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俺が教会に行くようになったのは、それから間もなく。
きっかけは、徹に「いつでも来ていいのですよ」と誘われたことだった。
父親が暴れる夜に母さんを連れて逃げた時も、徹は嫌な顔ひとつせず教会に引き入れてくれた。この頃、徹はいつでも俺たちが駆け込めるように教会に泊まっていたらしい。
両親が離婚した時は、聖堂で物思いに耽っている俺を構わないでいてくれた。
老神父が亡くなったのは、それから2年後。
徹は、引き継いで街の教会の司祭になった。若すぎる司祭だったけどみんなに歓迎された。
徹は忙しくなって、輪をかけて世俗を脱いでいった。
そして、あっという間に宗教者としての凄みを纏うようになって。
でも……その時期から徹の中に仄かな昏さを感じるようになった。
丁寧な言葉の端にある、一瞬の冷たさや。
ひと気のない聖堂で十字架を見つめる、冷えた眼差し。
司祭になって、大勢の信者の苦しみを知るようになったせいかなと思った。
でも、もしかしたらそれは、聖者の中に悪魔を見ようとする俺の下卑た興味の産物だったのかもしれない。
その汚れた興味は、俺を黒く蝕んでいった。
そして俺が、17になる頃。
自分の中に、悪魔が生まれていた。
――『空良』。
徹に名前を呼ばれる度に。
その綺麗な手でふいに触れられる度、少しずつ大きくなっていく欲。
それはやがて、自慰という形で汚れた泥を吐き出す作業が必要になった。
自分の中に悪魔が棲みついたって、本気でそう思った。
溢れそうな欲求を飼い慣らしながら、教会に来る。
徹の声に、胸が絞られるようになった。
徹の気配に体が熱くなるようになって。
目が合えば縋るように近づいて、触れたい、そのすべてが欲しいって思うようになった。
徹に会う度、自分が嫌いになった。
これは、神父を堕落させようとする悪魔だ。
そんな俺をいつも、教会のキリスト像が睨みつける。
いつからか教会に入るのを躊躇うようになって、遠巻きに建物を眺める日が増えた。
汚れた自分を徹の傍に持ち込むわけにはいかない。
心だけはいつでも、徹の傍に行きたいと願っていたけれど。
2016/1/21 改稿