***
今日も授業が終わって、みんな、思い思いに帰り始める教室を見渡す。
安達の姿は、もうなかった。
今日は、空手部の練習試合らしくて、4時限目の終わりに教室を出て行った。
……安達は、数日前から機嫌が悪い。
表情はいつもと変わらずに淡々としてるけど、俺にはわかる。
当たり障りのない会話ばっかりだし、第一、俺の目を見ない。
たぶん、あの、保健室での一件だと思う。
俺が、上がった息を整えている間に、安達は、カチャカチャと制服のベルトを外していた。
「野原。こっち」
「え」
手を引かれて立たされて、ベッドに誘われる。
途端に、恥ずかしさが込み上げてきた。
「っ、まさかここで、シないよな……?」
「気になるなら鍵かけてくるけど」
言いながらも、安達が俺の背中をベッドに押す。勢い、うつ伏せにベッドに投げ出されて慌てた。
安達が珍しく、我慢できないって感じに背中に乗り上がってきて、心臓が駆け出す。
「ま、待てよ、バレたら困る……!」
「ん……?」
後ろから抱きしめられて、ますます心臓がヤバい。
背中に、がっしりした胸の感触を感じる。
俺は、焦って言った。
「見つかったら、変に思われるだろっ」
ピタリと、安達が止まって、腕が緩む。
俺は、首を傾げながら振り返った。
「……安達?」
「変って」
安達が、俺の目を見て続ける。
「変に思われるって、どういうこと」
いつもは淡々とした口調が、強張ってる風に感じた。
気まずい空気。
俺は、安達の目を見ていられなくて、逸らしながら言った。
「……だって、そうだろ。俺も安達も、男、だし」
しんとした静けさが、部屋に広がる。
安達は、他の言葉を待っているみたいだったけど、俺には、それ以上のことは言えなかった。
「……わかった」
おもむろにそう言って、安達が立ち上がって俺に背を向ける。
「野原の気持ちは、わかった」
「え」
声をかける間もなく、ドアに向かって歩いて行く背中。
静かにドアが閉まると、俺は、保健室に一人になった。
「ちょっと、待てよ……」
なんだよ、それ。
俺の気持ちが、わかった、って?
冷めていく体温を感じながら、乱れた服をととのえた。
なんだよ、安達、怒ったのかよ?
心臓が、今度は不安でドキドキしてくる。
……でも、俺は、間違ってない。
「だって、そうだろ?本当のことだろ?」
当たり前のことを言ったまでじゃねえか。俺も安達も男で、こんなの不自然だろ。誰から見たって。
安達の無言の背中が頭に浮かんで消えた。
だって、他に何て言えっていうんだよ?
あの時の、冷えた保健室の空気を思い出して、なんとも言えない気持ちになる。
「俺は悪くねえ……っ」
あの時、なんて言えばよかったんだ?
何て言えば、安達は納得したんだよ?
イライラして、頭を掻く。
あれこれ考えていたら、気がついたら、教室には誰も居なかった。
「不良が、いつまでも教室に残ってるのって似合わねえよな……」
やさぐれた気持ちで席を立つ。
「野原!」
いきなり呼ばれて目を上げると、クラスメートが、ぜえぜえ言いながら教室のドアの辺りに立っていた。顔色が、妙に青い。
「野原、安達と仲良いよな!?」
途端にざわりと胸が騒いで、足早に歩み寄った。
「……安達がどうしたんだよ」
口ごもる様子に焦れる。
「言えよ!早く!」
クラスメートは、血の気の失せた唇を震わせた。
『空手の試合で、あいつ、まずいところに蹴りが入ったんだ』
『意識が戻らなくて病院に運ばれた』
頭の中をさっきの言葉が、ぐるぐる駆け巡る。
「安達――」
頼むよ。
「安達、無事でいてくれよ……」
体が冷たい。走っても走っても体温が上がらない。病院にも着かない。道のりが遠く感じる。
何度も蹴躓いて、足が震えてるのに気がついた。
「安達……っ」
「あれー?ヤンキー君?」
最悪のタイミングで、最悪の奴らが道の先のコンビニ前にたむろっている。
この間、大勢でケンカ売ってきやがった、卑怯者集団だ。
にやにやしながら、7人が立ち上がって歩いてくる。
無視して素通りしようとしたら、カバンを掴まれた。
「……離せ。相手してる暇ねえんだよ」
「おーおー言ってくれるね」
「この間は、写真撮りそこなっちゃったな?」
イラつく。
どけ。早く。
「……どけっつってんだよ!」
卑怯者集団が、たじろいだ。
俺は、その隙に奴らを押し退けて駆け出す。
後ろから、逃げんのかよ!って罵声が飛んできたけど、どうでもいい。今は、どうでもいい。
走ってくる音がして、思いっきり強く肩を掴まれた。
むちゃくちゃに暴れると、2人がかりで羽交い絞めにされる。
「ふざけんな、離せっ……!」
「黙れ、へなちょこ」
リーダーっぽい奴が、俺の目の前に、スッと何かを差し出した。