臆病者の恋愛歌 | ナノ


お願いします、沖田さんを殺さないで。

今にも消えてしまいそうな掠れ声は氷柱のように鋭く尖って、俺の心臓に抉りこんだ。

謹慎を言い渡されやることのない俺は自室で寝転がっていた。

ひんやりとした空気が肌を纏うが、日差しの暖かさは春をにおわせるもので、冬と春の境目といったところだろうか。心地よい日差しに身を委ね、アイマスクを瞼に擦りおろしてあともうすぐで眠りにつくだろう、そんな俺の安眠は妨げられた。

耳に飛び込んでくる爆発音。面倒くせえのが着やがった。億劫な気分に沈む。俺は鈍い動きでアイマスクを額に上げた。

襖は破壊され、下敷きになっていた。

「殴らせろヨ」

眉をこれでもか、というくらい釣り上げたチャイナによって。

俺はうんざりだ、という感情をこめてわざとらしくでかくため息をついた。

「俺ァ、今苛々してんだよ。いいぜ、相手してやらァ」

はっと小馬鹿にした笑いをチャイナに向け、それが、戦いの合図になった。








突入する直前、ドアに押し付けていた耳は確かに山川の声を捕えた。

沖田さんを殺さないで、という、あいつの泣きながらの懇願を。

文字通り頭が真っ白になった。そして次に“バカじゃねえのかと山川の神経を疑った。

人の心配なんかしている暇じゃねえだろ。お前はビビリなんだから大人しく自分の心配だけしろィ。っつーか俺がやすやすと殺されるようなタマじゃねえのはお前もよく知ってんだろうが。

なんで。

俺の心配なんかしてんだよ。


『…隊長っ、隊長っ』

神山の俺を呼ぶ声で意識が戻る。

『もう突入する準備は整っているっすよ、隊長。出口は封鎖したと副長からっす』

『わりィ。…じゃ、行くぞ』

ドアをバンッと開くと、山川と目があった。

すると。

山川はふっと笑った。

俺の顔を見て、嬉しそうに、ほっとしたように。

『…随分信頼されているんだなァ、沖田隊長』

くっくっと喉を鳴らす声。そうしているのはこの騒ぎを起こした張本人、橋本直助だった。過激派攘夷志士の一人で、俺たちにとっての要注意人物の一人。高杉とも繋がっているらしく見つけたら殺さず、捕縛しろ。と前々から命を受けていた。だが、そんなこと、今はどうでもよかった。攘夷志士だとか高杉だとか、そんなの頭に入ってこなかった。

この男は、山川を攫って、苦しめた人間。それ以上でもそれ以下でもなかった。


『そいつから離れろ』

今すぐにでも抜刀できるように刀に手を携える。

『そいつに、なんかしてねえだろうな?』

ちら、っと山川を見る。手錠されてはずそうとしたのだろうか、摩擦で手首に赤い傷が刻まれている。

『ああ、ヤったよ』

その言葉を認識するのには時間を要した。

『初めてだったらしくて痛い痛いって泣き叫んで大変だったんだぜ?』

ケタケタとせせら笑う声が部屋に響き渡る。

刀に携える手が震える。

怒り、憎悪、憎しみ、というのだろうか。とりあえずその時の俺の頭の中にあったのは、

殺してやる

その感情だけが、俺の中にあった。

『俺を殺したいっつー顔してんな。…奇遇だな』

橋本は山川から離れ、立ち上がり、抜刀した。


『俺もお前さんを殺したくて仕方ねえんだよ』


そこからは刃物と刃物がぶつかり合う音が響いて、あと一歩のところであいつが殺せるというところで、神山やほかの部下に取り押さえられた。初めてだった。戦いの中でここまでの殺意が湧いたのは。何人も人を殺してきた俺だが、憎しみを剣にのせて戦ってきた訳ではなかった。大義の下に、なんて言えば聞こえはいいが実際は近藤さんへの忠義のため。別段斬り殺す奴に憎しみなんて持っていなかったが、俺達、近藤さんに刃向うなら、仕方ねえな。あばよ。という感じで殺してきた。捕縛する必要のある奴は殺さず、ちゃんと自分の立場をわきまえて捕縛してきた。

それが、今回、俺は近藤さんへの忠義心だとか自分の立場だとかは頭から抜け出て、“憎しみ”だけで剣を振るった。

橋本も数人がかりで取り押さえられ、手錠をはめられ拘束されていた。それでも俺に対して殺意を籠った眼差しで睨みつけることだけはやめなかった。

そして、嘲笑いながら、まくし立てた。

『バァーカ、嘘だよ。ヤッてなんかねえよ。でもな、それはたまたまだ。もしあのお嬢ちゃんを攫ったのが俺じゃなかったら輪姦された挙句殺されていたかもしんねえぞ?これからあのお嬢ちゃんはお前の傍にいる限り、その危険に晒されるんだよ。なのに、沖田さんを殺さないで、だってよ。健気だねえ。危険な目に遭わせた張本人の命乞いをするなんてよ。お前みたいな、人殺しの命乞いをよ。今回のことでわかっただろ?お前は、人を殺すことはできても、』



守ることなんて、できやしねえんだよ。



げらげらと笑いながら、橋本はパトカーに連行されていった。


『沖田隊ちょ『うるせえ』

神山が心配して俺に声をかける。うざかった。うるさかった。煩わしかった。何もかも。


屯所に戻り、やりすぎだ、頭を冷やせと土方さんに謹慎を言い渡されたあとに山川の仕事部屋の前を通りかかった。

山川がいないだけでぽっかりと穴があいたような気がする。

柔らかい目元、俺を呼ぶ声、髪の毛を耳にかける仕草、

全部全部、俺が、この手で、守りたいと守ってみせると誓ったのに。

『守ることなんて、できやしねえんだよ』

人は本当のことを言われると、腹を立てるらしい。

その通りだな、と俺は、小さく笑った。










「ホワチャアアアアアアアア!!」

チャイナの拳が俺の頬を掠った。あっぶねえ。もう少しで激突することだった。

「どうしたアルか。動きがいつもより鈍いアル。あれアルか?小春に会ってないから元気が出ないアルか?」

はっとチャイナは鼻で笑う。

「その名前を俺の前で出すんじゃねえ」

「はっ、何回でも言ってやるアル。小春小春小春」

「黙れっつってんだろィ」

唸るような声を腹の底から出し、蹴りをチャイナに向ける。今かつてないほどチャイナが憎らしかった。が、チャイナはひらりと飛んで躱す。俺とチャイナに一定の距離がでた。お互い攻撃する体制を崩さないまま、言葉を交わす。

「何も知らねえくせにしゃりしゃり出てきやがって。ガキはすっこんどけ」

「ああそうアル。私は何も知らないアル。お前がヘマやらかして不貞腐れてることと、」

「どうやら本気でぶっ殺されてえ、」

「小春が泣いてることしか知らないアル」



「私は小春が泣いてるところなんか数えきれないほど見てきたアル。あの子はすぐ泣くネ。けど、あんなに、心が押しつぶされたような泣き声初めて聞いたアル。…お前のせいで泣いてたアル。何した、小春に」

チャイナは怒りを帯びた目で俺を射抜いた。

「…目障りだから近づくなっつったんだよ。いいじゃねえか。これでアイツは俺の傍にこなくなって危険な目に遭うこともなくなる。お前らにとっても万々歳だろィ?」

俺じゃ、守れなかったしな。

最後にそう付け加えて、はっと小馬鹿にして笑う。

チャイナは目を見開き、ぷるぷる震えたかと思うと俺に向かって突進してきた。連続で蹴りを出してくる。ひとつひとつ躱したが、ひとつ躱しきれなくてまともに食らって、俺は木に吹っ飛ばされた。

だんっと背中に衝撃が響く。チャイナは俺に跨って顔面を殴ろうとしてきた、が。俺は危機一髪で拳を受け止める。重い。チャイナの拳は今までで一番重かった。

「このヘタレが!!何小春のためにやってるみたいなこと平気な面して言ってるネ!バカじゃねーの!?」

「…はあ?バカじゃねーのはテメエじゃねえのか?俺がアイツの傍にいたらアイツはこれからも危険な目に遭うかもしれねえ。そして今回助かったのはたまたまだ。運が良かっただけでィ。だから、」

「小春が!いつお前に守ってもらいたいって言ったアルか!?」

思わず目を見開かせてしまった。目から鱗。チャイナは驚く俺に構わず怒鳴りたてる。


「誰もお前にそんなスーパーマンみたいなこと期待してないネ!小春は守ってもらいたいっていう理由でお前の傍にいたいんじゃないアル!小春は人一倍臆病だから危険な目に遭わす人間の傍になんかいたくないって思う子アル。けど、それでも、お前の傍にいれなくて苦しいって泣いたのは、お前のことを大切に思う気持ちが臆病な気持ちよりも勝ったからアル!」

チャイナの言葉がどんどんどんどん抉りこむ。沖田さんを殺さないで、と泣きながら言う山川の声、守ることなんてできやしねえんだよ、と嘲笑う橋本の声と同様に。

「その小春の気持ちを…!踏みにじりやがって…!」

チャイナの目尻には涙が浮かんでいた。

「ざっけんな…!」

チャイナの拳が高く振り上げられる。

躱すのも、面倒くさかった。

いろんな言葉が、俺の頭の中に浮かんでは消えて。

もう、訳がわからなかった。

ぼんやりと、拳が振ってくるのを待つ。

待つ。

待つ。


…あり?


遠くから、話し声が聞こえた。


「離すネ銀ちゃん!私はサド野郎に正義の鉄槌を下さなくてはならないアル!」

「あーはいはい。最近覚えた珍しい言葉を使いたがる中二病おっつー…っつーかお前マジで暴れん…ぐふっ!」

起き上がると一方的にボコられている旦那と、一方的に旦那をボコるチャイナ。なにこれどこのオヤジ狩り?

「はい総一郎くーん。俺まだオヤジじゃないからね?まだ二十代だからね?」

うわ、モノローグにまで突っ込んできやがったマジうぜえ。

旦那は息も絶え絶えになりながらチャイナにヘッドロックをかましていた。チャイナは旦那の腕に噛り付いている。旦那の腕からはおびただしいほどの血が流れていた。

「他人の色恋沙汰に突っ込むのは本来俺の主義に反意すんだけど、今回は例外だ。ちっとばかし首突っ込ませてもらうわ」

旦那の死んだ魚のような目に一瞬だけ怒りが浮かんだ。

「惚れた女を泣かすんじゃねえ」

そして元通りいつもの死んだ魚のような目に戻って、けーるぞ神楽ー、とだらしのない声でチャイナを引きずるように連れて行って、残された俺は、叱られたガキのようにチッと舌打ちを鳴らした。




俺がどれだけ悩んでこの結論を出したとか、

たいして知らねえくせに説教かましてくることだとか、

俺があいつに惚れているのをさも当たり前かのように言ってくるところだとか、

うざったくてしょうがねえけど。

あいつを泣かせて傷つけることしかできなくて、

俺が傍にいないことで泣いていることを少し嬉しく感じる俺が、


一番うざったくてしょうがない。









大嘘吐きが吐いた正直


沖田さん、そう呼ぶ声が脳裏に浮かぶ。

ああ、うざってえな。

そう思うのに、懐かしくて、あったかくて、

涙が出そうになった。





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