スッパーン、と勢いよく襖を開けると、ぎょっと目を見張っている女、苗字名前があぶらあげを食っているところだった。

「おきたひゃん…?」

食べながら喋るという行儀の悪いことをしている。聞き取りづらいが俺の名前を呼んでいることだけはかろうじてわかった。

「あと一分」

「ひゃい?」

「あと一分でたいらげろ」

「は…?」

「はい、よーいどん」

「はいいいいいい!?」

いーち、にーい、と数えていくと苗字は慌てて残りの汁をすすりだした。

「ごじゅーろーく」

「ぷっはー!!はあ…っ、はあ…っ」

五十七秒に到達する目前で、苗字はすべてたいらげた。慌てて食べたのでお世辞にも綺麗な食べ方とは言えず、顎から汁が滴っている。

「きったねーなお前」

「誰がそういう風に食べさせたんですか…!」

「あ゛?」

「すんまっせん、本当にすんまっせん、わたしのせいですこの世の災厄の元凶はすべてわたくしのせいです」

少しドスを効かせてやったら、このざまだ。本当によくこんな女が万事屋やれているな。肝心な時には強いってことか?

弱かったり、強かったり、よくわかんねえ女。

「おら、いくぜィ」

「えっ、どこに…ですか?」

「しらねえ。てめーが知ってる」

「はい?」

「今の言い方腹立った」

「ごめんなさいィィィ!!ごめんなさいィィィ!!謝るから!!謝るから刀を喉元に突き付けないでええええ!!」

今にも失禁しそうなくらい怯えるので、刀を鞘に戻す。恐怖で震えあがる苗字に、腕を組みながら訊いた。

「俺とお前、いつもどこでミントンしてたんでィ」

結構、そこそこに屈辱的なことを。

「…え?」

少し静寂が流れて、苗字の口から間抜けな声が漏れた。つべこべ言わず答えろと刀を抜こうとすると、苗字の顔が目に入った。

ぽかんと口を開けていた状態から、しだいに、目を見開かせて、唇を噛んで、頬を紅潮させている。

「…なんでィ、その、へんてこな顔」

「えっ!?えっと!嬉しくて…!へへっ、またそ…沖田さんとミントンできるんだなあって思うと、嬉しくて!」

目を細めて嬉しそうに笑い声をたてている苗字を見ていると、なんだか胸のあたりに違和感を覚えた。

…変なモン食ったっけ。いや、変なモン食ったら、くるのは腹か。
なんか、コイツといると変な気分になる。

「俺だけお前に関する記憶がねえってのも、変な話だろィ。お前だけ俺のこと知ってんのも気持ち悪ィ。てっとり早く記憶を取り戻すにはこれが一番だって思っただけだ」

「えっ、記憶…取り戻す気あるんですか!?」

「…気色わりィだけだって言ってんだろィ」

「そうなんだあ…」

ふと外れた敬語。前、こいつは俺に対してこういう喋り方をしていたのだろうか。同い年の男と女としての、普通の喋り方を。

「じゃあ、いきましょうか!こちらです!」

苗字は俺の横を通り過ぎて、襖の近くに発つ。顔を綻ばせて、俺を呼ぶさまは、またしても俺の胸に変な衝撃を与えたのだが、敬語がまどろっこしく感じた。



記憶はもとに戻らないものの、俺は苗字のことを少しずつ知っていった。故郷に父親を置いて出稼ぎにきていること。特技はミントンと料理ということ。真選組には短期バイトのつもりが、いつの間にか普通のバイトになっていること。

時々、“今”の俺が知らないことに出くわすと。

「あ、そうか。これ、今は知らないんだった」と言ってから「すみません」と申し訳なさそうに謝るその行動が。

「いだいいいだいいだいいだいィィィ!!」

ものすごく腹が立った。

「なにするんですかああああ」

「顔引っ張った。腹立ったから。以上」

むしゃくしゃする気持ちは晴れない。
“今の俺”と“昔の俺”を比べられているようで気に食わない。

記憶を取り戻してほしいのも、“前の俺”に戻ってほしいからであって。それはつまり、“今の俺”では嫌だということ。

コイツのことを知っていくたびに、“昔の俺”との思い出も少しずつ知っていって、その度に苛立ちが湧いて仕方なかった。


「沖田さん?」

名前を呼ばれたことでハッと我に返った。伺うように俺を見上げている苗字に「なんでもねえ」とぶっきらぼうに返す。

今日の仕事は山積みだったらしく、いつもの三倍時間がかかったらしい。暗くて危ないので、俺は今苗字を万事屋まで送っていっている真っ只中。

「昔もね、こういうこと何回かあったんですよ」

「へえ」

また“昔の俺”の話か。ちっと舌打ちを鳴らしたい衝動を抑える。

「帰ってると妙ちゃんと鉢合わせして、妙ちゃんが遊園地のチケット二枚くれて…懐かしいなあ」

その記憶は俺の中にはない。

「沖田さんが回らないメリーゴーランドに乗りたいって言って、」

「その話、今どうしてもしなきゃなんねえことか?」

こらえきれず、言葉が出てきた。予想以上に冷たい声で、自分でも驚いた。気づいた時にはもう遅い。苗字は吃驚したように俺を見上げていた。徐々に、表情が動揺から悲しみに変わっていく。

「そ、そうですよね。すみません」

たどたどしく謝られる。泣きながら喚かれるようにし謝られるよりも堪えた。

…前の俺なら、もっと、うまくやれていたのだろうか。

そう思っていると。

俺は動きをとめた。突然静止した俺に「沖田さん…?」と動揺する苗字は無視する。

今は構ってやる余裕はねえ。

「うおらああああああああ!!」

野太い怒声を上げながら、浪士が斬りかかってきた。素早く刀を引き抜いて相手の刀を受け流してから攻撃に転じて、斬り捨てる。

浪士の体が倒れて、苗字が「ひっ」と声を小さく上げた。

「俺の背の後ろに隠れろ」

苗字が蚊の鳴くような声を震わせながら「はい」と答える。

殺気の気配から察すると、あと二三人ってところか。

予感は当たっていた。実戦経験のたまものってか。一人、二人、三人、相手の急所を的確に射抜いていく。
最後の一人を斬り伏せた時、振り向くと、苗字が壁に背をもたれるようにして、ぺたりと座り込んでいた。

「終わったぜ」

そう声をかけても、目を見張らせて、ぷるぷると震えているばかり。力が抜けて立てないのだろうか。手を差し伸べようとする。が、そこで、俺の掌がべったりと血にまみれていることに気付いた。

真っ赤に染まった掌と、苗字の顔を交互に見て、ようやく合点がいった。

ああ、そうか。
怯えられてんのか。

苗字の顔は恐怖で引きつっていた。目の前で殺し合いが繰り広げられていたんだ。旦那はメガネやチャイナの前では語句力血なまぐさい戦闘はしないようにしている。今の俺は、返り血で隊服がべったりと赤く染まっていて、血と油の匂いがしていて。苗字から、花のような香りがした。コイツが使っている石鹸の匂いだろうか。苗字の体臭と混じっている。

旦那に電話して、コイツを迎えに来てもらうか。

伸ばした手をひっこめようとした時、掌に柔らかくて暖かい感触がした。見ると、苗字が俺の掌を掴んでいた。俺の掌を掴んで、「よっこいしょ…」と呟きながら立ち上がる。ババアかお前は。

ふうっと深呼吸してから、俺を見上げる。強張った顔を、無理矢理笑顔にして、苗字は口を開いた。

「助けてくれてありがとう、ございます」

自分の目が見張っていくのがわかった。

苗字の掌に目を遣ると、苗字の掌までもが赤く染まっていた。

「お前の手、赤くなってんぞ」

「…え、ひっ!」

苗字は自分の手をまじまじと見つめた後、人の血が自分に付着していることの恐ろしさにようやく気付き、悲鳴を上げる。頑張って作っていた笑顔はすっかり恐怖に塗り替えられている。その様を見ながら、俺は口を開いた。

「なんでお前俺と付き合ってたんでィ」

苗字はかなりビビリな普通の女だ。普通の男と付き合っていたら、こんなことに巻き込まれることはまずなかっただろう。俺は別段、女に優しいというわけではない。記憶を失う前の俺だってそうだろう。俺と一緒にいることで、こんな風についでに命を狙われることだってある危険性だってある。俺も俺だ。なんで、苗字と付き合っていたんだ。どうせ俺のことだ。無駄に傷つけて、普通の女が普通に望むこともしてやれなかったのだろう。記憶を失ったのは、神様ってやつからの啓示なのかもしれない。

解放してやれ、という。

苗字は目を丸くしている。

「なんで、って言われても…」

うーん、と小首を傾げてから、言った。

「…なんでなんだろう…?」

ずっこけそうになった。わかってねえのかよ。

「…告ったの、どっちからだ」

「えーっと…一応、沖田さん…?」

「一応ってなんでィ」

「いや、沖田さん、わたしが沖田さんのこと好きなの知ってたし…。でも知ってるくせに私にも言わせようとしてきて…」

なんつーか、すっげえ俺らしい。

記憶を失う前の俺も底意地悪い性格だったらしい。なおさら、なんでコイツが俺のこと好きなのかわからなくなる。

「…好きだから、ですねえ。やっぱり。好きだから、付き合えた時泣いちゃうくらい、嬉しかった」

目を細めてゆるりと微笑む苗字を見ると、心臓がどくんとゆるやかに動く。す、と視線を苗字から少しだけずらす。

「…でも、俺とだったら、こういう目にあうし、危険だろィ。デメリットのがでけェ」

「ああ、はい。以前にもこういうことありました」

「…は?」

間抜けそのものの声が漏れた。あんぐりと開いた口がふさがらない。

は?この女、ビビリのくせに、今の戦いだって、かたかた震えていたくせに、前にもこんな目にあって、それでも俺と付き合っていた?

「お前史上最大の馬鹿だろィ」

「へっ!?」

「馬鹿だ。大馬鹿だ。目ェみえてんのか?おかしいだろィ、なんで、それでも、俺と付き合うとか。普通の奴がこんな危険な奴の傍にいたいとか思う訳ねェよ」

苗字を責めるようにまくし立てる。目の前にいるこの女が全く理解できない。頭が湧いているのとしか思えない。

苗字は黙って俺の言葉を聞いていた。詰問口調で問いただす俺に少し怯えているのか、えっと、その、と言葉を詰まらせながら口を開く。目線はきょろきょろしていて忙しない。紡がれた言葉は小さくてよく聞こえなかった。聞こえなくて怪訝な顔をしているのがわかったのだろう。苗字は視線を上げて、俺を見た。

「それでも、わたし、怖くたって、総悟くんと一緒がいいの」

真っ直ぐに。

「前も、こういうことがあって、あの時わたし、人を斬っていく総悟くんが怖くて仕方なかった。だから、最低な態度とっちゃって、総悟く…沖田さんを傷つけて、もう二度と仲良くしてくれないかもっていう時、本当に怖かった。人を斬り殺していく沖田さんよりも、沖田さんと二度と仲良くできないっていうことが世界で一番怖かった、んです」

苗字は巾着からハンカチを取り出して、俺の頬についている返り血を拭った。まっしろなハンカチが泥と血と油で汚れていく。

「沖田さんの傍にいることが世界で一番幸せに思えて、沖田さんの傍にいられないことが世界で一番怖いことに思える。だから、沖田さんと付き合っていたんですよ」

過去形で言う時、悲しそうに笑った。苗字のハンカチは汚れていた。

危険な目にあわせるかもしれない。

幸せにできる保障なんてない。

それでも、傍にいてくれって、俺は。

頭の奥でなにかが目を覚ました。衝撃が重くて、額に手を遣る。やべえ、これ。

「…ちょっくら、体頼むわ」

「へ…?わ!!」

俺はそのまま苗字の体に倒れ込んだ。
















目が覚めると、真っ白な天井がひろがっていた。

「お…起きたぞォォォォ!総悟が起きたぞォォォォ!沖田だけに!!」

近藤さんマジでオヤジ臭くなったな。ぼんやりとする頭でそう思う。目当ての面を探すが、先に見つかったのはこの世で最も嫌いなやつの顔だった。

「…腑抜けた面が、もとに戻ったな」

にやっと口角を上げてふてぶてしく笑う土方さん。顔面にバズーカぶち込みたい。今すぐに。元に戻ったら覚えてろよ。

「あいつは」

喉がからからに渇いていて、うまく声を発することができない。この分だと丸一日以上は寝ていたな。

あいつ。俺の傍にいることで、余計危険な目に遭わすかもしれない。俺のせいで傷つけるかもしれない。守る術なんてろくに知らない俺が、守り通せるかわからねェけど、なにがなんでも守り通すから、傍にいてくれって、むちゃくちゃな理屈を押し通して懇願した人物。

「てめえの右」

右?

顔を右に向けると、右のベッドで苗字はすやすやと寝息をたてながら寝ていた。

「てめえのこと丸三日、ほぼ一睡もしないで見ていて、さっき電池が切れたようにねちまってな。間の悪い奴」

っとにな。手の届く距離にいないことがもどかしい。頬を顔の原型とどめなくなるぐらいつねってやりたい。

「名前くーん、隊長起きたよー」

ザキが名前を起こそうと声をかける。

「ザキ、いい。寝かせといてやれ」

「…え、あんた誰ですか。え。人格まで消失したんですか。なにその優しい発言。だれですか…!?」

「せ…せんせええええええ!総悟が、とうとう人格まで消えちまったァァァ」

「せんせえええええ!!」

ザキと近藤さんが二人そろって大声をあげながら病室からダッシュで出ていく。近藤さんはともかく、ザキ、殺す。

「っとに、てめーらしくねえな」

土方さんが笑う。あざ笑うかのようなこの笑いは日ごろの恨みもこめているのだろう。殺すリスト筆頭は土方で。レッツパーリィ。

しょうがねえだろ、男ってのは。惚れた女の前では中二に戻るんだからよ。

誰にも聞こえないように、口の中で名前と呟いた。

すると、名前の瞼が徐々に開いていった。んが…っと開いた口から涎が垂れている。

わりーな、神様。俺、性格わりいから。

この間抜け面だけは、糞垂らそうが、記憶をなくそうが、絶対に手放せねェ。

絶対に取り戻しにくっからよ。







まだ忘れ物がのこっているよ



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