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「また来たな……」

 呆れたような声が、陽が差す保健室に漂う。
 声の主は、窓辺のデスクに座る白衣の保健医だ。
 フチ無し眼鏡を指先で押し上げて、うんざり、って顔で俺を見た。





敗ケ知ラズ





 不敵な笑みを浮かべて悠然と椅子に座ったままの保健医に、俺は、渋々話しかける。
「……具合悪いんだよっ」
「出席足りなくなるぞ」

 ……あ。
 そっか、留年したら、また1年一緒に居られるーーなんてことは、口が裂けても言わない。
 実際そんなことになったら、親父に家を追い出される。

「だから……具合悪ぃんだって」
「ふぅん? では、本日はいかがいたしましたか」
「やめろよその言い方。やらしーな」
「なにがいやらしいんですか?」

 ……わざとらしい口調の余裕の笑いが、本当にムカつく。

「頭が……」
「悪いのか?」
「痛いんだよっ」
「はいはい。ほらこっち来い」
 言われて俺は、渋々と足を引きずりながら、保健医の傍に行く。
 慣れた風に額に手を当てられた後、胸元に手をかけられた。
「う、え?」
「体温」
 保健医が右手に持った体温計をちらつかせる。
 ぷつり、とひとつボタンを外されて、俺は飛び退った。
「じ、自分でできる!」
「元気そうじゃねーか」
 保健医に呆れたように言われながら、体温計を脇に挟む。
 数分間の沈黙の後、電子音とほぼ同時に体温計を取り上げられた。
「あー……平熱。気分的なもんでしょうねえ」
「う〜……っ」
「唸るな。犬か」
 呆れたようなため息と頬杖は、いつもと一緒だ。
「……優しくない」
「俺が優しくするのは、具合の悪い子だけ」
 
 長い指が、膝の上のピンクのファイルの角を弄んでいる。
 その指先を見つめながら、俺は、ぶすくれて言ってやった。

「眠いんだよっ、寝かせろよー……」
「ようやく白状したな。やっぱりサボりか」
「元はと言えばあんたが昨夜あんなに――」
「……あんなに、何?」
 頬杖ついたまま気だるそうに見つめられて、居心地が悪くなる。
「……め、めちゃくちゃするから、具合悪いんだろっ」
「鍛えておけって言ったのに。いっつもおまえ先にバテるんだもん」
「どうやって1人で鍛えるんだよ!」
「1人でもできるだろ」
「俺はあんたみたいに独り暮らしじゃないから、やりたい放題できないし」
「独りぐらしだからって、俺はやりまくらねえよ」
「……じゃあ、なんであんな巧いんだよ」
「生まれながら巧いの」

 生まれながらうまい奴なんかいるかよ、嘘つき保健医!

「じゃあ、俺以外とはしてないってのかよ」
「しないよ。……颯太(そうた)とだけ」
 呟かれてむず痒くなる。
「嘘。……遊んでそうなのに」
「俺、淡白なんだけどな――知らなかった?」

 じっと見つめられて、なんだかもぞもぞしてくる。

「それも嘘だ! じゃあ、なんで俺とはあんなにするんだよ」
「ん―……泣き声が可愛いからかな」
「サド!」
「泣き顔もイイね。ひいひい言ってるときの颯太が一番可愛い」
「どエス!」
「……楽しんでるくせに」
 素知らぬ顔で言われて、言葉に詰まった。
「もう一回してって、いつもおねだりするクセに」
「だってあれは――」
「一回じゃ足りないんだろ?」
「ち、違う、俺は……やられっぱなしじゃ悔しいから!」
「へえ、意外と負けず嫌いなんだ」
「そりゃ、できるならあんたをひいひい言わしてやりたいね」
「百年早いな。おまえは俺にめいっぱい可愛がられて、泣かされてればいいの」

 反論しようと口を開けたら、部屋の隅のベッドから男子生徒が転がり出てきて、バターン!と派手な音と一緒にドアから飛び出して行った。

「……あ。1人寝てたんだった」

 口も手も敗け知らずの保健医が白々と言う。
 口も手も敗けっぱなしの俺は、奴を睨みつけながら言った。

「大丈夫なのかよあいつ。顔真っ赤だったけど……熱あんじゃねえのか。連れ戻さなくていいのかよっ」
「誤解しちゃったんだろ、彼は」
「え?」
 保健医は、多感な時期だからねえ、と呟いて、また呆れた顔でため息をした。
「おまえは……相変わらず鈍いね。まあそんなところもイイけど」
 そう、よくわからない独り言を言って髪を掻き上げている。
「なあ、今日もあんたの家行っていい?」
「ダメ。授業サボった分勉強しろ」
「お願いします! あんたとやりたいんだって!」

 両手を合わせて拝むと、保健医が足を組みながら言った。

「お願いしますご主人様、と言え」
「おねがい、ご主人様。一緒にやろ?」
「……おまえ、変なところで素直なのな」

 保健医が苦笑する。
 その、仕方ないな、って感じの表情。……結構好きかも。

「わかった。ただし覚悟して来いよ」
「よっし! 今日こそは勝つぞー! 今度はキャラ変えて戦ったら勝てるかも」
「颯太、おまえわかってる? 俺が言ってるのは、ゲームもいいけど――」
 保健医が、少し声を低くする。「もっと別の遊びもしてみない?ってことなんだけど」
「……なに、別の遊びって」

 眉間に皺を寄せたら、保健医は、参った、と呟いてがくりと項垂れた。

「……俺、鈍い天然って大っ嫌いだわ」
「誰のこと?」
「――」

 いい大人は、それっきり黙ってしまった。
 ふてくされてるような困っているような妙な表情をしながらそっぽを向いている。
 その横顔に「なあ、今日行くよ?」と念押しする。
「たくさんしよ? 俺、絶対うまくなるから」
 すると、保健医は、心底呆れたように俺を見て言った。
「……俺、おまえのおかげで解脱できそう」

 俺は、どうやら仏道に入るらしい保健医を、精一杯応援してやることにした。


 終ワリ
 2012/3/12
 2014/05/06 修正




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