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 くそう。ちくしょう。

「あーっ、もう!」

 KO.とデカデカと点滅する画面が憎たらしい。
 コントローラーを放り出すと、クッションに、ボスっと音をたてて埋まった。
 ソファに頭を乗せて仰け反ると、覗きこむようにして眼鏡が言う。

「人んちの備品を壊すな、ガキんちょ」




 モノノアハレ




 ここは、うちの高校の保健医の家だ。
 マンションの一室、フローリングのワンルームで、テレビもソファー兼ベッドも8畳ぐらいの部屋にうまく収まっている。
 一見インテリ野郎に見えるこの男は、湯気がたつカップ2つをローテーブルにぞんざいに置くと、改めてテレビ画面を見た。
 うーんと唸って、中指で眼鏡のフレームを押し上げてる。
「……なんだよ」
「よえっ」
「もー、うるさい!」
 俺は、クッションを抱えてカーペットにベタリと座ったまま、ソファに寄りかかって天井を睨んでいた。
 隣に、保健医が座りながら言う。
「個人練習した方がいいんじゃないのか」
「俺は、実践で経験を積みたい派なの」
「……そんな派閥聞いたことないな」
 その涼しい顔が憎ったらしい。
「あんた、ホントは1人でやりまくってんだろ」
 そう言って睨むと、奴は、ノーフレームの眼鏡をとって、眉間を指で摘んで揉んでいた。
「……ガキにつきあってると疲れるな」
「ガキガキって言うな、おっさん」
 眼鏡越しのじゃない目が、ぎらっと俺を見る。
「俺が1人でやりまくってたら何だってんだよ?」
「なんだって……ズルいじゃん」
「何がズルいんだよ」
「一人じゃやらないとか言っておいて。ウソつき」
「悪いか」
「悪かないけど……」
「見せてやろうか?」
「え?」
「俺が1人でシてるところ、見たいかって言ってんの」
 ……なんだよその、怪しげな目。
「どんな風にやってるか、見るか?」
「……俺に何言わせようとしてるわけ」
 じとり目で言ったら、保健医は、へえと小さく声を漏らして片眉を上げた。
「ちょっとは知恵つけたか。つまんねーな」
「あんたな、俺が変な噂の弁解すんのにどれだけ苦労したか……!」

 例の、保健室でのこの男との会話のせいで。ベッドに寝てた生徒が妙な勘違いをしたらしい。
 次の日、遠巻きに見てくる同級生の視線が痛かった。

「噂ってなーに」
「知らねーのかよ」
「知らない。どんな噂?」
「だから――」
 説明しようと口を開けるんだけど、言葉が出てこない。
 ……代わりに、変な汗が出てきた。
「なんだよ。早く教えろ」
「だ、だから、その」
「ん?」
 ふふん、って感じに目を細めた奴の態度で、ピンときた。
 こいつ……からかってる。
「……その手には乗らないからな」
「なに、その手って」
「あんた、ほんとは知ってんだろ」
「何を」
「だから……噂だよ!俺とあんたの!」
「へえ。俺達の噂が流れてんの。どんなの?」
 眼鏡をかけ直して、にっこりと笑う男を殴りたくなった。
「……て、るんじゃないかって」
「ん?聞こえない」
「だから!や、やってるんじゃ、ないかって――」
「なにを?」
「もういい!」
 顔が熱い!
「なーにーをー?早く言えよー」
 不機嫌そうに促されて、張りついてしまった喉から絞り出す。
「……俺とおまえが、え、えっち、してるんじゃないか、って……」
 無言の間。
 ……いたたまれない。なんかしゃべれよアホっ。
「あ〜、その噂」
 眼鏡を押し上げて、奴が言う。「知ってる」
「ふ……っざけんな……!」
 殴りかかったものの、クッションで防がれて、易々と手をとられた。
「は、離――」
 言いかける間に、拳の中指の第三関節をぺろっと舐められる。
「ぎゃっ!」
 なにその色気のない声、と保健医がしかめっ面した。
「……おまえ、物の哀れってもんを知らないの。いやん、とか言え」
「ふざけんな、舐めるなよ!」
「殴り返すより効くだろ?」
 掴んだ手首を離させようと、ぐいぐい引っ張る。
「はな、せっ」
 テレビ画面から流れるゲーム音楽がうるさい。
 掴まれた手をぐっと引っ張ったら、ぱっと離されて体勢を崩した。
 後頭部を床に打つ。
「いっ……て……」
 カーペットが敷いてあってよかった。反撃のために起き上がろうとしたら、ぬっと奴が視界に現れた。
「……!」
 両手の檻に入れられて、心臓が踊りだす。こんな風に見下ろされるなんて、屈辱的だ。
「……なに。どけよっ」
「おまえ、俺にからかわれるんの好きだろ」
「は、はあ?」
「俺の家に入り浸ってんのも、俺にちょっかい出されたいからじゃないの」
「違う!俺は、あんたに勝ちたくて――」
「オカズ、俺なんじゃない?」
 一瞬、頭が真っ白になった。
「俺の手?舌?それともこれ?」
 手をとられて、スラックスの上から、保健医のそこを触らされる。
 ……なんか、腰が、むずっとしてしまった。
「……こんなシチュエーション、結構妄想で使ったんじゃない?」
「なっ、ばっ、何言って――」
「図星じゃん。顔真っ赤」
 うるさいっ、と胸を押し返す。
 足をジタバタさせて起き上がろうとしたけど、胸で肩を押さえられて身動きできなくなった。
「シテやろうか?」
 耳に注ぎこまれて、不覚にもびくっとする。
「俺の手、使うチャンス到来だな」
「嘘、冗談だろ先生――」
 出した声が緊張で震える。
「なーんだ……しおらしく先生、なんて呼べるんじゃない」
 ふ、と耳に息を吹き込まれて、うわっと声が漏れた。
「……恥ずかしけりゃ目ぇつぶってな。すぐに何もわからなくなる」
 ジーッ、とジーンズのチャックが降ろされる。
 やだ。
 ……なんだよ俺、期待するなよ。
 指先でなぞられて、腰がもじもじする。
 大人なんか嫌いだ。こういう慣れてる感じとか……すげームカつく。
 ――頭がぐるぐるして、ぎゅっと目をつむった。
「……っ?」
 動く気配のない保健医を不審に思い始めた頃、ふ、と笑い声が降ってきて、バチリと目を開けた。
 起き上がったそいつは、さっさと元の位置に戻って飲み物を啜っている。
 ちらっと横目で俺を見て、目を細めた。
「バーカ。誰がしてやるか」
「は、はあ……?」
「して欲しかったら可愛くおねだりできるようになれ。俺ばっかサービスして……阿呆らし」
「ふざけんな、なんで俺が――!」

「俺は、体よりも先に心が欲しいんだよ」

 ……眼鏡がさらっと言った言葉に、二の句が継げなくなった。
「おまえぐらいの歳は万年発情期だろ、いくらでも体に振り回される。気持ち良くしてやったところでおまえのことだ、なーんとなくそういう仲になるのが目に見えるよ」
「……なに言ってんだよ」
「わかんねーならいい」
 なんだよ急に。
 なに、真面目な顔してんだよ。
 ため息、つきやがって。
 大体俺は、あんたがそんなんでいっつも茶化すから、俺も――。
「……なんだよ、アンポンタン」
「もののあはれの、わかんねーガキ」
 ふざけんなよ。
 ……今更、素直になんかなれない。
「おまえがやりたいのは、子どものお遊びだもんな」
 この、ゲームみたいに。
 そう言って、大きな手が俺の頭を小突く。
「つき合ってあげますよ、ご満足頂けるまで」
「……ガキ扱いすんな」
「ガキだろ」
「ガキじゃないっ」
 カップを掴んだ手を押しやって強引に顔を寄せる。
 眼鏡が鼻に当たって、カシャ、と音を立てた。
「ン」
 奴の驚いたようなくぐもった声に、満足する。
 ぎこちなく保健医の口に口を押しつけたものの、その先をどうしたらいいかわからず離れた。
「……ガキじゃないっ」
「颯太」
「あんたがいっつもガキガキって言うから、俺は……!」
「あー、わかったわかった」
 頭を引き寄せられて、胸に押しつけられる。
 ぽんぽん、と宥めるように頭を叩かれて、うぐっと喉が鳴った。
「いじめすぎた。泣くな」
 ……んだよ、泣いてねえっ。目から水が出てるだけ!
「遊びじゃねえもん……っ」
「はいはい」
「あんたの家に来んのに、俺がいっつもどんだけ覚悟決めて来てるか知らないだろ……!」
「……そーだな、悪かった」
 ふざけんな。アホ。バカ。全然わかってない。
「おまえ全然わかってなさそうだから」
「わかってないのはあんただろ……っ」
「悪かったって」
 思春期相手にしてる自覚が足りなかった――そう言って、保健医がため息する。
 俺は、胸に額を押し付けたまま言った。
「……嫌いになるなよ」
「命令形かよ」
「俺のこと、嫌いにならないで」
 口にしたら涙声になって、俺の頭を宥めていた手が一瞬止まる。
 その手で髪を掻き分けるように後頭部を包んで、ぎゅっと揉まれた。
 宥めてた時と違う、やらしい触り方に思わず吐息が漏れる。
「……なんだおまえ、可愛くできるんじゃない」
「……可愛くなんかしてない」
「俺のこと、好きって言ったらキスしてやる」
 ふてぶてしいセリフのくせに、この距離で囁くように言うのは反則だと思った。
「……むり」
 なんで、と、不満そうな声が聞こえた。
「言ったら変になるもん。心臓とかヤバイし」
 見上げると、くっとその片眉が上がって、右手が俺の耳元を包んだ。
「……やっぱ、先に体からでもいいかなー」
「言ってること変わってんじゃんっ」
「おまえ、快楽に弱そうだし」
「タラシ保健医――」
「ぐずぐずにしてやれば、この口も可愛いこと言うかもな」
 食べるように唇を吸われて、体から力が抜ける。
「……保健のセンセと生徒って、なんかいやらしいよな?」
「この……っ、変態――」

 憎まれ口を言う俺の口は。
 あまりにも簡単に、タラシ保健医の唇で塞がれてしまっていたのだった。

 




 オワリ
 2012/4/15


 久賀リョウ
 (これ、拍手にアップしてたっけ……?)




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