「りょーおーたーくん!」
今日も今日とて、眩しいほどの笑顔を俺に向けて。
「誕生日、おめっとさーん!!」
パチパチパチと盛大に拍手をしながら、俺の前に立つ、俺の彼女。
やっべえ、マジ、可愛い。
「ありがと」
へらっとだらしない笑顔で返しそうになるが、間一髪のところでとどまることができた。ここは教室だ。危ない危ない。朝のホームルームが始まるまでに駆け込んできたせいか、ひろの髪の毛はいつもよりも暴れていた。朝練のあとに急いでやってきたのだろう。ほのかに汗の香りがする。
「今日涼太くん暇?」
「まあ、うん」
偶然暇だったという口振りだが、本当はわざと空けた。ひろが祝ってくれるだろうということを期待して。そんな俺の思惑を露知らず、ひろはパァッと目を輝かせる。
「やったー!そんじゃさ、今日、焼肉屋に行こう!涼太くん肉好き!?」
「好きッスよ」
「だよねー!よっし、私が奢るから!!じゃんじゃん食べてね!!」
「え」
バイトもしていないひろに奢られるのは気が引けるので、困惑の声が漏れた。いや割り勘でいいよ、と言おうとする暇もなく、ひろは。
「そんじゃねー!部活の後で!!」
そう大声で言って、ダッシュで自分の教室に帰って行く。
今まで何人かと付き合った。その子達は、サプライズをしてくれたり、ケーキを焼いてくれたり、俺が欲しがっている腕時計をくれた。
俺の今の彼女は、彼氏に焼肉奢るとか色気もへったくれもないことをする。
でも、今までの彼女の中で、一番、俺の心を掻き乱す。
「…腹、すっげー減らそ」
―――来る放課後。
ぐう〜きゅるると腹の虫が盛大に喚く。
おお、これは絶好の焼肉日和ッスね…、っつーか腹減り過ぎて痛い、もう痛い、コレ。
よろめきながら、ひろとの待ち合わせ場所に向かっていると、「ねえ」と後ろから声をかけられた。
この声…。
顔が引きつりそうになるのを堪えながら振り向くと、ひろの気の強い友人、田中さんがいた。俺はこの子が苦手である。
田中さんは俺につっけんどんに言ってきた。
「ひろ、変な男につかまっているよ」
「…え」
「呼び出されて、告られているんだけど、なかなか戻ってこないから覗きに行ったら、しつこい男でさ〜」
彼女が他の男に言い寄られているとか、とんだ誕生日だ。苛立ちが湧く。舌打ちしたい気持ちを堪えて、田中さんに「ありがと」と礼もそこそこに場所を訊きだそうとする、が。
「焦んなって。ひろは全然大丈夫。大丈夫じゃないのは、そのしつこい男」
「…は?」
「場所教えるから。見に行ったらわかるよ」
田中さんはハァッと重い息を吐いた。
田中さんに教えてもらった場所に行くと。そこには。
「ふっざけんなああああ!てめーもっぺん言ってみろやゴルァァァ!!」
男の胸倉を掴んで食って掛かっているひろがいた。
「だ、だって、そうじゃん。あんな軽い男、どうせ林野さんに対しても本気じゃないよ」
この“軽い男”とは。多分俺のことを指しているのだろう。どうせ林野さんは遊ばれているだけだよ。やめときなよ。ってか?
「それもだけど!涼太くんがバスケに対しても不誠実って今言ったよね!?」
ちゃんちゃらおかしくて、臍で茶が沸かせそうだ。
「何も知らないくせに何言ってんだよ!!見たことないくせに!!涼太くんが、どれだけ真剣に試合に臨んでいるか!!」
俺にはその子で遊ぶ余裕なんてねえよ。
「あんな頑張っている人を、どうして、そんな…!」
いつだって全力投球で、真っ直ぐにぶつかってきて。
「そんなこと言えるんだよ…っ」
ひろの声が震えて、小さくしぼんでいった。胸倉を掴むのをやめて、手をだらんと垂らす。俯けた頬から、雫が流れていた。
「えっ、ちょっ、泣くほど…!?」
男が恐る恐るとひろに手を伸ばそうとした。が、それは叶わなかった。
だって、俺がその手首を掴んだから。
「はい、ストップ」
にっこりと、モデルの笑顔で男を見下ろしてやる。男の目が驚愕で見開いた。
「え…っ、き、黄瀬くん!?」
驚きの声を上げながら、ひろが俺を見上げた。その拍子に、眼の淵に貯まっていた涙が零れ落ちた。
「ひろ、いこ」
ひろの手首を優しく掴んだ。茫然としている男の存在を一瞬忘れていた。あ、こいつまだいたんだ。じゃあ。そう思って、ひろの手首から、掌に掌を移動する。
「えっ」
手をつなぐことはまだほとんどない。なので驚いたのだろう。ひろの頬に朱が差した。
「駄目?」
わざと甘えるような口調で訊くと、ひろの顔が一気に真っ赤に染まった。無言でぶんぶんと首を振る。肯定する余裕もないくらいに恥ずかしいのだろう。
可愛いなあ、マジで。
この場に似つかわしくない、優しい気持ちになれる。
「いこっか」
「う、うん」
あ、と漏らした声が背後から聞こえた。んだよ、まだいたのかよ。舌打ちを鳴らしそうになるが堪えて、首だけ後ろに向けて、俺は言った。
「帰んねえの?」
そりゃあもう、嫌味たっぷりの笑顔付きで。
「涼太くん、遅れてごめんなさい!」
少し歩いたところで、ひろの歩みが止まった。目を泳がせたあと、ばっと頭を下げて大きな声で謝る。
「ひろアイツに告られていたせいで遅れただけなんでしょ?別にひろ悪くないじゃん」
あっけらかんと事実を述べる。すると、何故かまたひろが涙をぽろぽろ零し始めてぎょっとした。
「えっ、なんでまた泣いてんの!?」
「く、悔しくて…!」
だって、とひろは繋がれていない方の手を強く丸めた。爪が食い込んでそうなくらいに、強く丸めていた。
「アイツ、涼太くんのこと、馬鹿にして、マジでなんなんだよ…!私涼太くんはすげー奴だって言いたかったのに、馬鹿だから、言いたいことの十分の、百分の一も伝えられなかった…!」
悔しそうに震えているひろは、ぐすっと鼻を啜った。
「ぐやじ゛〜!!も゛〜!なんなんだよォ〜!ぢぐじょ〜!!」
わんわんと声を上げて、小さな子供のような泣く。そんなひろをじっと見て、思う。
ひろの後頭部に手を回して、俺の胸に押し付けた。涼太くん!?と驚く声を無視して、手をつなぐのをやめて、その手をひろの背中に回す。あやすようにしてぽんぽんと背中を叩いた。
「そう思ってくれるだけで、俺、十分」
本当にこの子は、俺よりも俺のバスケを大事に、大切に思ってくれるんだな。
「ひろ、ありがと」
そう思ってくれているから、ひろのこと好きになったのか。それともそんなの関係なしに好きになったのか、よくわからないけど。
「うう〜…」
俺のシャツを掴む小さな手がたまらなく可愛く思えるのだから、もうなんだっていいや。
「ほら、はやく焼肉食いにいこ」
そう言うと、ひろが顔を上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったこの顔で俺を見上げた。そして、目線を泳がしながら、言いにくそうに言った。
「りょ、涼太くん…」
「ん?」
「ごめん…鼻水を…ネクタイにつけちゃった…」
「え゛」
こーんぐらいすき
「ってことがあったんスよ〜」
「(うっぜェ…)お前のことだから鼻水つけられたらクリーニング代要求したんじゃねえの?」
「やだな〜そんなことする訳ないじゃないッスか〜。まあひろ以外に鼻水つけられたら遠慮なく要求するッスけど〜」
「もうほんとお前ウザいわ」