あの日。夜兎の本能に負けたくない、と腕で目を覆いながら泣く彼女は、いつもの彼女と違って見えた。私の知っている彼女は、明るくて元気で食いしん坊で。子供の中の子供だった。でも、あの日の彼女は、子供と言うには大人びていて。白い頬を伝う雫が透明に輝いていて。
どくん、と鳴る心臓。
それは、友人に対する感情にしては、桃色過ぎた。
私は万事屋で働いている。住み込みで。押し入れの向こう側に寝ている神楽のことを思いながら、そっと、押し入れの方向に目を遣る。
…何、見ているの、私。
私は応接室に布団を敷いている。空間的には神楽と一緒に寝ていることになる。同性と寝る方がいいだろう、という銀さんの計らいによって。確かにそうだ。私もそうだと思っていた。いくつも年上の男の人と同じ空間で寝るのは心臓がもたないが、同い年の女の子と同じ空間で寝る事には抵抗を覚えていなかった。あの日まで。
あの日から。私の心臓は常にどきどき鳴りつづいている。
…意味わかんない。
そう思いつつも、押し入れの方向に視線を向けていると。がらっと開かれた。びっくりして、動けないでいると、神楽が私の方にずんずん歩いてきて、そして、私の顔を覗き込んできた。
「やっぱりアル。名前、また寝ていないネ」
綺麗な青色の瞳の中に、顔をほんのり赤くして、目を見開いている私がいた。口をぱくぱくと動かしている。
「ど、どういうこと?」
「最近ずーっと昼間眠そうだったアル!名前が夜眠れなかったのなんて、私にはお見通しネ!」
「か、神楽!?」
「詰めるヨロシ」
神楽は私の布団にもぐりこんできた。私の素足に、神楽の足の指が当たって、どくんと心臓が跳ね上がった。端正な顔立ちがふわりと緩んだ。
「添い寝してあげるヨ」
そう言って、私の後頭部に手を回して髪の毛を梳くようにして撫でてきた。
髪の毛には感覚が通っていないはずなのに。なんでだろう。触れられたところから、熱くなっていく。息ができない。
「せ、狭いよ、神楽」
「たまにはこういうのもいいアル。…名前は私と一緒に寝たくないアルか?」
「そんなことない!」
咄嗟に否定して、はっと我に返ってから恥ずかしくなる。暗い中、神楽と目が合って、へへっと笑われた。
「変にツンデレしちゃダメヨ。女の子は素直が一番ってマミーも言っていたアル」
ぽんぽんと後頭部を優しく弾むように撫でられる。柔らかいほっぺたが、手を伸ばしたらすぐ届く距離にあって、伸ばしてしまいそうな手を、必死の思いで抑える。
神楽は、そんな私を知ってか知らずか、優しく話しかけてきた。
「あの時、助けてくれて、ありがとう」
「…へ?」
目をぱちぱちと瞬かせる。何のことを言っているのかわからない。
「私が自我を失くした時、新八と名前が一緒にとめにきてくれなかったら、今、私はここにいないアル。言ってなかったアルからな。新八にも後で言わないとネ。…なんか癪アルな、新八に言うのは…」
「神楽、違うよ」
「え?」
「私、お礼を言われるようなこと、していない」
あの時、神楽にすがりついたのは
神楽に、どこにも行ってほしくなかったから。
人を殺してしまったら、神楽はもう二度と、“神楽”としては私の前に現れないだろう、と思った。
どこにも行ってほしくないという、私のエゴで神楽をとめた。
優しさでもなんでもない。ただの、エゴでとめた。
それなのに。そんな綺麗な心持ちでお礼なんてされたら。
「…っ」
罪悪感で、涙が出てくる。
「え、名前…!?なんで泣いているネ!?」
声を出そうとしたら、気持ちも漏れそうになったから、慌てて呑みこむ。“気にしないで”という意味合いを含めて、頭をぶんぶん振る。
「…仕方ないネ」
神楽はそう呟くと、ふわりと抱き着いてきた。神楽の匂いが鼻孔をくすぐる。
「名前は泣き虫ネ。私のがおねーさんだから、あやしてやるヨ」
そう言って、ぽんぽんと私の背中を撫でてくる掌は、小さくて暖かかった。この小さな掌で、あんな男の人と互角に渡り合ったんだ。
…すごいなあ。
すごい、本当に。
「…神楽」
「んー?」
「抱きしめ返しても、いい?」
「おう!どんとこいアル!」
私は神楽を抱きしめた。華奢な背中に腕を回す。あったかい体だ。肩のあたりに頬を擦りつける。
「名前はなんか今日甘えん坊さんネ」
神楽の嬉しそうな声が聞こえてきた。そう、私は甘えん坊だ。だから、“友達”としてこういうことができる。
最近、ずっと男だったら良かったのに。って思っていたけれど。
「…こういうことができるなら、女の子でもいいかもね」
「? 何アルか」
「別に〜」
そう言って、神楽の頬に頬ずりする。気持ちよさそうに神楽が目を細めた。女の子特有の甘い匂い。柔らかな体。私と似ているものなのに。抱きしめたいと、抱きしめられたいと、思っちゃって、ごめんね。
「かーぐら」
「なーあーにー」
「だーいすき」
「へへっ、私もアル!」
きみとは違うラブソング