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サディストの憂鬱






3、その男の供述


「……誠二君、出ないの?」
 怪訝な顔で女が呟いた。
 俺が青く点滅し続ける携帯を横目で見ただけで放っていたからだ。
「集中しろよ」
 豊満な胸の谷間に唇を這わせて、苛立ちながら囁く。
 部屋に響いていた電子音は、溢れはじめた切な気な喘ぎに空気を譲るように途切れた。
 沈黙したディスプレイを横目で見る。柔らかい肌をまさぐって、目を細めた。


 ◇


「……はあ」
 出ない。
 いつものことだけれど。
 また放置だ。もう二十二時近い。会う約束をしたことなんて忘れてるんだ。
 役に立たない携帯をテーブルに置いて、手の中の合鍵を弾く。乾いた金属音が静かな部屋に響いた。
「……バカみてえ」
 大学の試験期間が明けたので、今朝、誠二兄に連絡をとってみた。
 大抵、留守電か電源が入っていないかで、繋がる期待はしていなかったけど、『穂か。どーした』と珍しく機嫌が良さそうな電話越しの声に不意打ちされた。
 会う約束までして浮き足立って、いそいそと誠二兄の部屋に来たのはいいけど――それから待つこと3時間。痺れを切らして二人分用意していた夕食に手をつけ始めたところだ。
「……なに期待してんだよ」
 こうなることはわかっていたはずなのに。自嘲気味に笑い飛ばそうと口にした言葉が思った以上に胸に刺さって、向かいの席に用意したカレーライスがじわりと歪む。
 ぱくりと、一口。
 テープを切ったようにむくむく膨らんできた怒りに任せてカレーを食らう。
 食べ終わると向かいの席の一人前を引っ掴み、皿ごとゴミ箱に突っ込んだ。
 少し、すっきりした。
 頬を転がった涙を拭う。
「……皿まで捨てなくてもよかったよな」
 つまむように皿を拾い上げて、流しで自分が食べた後の食器と一緒に洗う。
 一人めそめそしているのが情けない。このままじゃ本当にただのうざい奴だ。
 誠二兄が帰ってこない理由は考え倒した。
 あの手で知らない胸を揉んで、あの体で柔らかい体を組み敷いてる残酷な光景が目に浮かぶ。
 スポンジを握った手元がまたじわりと滲んだ。
 ……もう、疲れた。これ以上考えたくない。
 洗った食器を拭いて、はじめから使っていなかったかのように慎重に棚へ戻す。
 コートを着てカバンを斜めに掛けると、虚しい部屋を後にした。


 ◇


 玄関を開けて足を止めた。
 居間の明かりが点いている。躊躇した足を踏み出して部屋に上がると、空気がシンと耳を打った。
「……あいつ、つけっぱなしで帰りやがって」
 見上げた部屋の時計は0時を回ったところだ。
 微かにカレーの匂いがする。キッチンのゴミ箱を覗いて目を細めた。
 小さくため息をしてジャケットのポケットを探ると、いつもの手応えがなくて禁煙中だったことを思い出す。
 次に会った時、穂はまた「もうやめる」と言い出すだろう。
 本気で。心の底から俺を嫌って、離れていく日。
 それは気が重いようで、でもどこか楽しみにもなっていた。穂と寝るようになってから俺がずっと望んでいることだ。
 いつか必ず来る。どうせ来るなら一日でも早い方がいい――。
 錆びた視線でフローリングをなぞっていると、玄関の方で鍵を回す音がした。怪訝に思って振り返ると、穂がドアを開けて入ってくるところだった。
 かける言葉が思い浮かばず、黙って穂の動向を見ていた。
 穂は俺の顔を見ると、ふてくされたような顔をした。
「……やっと帰ってきた」
「おまえ、まだ居たのかよ」
 一瞬、穂が言葉を呑む。
 しまった、と思った。約束を忘れていたのではなく、敢えてすっぽかしたことが今のでバレた。
 どちらにせよ大したことじゃない――急にすべてがどうでもよくなって、着ていたジャケットを脱ぐ。
「戻ってみて、誠二兄が居なかったら帰ろうと思ってた」
「懲りねえ奴」
 脱いだジャケットをソファの背中に投げる。
 ふいに腕を引かれて、唇に柔らかい唇が押しつけられた。穂の伏せた瞼が震えている。欲を掻き立てる為でもなさそうなキスは、まるで子どもが駄々をこねているみたいだった。
 穂は一瞬「ん」と呻いて眉を寄せて、恐る恐る唇を離した。
「甘い、匂いがする――」言いかけて、傷ついた表情を浮かべながら体を離す。
「……俺、やっぱりもう帰る」
 声が少し震えていた。
 瞬間。言いようのない感情が湧いた。穂のうなじを手で包んで引き寄せる。
 自分でもよくわからなかった。無性にもっと傷つけたくて、傷ついた顔が見たくて、噛みつくようにキスを仕掛ける。
 穂が喉の奥で甘く呻いて、俺の胸を押し返そうとしてくる。
「や、やだ……っ、俺、帰るん、だってば……っ」
 穂の言葉をわざと無視して貪る。肩や胸を押したり叩いたりする手が弱々しくなった頃、涙目になった眦にわざと丁寧に舌を這わせた。
「ヤりたくなった」
「最低……っ」
 涙声に誘われたように、デニムがキツくなる。
 散々してきたのに。自分の下半身のだらしなさが笑えた。
 弱い抵抗をする穂を引きずって、明かりのついていないベッドルームになだれこんだ。


「……めんどくさい?」
 昏い色を宿した穂の目が、ベッドの上で不安そうに見上げてくる。答えはわかっているくせに、「そんなことない」「おまえが好きだ」という台詞を待っている顔だ。
 気づいてんのかこいつ。自分が今、泣きそうな顔をしているのを。
 ぞくぞくする。こいつのこういう顔は最高にソソる。
 あなたがいないと生キテイケマセンと言われているみたいで。
「俺と会うの、嫌?」
「嫌じゃねえよ」
 小さな、え、という声。
 俺の意外な返答に驚いたみたいだったが、穂の期待はきっちり裏切っておく。
「ゴム切らしてんだよ。おまえと会うと絶対ヤるだろ」
「そんな……別に俺はしなくたって――」
「あ、そ」
 また、泣き出しそうな顔だ。
 ――もっと、傷つけたい。
「なんで誠二兄は……俺と寝るの」
「締まりがイイから」
 穂の頬が暗い中でもわかるくらいに赤くなった。でもその瞳の色は傷ついている。
 今更だろ。俺と寝まくってるくせに――変なとこで恥じらいが残っているのがイラつくし、妙に興奮もする。
「声も顔もエロいし。中で出せるしな」
「……それだけ、かよ」
「は?」
「誠二兄は、気持ちイイってだけで男と寝れんのかよ」
 必死な顔でにらまれて、頭の中が静かになる。
「おいおい……俺に何を期待してんだよ」
 びくりと穂の細い肩が震えた。
「俺が期待してることを教えてやろうか。おまえの尻にぎゅんぎゅんに絞られて、気持ちよく射精することだよ」
 恥ずかしいのか怒っているのか、顔を赤くしている穂を押さえつけた。抵抗をみせる首元に顔を埋めて強引に愛撫する。
「や、やだ――」
「やだ? おまえいつも、欲しいって言うじゃねーか」
 覗き込んだ穂の目が困惑に揺れる。
「中に出して、ぐちゃぐちゃにして、って言うだろ」
「やめ……」
「おっきいのでたくさん突いてって泣くくせに――」
 ばしっと、小気味いい音が頬で弾けた。叩かれた勢いで横向いた顔をゆっくりと戻すと、穂が目にいっぱい涙を溜めている。
「……俺はっ、セックスしたくてあんたといるわけじゃない……!」
「へえ?」
「……好きだから……っ」ぼろっと一滴零れる。「好きだから傍にいたいだけだよ! 悪いのかよ!」
「ああ、悪いね」
 穂が俺のすごんだ声にぐっと息を詰まらせた。
「恋だの愛だのやるつもりはない。おまえ、それでいいって言っただろ。忘れたのかよ」
「……っ」
 唇を噛んだ穂を冷ややかに一瞥してベッドを降りる。そのまま部屋を出て行こうとすると、どんっと体が揺れた。
 穂が背中に縋りついている。
 今の今まできゃんきゃん言ってたくせに。ここはおまえが荷物引っ掴んでドアをガタガタ言わせて飛び出していく場面だろ。
 涙目になっている穂の胸を強く押した。勢いでベッドに座り込んで見上げてくる穂に目を細める。
「嫌いだ。俺のことが好きだとか言ってくるめんどーな奴は」
 穂の目から、大粒の涙が一粒こぼれる。
「俺は後腐れがないのがいいんだよ。わかってんだろ」
「わ……わかんない……っ」
 ち、と思わず舌打ちする。
「だって、俺は……誠二兄が好きだから、シてる、のに」
「だから。知るかっての」
「じゃあなんで、いつも気持ちよくしてくれるの」
 突然放たれた言葉に、俺は固まった。
「もっと自分勝手に抱けばいいのに、おかしい……っ、俺、痛かったことない、誠二兄は嫌いな相手でもこんな風にするのかよっ」
 なるほど穂は、俺のセリフとセックスの内容とのギャップに混乱しているらしい。
 わざと冷たく嘲笑ってやった。
「それ、もしかして褒めてるつもり?」
 穂が視線を床へ逃がす。
「そういう、ことじゃなくて、誠二兄は何考えて俺と――」
「それとも、もっと乱暴にしてほしいのか」
 言葉を阻まれた穂がはっとして俺を見る。違う、と小さく呟いて唇を噛んだ。
 もっと。もっといじめて、泣かせたい――。
「出てけよ」俺は冷えた声で言い放った。「これ以上ごねるつもりなら出てけ」
 穂の顔色が青ざめた。また涙が白い頬を転がる。
 それ、俺が好きだから泣いてるんだろ?
 俺のことが好きでたまらないから、いちいち傷つくんだろ?
 こみ上げる得体の知れない興奮に、背中がぶるりと震える。
 ――もっと、泣け。
 俯き凍りついたままの穂が憐れで仕方ない。虐めたい欲と、この体を使ってべタベタに甘やかしたい欲とが交互にやってくる。
 その細い顎を指の背で撫でてみた。小さく縮こまっていた穂の肩がびくりと震える。
「うるさく言わねーんなら抱くけど。……どーすんの」
 穂を見下ろしながら、気だるく呟く。
 指を滑らせた頬が熱く火照るのが肌に伝わってくる。穂の緊張が戸惑いながら解けていくのを感じた。
 いつも、俺の手で容易く蕩けてしまう穂が不憫だ。
 ――俺みたいなロクでもない奴の、どこがいいんだか。
 セックスに慣れた男に弄ばれ傷つけられるばかりで、ひとつも良いことはないのに――どこか他人事のように思いながら、真っ赤になった耳の後ろを指で撫でる。熱い耳たぶを揉んで、ゆっくりと指先を耳の奥に押し込むと、穂が息を詰めてぞくりと震えたのがわかった。
 親指で、震えている唇を撫でてやる。すると、力が抜けた穂がシーツにへたり込んだ。
「……もう」穂が涙をこらえて息を詰める。
「もう、俺のこと嫌いでもいいから、触って……っ」
 諦めと快楽への期待が滲んだ表情で見上げられて、興奮した。
 膝でベッドに乗り上げる。悲鳴のような軋みが小さく部屋に響いた。


 お行儀よく着ているシャツの下に手を突っこむと、穂が体を震わせる。
 小さい声で、誠二兄、と言った。
 無性にムラついたので乱暴に剥いたら、ボタンが2、3個ふっ飛んだ。
 怯えているようで、でも、これから俺にされることを期待して濡れている目。
「……おい、マゾ。縛られるのと叩かれんのどっちがいいんだよ」
 言った自分の声がかすれていて、思わず舌打ちする。
「や……、叩くのは……っ」
「縛るのはいいのか」
 鼻で哂うと、穂が首を小さく横に振る。
「ひ、酷くていい、から……ちゃんとして」
 消え入りそうな声に、痛いほど勃った。
 なんだ。簡単なことだ。こいつも俺も狂っちまってる。
 一見、乱暴に見せても穂が感じるようにした。小さな乳首が膨れるまで噛んでいじって、震える性器を擦って舐めて、口に出させた。とろとろになって自分から脚を開くまで指で慣らす。
「……足抱えろよ」
 指を増やしてローションを中に馴染ませると、いやらしい音がした。
 穂の中を慣らしながら、切らしていて無いと言ったはずのゴムの封を口で切って充分に勃起した性器に手早く被せる。穂が喉を鳴らすのが聞こえた。
「待ちきれねーの」
 穂が、ん、と小さく呻く。完全にとろけてる顔が、俺の劣情を煽った。
 捩る腰を押さえつけて先をあてがうと、もう飲み込もうと吸いついてくるのを哂う。
「なんか言えよ。入れてやらねーぞ」
「い、入れて……っ」
「あー、萎えそう」
 穂が慌てて肩にすがってくる。
「か……っ、固くておっきいので、きもちいいところ、擦って……っ」
 必死な表情とあられもない言葉が思った以上にキて、血管が浮くほどでかくなったのには我ながら哂えた。
 安心しているようにひくついている穂の後ろを先っぽで探って押し入る。柔らかくて、熱い。締めつけられながら包まれていく感覚に思わずため息が漏れた。
「ぁああ……すご、ぃ……っ」
 穂が腰を震わせながらうわ言のように呟く。
 前立腺に当たった辺りを擦ると、穂のこらえきれない嬌声が上がった。
「ぅ、あぁ……! や、や、それ、しないで……!」
「さっきはヤれって言ったクセに」
 身悶える様子に満足して残りを押し入れた。尻と肌が当たって音を立てる。
 いきなり、ぎゅんと中が締まった。仰け反ってシーツを握り締めたまま痙攣したのを見ると、ドライでイッたらしい。
「は……っ、あ、ぅっ」
「っ、入れただけでイっといて、なにが、イヤ、だよ」
「ぃい……っん!」
 異物を押し出そうと締めつけてくる中をリズムをつけて擦ると、穂が仰け反りながらヨがった。全身をひくつかせて喘ぐ様子はいつ見ても俺を充血させる。
「い、イイ……っ」
「どんな風に」
「頭が、まっしろに、なっちゃ、ぅ……っ」
「もっと言え」
「せーじ、にぃの、気持ちい、ぁ、あ」
 閉じようとした穂の膝を押し開いて動きを速める。浅い上側を集中的にいじめた。
「あ、だ、だめ、そこ、またイくっ、イっちゃうからっ」
 とろけた中がうねってたまらない。俺は上半身を起こしたまま動くのを中断して、穂の体に覆いかぶさった。この方が声もよく聞こえるし顔もよく見える。快楽に溺れてトリップしかけた最高にエロい顔が。
「ほら、イけ。ほら……っ!」
「あっ、ぅ、誠二、兄ちゃ、ん……っ」
 舌足らずに呼ばれて、虚を突かれた。背中を快感が走る。穂が、がくがく震えて俺の下で達った。痙攣する粘膜に吸いつかれて深く押しこむ。
「っ、く、ぁ」
 あんまりヨくて思わず声が出た。穂の奥の奥で、止めていた息を吐くように熱を解放する。
 全身でしがみついてくる穂の体の震えを感じながら、俺は快感の頂点での射精を存分に味わった。




 さっきまでの痴態が嘘みたいだな――横で寝息をたてている無垢な顔を見て、思った。
 最中、勢いに任せて肩に咬みついた時の歯形が、ベッドサイドの灯りに浮かび上がっている。さっきまで締めつけられていたモノがじんと甘く疼いた。
 まだ残っていた涙が穂の目から零れる。
 その濡れた頬を指の背で拭った自分を、奇妙に思った。
 ずっとこのままでいられるわけがない。永遠に続くものなんてない。
 寝息を立てている頭を小突く。
 いくら冷たく突き放しても縋りついてくる。どんなに酷くしても泣きながら好きだと言う。
「……早く、諦めろよ」
 煙草がしまってある引き出しに手を伸ばす。隣に寝ている細い体が身じろいだ。
 引き出しに伸ばしかけた手を止めて、代わりに穂の痛みのない無垢な髪を指で梳く。
 俺らしくない、こんなのは――そう言い聞かせてみても。
 俺は、引き出しを開けることができなかった。




初出 2009/02/24
修正 2019/12/22




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