強くなりたい。
「妙ちゃん。わたし、強くなりたい」
わたしは妙ちゃんの目を、真っ直ぐ見据えたまま、はっきりとそう口にした。
趣のある和室に、わたし達は正座をして向かい合っていた。
妙ちゃんもわたしの目をしっかりと見据え、頷く。
わかったわ、と形の良い唇から紡がれた。
「じゃあ、まず…、」
妙ちゃんは押し入れを開いた。
ガラッと開かれた、そこには。
「このサンドバッグで練習しましょう」
近藤さんの屍が、あった。
「た、たたた、妙ちゃんそそそそれ…」
恐怖で歯をがちがち鳴る。わたしは震える指で近藤さんの屍を指した。
「サンドバッグよ」
妙ちゃんは綺麗な笑顔を浮かべて、サラリと言う。なにこれどこのホラー?
「小春ちゃんの長所は優しいところだけど、同時に短所でもあるのよ。サンドバッグだからといって殴りたくない、なんて思っちゃダメ。そんなんじゃいつまで経っても強くなれないわ」
「いやサンドバッグじゃないからね!?人間だからね!?」
「しょうがないわねぇ。私がお手本を見せてあげる。…っうらああああ死ねえこのゴリラストーカー野郎!!」
「ゴファッ!!」
「ぎゃあああああああ近藤すわああああああああん!!」
さらに近藤さんを痛め付ける妙ちゃんを必死の思いで止めようとしたら、「あ?やんのかコラ?」と妙ちゃんがおっしゃったので「いいいいえ何もありません」と返すのでいっぱいいっぱいだった。早い話がわたしは近藤さんを見殺しにしました。すみません。チキンですみません。
***
「あー、すっきりしたわ」
肌はツヤツヤ輝いていて、これ以上はないというほど、気持ち良さそうな妙ちゃん。
近藤さんはボロ雑巾のように庭に転がされている。ごめんなさい見殺ししてごめんなさい。
「今回は見逃したけど次からはちゃんと小春ちゃんも殴るのよ?」
いいわね?と笑顔で有無を言わせない口調の妙ちゃんが、人質同士で殺し合いをさせる凶悪犯に見えた。
「は、は、はははい」
「ねえ、小春ちゃん」
「な、なんでしょうか!?」
「どうして、強くなりたいと思ったの?」
そう言って、妙ちゃんはお茶を啜る。
ガラリと、一瞬にして空気が変わる。
「…妙ちゃんってホントにわたしと同い年…?」
「老け顔って言いたいのかコノヤロー」
「めめめっそうもございません!ち、違うよ!なんか、なんでも、お見通しだから…!」
「わかりやすいもの、小春ちゃん」
くすりと妙ちゃんは笑う。
妙ちゃんの大人っぽい仕草を見て、思う。
こんなふうに、大人で、包容力があったら。
あの人は、わたしに涙を見せたのだろうか。
わたしは、膝の上の掌をぎゅうっと爪が軽く刺さるくらいに丸めた。
「…今までさ。わたし何回も自分の無力さが嫌で嫌で仕方なかった」
万事屋の中で、唯一わたしだけが武道を志していない。
護身術は一応身につけていると言っちゃあ、身につけているけど。戦いで効果を発揮したことは一度もない。
無力な自分。
お荷物な自分。
たまらなく嫌だった。
「でも、そう思う一方で、どこかで“別にいいじゃん”って開き直る自分もいた」
じゃあ、なんでわたしが今まで生き延びることができたかというと。
みんなが守ってくれたのが九割。一割はわたしの逃げ足の速さ、身軽さ。
「けど、逃げてばかりじゃ何も守れないってことをこの前思い知らされてさ」
ははっと力無い笑い声が漏れる。
何回思い出しても自分の無力さに腹が立つ。
ただ、彼の横にいて、泣いただけ。
こんなんじゃ誰も、守れない。
たくさんの人を守るあの人と、
何もできないわたし。
なんて“差”だろう。
「今のままじゃ傍にいたって、何もできない」
わたしが放った言葉が、わたし自身を苦しめる。
本当のことだからだ。
もし、強くなれたら。
同じ目線に立てることができるかもしれない。
悲しいことや楽しいことを、ただいっしょに感じるだけじゃなくて、共有したい。
他人と気持ちを共有することなんて、無理なことは百も承知だ。
けど、それでも、わたしは。
「小春ちゃん、」
―――『おまえの母ちゃん何人だああああ!』
「ぎゃあ!も、もしもし!」
妙ちゃんの言葉を待っていると、突如ケータイが鳴り出した。物騒な世の中だから、と松平さんが買ってくださりました。わたし何故か昔から中年受けいいんですよ。
慌てて電話を取り次ぐと、銀ちゃんの相変わらずやる気のなさそうな声が聞こえてきた。
「えー…。うん。わかった。いいよ、別に。…いいの?ありがとう。ん。じゃあね」
ピッと電源ボタンを押し、かばんに戻す。
「もう遅いから、銀ちゃんが迎えにきてくれるって」
「あらそうなの。銀さんってばお父さんみたい」
「それ言わないであげてね。銀ちゃん『俺まだそんな年じゃねえよ!』って結構ショック受けるから」
わたしと妙ちゃんの笑い声が咲く。
そういえば、とふと気になった。
「妙ちゃん、さっき何言いかけたの?」
妙ちゃんはややあとあいまって、ああ、と合点したようだった。
「やっぱり、今は、いいわ」
そう言って、妙ちゃんは静かに微笑んだ。
誰が為の我が儘
彼女はとても、女の表情をしていた。
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