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証言1:鍋島室長



「永田ー」
 夜10時きっかりに上がろうとしているスーツの男を呼び止めると、じろりと睨みをきかせてきた。
 こえーこえー。
 こいつには、公私混同という言葉がない。
 残業。
 飲み会。
 タダ働き。
 こうした単語を口に出した途端、部屋の気温はマイナス273℃になる。
「なんですか、鍋島(なべしま)室長」
 ……とてつもなくゆっくりした口調で言われると、二の句を告げるにくくなるなあ。
「今日、飲み会――」
「お先失礼します」
「ちょっと待った」
 若者らしい黒鞄を素早く掴んで、帰りかけた永田を引き止める。
「大事な話があるんだよなあ」
「勤務時間内にしてください」
「おまえの受け持ちに関わる話なんだけど」
 永田が、ぴたりと動きを止める。
「日野くんているだろ。ホームの方の」

 うちの学習塾『アドバンス・ワン』は、家庭教師派遣と個別塾の両方の業務を行なっている。
 前者をホーム、後者を塾と呼んで区別しているのだ。

「……日野がなにか」
 珍しく怪訝な表情を浮かべている永田に、俺は、ようやく一本とってやったような気分になった。


 ◇ ◇ ◇


「俺、ですか?」
 日野くんは、俺の話を聞いて大きめの目を更に見開いた。
 ブレザーの学生服の袖が幾分余っている。体は、親御さんの期待ほどには大きくならなかったらしい。
 俺が日野くんに話があることを、永田が昨日のホームの授業で伝えてあったらしく、学校帰りに塾に寄ってくれたのだった。
「永田先生ー。次、火曜ねっ」
「気をつけて帰れよー、宿題忘れずにね」
 永田が受け持ちの女生徒と談笑しながら、にこやかにロビーに出てきた。
 あの冷めた態度から想像できないほど、愛想よく教師然と振る舞っている。
 室長として言えるのは、素晴らしいの一言なんだが――。
 ちらりともこっちに目を配らない永田を、日野くんが困ったように見ている。

 永田は、どうも日野くんにだけ態度が冷ややかなんだよなあ。
 仲が悪い、わけじゃないだろう。
 だって、俺は先週末、見たんだぞ?

 先週末の休講日。
 俺は、四谷のスタバでコーヒーを飲んでいる永田を見かけた。
 休日に学生街で珍しい――と思っていたら、永田の横の席で日野くんが問題集と格闘をしているのが目に入って更に驚いた。
 休日に?
 あの永田が、個人的に生徒の勉強を見ているのか?
 真面目に勉強しているようだったし、見守るにとどめたたが、後日、永田には口頭注意した。
『勤務外で生徒との私的な会合は禁止』
 それが、わが塾のルールだからだ。
 第一、勝手に勉強を教えられたら商売上がったりでもある。それこそ、"授業時間内にやれ"。
 そう言った俺を永田は、軽蔑の眼差しで睨んでくれたものだが――給料を払ってるのは俺だ。文句は言わせない。

 と、回想している内に、永田が涼しい顔でカウンターに来て、日野くんの隣に立った。
 そのスーツの腕が制服の腕に触れて、日野くんが戸惑ったような歯痒そうな表情で永田を見上げている。
 ……なんだよ、初々しいな。
 正直、男子生徒相手に悪いが、かわいらしいとも思った。
 永田は、日野くんの動揺している視線をそっちのけに何食わぬ顔で教材を手にとり、パラパラめくっている。
「永田。日野くんに説明してなかったのか?」
「説明しておけとは言われなかったので」
 そっけなく言い放つ永田を見て、日野くんが不満げに眉を寄せてうなだれる。
 その姿を横目に見た永田が一瞬ほくそ笑んだように見えたが……いや、俺の気のせいかもしれない。史上最強に意地悪そうな笑顔に見えたけどな。
 俺は、カウンター越しに今一度、日野くんを口説くことにした。
「緊張しなくていいよ。授業してる風景を何枚か撮らせてもらうだけだから」
「動画も、って言ってませんでしたっけ」
 あ、このバカ。
 永田が、しらっと言いやがったせいで、日野くんの体が余計に強張った。
「あの、俺、そういうの苦手で――」
「いいんだ!普段通りいてくれれば!」

 俺が目論んでいるのは、『アドバンス・ワン』のプロモーションビデオとパンフレット制作にあたって、日野くんに生徒役のモデルになってもらうことだ。
 プロに頼むと金がかかるし、なにより、日野くんなら下手なモデルに頼むより、いいものができそうでもある。
 彼は、理想の生徒像に近い。
 裏表がなさそうなはにかんだ笑顔に、爽やかな青のブレザーとグレーチェックのパンツの制服がよく似合っている。
 時々、高校の課題を持って塾に来ては、休み時間の永田を捕まえて質問しているのだが……その素直な姿にも好感が持てた。

(こんな息子がいたら、買い物に連れ回してみてえなあ)

 ……と、40半ばの男(俺)に思わせるのだから、末恐ろしい男子高校生ではある。
 そして、教師役は永田にする。
 教師としての質に申し分ない上、悔しいが、この一見人当たりの良さそうな甘いルックスで女生徒に人気がある。
 2人をコンビでプロモーションに使えたら、ぐっと生徒数も増えるだろう。
「日野くん、受けてくれないかな?」
「はあ……」
 渋る日野くんに、永田が視線も向けずに言う。
「室長が高級和食おごるってさ」
「……おいおい」
 高くつくじゃないか。高級和食ったらコース、軽く万はするんだぞ。
「安く使えると思ったら大間違いですよ」
 永田が、ロビーの隅のコピー機で問題集をコピーしながら言う。
 こいつ、こっちの考えを見透かしてやがるな……。
「高校生なら、焼肉の方がいいよなあ?」
「あ、はあ」
 苦し紛れに言うと、日野くんの苦笑いが返ってきた。
 背を向けたまま永田が、言い放つ。
「日野は、肉より魚ですから」
「……なんでおまえがそんなこと知ってんだよ」
 ケンカ腰に問いかけると、カウンターに戻ってきた永田が、日野くんの隣に並びながら表情ひとつ変えずに返事した。
「こいつの顔見ればわかります」
「……っ」
 あ、らら。
 日野くんが、ゆでだこになっちゃった、な。
 カウンターのへりを握り締め、俯いてしまっている。
 永田を見ていると、弟を素直に可愛がれない兄貴に見えてくる。可愛がってるんだな、これでも。
 まあ、わからないでもない。日野くんは確かに、可愛がりたくもなりそう、な――。
「鍋島室長」
 気温マイナス273℃の声音が、俺の、日野くんへの視線に割って入る。
「授業始まりますよ」
 あんた授業入ってるだろ早く行けよ、って顔で永田が冷めた目をした。
「わかってら、今行こうと思ってたんだよ。……日野くん、頼む!」
 ラストチャンスとばかりに両手を合わせると、日野くんは眉をハの字にして、ちらと永田を見た。
 永田が、ようやくその弱々しい視線を受け止めて言う。
「相手、俺だって言っただろ」
「……余計、緊張する」
「なにを今更」
 永田が、カウンターに手をついて、体ごと日野くんに向き直った。
「俺以外の奴ならいいわけ? ふーん」
「そんなこと言ってないし!」
 ……なんだよ、おまえらのその雰囲気。
 頭一つ分背の高い永田を、日野くんが必死に見上げて反論している。
「永田さん、絶対俺のこといじめそうだし!」
「おまえが、俺にいじめられたいんだろ?」
「な……っ」
 そんなわけないじゃん、って、日野くんが赤い顔で永田に掴みかかっている。
 こんなアグレッシブな日野くんは珍しい!なかなかイイかもしれない。
 スーツを掴んで、なけなしの反抗をしている高校生を見下ろして、永田が、ふと笑う。
「出演してくれたら、俺からもご褒美あげるよ」
「え」
 黒目がちな目が、一緒見開いた。
 ……だから。なんなんだよその空気。
 異空間に迷い込んだ気がしていたら、日野くんが振り返って言った。
「……俺、やります」
「え?あ、そ、そうか!ありがとう!」

 よくわからないが、永田のおかげでいきなり即決だな!
 いやー、なんにしろよかったよかった!

 日野くんの手を握ろうと手を伸ばすと、永田が中学数学のテキストを押しつけてきた。
「時間ですよ」
「あ、やべ」
 時計を見たら、確かに授業開始時間だ。テキストとペンケースを手に学習室へ向かう。
「日野くん、後でまた連絡するな!」
「あ、はい」
 日野くんの爽やかな返事が返ってくる。

 なんだかんだ言って、やはり永田も日野くんのことは気に入りの生徒に違いない。
 ただなんとなく、ロビーに2人を残して行くのは不安な気がした。
 原因はわからないが……室長の勘、だろうか。
 しかしもしかすると、日野くんは、完全無欠に見える永田の弱点なのかもしれない。
 この痛快な事実が、そんな杞憂はどっかに飛ばしてしまえと告げてくる。
 面白いことになりそうな予感はするし、いろいろと突っ込んで2人の様子をいじり倒したかったが、室長としての矜持はビシと持っていなければ。

 俺は、後ろ髪を引かれつつも、可愛い生徒たちが待つ教室へ向かった。


 おわり
 11/11/30


あとがき
67000ゲッター、松本様で「『いじわる』の続編」。がっつり続編でなく、2人の歯がゆい関係を客観的に楽しんで頂こうと、室長が登場。短時間で読める仕上がりです。証言編は、融通利きそうでいいなあ。別の人ver.も書いてみたい。リクエストありがとうございました!
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