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 体が、ビリッとした。
 清水さんの、あの熱っぽい目。
 絵でも眺めるようにしげしげと見つめられて、言葉が出ない。
「あ、すみません俺、調子に乗ってベラベラ――」
「遊ばれてたら?」
「え」
 清水さんは、ウインドウのへりに肘をついた手に頭を預けている。
 その気だるげな空気が、俺をそわそわさせた。
「俺に遊ばれてるんだとしたら、健太はどうするの」
 返ってきた高速変化球に、一瞬頭が真っ白になる。
「え、っと……清水さんが遊びのつもりなら、俺、絶対ボロボロになるから……だから遊ばれてるんなら二度と会わないって決めないといけないし」
 しどろもどろになっていたら、清水さんの冷静な声が返ってくる。
「俺がほんとに遊び人で、健太をからかうつもりなら、"遊びじゃない。本気だ、愛してる"って言うと思うけど」
 ……その通り、だよな。
 この質問、はじめから訊く意味ないんだ。
 でも、嘘を吐かれたとしても訊いてみたかった。会って、清水さんに自分の気持ちを伝えたかった。
 その先のことは俺にもわからない。どうなるのかなんて想像もつかない。
 だってもう、想像以上のことが起こってるんだから。
「嬉しいよ」
「え」
「好きって、言ってくれたな」
「それはだから、清水さんが遊びじゃないんなら、って――」
「俺が遊びじゃなければ、恋人になってもいいってことだろ」
 正直に言ったら俺は、清水さんとできるだけ長く一緒にいたい。
 それが、恋人になるってことなら、そうなりたいんだと思う。
 でも、心のどっかで怖いとも思ってる。
 心も……社会的、にも……身体的にも。俺には、未知のことだらけだから。
「遊び人じゃない証明か……難しいな」
 清水さんがフロントガラスの向こうに視線を投げた。
 車内に静かな時間が流れて、俺は、その横顔にぼんやり見とれていた。
「じゃあ、ひとつ誓いを立てようかな」
 ――誓い?
 言葉の先が気になって、精悍な横顔を見つめる。

「君が高校卒業するまで、俺から君に触れたりしない」

「え」
「キスも手を繋ぐこともしない。高校を出るまでの1年半、俺が本気なのかどうか安全な距離で確かめたらいい」
 その思わぬ宣誓に、胸の鼓動が早く鳴りはじめる。
「1年半、俺はこの距離を守る。それなら怖くないだろ」
 そう言った清水さんの目は、熱っぽくて色っぽくて、頭がくらくらしそうな大人の目だった。
 背筋を駆け上がった電気が、背中の真ん中で弾けて全身に広がっていく。
「なかなか連絡くれなかっただろ」
「……すみません」
「謝ることじゃない。この間は、手加減しないなんて言ったから、怖がらせたかもなって反省してたんだ」
「清水さん――」
 この人は、俺の躊躇いを見抜いてる。不安なのもわかってるんだ。
 安心させるために、俺に誠意を見せようとしてくれてる。

 ……キスしたい、って思った。

 この間みたいな優しいキスじゃなくて、清水さんの本気を受け止めてみたい。
 怖いけど、でも、唇に触りたいって思った。
 その衝動が、たった今、誓いを立ててくれた清水さんの申し出を汚してしまったような気もして、自己嫌悪する。
 芽生えてしまった欲望の持って行き場に困っていたら、それを察したのか、清水さんの眼差しが熱っぽさを隠して優しい色に変わった。
「でも、デートはしたいかな。好きなところに出かけて食事とかさ。でも、それ以上のことはしない」
「それって……付き合ってるんですか?」
「俺のことを恋人だと思ったら、恋人だって言えばいい。……嫌になったら、やめるって言えばいいよ」

 ――この間の、キスの時と同じだ。

 途中下車を、好きな時に好きなタイミングで言う。
 俺には、それだけの権利が与えられて、清水さんは、俺に触らない誓いを立ててくれてる。
 複雑な思いに駆られたけど、でも、心のどこかで少しほっとしていた。
 でも、それ以上に寂しい。
 嬉しいはずなのに体を包む温度が冷えていて、清水さんの誓いの条件を呑んでいいのか迷った。
「清水さんは、それでいいの?」
「――いいよ」
 清水さんが、俺が座っている助手席の肩に、柔らかく手を置いた。
 俺の肩を抱く代わりみたいに。
 
「それが、俺の責任の取り方だから」

「……っ」
 じわっと、体の奥が熱くなる。
 ……好きだ。俺、この人のことが大好きだ。
 キスしたくてたまらない。
 清水さんが、ふ、と苦笑いをした。
「だから、あんまり色っぽい顔して誘うなよ」
 言われて、我に返る。
 慌てて自分の欲望塗れの表情を引っ込めて、すみません、と小さく呟いた。
「嬉しいよ。好きな子に理性をくすぐられるのは、気持ちがいいな」
 何気ない言葉に胸が締め付けられる。
 返事、今できる? 決められるか? と訊かれて、顔を上げた。

 本気なのか、遊びなのか、それはまだわからない。
 でも、清水さんのことが好きだっていうこの気持ちを抑えつけることもできない。
 暴走しそうな気持ちをどうやったらコントロールできるのか、俺にはわからない。

 ドキドキする胸を押さえながら、清水さんの眼差しを受け止めて、口を開く。

「……恋人にしてください。俺のこと」

 そう、言ってしまっていた。

 そうだ。
 いくら清水さんの心の内を探って安心しようとしたって、何もわからない。
 傷ついてみなきゃ、わからないこともあるかもしれない。
 俺は、今の自分の気持ちを素直に表現したいんだ。

 振られないように頑張りますから――そう付け足したら、清水さんが小さく笑う。
「そのままでいいよ。……よろしくな。健太」
 少し低い声音で名前を呼ばれて、体がぎゅっとなる。
 あっという間に飛び込んでしまった、清水さんの隣の位置。
 現実じゃないみたいで……でも、フロントガラスの向こうには、たった今まで働いてたコンビニの明かりが煌々と見えた。
「清水さん」
「ん」
「その……触らないって言ってたけど」
「うん」
「俺から触るのは、いいんですか……?」
 清水さんが、一瞬、驚いたように眉を跳ね上げた。
 けど、すぐに目を微笑ませてくれる。
「健太が触りたいなら、どうぞ」
 許可をもらって、俺は、運転席に体を寄せた。
 何をしようとしてるのかわかってくれたのか、清水さんがこっちに顔を向けてくれる。
 俺は、伸び上がるように、その唇に触れるほどのキスをした。
 離した唇を艶っぽい視線で追いかけてきながら、清水さんが呟く。
「……可愛いキスだな」
 恥ずかしくて居たたまれなくて、助手席に座りなおす。
「すみません、なんか俺――」
「謝るな、恋人だろ」
 その言葉が、体に熱を入れたみたいに指先まで痺れさせて駆け抜けた。
 緊張と快感が混じったような感覚が、体を満たしていく。
「送るよ。この間のところでいいかな」
「はい」
「敬語も、少しずつ直していこうな」
 笑いながら言って、清水さんがエンジンをかける。

 そのハンドルに置かれた手を、まだ実感のない心地で見ていた頭の片隅。
 ふと過ぎった怒り顔の美咲への苦しい言い訳が、ぐるぐる回り始めていた。


 終わり
 2011/12/30
 2012/01/04 修正


 No.70000ゲッター、がめ子様のリクエストで、「『おとなのひと』続編 その後もしくは、出会い編(清水サイド)」でした。出会い編にしようか迷いましたが、もう少し健太にやきもきしてもらおうということで、悩める続編に。とりあえず一話にまとまってよかったです。がめ子様、リクエストありがとうございました。
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