりと綺麗な微笑みを作っている私の顔が映っているのだろうな、と思う。目を細めているからよくわからないけど。笑っているからね。

「ハイ」

か細い声が森山先輩の震える口から出たのを合図に、ふっと微笑みを消した。淡々と、事実を口にしていく。

「そんな訳ないでしょう。ひろは友達です。あと私はノーマルです。男子が好きです」

私の発言を聞いて、森山先輩はよかった…とホッと胸を撫で下ろした。なんで安心しているの。あんたのこと好きになるってわけじゃないのに。

「黄瀬くんはひろを夢中にさせるだけじゃなくて、バスケも私が逆立ちしたってかなわないくらいうまくて。才能があるだけじゃなくて努力も私以上にしていて。努力の点については、私が黄瀬くんと同じくらいすればいいってだけのことなんですけど、羨ましくて。ずるいなあって、嫉妬しているんですよ」

はあ、言ってしまった。

誰にも言えなかったモヤモヤを、森山先輩にぶつけてしまったことに、少し後悔をする。
どうでもいい人にだからこそ、言えたんだと思うけど。

「まあ、忘れてください」

そっけなく言うと、「嫌だ」と即答された。真顔で。

「…ハァ」

「君の口振りからして、俺だけにしか言っていないんだよね?」

「…まァ、そうですけど」

「よっしゃ!!」

ガッツポーズをする森山先輩に白い眼を向ける。どうでもいい存在だからこそ言ったのに。知恵袋で見知らぬ他人に愚痴を言うようなもんだってのに。

「君と俺はね。似た者同士だと思うんだ」

「頭沸いているんですか?」

「そこまで言う!?俺だって、黄瀬に嫉妬するよ!?」

森山先輩が唾を飛ばす勢いで言ってきて、私は目を丸くする。

海常の先輩達は人間ができていると思っていた。

突然現れた一年生に、レギュラーの座を一つ奪われても、暖かく迎えている。

そりゃあ、黄瀬くんは最初はふざけた生意気な野郎だったけど、途中からは真面目に練習をしていた。誰よりも、練習をしていた。

だからと言って、年下にレギュラーの座を一つ獲得される。
自分が何年もかけてとったレギュラーの座を、入部と同時に獲得される。

私だったら、レギュラーの座をとったやつが、どんなに良い奴でも、どんなに努力をしている人間でも、絶対に黒い心がわいてくる。

私だけなのかな、こんなに狭い心なの。

黄瀬くんすごい、と楽しげに嬉しそうに話すひろを横目で見て、思っていた。

「『いやそこは大丈夫!俺が教えるから!』って、さっき黄瀬言っていたじゃん。それってつまり、俺のシュートをアイツはすぐにモノにできるってことでさー。俺が何年もかけて編み出したシュートフォームをアイツは一瞬でコピーできるとかさ、ま、いらっとするっつーか、嫉妬はしたね」

首の裏に手を回して、眉を下げて笑う森山先輩。口から出る笑い声は、自嘲だった。

「…だから、先輩ってモテないんですよ」

私はハァッとため息をついて、呆れた。

森山先輩は「うぇ!?」と情けない声を上げる。

「臭い台詞とか、そんなこと言わず、黙ったまま澄ましていたら一人か二人寄ってきますよ。先輩の容姿なら」

「え、じゃあ俺が黙ったら好美ちゃんは俺と、」

「先輩全然私の好みの顔じゃないです。私の好みの顔は笠松先輩です」

「ええ!?ちょっ、それっ、どういう、」

「でも。私、さっきみたいに自分の本音話す先輩は結構好きですよ」

森山先輩の声が突然消えた。
瞬きをぱちぱちとしながら私を見下ろしているさまは、ただただ滑稽。

もう駅だ。

「先輩、送ってくれてありがとうございました」

軽く頭を下げて森山先輩に背を向ける。

ずっりィ〜…という小さな呻き声が背中に届いて、くすっとほくそ笑んだ。









塗りたくったロマンスタイム終了
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