白詛が蔓延して、荒れ果てた江戸で、私は今日も、お団子を作る。お団子の生地を棒で伸ばすのにも疲れて、ふうっと息を吐きながら、手の甲で汗を拭った。五年前は、毎日のように来ていた、茶色い髪の毛のあの人は、今日も来ない。週刊誌や新聞に、サド王子という悪名をつけられ、バッシングされていたあの人は、私の前ではとても穏やかだった。

『やー、やっぱアンタんとこの団子は最高だねィ』

『ふふっ。ありがとう。お仕事はいいの?』

『たまには息抜きも必要でさァ』

『沖田くんは息抜きすぎだよ』

串刺しにしたお団子の最後の一個を飲み込んでから、彼はお茶を啜った。喉がごくりと動いていた。立派な喉仏は可愛い顔には似合わなかった。

『何見てんでィ』

『え』

『いやん、えっち』

『…真顔で棒読み言われても真実味が全然ないよ…』

白い目を向けながらそう言うと、彼は、『ノリが悪い人だ』と肩を竦めた。そして、ぼんやりと、空を見上げる。空色の瞳に綺麗な空が映っているのは、不思議に見えた。彼は。沖田くんは、どこか浮世離れしている。端正な顔立ちがそうさせるのか。飄々とした態度がそうさせるのか、よくわからないけど。

いつ、ここからいなくなるかわからない。鳥のように、どこかへ羽ばたいてしまいそうだ。

「…沖田くん」

「なんでィ」

膝の上で、手を丸めた。私と彼の関係は、団子屋の娘と、お客さん。ただ、それだけだ。『真選組の隊長さん、へえ、十八歳。うちの娘と同じ年なのに、偉いなァ』という、私の父の一言がきっかけで、ぽつぽつと、とりとめのないことを話すようになった。

局長がストーカーなこと。

副長を抹殺したいこと。

部下が変態なこと。

沖田さんの日常は、私の平凡な毎日とは違って、毎日が波乱に満ちていた。話を聞いているだけでも、沖田くんと皆さんのやり取りが面白くて、声に出して笑うと、『何がおかしいんだか』と、沖田くんは、呆れながら、笑った。

今、沖田くんは、どんな顔をしているのだろう。

私はもう、沖田くんに何年も会っていない。どんな姿をしているのかも、わからない。風の便りで、幕府に仇なす存在になってしまったことは知っていた。でも、すっかり崩壊してしまった幕府に、これ以上何を仇なすというのだろう。

真選組の隊長とか。幕府に仇なす存在とか。そんなの、どうでもよかった。

顔が見たい。

声が聞きたい。

どうでもいいことを、また喋りたい。

ぽつり、と雫が生地に落ちて、滲んだ。いけない、と思いつつも、涙の雨が生地を濡らしていく。

「…っ、ひっ、く」

粉塗れの掌なのにも関わらず、手で顔を覆った。粉と、涙と、鼻水で、顔がさぞかし汚くなっていることだろう。

沖田くんが見たら、きっと、

手首をやんわりと掴まれる感触がした。ふわりとのけられて、目を見張る。ゆっくりと顔を上げると、そこには。

「うわー、すっげーブッサイクな面ー」

さらりと揺れた、茶色い長い髪の毛。あどけなさが少なくなって、代わりに精悍さが増した中性的な顔立ち。二つの空色の瞳が、しげしげと私を見ていた。

会いたくてたまらなくなって、私は頭がおかしくなって、幻覚を見ているのだろうか。

「粉と涙と鼻水ですげーことになってんぜィ。いろんなとこ回ってきたけど、ここまでのブサイクは、なかなかお目にかかれねえや」

沖田くんは、真っ赤な着物の袖で、私の顔を乱暴にごしごし拭いていく。

「い、いた、ちょっと、痛いよ」

「おお、良い顔してんなァ」

「サ、サディスト…!」

憎々しげにそう呟くと、さらに強い力で、私の顔をごしごしと拭きはじめた。ふ、普通に痛い…!私はぎゅうっと目を閉じた。すると、沖田くんの動きがとまった。五秒、十秒、十五秒経過しても、何もしてこない。どうしたのかと思って、目を開ける。すると、沖田くんの前髪が、私の額に触れた。次に感じるのは、唇に当たる、冷たくて柔らかい、なにか。

子どもの時、寺子屋の帰り道に吸った、蜜の味がした。

ゆっくりと離されて、ぽかんと口を開ける。

「おー、間抜け面」

沖田くんは、ぽんぽんと、私の頭を弾むようにして撫でた。

「俺、今から近藤さん助けに行ってくっからよ。団子作っとけ。腹減らしてくっからなァ」

「え、あ、うん」

「頼むぜィ」

「え、う、ん」

「あと、これ、あんたも着なせェ。俺は剣心だから、名前ちゃんは薫殿な」

「う…ん…」

「あり、これ抜刀斎だから巴のが…あー、まあいっか」

「うん…」

「じゃあ、またあとでな」

私に背中を向けて、ひらひらと手を振りながら去ろうとする沖田くん。そこで、ようやく、私は、今自分がされたことに気付いて、慌てて沖田くんを引き留めた。

沖田くんの着物の袖を、後ろから、がっと掴む。

「ちょ、ちょっと…!」

沖田くんは、真顔で顔だけ私に向けた。人にキスしておいて「なんでィ」と平然と言うその口が憎らしい。

「ど、どういうこと…!?何にも言わず、どっか行っちゃって、やっと帰ってきたかと思ったら、キ、キスなんてして…!」

ずっと、ずっと待っていた。

沖田くんがいなくなって。友達が、どんどん宇宙へ逃げて。お父さんは白詛で死んで。

寂しかった。不安だった。怖かった。

それなのに、何もなかったかのように帰ってきて。こんな、平然と、キスまでして。意味が分からない。

こうやって、いつも、私ばっかりペースを掻き乱されている。

視界が滲む。瞬きすると、ぽろり、と涙が零れ落ちた。

「…悪かった」

沖田くんが、謝った?

信じられなくて、涙を着物でごしごし拭って、沖田くんを丸い目で見る。沖田くんは、気まずそうな顔をして、頬をぽりぽりと掻いていた。

「近藤さんが、バカやってとっつかまっちまってな。逃がす算段たてるために、誰にも言うわけにはいかなかった。…なんて、」

沖田くんの、細い指が、私の涙を掬った。人差し指の上で、きらりと涙の粒が輝きを放っていた。

「惚れた女、泣かせて言い訳とかダッセェな」

…。

「…え!?」

言われた意味を、時間をかけて認識することができた。突然告白された想いに、ぼんっと熱が頬に集まる。

「愛想尽かされてっかな、って思ったけど。こうやって、泣きながら団子作っているっつーこったァ」

沖田くんは、意地悪くにやりと口角を上げた。

「俺の思い上がりじゃねえっつーこと、だよなァ?」

その笑顔は、五年前から何も変わっていない、あくどいものだった。




君の脳裏に不時着



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