4、サディストの後悔
想っていただけだったのに。わずかな期待と欲望で始めてしまった。
生々しい快楽を夢中で追っていたら、いつの間にかすべてがねじれてここまで来てしまった。
思い出を振り返る度にやるせない感情が湧く。
いつでも。あの姿を見るたびに。
……なんでこいつは今、ここにいるんだ。
「誠二兄!」
「穂――」
待ち合わせしていたわけでもなく、ただの偶然。昼間の繁華街で穂と会うなんて何ヵ月ぶりだろうか。尻尾がついてりゃ振ってるだろうなって感じで駆け寄ってくる。ぼんやりと物思いに耽っていたところを呼ばれたので、どことなく気まずい。
穂が白い息を吐く。そこでやっといつの間にか秋が終わっていたことに気がついた。
とっさに反応できなかった俺を見て、穂が首を傾げる。
「誠二兄?」
「……なんだよ」
「今日、バイトは?」
穂は、俺があからさまに眉間を寄せるのにも負けずに言った。
「休み」
週に4日はバーテンのバイトだが徐々に減らしている。このまま店に就職しないかという話ももらったがまだ決められずにいた。
「じゃあさ、夕飯一緒に――」
「行かねえ。用事ある」
「ぅ、そうなんだ……少しも時間ないの」
「なんで」
「……一緒にいたいだけ、なんだけど」
穂は、そう言って行き場のない視線を地面に彷徨わせている。
なんで、こんなに汚れてねえんだろ。
あんなに何度も真っ黒に染めたはずなのに、なぜこんなに昼の光が似合うのか。
また、沈んでいくような感覚をおぼえる。
汚しても汚しても染まらない。最低な俺を嫌気して遠ざかることもしない。
「あら」
背後からした女の声で我に返った。嫌な予感がする。
「あれ? 母さん」
穂が目を丸くして自分の母親を見ている。
今度は俺が行き場のない視線を地面に投げた。
穂は母親似だ。だから俺はこの女が苦手だった。
黒目がちで色が白く、唇が小さい。華奢で無条件に守りたくなるような、いわゆる可愛い女。俺の母親と同年代で仲が良く、中学の頃、俺の母親と穂の母親、俺と穂の4人で飯を食いに行った時には必ず別れた旦那の愚痴を言うのをよく聞いた。愚痴の内容がその通りなら、まあ最低な男だろうなと思った。
最低な男に惹かれるのは親子で似るんだろうか――そんな自分への嘲りが頭に浮かぶ。
「穂、大学は?」
「今日は午前の講義だけだから」
「……誠二君と一緒にいたの?」
窺うような声に、うわべの礼儀で軽く頭を下げる。
「偶然会っただけなんで」
「そう……そうなのね」
あからさまにほっとした声で言われて、俺はじゃあこれでと踵を返した。
この女の前では俺は途端に無力になる。それは、思い返したくもない場面が蘇りそうになるせいだった。
「せ、誠二兄?」
「穂。あなた、今日は帰ってらっしゃい」
置いて行かれて抗議する穂の声と、咎めるような穂の母親の声を置き去りにして、俺は街の雑踏に紛れ込んだ。
「待ってよ、誠二兄!」
腕を掴まれて、にらむ。
「あ。ごめん……だって急に行っちゃうし」
「用があるっつってんだろ」
「その用事、何時に終わる?」
「は?」
「……夕飯、やっぱダメかな」
縋るような必死な顔。湧き上がったムラつきを押さえつける。
「おまえ、家帰れ」
「え」
いちいち傷ついた顔しやがって――。
……いや、そうか。これは俺がつけた癖だ。
「おまえの母親、安心させてこい。しばらく帰ってねえんだろ」
「俺、誠二兄と居たいんだけど」
優越感のような諦めのような感覚が体を満たす。怯えて小さく縮こまっていた欲求が大きく呼吸したような、後ろめたい解放感だった。
――抱きたい。今、穂を無性に俺のものにしたい。
ふくれ面の穂の腕を掴んで、足早に街中を歩く。
「え? ちょっ、誠二兄」
焦った声に構わず、人気のない通りに連れ込んだ。
場末の古臭いバーの階段の陰に引っ張り込んで、困惑してる穂の唇を貪る。
「ん! んー……っ」
舌を絡めて、思う存分口の中を探る。口端から伝った唾液を啜ってから耳にかじりついて、ジーンズの上から穂の股間を荒く揉んだ。
「ん、や、やだ、誠二兄、どうしたんだよっ」
穂が、無理に昂ぶらせられて焦ったように拒んでくる。
確かに俺らしくない。いつも冷めたように見せて、こいつが欲しいって言った時だけ焦らして焦らして、最後に水をやる――そういう俺がこんなに必死に求めるのは、傍から見たら笑えるはずだ。
「……足、開けよ」耳に吹き込む。
「ぅ、誠二、に――」
俺の荒々しい欲求をこいつはいつも、好きと言いながら飲み込んでしまう。
そういう時、いつも。穂は俺が好きなんだと実感する。
『二度と近づかないで』
穂の母親の声が脳裏を過ぎった。
胸が悪くなるような眩暈。あのときの、闇の底へ落ちていくような感覚が。
――こいつは、俺のものだ。誰がなんて言おうと。
俺の。俺の……!
「誠二兄っ、誠二、に、待って、待ってよ」
必死な声で言われて我に返った。裏道とはいえ、穂の後ろに指を突っ込んで下着まで脱がしにかかっていたことに気づいて血の気が引く。
俺に煽られて息が上がってしまっている穂が、赤い顔で俺を怪訝そうに見上げていた。
「俺、嫌じゃないよ。嫌じゃないけど……どうしたの、よくわかんないから」
俺の首にしがみつきながら困惑顔で訴えてくる。
穂の片方の足を抱え上げて探っていた柔らかな場所から、2本の指をぬくりと抜いた。
「ン……っ」
鼻に抜けるような穂の声に腰が熱くなる。
「入れる、の?」
――ここで?
――昼間の、誰が来るかもわからない道端で?
そういう不安が、穂の表情に出ていた。
火照った体を撫でた風に肩を震わせた穂を見て、やっと冷静になる。
「……悪い」
「え」穂がひどく驚いた顔をした。
「少し変になってた」肌蹴させていた上着と下着を直してやる。
「誠二兄……?」
小さな尻を柔らかく撫でて、その場にしゃがみ込む。
「とりあえず、達かしてやるから」
中途半端に勃たせてしまった穂の性器を口に含む。どうして、なに、という混乱した声が降ってくるのに構わず、舌と唇で追い上げる。甘い声を必死に押さえながら、やんわりと腰が動いている穂を見上げた。
探る俺の髪を時々引っ張る頃になって、下着の中に這わせた指をゆっくりと後ろに挿れる。探り当てた前立腺を撫でて擦った。
「んっ、ふ、ぁ……っ!」
いくらも動かさない内に、穂が体を痙攣させて吐精した。それを飲んでぬめりがなくなるまで舐め清める。指に絡みついてくる粘膜に性器が熱くなりそうになるのを無視した。
「ぁ、ん、誠二兄……」
指を抜くと、名残惜しそうに腰を揺らめかせた穂を宥めてジーンズを履かせる。やり過ごせない熱を持て余してる様子の穂が、それでも俺を心配したように眉を寄せている。
「どしたの……なんか誠二兄、変だよ」
自分でもわかってる。コントロールできていない。この、胸くそが悪い感じを。
さっきから体が熱いのと逆に、頭の芯が妙に冷えていた。
ずっと避けていた現実が、俺を捕まえたんだと思った。
「……飯、食いに行くか」
穂が驚いたように目を見開く。
「よ、用事は?」
「キャンセルしとく」
でも、と穂が動揺している。
「嫌ならいい」
「そんなわけない!」穂が首を振って、俺の袖を遠慮がちに掴む。
よくわかんないけど嬉しい、一緒に外で食べるなんて久しぶりだ――そうはにかんでいる。
俺は暗い通りから元の大通りに出ると、無意識に辺りを見回した。穂の母親の姿がないことを確認してため息を吐く。
「それと、話がある」
俺がそう呟くと、穂はわずかに眉を寄せた。
◇
「……え?」何とか一言、搾り出す。
誠二兄が無言で煙草に火を点けるのを、呆然と見ていた。
よくわからない。今、誠二兄が言った言葉の意味が。
路地裏で誠二兄と中途半端にした後、俺は熱っぽい体をなんとか落ち着かせて、誠二兄の知り合いの店に入った。暗い照明とジャズのBGMが客のプライベートを守っているソファ席で向かい合ってからずっと、なぜか落ち着かない気持ちでいたんだ。
そうしたら。
『おまえと会うのは、今日で最後にする』
料理を食べ終わる頃に切り出されて、何も言えずに固まっていた。
「……冗談、だよね」
誠二兄が灰皿を引き寄せて指先で煙草を叩いて灰を落とす。
「俺は冗談言わねーよ」
やめるか、なんて口端で言われることはあったけど、誠二兄からこんな風に聞くことは今まで一度もなかった。だから焦りでいっぱいになる。
「なにか怒ってるの」
「何も」
「じゃあなんで」
「飽きたんだよ」
胸に鉛を打ち込まれたみたいだった。耳の奥で心臓がドクドク鳴る。
「俺に、飽きた……?」
「他に誰がいるんだよ」
じゃあ、さっきの路地裏でのあれはなんだったんだろう。強引で熱っぽくて、あんな切ない目で俺を見てくれたのに。何かが変わったのかもしれないって、小さな期待さえ生まれていたのに。
ふーっと煙を吐き出した誠二兄の表情はとても静かで、遠くを見るような目には何の感情も浮かんでいない。ああ、これは。
「本気、なんだ……」
口にしたら、あっという間に誠二兄の顔がぼやける。
もしかして、とうとう。とうとう来てしまったのかもしれない。
一番怖れていた瞬間が。
ぼたぼたっ、とテーブルに涙が跳ねた。
「俺っ、無理だよ別れられない」
「そもそもつき合ってなかっただろが」
「でも……!」
高校の頃から二年間。もう、誠二兄の身じろぎだけでどう動けばいいかわかるのに。無性に逢いたくなって眠れずに押しかけてしまう時だってあるのに。
今更。もう、こんなに離れられないのに。
「……嫌だ……無理だよ!」
「出るぞ」そう言って、煙草をねじ消した誠二兄が立ち上がる。
俺は慌ててその背中を追った。
「ちゃんと説明してよ!」
「うるせーな……」
大きな道路の歩行帯をどんどん歩いて行く背中に必死でついていく。
涙が止まらない。なんのために泣いているのかも、よくわからない。
「だって、いきなりこんな――わかんないよ!」
「わめくな。ついて来んな」
「振り回すだけ振り回して……いきなりもう会わないって言われて、冷静になんかなれない!」
「おまえが勝手に振り回されたんだろ!」
誠二兄が振り返って声を荒げる。俺は思わず、ひくりと喉が鳴ってしまった。
「俺は最初に言ったはずだ、愛だの恋だのする気はねえって」
「でもっ、俺がやめたいって言った時、いっつも頷いてくれなかった……!」
関係をやめたいと訴えても、誠二兄はいつもそれを拒んだ。俺の腕を掴んで散々引きずり回したのに。
「おまえ、本当にやめたいって思ってたかよ」
「え……」
「俺を試してただけだろ。やめたいってわめいて、俺の気持ちを試してただけだ」
誠二兄が苦しげに吐き出した言葉に、俺は固まった。
「違う……俺は、いつもいつも本当に無理だって! これ以上続けても虚しいって、そう思ったから……!」
でも、だとしたら。俺はなんでこうして今、誠二兄といるんだろう。
離れたいって泣いたのに、なんで今は離れたくないって泣いてるんだろう。
「よかったな。おまえのお望み通りになって」
何も言えない。あの時の自分の言葉が今、誠二兄の声になって戻ってくる。
俺はなんてバカなことを言っていたんだろう。
「俺は何度もおまえを逃がそうとした。しがみついてきたのはおまえだ。今だってそうだ」
「せ――」
「おまえが切れないなら、俺が切るしかねえだろ」
誠二兄の声が震えている。
「誠二兄……何言ってんの? わかんな――」
「わかんねえって言うなよ!」
初めて聞く誠二兄の切羽詰まった声に気圧されて立ち竦んだ。
つかつかと歩み寄って来た誠二兄が、俺の腕を強く掴む。
「い……っ」
「前に、これはおまえが一方的に続けてる関係だって言ってたよな――」
嗚咽を抑えながら、誠二兄の言葉を聞く。
「一方的な関係ってなんだよ。俺がおまえを抱いて、おまえが応えて、それのどこが一方的なんだよ……!」
その頬を一筋、涙が落ちる。
俺は驚いて驚いて、自分の涙が止まってしまった。
「俺が、ずっとどんな気持ちで――!」
待ってほしい。誠二兄がどんな気持ちで話をしてるのか、わかりたい。
「……話は終わりだ」
俺を掴んでいた手を話して、誠二兄が体を退く。
待って。今、何かが見えたかもしれないのに。このまま行かないで。
誠二兄が背中を向ける。
「や……やだ……っ」
「もう振り回されるのはたくさんだ」
俺の情けなく上擦った声が、誠二兄の声に上塗りされた。
もう二度と、その唇は俺と話すためには開かないというのがわかった。
俺を拒絶する背中が早足で遠ざかる。目の前が暗くなる。
嫌だ――鋭いクラクションが耳に刺さって、ライトに目が眩む。
誠二兄の声が聞こえた気がした。
「バカやろう! 気をつけろ!」
怒号が響いて、我に返る。固い地面に手が触れたんだ。
俺は強く強く抱きすくめられて、アスファルトに転がっていた。
誠二兄と、一緒に。
俺を抱きしめたまま動かない誠二兄の上着を掴んで微かに揺する。
「……誠二兄……?」
ピクリともしない誠二兄に、血の気が引いた。
自分がやったことを理解した。車の前に飛び込んだんだ。引き寄せられるみたいに飛び出していた。
――俺、最低だ。
俺を抱く誠二兄の腕が緩む。俺は慌てて体を起こした。
「誠二兄、誠二兄……」
呼びかけても揺すっても誠二兄は、ぐったりと腕を投げ出したままだ。
やだ。嫌だ。こんなの。
「誠二兄……!」
「……うるせえ」
倒れたまま誠二兄が唸るように呟く。ゆっくりと体を起こして、乱れた明るい色の髪を掻き上げた。
「お、俺……っ、ごめ、なさい、怪我――」
誠二兄の体を確かめるように探る俺の手を払って、誠二兄が俺を見る。そのひどい怒気に、ぞくっとした。
「死ぬ気か、この野郎……!」
手で首を掴まれて、ぐっと息が詰まる。
「か、は……っ」
「そんなに死にてえなら俺が殺してやる」
誠二兄の目が冷たく燃えてる。俺は涙が込み上げた。
「……したら、いいのに」
びくりと誠二兄の手が震えた。
「もう会えないって言うなら、俺……!」
言葉半ばで、胸倉を掴まれて乱暴に引き寄せられる。
「ぅ」
昼間のと同じキスだった。ケンカみたいにぶつけ合って、苦しい。冷たいアスファルトの上で二人蹲って、熱い舌が絡み合う。口いっぱいに舌を押し込まれて、いつものセックスみたいだって思った。
唇が離れた隙に荒い呼吸をすると、誠二兄が間近で見つめてきた。頭の奥がぼおっと霞んでいる。
遠くから車のライトが近づく気配を感じて、我に返った。
誠二兄に引きずる様に抱え起こされて、歩道を腕を引かれて歩き出す。
何も言わない。何も言えない。
デスマーチのように、ぬるくて重い歩調で二人歩いた。
細い路に出ると、誠二兄が丁度通りかかったタクシーに手を上げる。混乱したままの俺は先に押し込まれて、続いて乗り込んでくる誠二兄を見た。
「目黒駅まで」
運転手に誠二兄が言った。誠二兄のマンションがある駅だ。
俺は不安で不思議でわからなくて、ぼんやりしていた。
何が起きてるんだろう。俺の中で。誠二兄の中で。
……俺たちの間で。
俺の手を、指を絡ませるように握っている誠二兄の手が震えていた。
「……もう、するな」
「っ」顔を上げられずに、唇を噛む。
「あんなの、二度とするな」
怒ってる声じゃなかった。怯えているような声だった。
誠二兄の手に力がこもって、ぎゅうっと手を握られる。
また涙が込み上げて喉の奥が鳴った。胸が潰れそうだった。
「……ごめんなさい」
俺は、喉に引っかかるような弱々しい声しか出せなかった。
電気も点けずに上がった部屋で、ベッドに投げ出された。
体勢が整わないうちに誠二兄が乗り上がってきて、コートも脱がずに服の下に手が忍びこんでくる。
「ま、待って」
「なんだよ」
誠二兄の声がもう掠れてて、じくりと体の芯が熱くなった。
「こ、このまま、するの?」
誠二兄が俺の首筋に吸い付く。そのまま、ちゅ、ちゅ、と音を立てて肌にキスされる。その手は止まらなくて、俺はぞくぞくするのをこらえながら必死で理性を保とうとした。
「もう終わりだって言われて、そのまま――」
俺の言葉に構わず、誠二兄がキスをしてくる。唇を食べられそうで胸が軋んだ。
誠二兄のこんな切羽詰まった顔、はじめて見る。
「それとも本当に……俺を殺して、終わりにしようと思ってる……?」
キスの合間に窺うようにたずねると、濡れた音を立てて離れた唇が言った。
「……どうしたらいいか、わかんねえ」
「え……?」
「おまえだって、ずっと一緒に居られるなんて思ってねえだろ」
――ずっと、一緒……。
そんなの、考えたってわからない。
誠二兄と会えるその時だけ。話せるその時だけ。体を繋げるその時だけ。
その時だけ、の繰り返しで生きてきた。今更、先のことなんて。
「一緒には居られないってわかってて、なんで俺を好きでいられるんだよ」
心臓が凍った。それは、俺が一番考えたくないことだったから。
「なんでそんなこと急に言うの」
「もう会わねえって言ったら、おまえがあんな風になって。俺はどうしたらいいんだよ」
「ご、ごめん、誠二兄のこと怖がらせて」
「わかってねーよ、おまえは……」誠二兄がシーツをぐっと掴む。「なんで嫌いにならないんだ」
「え……?」
「冷たくされてんだろ。酷くされて、泣いて! 車の前に飛び出すぐらい追い詰められてんだろーが……っ」
「誠――」
「最低な奴なのに、なんで離れていかねえんだよ」誠二兄に強く抱きすくめられる。「なんでまだ、好きとか言ってんだよ。殺してくれとか……ふざけんなよ……」
「ご、ごめん、俺……っ」
「俺が今まで、どんなに必死でおまえから離れようとしてたか、わかれよ……!」
――そんなに俺のこと嫌いだったら、言ってくれたらよかったのに。
そう言ったら、誠二兄は、おまえはやっぱり全然わかってないって苦い表情をした。
荒っぽく体を撫でられる。必死でその熱についていこうって、誠二兄のこと気持ちよくしたいって、そう思うんだけど。
何かが切れたように溢れ出してくる、誠二兄の熱に飲み込まれてしまった。
「いっ、あ、ま、待って……!」
呼吸困難になって、その胸を両手で止める。誠二兄が全力で走ってる最中に邪魔をされたみたいな顔をして動きを止めた。
「……なに」
「ちょっと、待って――」
今入れられたら、誠二兄のことを待たずにあっという間に終わってしまう。
それぐらいたくさん慣らされて、どろどろになるまで甘やかされた。
変だ。すごく優しくされてるのはなぜだろう。今の誠二兄とこのセックスとが繋がらない。
いつもだって、ひどいこと言われても傷つける抱き方はされなかった。けど、今は不安になるほど優しい。優しくて容赦がない。おまえが感じればいい、みたいな抱き方で俺はろくに誠二兄のことを触らせてもらえずにいた。このまま激しい熱に巻き込まれるみたいに繋がったら、絶対に途中で意識が飛んでしまう。せめて呼吸が落ち着くまで待ってほしかった。
不満そうに俺を見下ろしていた誠二兄も、一呼吸したら少し落ち着いたみたいだった。
「こっちは昼におあずけくらってんだよ」
「おあずけしたのは、誠二兄の方なのに」
そう言うと、うるせえ、と返ってくる。
「まだかよ」
「がっつかれるの、慣れてないから怖くて――」
正直に言うと、誠二兄が小さく舌打ちする。
胸を押し返していた手を取り上げられて、両手でシーツに縫いつけられた。
「……入れるぞ」
囁かれて、とくとくと心臓がまた走り出す。
「ん、ぅ……っ?」
……いつもと、違う。じれったくなるくらいゆっくり入ってくる。徐々に誠二兄の形に拡げられていくのを感じて、呼吸が上がってくる。
その間、誠二兄はずっと俺のことを見てて――。
「や、やだ……そんな、そんなにゆっくり、されたら」
急に恥ずかしい。こんなのはじめてで開かされたももが震えてしまう。
「俺のこと、好きかよ」
驚いて俺が何も言えないでいると、ぴたりと動きを止められてしまった。
「どうなんだよ」
「す、好き――」
そう答えるとまた、ゆっくりと慣らすように誠二兄が押し入ってくる。
「もう一回」
「好、き」
「もっと言え」
「好き、好き……!」
一番張った部分が感じるところをゆっくりと擦るように通って、びくびくっと腰が跳ねてしまう。
「いい……っ、好きぃ」
たまらずに訴えると、奥の奥まで届いたのと同時に大きく揺すり上げられた。
「あ、ん!」
誠二兄は、そのまま動こうとしない。
入ったまま、開かせた俺の内ももを撫でたり震える腰を撫でたりしてる。指が肌を滑るように上がってきて、両方の乳首を円を描くように撫でられた。
あまりにいつもと違うから体が驚いてる。このままで居てほしいような、でもいつもみたいに動いてほしいような、どっちともつかない快感がゆったりと襲ってくる。
誠二兄が目を細めて男っぽい手で俺の腰を掴んだ。
動く――わななく息を吐き出して、シーツを掴んで準備する。
「穂」
降ってきた声に、伏せた瞼を恐る恐る開ける。
「目、見てろよ」
あんまり切ない目で見下ろされるから、心臓が走り出した。
「あっ」小さく揺すられて、とっさに目を閉じる。
「穂」
咎めるように言われて、快感で閉じてしまう瞼をこじ開ける。
これ、ダメだ。すぐに達っちゃいそう。
感じたように眉を寄せたり、締めつけた時にうめいたりする誠二兄を見てると、すごく感じてしまう。いつも、早いとか我慢しろとか言われるから目を閉じているのに。
ねっとりとした腰使いが、いつもの何倍もいやらしい。
やっぱり変だ。こんなに見つめ合ったままってのも、すごく――。
「……いつから、好きなんだっけ。俺のこと」
上擦った声で訊かれて、俺はぼんやりする頭の中に必死に言葉を探した。
「ン……誠二兄、が引っ越して、きて……」
一緒に居ても近寄りがたくて、特別だった。【特別】がいつの間にか【好き】になった。
話の続きを催促されるように小さく揺すられて、高い声が出る。
「ひ、一緒に、居てくれるようになって……から、ずっと、ぉ」
誠二兄の吐息に、にじむように快感の息が混じってくる。
それがすごく色っぽくて、背中がびりびりしびれた。
「……それで?」
「あ、ぅ、かっこ良くて、憧れてて――」
「男なのに?」
「ん、男、なのに、好きになっちゃっ、た……んんーっ!」
ゆっくりと抜き出された誠二兄のが奥まで押し入ってくる。苦しくて甘くて堪らなくて、目と膝が閉じてしまう。俺のその膝を割って誠二兄が覆い被さってきた。宙に跳ねてしまう足の居場所を求めてたくましい腰に巻きつける。
「はあ……っ」
眉間を寄せて感じてる誠二兄の表情が近い。
胸が絞られるようにぎゅんぎゅんして、あまりもたない気がする。
「んンっ、ま、待って、イイの……っ、当たってる、イく、イきそう……っ」
泣いてるみたいな声が出て恥ずかしい。
「っ、まだ、待ってろよ」
「む、むりぃ……っ」
抗議すると、深くキスされた。唇の音なのか交わって濡れてる音なのかわからない。
「――好きだ」
唇が触れ合う近さで吐息と一緒に呟かれて、俺は目をみはった。
「好きだよ」
「嘘、うそだ……」
なんだ、俺。泣き声だ。
急にこんな。誠二兄がそんなこと言うから。
「じゃあ、なんで――」
もうやめよう、とか言うの。
動きが優しくなって、引き伸ばされた快感の最中に誠二兄が言う。
「人の気も知らないで、おまえは」
何もわからない。誠二兄がなんでこんなに苦しそうなのかもわからない。
「あ」
軽々と抱え起こされて跨がされる。力の抜けた足は踏ん張れなかった。誠二兄が俺の中の全部を擦りながら信じられないくらい奥まで入ってくる。
「あ、あ……!」
ずんっと一番奥を押し拡げられた瞬間、頭が真っ白になった。誠二兄の形がわかるほど締めつけながら一気に達して、声も出ない。体が勝手に仰け反って跳ねて、緊張と弛緩を繰り返すのが止まらない。
夢中で手で縋った誠二兄の腹筋が痙攣してる。
「っ、く、締まる――」
「あ、ぁあー……あ、あ、ンぁ……っ、はあっ、は……」
意味にならない言葉が喉の奥から溢れて、指先まで痺れた。
ガクつく腰を持て余して息が苦しい。厚い胸に頭を預けて呼吸を整える間、誠二兄の手はずっと俺のひくつく背中を撫でたり、尻を揉んだりしていた。
全身が心臓になったみたいだ。誠二兄を食い締めていたのを思い出して、ゆっくりと力を抜く。体の中の誠二兄はまだ大きくて固くて、ぬるま湯のような熱が腰に広がった。
ぼんやり目を開けると、俺の顔を見つめる誠二兄と目が合う。
恥ずかしい。我を忘れて達ってしまうのを全部見られてた。居たたまれなくなって視線を下げると、誠二兄の割れた腹筋にかかった俺のが目に入って、もっと居たたまれなくなる。
「ごめ、ん……、俺、先に……」
「いや、ソソられた」誠二兄がゆっくりと腰を動かし始める。
快感がまたすぐにやって来て息が上がると、瞼にキスをされた。
「そろそろ動くぞ」誠二兄の微かに上擦った声。「力抜いてろ、加減できないから」
言われてすぐに始まった激しい動きに、思考が飛ぶ。
気がついたらベッドに縫いつけられて、喘ぐ唇を食べるように吸われていた。
途中で体勢が変わっているのにも気がつかないくらい、溺れる。
「やっん、あ、ダメ……っ、これ、変っ、終わら、ない」体が溶けてしまいそうでシーツを掻きむしった。「また、イく、壊れる、こわ、れる……っ」
「穂、穂……っ」
誠二兄の聞いたことがないほど甘い声に、頭の中が蕩ける。
「……愛してる」
意識を手放す直前。耳に吹き込まれた言葉が本当なら。
もう、死んでもいいと思った。
初出 2011/03/02
キリ番7777番、mayu☆様のリクエストで「サディストの憂鬱の続編」。リクエストの完成が、前後してすみません。続編ということで、2人の気持ちにやや踏み込んだ内容になってます。誠二兄も変わってきたような。何やらいろいろ事情が有りそうです。のらりくらりやっていきたいと思います。mayu☆様リクエストありがとうございました。
久賀
修正 2019/12/22