花嫁はイラついていた。
何に、って、他でもない。これから夫となる花婿に対してだ。
(挨拶挨拶ばっかり)
立食パーティ形式の披露宴、丸いテーブルの隙間を縫って歩く。
ミシンになった気分だ。
挨拶の一日になることは覚悟していた。けれど、大事なこの日に、挨拶まわりに忙しい花婿の背中しか見ていない。
(綺麗って言ってくれてない)
誰のために苦しいコルセットをつけて、重たいドレスを着てると思ってるのだろうか。
花嫁は、小さくため息して自分の派手なカクテルドレスを見下ろした。
……似合ってるのだろうか。
よく考えてみれば、50近い花婿の衣装だって白のタキシード。若作りな気がした。
(これじゃ、ただの見世物だわ)
晴れの日なのに、気が重い。
「今日は来てくれてありがとな」
夫と来賓の男性が、肩を叩き合う。旧い友人のようだ。
花嫁は、その男に目が吸い寄せられた。
銀と黒が基調の質の良い着物に身を包んでいる。睨みのきく顔立ちが、歌舞伎役者にも見えた。
(わ。渋ーい……)
目鼻立ちがくっきりとした男前だ。
「西村は、着物を着させるとさすがだな」
花婿に西村と呼ばれたその男は、一瞬目を細めて口端を上げた。
結婚の問題
西村鉄郎。東京の下町で老舗呉服屋を営んでいる男。
着物離れの進むこのご時世でも、父親の代からの生業を堅実に守っている――2人の会話から、そういった基本的な情報は把握できた。
「俺は、大事な今日の日におまえが『西村』を着てくれなかったことを一生恨むぞ」
「はは、すまん!」
話に夢中で、紹介もしてくれない。
花嫁は、声を上げて笑う花婿の後ろで、所在なく着慣れない赤のカラードレスを撫でていた。ふと視線を感じて鉄郎を見る。目が合うと、強い眼差しにドキリとした。
「美人な嫁さんだ、ドレスがよく似合ってる」
「あ……」
見つめられて、思わず頬が熱くなる。
(……『ドレスがよく似合ってる』――)
頭の中で、渋味のある低音が再び響いた。
「おい、式場で妻を口説くなよ」
さっさと冗談のように流してしまう夫が恨めしい。
(本当は、最初に夫からその言葉を聞きたかったのに)
式の日からこの調子では、果たしてこの先この人とうまくやっていけるだろうか――花嫁は、内心ふてくされたような、いじけた気持ちになっていた。
「そういえば西村、再婚はどうだ? まだまだいけるだろ」
「生憎、でかい息子の世話と家業で手一杯だな」
そう言って、鉄郎が背後に目を向ける。
花嫁は、その視線を追って息を呑んだ。
人波を涼しい顔ですり抜け、小顔で上背のある青年がやって来る。
鉄郎の後ろで足を止めると、新郎新婦に向かって深々と頭を下げた。
「西村章宏です。この度はおめでとうございます」
若いけれど落ち着いた声に、一瞬で耳が火照る。
「あ……ああ! 章宏くんか!? 大きくなったなー5年ぶりだね?」
花婿の声掛けに、はい、と簡潔に答えて、章宏が顔を上げる。
微笑を浮かべて立つ姿は、大和美の権化のようだ。
花嫁は、芸術品を鑑賞するように章宏に釘付けになっていた。
濡れたような黒髪、意志の強そうな双眸。
光沢のある濃紺の羽織と着物、白銀帯に包まれた姿は白い肌とのコントラストも手伝って、ため息が出るほど美しい。
「いやあ、これは……驚いた。恐ろしく美男子だ」
花婿が、思わず感嘆する。
和装の青年の端正な顔立ちは決して西洋的でなく、東洋人特有の清潔な色気を湛(たた)えている。何より彼を美しく見せているのは、物腰や目配りの品の良さだった。
そして、強い印象の中に儚さが覗く。
見ているだけで切なくなるようで、花嫁は小さく吐息した。
「西村の若い時も相当だったけど……いや、これはおまえの最盛期を上回るぞ」
「俺たちの話はいい、ほら、長話をしていたら俺が他の来賓に睨まれる」
鉄郎が、洒落のきいた言葉で場を他に譲る。
その言い方も実にスマートだったものだから、花嫁の脳裏に、結婚をはやまったかという考えが過ぎった。
花婿が、鉄郎に「また飲もうな」と声をかけて会場を進んでいく。
その背中に慌ててついて行きながら、花嫁が話しかける。
「……なんかすごいわね、息子さん。俳優か何か?」
「鉄郎が手塩にかけて育ててる『西村』の跡継ぎさ。芸能活動どころじゃないさ」
「そう――」
章宏から視線を引き剥がし、夫を振り仰ごうとした視線の先。
両手にカクテルグラスを持ち、足早に歩く青年の姿があった。
細身のライトグレーのスーツに、ペールグリーンのネクタイを締めた姿は、結婚式にふさわしい爽やかさ。
その手の中の、カクテルの炭酸の気泡が揺らいでいる。
花嫁は、今度はその青年から目が離せなくなった。
まだ少年の雰囲気を残した、仄かな女性性を含んだ瑞々しさは、春の若木や初夏の色浅い若葉を思わせる。
(かわいい子ー……)
母性本能をくすぐる繊細そうな表情。白い肌は、会場の熱気で少し紅潮して見える。
足早に歩く姿から懸命さや純粋さが感じられて、直接話してもいないのにまるで彼の性格を知っているような気になった。
そのまま目で追っていると、彼が辿り着いたのは――着物の青年、西村章宏の広い背中だった。
「えっ」
「ん?」
思わず声を上げたら、花婿が振り返った。
「な、なんでもない」
笑って誤魔化して、何食わぬ顔を装いながら青年二人に目を戻す。
章宏が、スーツの青年を振り返る。カクテルグラスを受け取りながら何か話しかけている。
花嫁は、どきん、と胸が強く打って息を詰めた。
章宏のその眼差し。
スーツの青年に注がれる静かな視線が、強く艶を帯びて見える。眩しいものを見るように目を細めたかと思うと、何気なくスーツの青年の前髪を指先で梳いた。
その、肌に触れないように髪に触る様子が、かえって扇情的だ。
「ね、ねえ、あの子は?」
たまらずに花婿の袖をひく。章宏と一緒にいるスーツの青年を遠慮がちに指さし、彼の正体を夫にたずねた。
「ん? ああ、名前なんて言ったかな……鉄郎の次男坊だよ」
「兄弟なの? 全然似てない」
「弟は母親似なんじゃないか」
「別れた奥様に?」
「直接会ったことはないからわからないけど……おお!」
花婿は、友人に話しかけられて大げさにハグをしている。
その間も、花嫁は西村兄弟が気になって気になって、周囲に愛想笑いをしながら二人を盗み見ていた。
世間一般の『兄弟』を知り尽くしているわけではないけれど、普通は喧嘩ばかりするものじゃないだろうか。夫にも弟がいるが、彼の弟の扱いはまるで奴隷のようだし。
なのに、章宏のあの雰囲気。弟に無関心なようでいて、人混みから離すようにさりげなく背中を守って立っている。
そして弟は、その庇護に安心して身を任せていて、時々兄を見上げてははにかんでいる。
仲の良い、微笑ましい兄弟の姿のはずなのに。
……さっきは一瞬、恋人同士のように見えてドキドキした。
(――男の子同士なんだけど……)
見ていると、ハラハラして落ち着かない。
花婿が、突然振り返って言う。
「思い出した。晴哉くんだ」
「章宏くんと……晴哉くんね」
晴哉が、章宏の着物の袖を軽く引いて少し踵を浮かせる。
章宏は、慣れた風に弟の口元に耳を近づけた。
晴哉が何を囁いたのかわからないが、章宏が少し眉を寄せて微笑む。
その兄の笑顔を嬉しそうに見上げる弟。
新婦の胸中をこそばゆいものが駆け抜けた。
二人の様子に、自分がどこかに忘れていたものを見つけた気がして、ふと、来賓と話す花婿を見上げる。
(……私、この人のこと、今もあんな風に見つめられてるかな――)
出会った頃の面映いような感情。愛しいような感覚。
この人に全てを捧げて、全てを知りたいと感じていた時のこと。
兄弟の姿に、恋をする自分の姿を重ねていることを不思議に思いながら、花婿の腕にそっと手を回す。
「ん……?」
ふと、花婿が見下ろしてくる。
その双眸を見上げて、見つめた。
「……どうしたんだ、急に」
「ううん」
胸がむずむずする。その気持ちを隠さずに表情に乗せると、花婿の相好が緩んだ。
「なんだよ……今日はひときわ可愛いな」
そう言って、組んだ腕に包むように触れてくれた。
――言ってくれた。
欲しい言葉が、やっと聞けた。
一方的な感謝の気持ちをこめて、もう一度盗み見た兄弟の姿は、もう人波に消えていた。
2015/07/15
久賀
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