2022/09/04(Sun)




 ねぇ、自分のせいで不幸になった親友置いて幸せになるってどういう気持ち?



 真っ暗な闇の中、足音を立てないように廊下を歩く。寝室のドアをゆっくり開けると、寝息が聞こえてきた。
 すう、すう、と規則正しい音に、ささくれ立った心が緩く凪いでいった。
 ベッドに近づいて、陽子の顔を見る。暗闇に慣れてくると、陽子の顔の解像度が上がった。すっぴんの陽子は化粧している時より睫毛が短くなり、目が小さくなり、鼻が低くなる。なんかよくわかんねぇ茶色のなんたらや光っている透明の粉で鼻を高くしているらしい。陽子はやたらと化粧前化粧後を気にする。
 どっちもいいのに。化粧後は綺麗で、

「……せいしゅうくん?」

 化粧前は可愛い。

「……わり。起こした」
「んー……いいよー……」

 陽子はむにゃむにゃ唇を合わせながらオレに手を伸ばし、抱きついてきた。すんすんと鼻を鳴らしながら嗅いだあと何かに気づいたようで「あー」と不満げに声を尖らせた。

「また私のシャンプー使ったでしょ」
「……あ」

 道理でなんか花みたいな匂いがして鼻がむずむずするはずだ。陽子は「すぐ間違える」と不満を尖らしているが、ポーズだけなのは声でわかる。
 陽子は体を離し、オレの顔を触りながら続ける。
 
「まぁ女よけになるしいっかー。ね、明日休みなんだよね?」
「おう」
「うちいる?」
「おう」
「やった」

 陽子がくしゃっと笑うと、胸の中がむずむずと震えた。幸せを強く感じると、心臓はギュッと収縮する。陽子といるようになってから、オレはそのことを知った。

「花垣君とヒナちゃんの結婚式の時着てく服、まだ迷ってんだよねー。ノースリでいこっかなーって思ってたんだけど二の腕最近やばいんだよねー……あー悩むー!」

 陽子はまたべらべら喋りだす。全然うるさくない。それどころか心地よい。陽子の声を鼓膜が捉える度、温かい波紋が体に広がっていく。

「てかヒナちゃんのウェディングドレス、絶対やばいよね。あの子いつも可愛いけど、花垣君の隣だと更に可愛くなるし。花垣君の隣でウェディングドレス着たら、」
「よかった」
「へ、」

 28にもなると、知り合い少なくても何度か結婚式に呼ばれる。何人ものウェディングドレス見てきた。オレのダチの嫁は周りから『おおっ』と色めき立たれる女が多い。花垣とか、パーちんの女。人の見た目に頓着しないオレも『おー』と思った。テレビに出てくる女みたいに華やかでおお……と感嘆の息が自然とこぼれ落ちた。
 
 陽子の時は、一瞬、何も思わなかった。
 
 心臓を強く穿たれて、呼吸の仕方を忘れた。
 突然宇宙空間にぶん投げられたような衝撃に見舞われて、思考が真っ白に染まった。

「陽子のウェディングドレス、すげぇ、死ぬほど、クソ綺麗だった」

 あと2キロ痩せたかったんだけど。照れくさそうに笑っている、ウェディングドレス姿の陽子は今まで見てきた何もかもの中で、一番綺麗だった。

「…………青宗君、パチンコで一万くらいすった……?」
「んなわけねぇだろ。三千円だ」
「すったんかい!!」
「あ」
「あ、じゃない! ……まぁ、でも、」

 陽子は不意に言葉を区切ると、キスしてきた。ぱちっと瞬いているオレに陽子は大きな笑顔を浮かべて、

「ありがと! 超絶嬉しい!!」

 いつもみたいに髪の毛をわしゃわしゃ撫でてきた。

 胸の中で花が咲き乱れるみたいに、ぶわっとなにかが舞い上がる。喜びとか、愛おしさとか、幸せとか、そういった類のモン。

「なんかヤな事あった?」

 オレの後頭部に手を回した陽子は、髪の毛を梳きながら尋ねてきた。

「何もねえ」

 あんな糞女の発言にダメージを食らっている事を認めたくないから、すぐ否定した。陽子は「そっか」と頷くと「そっかそっかー!」とまた頭を撫で繰り回してきた。

 ココの為なら死ねる。ずっと抱えていた誓いはいつからか、形を変えた。
 ココが心の底から『幸せだ』と言う為なら、なんだってしてやる。
 ……………………けど。

「てか青宗君もそーゆーこと言ってくれるようになったかぁー! 大人になったね!」
「陽子はやれねぇ」
「…………えっ、ん? なに? 会話のキャッチボールおかしくない?」
「ココにも陽子はやれねぇ」
「……………………ん?」

 陽子の頭の上にたくさんのはてなマークが浮かんでいたから、説明してやる。

「ココに陽子をちゃんと紹介したら、ココが惚れる可能性ある」
「………………はい!? ない! ないないないない!! その発想どっからきた!?」
「ドラケンと呑んだ帰り、糞女と会っちまったんだよ」
「糞女って……麻美ちゃん……」
「アイツが喋る度にイラついてムカついてぶん殴りたくなってぶん殴ろうとしたらドラケンにとめられて」
「ドラケン君ありがとう!! 青宗君の刑務所行きとめてくれてありがとう!!」
「ココ、あの糞女に惚れられてんだよ。でも、自分よりヤベェ女見てるとなんか安心するらしくて嫌いではねぇらしい」
「…………………………へえ! そうなんだ! ……あっいや、うん! …………うん……」
「あの糞女にストーカーされ続けてる中、陽子に会ってみろ。うんこ見たあとあんこ見るようなもんだ。惚れてもおかしくねぇ」
「麻美ちゃんうんこ!? 青宗君麻美ちゃんのことうんこって思ってたん!?」
「とにかくだ。オレはココの為ならなんだってやる。でも、陽子はやれねぇ」
 
 もし、ココの幸せの為に陽子が必要だと言われても「無理」と突っぱねる。何が何でもココは幸せになってもらいてぇけど、無理なもんは無理だ。それはそれ。これはこれ。
 陽子は元気で明るくて優しい。難い漢字もすげぇ知っていて、綺麗で可愛いから、惚れても仕方ねぇけど、無比なもんは無理だ。
 
「えっとね……その心配はいらないよ。ココ君が私をそーゆー目で見るの、絶対ない」
「絶対なんか絶対ねえんだよ」
「いやまぁうんその通りっちゃあその通りなんだけどさー。まぁ、99.99999%ないね」
「なんで」

 陽子はどっかの糞女と違う。どっかの糞女がしょっちゅう男に言い寄られてるのは訳わかんねぇが陽子はわかる。わかりすぎるんだが死ぬほどムカつく。

 陽子は「あー……」と視線を泳がせながら、言葉を濁した。

「ココ君と2回しか喋ったことないけどさ、ココ君も私も腹の……頭の中で色々グダグダ考えるタイプっていうかさ……。さっきも私、青宗君言わせる方向に進めたし………ヒナちゃんをあえて褒めるっていうか……や、もちろん本心なんだけどね! ヒナちゃんほんっと可愛いし!」

 言いづらそうにゴニョゴニョ言葉を重ねる陽子の言い分が全くわからない。「?」と首をひねって考える。

「そしたら青宗君は予想の5億倍すごいの返してくるからさぁ……。敵わないなーって思うよ」

 陽子は困ったようにだけど満更でもなさそうに眉を寄せて笑った。
 
「オマエさっきから何いってんだ。全然わかんねえ」
「あーうん。わかんなくていい。でもココ君はさぁ、わかると思うんだよね。私のこういう打算的なトコ。うん。だから、ココ君が私を好きになることないよ。腹の探り合いになるだけだね。
 ココ君にはさぁ、私みたいにみみっちく色々考える女よりとにかく行動! みたいな………………うん。麻美ちゃん、ある意味合ってるかも」
「――は?」

 なんでそこで糞女が?

「やーだってめちゃめちゃ行動力あんじゃん。ココ君の思考斜め上いってそうだし。ココ君も嫌いじゃないんでしょ?」
「陽子落ち着け」
「目ぇ怖!? 私は落ち着いてるよ!? 青宗君こそ落ち着いて!!」
「あの糞女は、マジで糞なんだ」

 糞女がいかに糞か、滔々と、切々と、滾々と、陽子に言い聞かせた。

「ガキの頃から糞だった。ブランコ独り占めしやがって代われつったら『なんでアンタに代わんなきゃなんないの。犬は犬らしくボールでも蹴ってればぁ?』とぬかしやがったから無理矢理引きずりおろしたら馬鹿みたいに泣きわめいてオレは帰りの会でつるし上げられた」
「どっちもどっちだよ!?」
「まだある。糞女が給食のカレー玉ねぎしかつがねぇから死ねブスっつったらぶん殴ってきやがった。あの時はアイツのがでかかったから後れを取ったが今なら大丈夫だ」
「全く大丈夫じゃない!! 何しようとしてんの!? ていうか、次から次へとよく出てくるね……」
「まだまだある。チッ、思い出せば思い出すほどマジあいつ糞だ」

 忌々しさから顔をしかめる。すると陽子も変な顔をしていた。めずらしくムスッとしている。

「麻美ちゃんとの思い出、たくさんあるんだね」
「同小でクラス確かほぼ同じだからな。性悪すぎて無駄に記憶に残ってる。学芸会であのブスが姫役になった時、クソ意味わかんねえことにオレがおう――、」

 陽子の異変にぱちくりと瞬いてから、尋ねた。

「どうした」
「………」

 陽子は口をへの字に曲げていた。「生理か?」と聞いても黙殺される。糞女の糞エピソードに胸糞が悪くなったのだろうか。

「腹いてぇなら薬、」

 薬を取りに行こうと立ち上がろうとしたら、腕を引っ張られた。ベッドに乗り上がり、陽子の上に覆いかぶさる形となる。
 目を白黒させているオレの耳元に顔を近づけ、陽子は囁いた。

「ヤキモチ妬いてんの」

 滅多にきかない拗ねた声は、オレの胸に一拍の空白をもたらす。陽子はムスッとしていたけど、やがて照れ臭そうに笑った。

「幼馴染だから仕方ないんだけどさぁ……でも羨ましくて………。……、おーい、青宗君? おーい? え、ちょ、おーーーーい!?」

 顔の前で手をぶんぶん振られる。が、オレは動けない。こいつオレを何回宇宙に吹っ飛ばせば気が済むんだ。
 苛立ちに似た何かが感情を支配する。でも、糞女に向ける苛立ちとは全然違う。

「青宗くーーん! おーーんっ、」

 陽子に深めのキスをしながら、篠田の言葉を反芻する。自分のせいで不幸になった親友置いて幸せになるってどういう気持ちか。わりぃって思ってんに決まってんだろ。どうにかしたくて気が狂いそうだよ。でも、それはそれ、これはこれだ。

 ココ。親友なら親友の幸せを喜べ。

「明日休みだな」

 口を離して淡々と尋ねると、陽子はぱちぱちと瞬いてから、瞳の奥に生意気な光を瞬かせた。

「ね。ココ君見つけたら、ゴムつけんのやめよっか」

 陽子はオレのうなじに腕を回しながら、吐息をたっぷりはらんで言う。言われた意味を少し経ってから理解した。ぱちぱち瞬きながら、点滅している視界の中で陽子を凝視する。

 オレの幸せの塊そのものの女は、ガキの頃と同じように、頬を崩して笑っていた。









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この何日か後に麻美はとんでもない目に遭うという……。
ちなみにイヌピーと麻美ほどの険悪っぷりではないですがココと陽子もそんなに相性良くないです。ココは理詰めでネチネチ攻め立てるタイプだし陽子は良い奴っちゃあ良い奴だけどまあまあ計算高いんで……お互い理性的だから表面的には普通に和やかに話せますがね。

終の栖一話after sideイヌピー+拍手レス - more

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