私の彼氏は、世界で一番性格の悪い高校生だと思う。
少なくとも。
「まっず」
彼女が心を込めて作ってきたお弁当を、ひっくり返す程度には、性格が悪い。机の上に無残に広がる卵焼き、タコさんウインナー、ポテトサラダ、一口だけかじられた唐揚げ。
「よくもまあ、こんなまずいもん作れんなァ?ある意味すげー才能だわ」
マロ眉を寄せながら、ふはっとせせら笑ってくる花宮。横で原くんがフーセンガムを膨らませながら「勿体ねえ〜」と言っている。けど、その声色は面白がっているもので。前髪で隠れた目の下はにやついているのだろう。
堪忍袋の尾が、ぶちっと音をたてて切れた。
「…ね」
「は?」
「いっぺん死ね!!」
殺意を大声にこめて叫んだあと、踵を返し、私は全速力で部室を出て行った。もうあんな奴、知らない。大嫌い。いっぺん死ね。思いで人が殺せるのなら、殺している。
私は花宮と赤ちゃんの頃からの付き合いだ。そのせいで。花宮は私にだけ裏の顔を見せてきた。みせんくていい、みせんくていい!私は花宮のことが心底嫌いなのに、クラスの女子から花宮くんと仲良いからって調子乗らないでよねーと校舎裏に呼び出されたこともある。調子のってねーよ!!しかも仲良くもねーよ!!苛められている私を二階から高みの見物をしてニヤニヤ笑っていた花宮の顔は今でも忘れられない。顔面パイしてやろうかと思った。後が怖いからしなかったけど。
なんで付き合っているのかというと、花宮の女避けの為だ。何故かアイツはモテる。バスケ上手いし頭いいし優しいし、ということで。確かにバスケは上手くて頭いいけど優しくはない。そこだけは天に誓って断言できる。ある日、中学の時、お前俺の女なとか訳のわからないことを言われ、抵抗したのだが、私が好きな男子のジャージを履いている写メを綺麗な笑顔で見せつけてきた花宮にどう抵抗しろと言うのか。私は大人しく軍門に下った。
弁当作ってこいと言うから、作ってきたのに。あの仕打ち。もう、本当に嫌だ。
廊下の隅っこで三角座りをして涙ぐみながら、花宮との会話を思い出す。確か、私はこう言った。中学の時は無理矢理にでも私に試合観させに来たのに、高校あがってからそういうのなくなったよね、と。キセキの世代って超強いんでしょ、どれくらい?と、続けて訊いた。
そうしたら、突然、お弁当箱ひっくり返して。
「…意味、わかんない」
ぽつりと小さな声で呟いたあと、「名前ちゃーん」とやる気のない低い声が聞こえてきた。顔を上げると、瀬戸くんがひらひら笑いながら私に手を振っていた。オールバックだから頭がフル回転している時だ。
「花宮に弁当ひっくり返されたんだって?」
こくりと頷くと、瀬戸くんは噴出した。
「その場面見たかったわ〜、超面白そう」
花宮と同じチームというだけあって、性格が悪い。まあ花宮よりはマシだけど。アイツより性格悪い人間がいるのなら人間やめた方がいい。瀬戸くんはポケットに手を突っ込みながら、私の隣に腰をおろした。
「名前ちゃん。アイツのこと、性格悪いって思ってんでしょ」
「うん」
「ぶっ、即答。…けどさ、アイツ、名前ちゃんが思っているより、性格、もーっとぐっちゃぐちゃにぐろいぐらい、悪いよ」
「…え?」
言っている意味がよくわからず、数回瞬きをする。瀬戸くんは空をぼんやりと見つめながら言った。
「アイツって、頭いいじゃん、天才ってレベルでいいじゃん。バスケもさ、途中までそうだったんだよね」
…途中まで?
また、言っている意味がよくわからない。眉を顰める。途中までも何も。アイツ、バスケも天才なんでしょ。無冠のなんとかって呼ばれているって聞いたことあるし。
「性格悪い天才がさ、プライドずったずたにされたら、どうなると思う?」
瀬戸くんは、私に顔を向けた。その瞳に感情は映っていない。口角は上がっているけど、笑っているように思えない。ぞくりと背筋が寒くなった。
「さーてと。引き留めることできたし。じゃーな」
瀬戸くんは立ち上がって、少し茫然としている私の頭の上にぽんと手を置いた。指の先が固い。バスケしているからかな。
「引き留めといたぜー」
「ごくろーさん」
…え。
瀬戸くんが顔を向けた先に、視線を送る。世界一性格悪い高校生が、ケータイを閉じていた。そして、私にちらりと視線を走らせる。苛立ちが瞳に浮かび上がっていた。
「は…!?なんでここが…!」
「お前とはオツムの出来がちげーんだよ。お前みたいな単細胞の行くとこなんかすぐにわかるわ。バーカ」
瀬戸くんと入れ違いになりながら、花宮が私に近寄ってくる。とんとんと頭を人差し指で叩きながら。私の前に、視線を合わせるようにして、しゃがみこんだ。にこっと微笑みかけられる。何の邪気もはらんでいないような、綺麗な微笑みだった。
ぐわしっと、片手で両方の頬を掴まれた。
「このクソブス、何俺に手間かけさせてんだ…?あ゛…?」
綺麗な微笑みのまま、私の頬をぎゅうっと鷲掴みにしてくる花宮。痛い、本気で痛い。顔の形が変形しているのがわかる。
「いだい!いだいいだいいだい!」
「痛くしてるからなァ、仕方ねェなァ」
仕方なくないよ!!と反論したくても、頬を掴まれているのでできない。
花宮は憎々しげに言葉を落としていく。
「どいつもこいつも勝手なことしやがって」
いやアンタが一番勝手なことしているよ。
「キセキ、キセキ、キセキ。口開けばどいつもこいつも、」
なにが、と、いっそう声を低めて、心の底から憎々しげに、吐き捨てた。
「―――なにが、無冠の五将だ」
そう言った花宮の顔は、苦痛と悔しさに満ち溢れていて。十七年間一緒にいて、初めて見る表情だから、目を見開いてしまった。花宮が我に返ったように、はっとした。ちっと舌打ちを鳴らしてから、私の顔から手を離す。
「二度と、くだらねえことほざくんじゃねえぞ。次ほざいたらあの写メツイッターにあげる」
「は…っ!?そ、それだけはご勘弁を…!!」
「じゃあ、大人しくこれからも俺の言うこと聞くんだなァ」
舌をべっと出したあと、ふはっとせせら笑ってくる花宮。いつもの憎たらしい笑顔だ。
私は、花宮はなんでもできると思っていた。事実、なんでもできるだろう。平均以上にできるだろう。
でも、もしかしたら。コイツがどんだけ望んでも手に入れられないものだって、あるのかもしれない。
それを、私は傷つけてしまったのかもしれない。
「…花宮」
「あ?」
なんかごめん、と謝ろうとしてやめた。私、コイツに弁当ひっくり返されたんだった。いくら私が失礼なことを言ったとしても、弁当をひっくり返される筋合いはない。私の失言と弁当ひっくり返し。これで御相子だろう。
「なんもない」
「じゃあ呼ぶなブス死ね」
…これで、御相子だろう。私は無理矢理自分を納得させた。
嘘っ子の冷淡な瞬き