放課後、誰もいない教室で告白をされた。オレンジ色の夕日が差し込んでいる第三美術室。ロマンチックだ。でも私には大切な彼氏がいる。だから、誠実な心をこめて、きちんと断わった。「ごめん、私彼氏いるんだ」そう断るとぷっと笑われた。

続いて目の前の男の子は言った。

「彼氏いないじゃん、苗字さん」と。




私の彼氏、黒子くんは恐ろしく存在感が薄い男の子だった。入学してから八カ月も経ったのにクラスメートですらまだ彼の名前を覚えてない人が多いらしい。私は黒子くんの隣のクラスで図書委員だから仲良くなって付き合い始めた。しかし、黒子くんの部活の忙しさや、違うクラスということ、そして彼の存在感の薄さ。これらのことが相まって、私と黒子くんが付き合っていることを知っている人は少なかった。

私は黒子くんに会うために体育館に向かった。私に告白してくれた男の子は何度言っても信じてくれず、ねえねえ付き合おうよと繰り返す。付き合っていることを否定され、何度もしつこく告白されることにいい加減嫌気がさした私は『ちょっと待ってて!私の彼氏連れてくるから!』と彼に言ってやった。こんなことになるんだったら黒子くんとプリクラ撮っとけばよかった、と後悔する。

体育館に到着する。ダムダムとボールが弾む音、バッシュのキュッキュッという体育館の床を踏む音。こっそりと入口からバスケ部の練習風景を覗く。

一番存在感が薄いはずなのに、視線が勝手に黒子くんに吸い寄せられた。黒子くんは、適確なパスを火神くんに送り込む。華奢な体から放たれたパスはとても力強いもので、その細い体のどこからあんな力が出ているのだろう。

やっぱり、黒子くんは可愛いというより。

…かっこいい…。

汗をTシャツで拭う黒子くんはの姿にぽーっと見惚れてしまう。頭の中にあるのはかっこいいという言葉だけ。普段騒がない彼がたくさん動き、声を出すのは部活の時だけで。なんていうの?ギャップ萌え?ただただかっこいい。本当に本当にかっこいい。

もう少しでウィンターカップだと、この前話してくれた。一回戦は前回負けた相手だとも言っていた。

『次は絶対に、勝ってみせます』

静かな口調で、はっきりと、誓うように言った黒子くんは、やっぱりとてもかっこよくて。ぽーっと見惚れた後、慌てて頑張れとか応援しているとかありふれた言葉しか言わない私に、黒子くんはふわりと笑って、ありがとうございますとお礼を言ってくれた。

黒子くん、こんなに頑張っているのに、それなのに、こんなくだらないことになんか突き合わしてなんかられない。

そう思った私は、うんと頷いてくるりと踵を返し、美術室に戻って行った。









「あれ?彼氏は?」

男の子は壁に背をもたれながらケータイをいじっていた。私の気配に気づき、顔を上げる。

「え、えっと…今部活が忙しそうで」

もごもごと目を逸らしながら男の子にそう言うと、彼はブーッと噴き出して、げらげら笑いながら「やっぱり」と言った。

「マジで期待を裏切らないわー。これで彼氏連れてきたら俺笑い者だけど、やっぱりな!律義に待っててよかったー!」

やっぱりってなによ。そんなに彼氏いなさそうなの、私。

っていうか…いるし。超かっこいい彼氏が。


顔に出ていたのだろう、男の子が軽い調子でごめんごめんと謝ってくる。

「あー、えっと、苗字さん可愛いんだけどさ、なんか…愛人ポジくせェっつーか」

は?

と、思った数秒後、彼が何を言わんとしているのかわかってしまって、心底不快な気持ちになった。

私は化粧をしてなくても化粧をしている?と訊かれるくらいの派手顔だ。だからか、ビッチくさいだの、男好きそうだの、今まで根も葉もない噂をさんざん立てられてきた。火のないところに煙は立たないっていう諺が日本から滅するべきだと常々思っている。

…最近はこういうこと言われてなかったから忘れていたけど、やっぱり私はまだ大多数の人にそう思われていたんだな。

遣る瀬無くて、溜息をつきそうになる。

「ねー、苗字さん」

ぽんっと肩に手を置かれ、ぎょっとすると、男の子の顔がすぐ近くにあった。後ずさりをしようとするけど、男の子の肩を掴む力と、少しの恐怖で、身動きがとれない。

「そんなに拒否んなくてもよくない?自分で言うのもなんだけど、俺、エッチうまいよ?」

何言ってんのコイツ。私が処女じゃないみたいな口ぶりだし、てゆーかなんで私があんたとエッチする前提なの。キモイ。

「ちょ…っ、離して」

「なに清楚ぶってんの。らしくないよ?」

らしくないよって、あんた私の何を知ってんの。くだらない噂しか知らないんでしょ。

もう、やだ、助けて。

「苗字さんから離れてください」

透き通るような声が響いた。

声がした先には、いつも通り無表情の黒子くんがいた。

黒子、くん?

なんでここに?と頭が疑問でいっぱいになる。

なりつつも、黒子くんがいるということで、言いようのない安堵に包まれる。

「…誰、お前?」

「黒子テツヤといいます。苗字さんの彼氏です」

男の子が私と黒子くんを見比べるようにして、交互に見る。そして、またブーッと噴き出した。

「ちょ…!つくんならもうちょいマシな嘘つけよ!」

お腹を抱えてげらげらと嘲笑う。下卑た笑い声が耳障りだ。

「こんな地味系男子を使ってまで俺と付き合いたくないのー?うわ、ショック。分かった、諦めるわ」

男の子が私の肩から手を離した。その場から立ち去ろうとした、のを。黒子くんが「嘘じゃないです」と男の子の背中に向かって言った。

「は?」と不快そうな声をあげる男の子を真っ直ぐに見据えながら、黒子くんはきっぱりと言い切る。

「僕と苗字さんは二カ月前から付き合っています。勘違いはやめてください。そして、」

黒子くんのポーカーフェイスに彼には珍しい感情が宿っていた。

「二度と、彼女に変なちょっかいを出さないでください」

黒子くんは、とても、怒っていた。

男の子は黒子くんの怒りに気おされたのか、少しびくついたあと、舌打ちをしてから「うっぜ」と小さく吐き捨て、美術室から去った。

今、美術室にいる私と黒子くんの間に重苦しくて気まずい空気が流れる。

黒子くんがすごく怒っているのが伝わり、なんと声をかけていいかわからないでいると、黒子くんが私の名前を呼んだ。

「苗字さん」

「え、な、なに?」

場の空気を和ますために、笑ってみせる。が、効果は全くなかった。

「さっき体育館に来ていましたよね?どうして変な男子に絡まれて困っていると助けを求めてくれなかったんですか」

淡々とした物言い。だけど怒りが込められた詰問口調に、私はたじたじになる。

「迷惑かけちゃいけないと思って…」

「何が迷惑で何が迷惑じゃないかは僕が決めます。苗字さんが勝手に決めないでください」

「だ、だって、もうすぐ大切な大会なんでしょ?」

「…いい加減にしてください」

聞いたこともない黒子くんの低い声に恐怖で体がびくりと震える。

「大切な彼女を守れないなんて僕は絶対に嫌です。そんなに僕は頼りないですか?さっきだって、もう少しのところで、」

けど、低い声はだんだん掠れた、悲しそうな声に変わっていって。

黒子くんはハァッと溜息をついてから「間に合って、本当によかった…」と安心したように、呟いた。

黒子くんは感情が顔に出にくくて、告白のときしか好きだと言ってくれなかったし、あまり私に触れてこないから、私の方が黒子くんのこと好きなんだろうな、と漠然と思っていた、けど。

もしかしたら私、案外好かれているのかも、しれない。

つつつと黒子くんに寄り、黒子くんのTシャツを引っ張り、私より少しだけ背の高い位置にある黒子くんの顔を覗き込んで、

「…ごめんね?」

と、謝ると。

黒子くんの綺麗な水色の双眸が一瞬、揺らいだ。

オレンジ色の空はいつの間にか濃紺に染まりつつあった。電気がついてないので、黒子くんがどんな表情をしているのかわかりにくい。

何も返事をしない黒子くん。まだ怒っているのかな?と心配になり、黒子くん?と呼ぼうとしたら。黒子くんの両手が私の頬を包み込んでいた。

距離が、縮められていく。

間の闇を食べていくように。

私と黒子くんの距離は零になった。

柔らかいものが、掠めるようにして、一瞬私の唇を塞ぐ。

…え?

黒子くんを見ると、黒子くんは目をまん丸くしていた。多分、私も同じ顔をしているだろう。

二人して目をまん丸くして向い合ってから、黒子くんがぺこりと私に頭を下げた。

「すみません。つい、してしまいました」







あいつは不埒なキス泥棒

あんまりにも、可愛かったので。





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