体がだるい。頭は霧がかかったようにモヤモヤしている。鼻が詰まっていて呼吸しにくい。だるいなあと思っていたけど、まさかここまでとは…。真選組のバイトに行く日だったのに…。休んでしまった…。
いつもは銀ちゃんが寝ている部屋に、今日は布団をひかせてもらっている。代わりに銀ちゃんは、いつもわたしが寝ている居間兼応接室で寝ている。まあ、今は昼間なので。
「神楽ちゃん!おかゆ全部食べちゃダメじゃないか!」
「味見アル」
「全部食べたら味見も糞もないでしょーが!!」
「っべーな、金本気でねーわ。うっし、パチンコで稼いでくっか」
「この駄目な大人見本例がァァァァァ!!」
ああ…新八くん一人でツッコミをやっている…。わたしの看病プラス一人ツッコミ…重労働だろうなあ…。わたしも熱が下がったら、ツッコミ手伝うから、それまで…って、あーもう、鼻がーすぐ鼻水詰まる!
苛々したわたしは布団のすぐそばにおいてあるティッシュの箱を掴んで棒状にした。そしてをれを牛の鼻の輪のようにして、鼻の穴につっこむ。うら若き乙女がして良い姿ではないことは重々承知だ。まあ、でも。今この部屋にはわたししかいないし、大丈夫大丈夫。
そう思いながら寝返りを打った時だった。
ガヤガヤと居間の方でなにやら騒いでいる。珍しい人ですねえ、という新八くんの声。ヒューッ、優しい〜と冷やかしている銀ちゃんの声。何しにきやがったサド野郎ー!と喚いている神楽ちゃんの声。
…サド野郎…?
わたしががばっと身を起こしたのと、襖が開かれた瞬間はいっしょだった。
わたしを真顔で見下ろしている総悟くんがいて。そして。わたしは総悟くんをぽかんと口を開けながら見上げていた。
鼻にティッシュを詰めた状態で。
総悟くんの顔が、歪んだ。
「ぶわーっひゃっひゃっひゃっ!!」
総悟くんの背中によって、わたしの醜態が見えない銀ちゃん達は何で総悟くんが大笑いしているのかわからないようだった。
…なんでまだ見えていい人には見えなくて。絶対に見えてほしくない人には見えてしまうのか。
神様って、わたしのこと、嫌いなんデスカ?
総悟くんはくつくつと喉を鳴らしながら笑っていた。
「あっれは、ねえわ、クッ。やっべ、なんであれすぐ撮らなかったんだ俺」
「…撮らないでいいんだよ…」
「いや、あんな間抜け面、笑顔動画にでも上げないと気が済まねェ。もっかいやれよ」
「ぬお、おおおお!?」
総悟くんがわたしの鼻の穴に棒状にしたティッシュを突っ込もうとしたので、わたしは枕に突っ伏して攻撃を防ぐ。ノリ悪ィ女、と総悟くんがつまらなさそうに呟いた。
「…総悟くん」
「なんでィ」
「忘れてくださらないでしょうか」
「無理」
きっぱりとにべもなく断られた。
「あんな面白ェもん、忘れられるわけねェだろ」
そう言って、また噴出す総悟くん。わたしは枕を涙で濡らした。そうだった。この超ド級のSは、人が嫌がることが大好きだったんだ…。わかっていたけど、知っていたけど…ウッウッ。
枕に顔を埋めながら肩を震わせて泣いていると、総悟くんが「なんか読んでやらァ」と言って、ビニール袋らしきものから何かを出す音をたてた。顔を横に向けて、総悟くんを見ると、絶対に寝られない本当にあった怖い話というタイトルの本を取り出していた。
目と目がばちっと合った。
「お前、こういうの好きだろィ?」
ニタァッと意地悪く笑いかけられた。
幼いころから、少女漫画が好きだったわたしは、彼氏がお見舞いに来るというシチュエーションにものすごく夢を抱いていた。
『ケホッケホッ』
『おい』
『う、ん。大丈夫、気にしないで』
『大丈夫じゃねーだろ、どう見ても。…こういう時くらい、彼氏を頼れよ』
『…うん、ありがとう。じゃあ…私が寝るまで、手を繋いでもらってても、いい?』
『そんなんで、いいのかよ』
『うん』
『…お手軽な奴』
そう言って、私の掌を包んでくれる海斗の掌は暖かくて、ちょっと湿っていた―――…。
そんなことが、いつかわたしの身に起こるのだと、思っていたのに。
「うお、この挿絵なかなか迫力あんなァ、ほら、見てみろィ」
「ギャアアアアアアッ!!ゲホッ、ゴホッ」
「うわーすげーブッサイクな面〜」
わたしが身動きをとれないのをいいことに、怖い挿絵を見せつけてきたり、耳元でスプラッタありのホラーを語りかけてきたり、なんなのこれ。お見舞い?嫌がらせの間違いじゃない?
「おいコラ総一郎くん。好きな子苛めもほどほどにな。そいつ一応病人だからよ。ギャアギャア喚かせんな。なによりうっせえ」
襖が開けられて、銀ちゃんがひょいっと顔を覗かせた。わたしを労わっているのか労わっていないのかよくわからない発言だ。
「んなつまんねーもんじゃねーよ、旦那。純然たる嫌がらせでさァ」
総悟くんはわたしの頬を人差し指でぐりぐりと押しながら言う。いだいんですけどお、地味にいだいんですけどお。銀ちゃんに目で助けを求める。銀ちゃんは面倒くさそうにふうっと息を吐いてから口を開いた。その時。
「銀さーん、結野アナが出てますよー」
「マジでかァァァ!!」
あっという間に、姿を消した。もう銀ちゃんなんて、銀ちゃんなんて…!
「てめー松平のとっつあんに将棋教えてもらったから、今日俺にも教えるってどや顔で言ってきただろィ」
「ど、どや顔って。総悟くんもやらない?って訊いただけだよ、わたし」
「どや顔はどや顔でィ」
ぐりぐり、と、わたしの頬を押す人差し指は動きをやめない。
「なのに、なんで休んでんだよ」
ぐりぐり、ぐりぐり。
「ヒマだろーが。どーしてくれんだ」
人差し指がぐりぐりとわたしの頬を押すのをやめて、とまった。蘇芳色の瞳が拗ねたようにわたしを見ている。
…ほんっと、我が儘だなあ、この人は
「…治ったら、教えさせてくれる?」
熱でしんどいけど、自然と笑顔を浮かべることができた。総悟くんはじいっと真顔でわたしを見たあと、ぷいと顔をそらした。そして、ごそごそとビニール袋を漁りだす。出てきたのは、可愛い羊のぬいぐるみ。
「わあ、かわい―――もごもごもごっ」
「キスしたら熱が移るって言うだろィ、これにでもしとけ」
「もごもごもご〜っ」
く、く、苦しい!生地の味がする…!死ぬ…!
ストップという意味合いをこめて総悟くんの腕をつかむと、ぬいぐるみが口から離された。涙目になったことで視界が曇る。わたしはハアハアと肩で息をして、呼吸を整えようとした。総悟くんはまた、真顔でわたしを見た後、視線をぬいぐるみに映す。そして、もう一度わたしを見た。
「ちょ、いま、の、は…!」
「やっぱ、今の、ナシで」
「…へ、もごっ」
唇を塞がれた瞬間、色気のない声が漏れた。総悟くんにキスされているのだとわかった瞬間、熱ではない熱さが顔に集まる。わたしは今鼻が詰まっているので、鼻で呼吸ができない。それなのに、今、口すらふさがれたら、もう。
あれ〜、あそこに綺麗なお花畑が〜あれれ〜。あ、おばあちゃん久しぶり〜!
綺麗なお花畑と川が見えまして。
総悟くんが唇を離したころには、わたしは酸欠状態で気絶していた。だから、知らない。
僅かな苛立ちを宿した瞳をぬいぐるみに向けた後、そっとわたしの横にそれを置いた総悟くんのことを。
それから。
男の子が買うには恥ずかしい、わたしの大好きな少女漫画や女の子でひしめくケーキ屋さん限定のプリンを、わたしの枕元に置いた総悟くんのことを。
世界一不器用な伝え方