「ヤりたい…」

机に顔を突っ伏したまま、地を這うような低い声であられもない願望を吐いた。ものすごく実感がこもっていることだろう。だがしかし、そんな私に構わずさらさらと羽ペンが羊皮紙の上をすべっていく音が流れていく。何の反応も返してくれないことが少し腹立たしくて私は顔を上げて隣にいる人物に唇を尖らせて不平の声をあげた。

「ちょっとー、何か返してくださいよジャーファルく〜ん」

「今忙しいのであなたに構っている暇はありません」

私にちらりと視線を寄越すこともなく、ジャーファルくんはどこぞの国の言葉が書かれた本と羊皮紙を交互に見てさらさらと羽ペンを躍らせていく。綺麗な字であることが私の目には小憎たらしく映った。

「ジャーファルくんって学校行ってないのに頭すっごく良いよね。なんでえ?私行ったのにこんなに馬鹿なんだけど」

「持って生まれた頭脳の差もあるでしょうが、あなたの場合勉学に対する努力もしなかったでしょう。その結果、今のあなたになった。当然の結果です」

間延びした口調で話す私と、ジャーファルくんはきびきびした口調で話す。だらんと机に突っ伏している私と背筋を伸ばした綺麗な姿勢のジャーファルくん。何もかも対照的だ。

前から気に食わなかった。なんでもかんでもできて、私と同い年なのに私より地位が上で、私が敬語遣ってへりくだって。いやへりくだるほどへりくだってはいないけど。私だってもうちょっとシンに会うのが早かったら、今頃私がシンの隣に立てていたのに。

なにもかも私より上だ、と憎々しげに見ていた時。

あれ、でも。
ジャーファルくんって、女の人と話しているの…ほとんど、なくない?

話すとしたら、ヤムライハかピスティかそれか仕事の相手が女性だった時か…。

え、ちょっと、もしかして。

ジャーファルくんも…モテない?

にんまりと私の顔に下品な笑みが広がっていく。

「ねえ〜完全無欠のジャーファルくんってさ〜もしかしてアッチの方だけ完全無欠じゃなかったりする〜?」

頭の良いジャーファルくんは“アッチの方”という言葉だけで何もかも察知したようだ。羽ペンの動きがとまる。汚物を見るような視線を私に投げかける。

「ねえねえ、もしかしてまだ童貞?やだ〜、もうそろそろ魔法使いになっちゃうよ〜?あ、そしたらヤムライハと同じだね!あははっ」

お腹を抱えながら、けらけらと笑い声をあげる。ジャーファルくんより優位にたてることをひとつ知ってしまったことが愉快でたまらない。

だが、しかし。

私の笑い声は突然やめさせられた。

「では、教えてくださりませんか?」

血の底から聞こえるような低い声で。

私の笑い声は「へ」という間抜けな物に変わる。

ジャーファルくんは、とても綺麗に笑っていた。だが、薄く開けられた瞳は笑っていない。

「ジャ、ジャーファル、く〜ん」

「はい」

「お、落ち着いて?」

「私は落ち着いていますよ。とても」

そう言って、ジャーファルくんは私の手首を掴んだ。引き寄せられて顎をぐいっと持ち上げられる。え、ちょっ、は?

「ちょちょちょ、まっ!」

「待ちません」

筋の通った鼻の上に散らばっているそばかすがひとつひとつよく見える。男の肌とは思えないほど白い肌が目と鼻の先にある。生娘というわけでもないのに、私の心臓は初めて男にキスをされた時よりも心臓がはやく波打っていた。性からほど遠い位置にいると思っていたジャーファルが“男”としての魅力を放っている。鳥肌が立つほどのものを。

ああ、もう。

いいかもしれない。

そっと目を伏せて流れのままに身を流した時だった。ぷっと噴出す音が聞こえた。目を開けると、俯きながらくつくつと喉を鳴らしているジャーファルがいて、私はすべて悟った。

「ジャーファルくん〜!か、からかったのね!?」

「く…っ、あんな、あっさり引っかかるなんて…っ、くく…っ。場数踏んでいるんじゃないんですか?」

ジャーファルくんは目尻の涙を人差し指で払いながら意地悪く問いかける。うっと声が詰まる。場数は踏んでいる。踏んでいるのだ。たくさんの男の人と付き合った。キスもした。それ以上のことだってした。なのに。

「意外と、可愛らしいところもあるんですね」

口の端を上げて、不遜に笑うジャーファルくん。生意気だと切り捨てられないのはどうしてなのだろう。

「ジャ、ジャ、ジャーファルくんの…!」


両手を丸めてわなわなと震えている私を、余裕たっぷりの笑みを浮かべながら「なんですか?」と見つめるジャーファルくん。ゆるりと愉しげに細められた瞳が私を捉えて離さなくて。

言葉が詰まってうまく言えない。開きかけた口を閉じて、キッと睨みつけると、ジャーファルくんはクスッと笑ってから、もう一度仕事に戻った。まるで、何もなかったかのように。

得意方面でも負ける、とか。

「…ジャーファルくんには叶いません…」

机に突っ伏して、私は心底悔しそうに、そう呟かざるを得なかった。




フィーリングトゥユーを葬って


「…案外、そうでもないかもしれませんよ?」

「え」

「いいえ、なんにも?」





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