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 校舎の奥に位置する、保健室。
 保健のセンセは、いなかった。
 入室禁止のプラカードもなかったから入ってきたけど、中に人の気配はない。
 俺は、丸椅子に座って、安達が勝手知ったようにテキパキと消毒用具を取り出すのをぼおっと見てた。
「……慣れてんのな、安達」
「部活でしょっちゅう怪我するからな」
 安達は、こう見えて、空手部の主将だ。
 そりゃ、県代表になるぐらい強いんだから、当たり前かもしれないけど。

 安達とは、高1の時にクラスメイトになった。
 俺は既にグレてて、金髪で、いつもガンくれてるような感じで。勿論、誰も話しかけたりしてこなかったし、俺もそれが気楽だった。
 高校入ってすぐ、懇親目的の1泊2日旅行があった。
 やっぱり俺は、キラキラした新一年生の中に溶け込めずに、クラス対抗スポーツ大会とやらの時間中、タバコ吸おうと一人で外に出たところをこいつに見つかった。
『……んだよ、見てんじゃねえよ』
『タバコ吸うの』
『吸ったらなに?』
 安達は、表情ひとつ崩さず俺に歩み寄ってきて、ヤクルトを1本差し出した。
『……は?』
『おまえの分だよ。うちのクラスの戦利品』
 どうやら、うちのクラスは試合に勝ったらしい。
 鼻で笑って、ライターの火を点けようとたら、思ったより大きな手が俺の手を止めて言った。
『タバコの匂い、野原に似合わない』
 普通だったらキレてぶん殴ってるとこだけど、安達の目は、マジで。
 妙に冷静で、大人ぶってる変な奴――そう思いながら俺は、安達と並んで、ヤクルトを飲んだ。
 何の縁か、それから3年弱、同じクラスだ。
 安達が俺に普通に話しかけるから、つられて俺に話しかけてくる奴が少しずつ増えてって、いつの間にかこの学校に溶け込んでた。
 安達は、いつでも変わらない。
 人の目なんか全然気にしないで、俺の隣に立ってる。
 気がついたら俺は、餌付けされた犬みたいに、安達の姿が見えないと、しょぼんとなるようになった。

 そんなことをぐちゃぐちゃ思い出してたら、激痛で我に返った。
「い……っ!」
「手の方も出せ」
 安達が、俺の前に丸椅子を引っ張ってきて、切れた俺の頬に脱脂綿で消毒液を塗りつけているのだ。
「いっ、いてえって!俺、保健の先生にやってほしい!」
「ヤンキーなんだろ。こんなんで痛がってるなよ」
 また、はあ……、と盛大にため息されて、うっと詰まる。
 安達にため息つかれると、なぜかこたえるんだ。
「ほら、シャツ開けろよ」
「え」
「引っかかれまくって血ぃ滲んでたろ」
「いっ、いいって!いい!」
「良くない」
 ぐい、とシャツを掴んでた手を取り上げられて、胸をさらす格好になった。
 は、恥ずかしすぎる。
「あーあ。ひでえみみず腫れ。血ぃ出てる」
「いっ――」
 ちょんちょん、と脱脂綿がみみず腫れになった俺の胸を叩いていく。
「痛い?」
「いてえよっ」
「そっか」
 訊くだけ訊いて、安達の処置は、変わらず痛い。
 訊くだけなら最初から訊くな!
「シャツ、ボタン外して」
 言われて、とっさに言う事を聞いてしまう。
 胸元とへその辺りにかろうじて残ってた2つのボタンを開けてしまってから、はた、と我に返った。
「おま、命令すんなよっ」
「いい子だから、静かにな」
 あっさり流されて、唇を噛む。
 ちょんちょんと跳ねる安達の手。そのまま、視線を安達の顔に滑らせる。
 俺の胸に走った擦過傷を真剣に見つめながら消毒している。
 ……こうして見てると、安達って、精悍っていうか、正に、空手やってますって感じだよな。県大会レベルの猛者には見えないけど。
 いや、意外と強い奴って、こういう、しれっとした顔で勝っちまうのかもしれない。
 それにこいつ、さすがにいい体してんだよな。
 鋼の体ってやつ?
 わかりやすい筋肉っていうか。空手らしい、筋っぽい感じの。
 ふと、前に見た安達の見事な胸筋の盛り上がりと、割れ割れの腹筋が思い浮かんで、妙な気持ちになる。
 ……いやいや、男の体だし。何も特別なことないし。
 小さくため息して、また安達の手を見る。
 腹の傷に沿って降りていく脱脂綿と一緒に、その視線も、俺の体の上を滑っていってる。
 ……そんなに見られると、恥ずかしいっていうか。
 意識した途端、心臓がドクドク言い始めた。無言の空気に堪えられなくなる。
「あ、のさ。安達、部活は?」
「今日は休み」
「そっか……あー、そろそろ引退だよな?」
「ああ」
 安達は、淡々と返事しながら、淡々と作業している。
 静かな保健室。
 夕暮れが差し込んできて、部屋がオレンジに染まっている。
 遠くで野球部のかけ声が聞こえて、ここは、学校だってことを妙に意識させられる。
 おもむろに安達が体を起こした。脱脂綿を交換するらしい。
 少しほっとして、肩の力が抜ける。
 けど、次の安達の動作で、思わず身震いしてしまった。
 へその上辺りに、ちょん、と当てられた脱脂綿が、冷たくて。
「っ」
「あ、わり」
 安達は、気にせず、そのまま、とんとん脇腹に向かって脱脂綿を移動させていく。
 綿に含ませすぎた消毒液が、腹を伝っていく感覚にぞくっとした。
 ……まずい。
 いろいろ、まずい感じがする。
 スイッチが入ったように、背中がぞくぞくしてきた。
 安達の視線が、俺の腹を見つめている。
「……ケンカの成果だな」
「なに、が?」
「薄いけど、筋肉ついてきた」
「!」
 ごく自然な仕草で、安達が指で俺の脇腹を撫でる。
 びくっ、と膝が揺れてしまって、慌てて目の前の肩を押した。
「き、急に触んなよ!びっくりすんだろっ」
「わり」
 淡々と言うくせに、俺のベルトに手をかけるから、どきっとする。
 俺は、慌ててその腕も押し返した。
「も、もういい、そこまで!」
「なに、恥ずかしがってんの」
 しれっとした顔で、安達が言う。
「恥ずかしがるに決まってるだろっ」
 必死に言うと、手を取り上げられて、血が乾いた手の甲に口づけられる。
 ぎくりと、体が強張る。
 それは、安達が、真っ直な目で俺を見ていたからで。
「……今更だろ」
 有無を言わせぬ調子で、ベルトに手がかかって、うろたえる。
「えっ、ちょ、待っ」
 止めようと肩を掴んだら、空手で鍛えられた逞しい感触が伝わってきて、また心臓が跳ねた。
 安達が、真っ直ぐに俺を見て言う。
「あのまま服剥かれてたら、今頃どうなってると思ってるんだよ」
「ど、どうって――」
「……裸。見られるとこだったろ」
「別に、俺、男だし」
「おまえがよくても、俺がよくない」
 金属質な音をたてて、ぐいっ、とベルトが外される。
 一瞬腰が浮いて、その力強さに体温が上がった。
 
 ……実は。
 俺は、その、安達と……そういう、関係だったりする。
 はじめのきっかけは、俺が作った。
 安達の家に、遊びに行った時だった。
 空手の主将ならさぞかし見事だろって、面白半分に筋肉を見せてもらおうとしただけだったんだ。
 ふざけて服を取りにかかったら、そのまま組み敷かれた。
 で、なんとなくそういう雰囲気になって――も、勿論、触り合っただけで終わったし。
 終わった後、俺は、冗談だよって顔ができなかった。だから、安達の方から、冗談だって言ってくれるのを待ってたのに。
『本気だよ、俺』
 ……って、言われ、ちゃって。
 俺は、それに何も答えられないまま、ここまで半年、ずるずる来てしまってる。
 でも、今でも触り合うぐらいだけだし……っていうか、それ以上とか、男同士でよくわかんねえ――。

「えっ、あ、安達――」
「静かにしてないと、誰か来るぞ」
 脇腹から、傷を辿って、安達の頭が下がっていく。
 鼻先が下腹に触れて、背筋をざわざわしたものが駆け上がっていく。
 ちゅっとみみず腫れの走る横腹に不意打ちみたいに吸い付かれて、びくりと体が震えると、安達が、ふっと笑った。
「その気になった?」
「この……っ、むっつり野郎っ」
「なんとでも」
 滑らかな舌が俺のへその周りを這って、思わず声が漏れてしまう。
 ……どこで覚えるんだこいつ、こういうこと!
「おまえ、色白いからエロいな。引っかかれた痕」
「変なこと言うな……!」
 そのまま、微かにジッパーが下ろされる音がして、慌てて腰を引こうとした。
 でも、がっちりと安達の腕が腰に回ってて、固定されてる。
「ちょ、何するん……」
「何って、舐めるんだけど」
 それって、それって?
 目を白黒させている間に、下着に安達の鼻先が潜った。
「や、ヤダよ」
 ……くそっ。ヤンキーのくせに、涙声になってしまった。
 そんなこと、誰にもされたことがないし。
 ヤンキーだからって、遊んでるわけじゃない。硬派なんだよ、俺は!
 頭の中がぐるぐる回る内に、事態は進んでいた。
 ゆっくりゆっくりと、熱い温度に、敏感なそこが飲み込まれていく。
 気が遠くなりそうな感覚に、腰がびくんと震えた。
「ぅ、は……っ」
 たまらずに声が出て、慌てて肌蹴てたシャツを噛んで声を抑える。
「なんだよ、これ……っ」
 すご、い。熱くて、溶けそう。
 保健医の机に背中をもたせて、その短めの髪に指を滑らせる。
 滑らかで熱い感触の中を行ったり来たりさせられて、腰が揺れてきてしまう。
「ン、んっ、ん……っ」
 無骨な手が、腹や、太股や、乳首を撫でてくる。
 意識がぼおっと熱を帯びてきて、快感に飲み込まれそうになりながら、ふと、不安になった。
「……っ、ン、な、なあ、やっぱやめよ?誰、か来たら――」
「いま、ひゃめられふのか?」
「う、あ、ばかっ、しゃべんな……っ」
 安達は、離してくれない。
 押し退ける力も、今の俺にはない。
 とろとろに溶かされそうで、俺は、ひきつるような息をしながら、ぎゅっと目を閉じた。


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