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サディストの憂鬱


※作品の性質上、強い性表現、暗い表現を含みます※






1、溺れた魚


「俺、男にマジにならないから」
 そう、はっきり言われてた。
 それでもいいって俺も頷いた。
「重いのは勘弁」
「とりあえず体だけなら」
「気持ちいいことしかしない」
 全部呑んだ。水みたいに。そんな条件いくらでも呑める気がした。
 それぐらい、この人が好きだった。
 少し年上の近所のお兄サン。
 これが恋だってわかったのは、俺が思春期ど真ん中の頃だった。
 好きで好きでたまらなくて。久しぶりに道で会って顔を見た瞬間、爆発した。
 今になってみれば、バカだったなって思う。
 出された条件に片っ端から頷いて、なすがままに体を繋げて。
 結局、重なっていくのは虚しさだけだった。
 どうしようもない関係をだらしなく続けて、俺はあっという間に学生服じゃない年になった。




 ぼんやりと、暗い部屋の隅を眺める。
 だるい体を起こせない。隣で動く気配にベッドが軋む。
 漂う闇が胸の中に入ってきて、俺にそれを言わせた。
「……誠二兄、いつやめるの」
 少しの沈黙と、煙を吐き出す音。
 何度も色を抜いているんだろう緩く波打つ髪を掻き上げて、床から拾い上げたダメージの強いデニムを履いている。その動作のすべてがおざなりに見えた。
 誠二兄には他にもこういうことをする相手がいるらしい。何人いるのかは知らないし、中には本命がいるのかもしれない。ただわかるのは、俺は何人かの遊び相手の内の一人にすぎないってことだけだ。
「俺といつまで続けるの、こういうの」返事がないのに焦れて言葉を重ねた。
 誠二兄が肩越しに俺を見る。憂いの強い目の凄味と色気が、俺を黙らせた。
「俺になにを言わせたいんだよ」
 誠二兄の言葉端が嗤ってる。気だるそうな指先が煙草を灰皿でねじ消すのを見ながら、俺は胸に渦巻いていた言葉をやっと捕まえて吐き出した。
「こういうの、よくわかんないよ、もう」
「なら、やめれば」
 どうでもいいような口ぶりで興味なさそうに向けられた背中に、俺の引っかき傷が無数に浮いている。ついさっきまで誠二兄の体に溺れていたことを思い出して、打ちのめされた。
 いつもはこのまま黙りこんで結論を出さないのは俺の方で、誠二兄はそれを鼻で哂って話を切り上げる。
 でも今日はいつもと違うんだ。
「……もうやめる」
 だって息ができないんだ。二年近くこんな関係を続けてきて、キスしたって揺さぶられたって胸が苦しくてしょうがない。
 ついこの間シた時の誠二兄は、あからさまに誰かと寝てきた後だった。記憶にないキスマークや香水の甘い移り香を纏って、俺を抱いた。そのセックスの間、俺は泣いてしまった。悔しくて情けなくてみじめで、俺はこんなとこで何やってるんだろうって涙が出た。
 お互い欲求だけ満たした後で、誠二兄は煙を吐き出しながら言ったんだ。
『ヤッてる最中に泣くとかありえねーわ。重いんだよ』
 わかってはいたけど。
 俺の気持ちは本当に、一個もこの人に届かない。
「――俺、ほんとは煙草嫌いだし。あんたが他の誰かの匂いさせてんのも吐き気がする」溜まった感情が吹き出してくる。「最低だし、最悪だ……!」
 きっとまた重いって言われる。でももういいんだ。これで終わりなんだから。
「俺だけ……俺ばっかり必死になって。ほんと……バカだった」
 無理矢理ここまで来たけど、体だけなんて関わり合いはやっぱり俺には無理だった。
「全部やめる。こんな一方的なの、虚しいだけで何の意味もないってわかった」
 誠二兄は何も言わない。俺がいなくなろうがどうでもいいんだ。鼻の奥がツンとして暗い視界がぼやける。
 ――好きだって、思ってほしかった。本当は。
 ほんの一瞬でもいいから。
 でも無理だ。この人は俺のことを好きになってはくれない。
 ……泣いてたまるか。こんなところで泣きたくない。
 心を決めてだるい体を起こす。足をついたフローリングの床が冷たい。腰がだるくて、さっきまで誠二兄を受け入れてた所が熱っぽかった。 下着を探して拾って、足を通す。
「っ!?」
 急に、上げかけた下着の上から股間を握りこまれた。
「誰が仕込んでやったと思ってんだよ」
 後ろから低い声を荒っぽく耳に叩き込まれて、背中が芯から震える。
「せ――っ」
 ベッドに仰向けに引き倒された。
 誠二兄はいつもどこか冷めてる。遠い目をしていたり、まともな返事をしてくれなかったりで、煙に巻かれている気もする。
 なのに俺を組み伏せる時はいつも、憂いの強い目に青い炎が宿っている。興奮か怒りか俺にはわからない。そういう色に一瞬、誠二兄の特別になれたような期待をして、でもやっぱり裏切られてきた。
 もうこれ以上がっかりしたくない――俺の肩を押さえつけてる腕を押し返す。
「どけよ……っ」
「俺とケリがついたら他の男漁るわけだ」
「なに、言って――」
「いつも散々よがってくわえ込んでる奴が、今更どうやってやめるつもりなんだよ」
 抵抗する間もなく脚を開かれて抱え上げられる。
「や……っ」
 下着の上から尻を掴まれた。さっきまで受け入れていた場所にデニム越しのそれを押しつけられて、体が痺れる。
「やめろよ……!」
 誠二兄が俺の下着に両手をかけてひと息に横に裂く。布が情けない悲鳴をあげた。
 完全に圧しかかられて、足をばたつかせてもびくともしない。残った布の断末魔がして下半身がむき出しにされた。誠二兄のジーンズのジッパーが降りる音がして、心臓が速く鳴る。
「乱暴にされんの、好きだろ?」
 俺の膝の裏を押さえつけてる手。どこからか湧いてくる甘いざわつきに唇を噛んだ。
 違う。こんなのは、違うはずなのに。
「す、好きじゃない……っ」
「腰立たねえぐらいヤられたかった?」
 冷えた目に見下ろされて、ゾクゾクしたものが背中を這い登る。
 誠二兄に言葉でいじめられると、蕩けはじめる自分が嫌だ。快感を知った体が俺の気持ちを無視する。
 いつも受け入れている場所に熱いぬめりを感じて、息を呑んだ。
「んぅ……っ!?」
 先が潜りこんで来て、息を詰める。
 これじゃ、またいつもと同じだ。逃げられるはずなのに。
 ……なのに、俺は――。
 誠二兄の舌打ちに、ハッとして意識を戻す。
「緩めろよ、入んねーだろ」
 入りかけたところで止められて、俺は条件反射で腰を突き出してしまった。強張った熱に拡げられて背中に電気が走る。蛇が這うようにズズッと入ってくるのを迎えるように尻が震えた。
「もう腰振ってんじゃねーか」
 鼻で嗤うように言った誠二兄をにらむと、虐ぶるような視線が降ってきた。
 ゆっくり出し入れされて、悔しい声が漏れる。抜き出される度に意識を持っていかれそうで自然と爪先に力が入った。腰骨が蕩ける。何も、考えられなくなっていく。
 誠二兄にされると、なぜこんなに気持ちよくなってしまうんだろう。俺の心はもうやめたいって叫んでるのに。
「あ、あ、や、ぁ……」
「っ、勝手に気持ちヨくなってんじゃねーよ」
 体を反転させられて、俯せて尻を突き出した体勢になる。恥ずかしい。俺が一番苦手な体位で、誠二兄が一番好きな体位だ。
「ぁ、アあ――……っ」
 すぐに押し入られて、背骨に砂糖水でも流し込まれたような快感が広がる。
「……おい、言うことあんだろ」
 背中に降ってくる吐息混じりの声が色っぽくて、中がジンジンと痺れ始めた。
「もうヤらねーっ、つってたのは……どこのガキだったかなあ」
 大きくゆったり出し入れされると頭がぼーっとしてくる。涙が零れて鼻がぐずぐず鳴った。
「や、ヤだぁ……」
「やだじゃねえ。言え」
 知り尽くされてるイイところを擦られて意識が甘く霞む。
 また、負けてしまう。
 気づかれたくない。まだこの人のことが好きだってことを知られたくないのに。
 理性が白旗を上げて、好きな人に抱かれる気持ちよさに支配されていく。
「いい……っ、すき、誠二兄ぃ……っ」
「どうして欲しいかってきいてんだけど」
「して……奥っ、擦って」
 願いを口にすれば、誠二兄は寸分違わず叶えてくれる。おなかの奥をズンズン突かれる衝撃が体中に響いて、苦しくて気持ちがいい。腕の力が抜けて突っ伏したシーツに胸が擦られる。
「ぅ、あぅっ、んっ、ん!」
 もう力の入らない脚をいっぱいに開いて誠二兄に全部を委ねる。こうしていれば、いつも必ず気持ち悦くしてくれるから。
 俺の腰に力強い指が食い込む。
「はっ、は……、ぅっ、あー……もう出そ」
 誠二兄のムチみたいな腰の動きがもっと激しくなって、体の中をいっぱい擦られる。体が溶けていきそうで夢中でシーツを引っ掻いた。伸ばした手に触れた枕に縋りつく。
「あーっ、あー……!」
「いく、イくいく……」
「ひ、ぃ、あ、ア、あ! あっ!」
「あーイくっ。中に出すぞ、もっと締めろ」
 誠二兄の切羽詰まった声と、肌がぶつかる激しい音に興奮した。お腹の奥に必死で力をこめると、誠二兄が体を緊張させてうめく。
(あ……出てる……)
 敏感なところに誠二兄のがかかってるのがわかる。
 そのまま一度。またがって、もう一度。
 その後のことは憶えてない。




 朝。目が覚めたら、横には誰もいない。
 開け放たれた窓が昨夜の余韻をすべて奪っていた。
 ……また別れられなかった。
 この悪い夢の終わりが見えない。
 ――嫌いになりたい。二度と顔も見たくないほど、嫌いに。
 ただ、それだけのことなのに。
 好きで好きでたまらない人との気持ちのないセックスは、切れないナイフで鱗を剥がされるみたいだ。
 俺は泣きながら、溺れて、水面に浮かぶ日をただ待っているだけなのかもしれない。




初出 2008/05/12
修正 2019/12/22




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