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「嫌い? 虎雄に言われたのか」
俺は、兄ちゃんの訝しげな言葉に頷きながら、米を一口食べた。
「……二度と顔見せるなって言われた」
「怒らせるようなことしたのか」
気がつかない内にしてたのかもしれないけど、わからない。
黙っていたら、兄ちゃんがぽつりと言った。
「……年下相手にそんな子どもっぽいこと言う奴じゃなかったはずだけど……10年の間に変わっちまったか?」
兄ちゃんは、一瞬止まって、何か考える風に言った。
「……おまえを遠ざけなきゃいけない理由があったんじゃねえの」
「理由?」
「わかるだろ。あいつの親はヤクザだぞ」
そう言って、兄ちゃんが味噌汁を啜る。
「……ヤクザだと、なに?」
がく、と兄ちゃんがうなだれて言った。
「俺に訊くな、本人に訊け」
……本人に訊けば、教えてくれるんだろうか。
そもそも、俺と会ってくれるんだろうか。
「命がけだな。本当に嫌われてたら、おまえ、ただのしつこい奴だからな」
「うっ」
「危ねえことはやらしたくないけど……」
兄ちゃんが、ちらっと俺を見る。
「おまえ、言い出したら聞かないし」
「うん」
きっぱり頷くと、兄ちゃんがため息した。
「……まあ、虎雄がそこまで悪くなってると思えねーよ。俺は」
ぽつりと言った兄ちゃんの言葉に、少し光が見えた気がした。
本当に嫌われてたとしたら、本当の本当に、虎兄ちゃんが言っていたように、犯られて捨てられるかもしれない。
……でも、このまま会えなくなるよりよっぽどいい。
俺は、明日のために、ごはんをかきこんだ。
***
「東先輩、どこにいますか?」
昼休み、1人で居た虎兄ちゃんの取り巻きに廊下で声をかけた。
俺は、朝から虎兄ちゃんの居そうなところを探しているんだけど、跡形もなく消えてしまったようにどこにもいない。
東先輩の同級生の話では、登校はしてるらしいから、学校にはいるはずだ。
後は、取り巻きの人に訊くしかないってことで、今に至る。
「……気安く話しかけてんじゃねーぞチビ」
「東先輩に確かめたいことがあるんです。お願いします」
通り過ぎてく生徒が、驚いたように俺を見ていく。
坊主頭で怖そうな人だ。
その人に話しかけてる1年ってのは、確かに変かもしれない。
でも、怖いのは見かけだけかもしれない。
人を簡単に怖がるのは、もうやめたんだ。
覚悟もできてる。
殴られたっていい。俺は、虎兄ちゃんと話したい。
「うるせーな、知らねーよ。帰れくそガキ」
しっしっと手で追い払われる。
……負けてたまるか。
「心当たりだけでも!」
ぐっと体に力を入れて見つめる。
坊主頭のその人は、しばらく俺を睨んで、小さく舌打ちした。
「……ったく」
頭を掻いて、辺りを見渡しながら続ける。
「……東さんに、俺が言ったって言うなよ」
「は、はい!絶対言いません!」
思わず身を乗り出すと、坊主さんは迷惑そうに、声がでけえんだよ、と眉を寄せた。
「東さんがサボる時は、大体、化学資料室って決まってんだよ」
「それって……?」
「3Fの外れだ。あそこは先公も滅多に来ねえ」
「あ……ありがとうございます!」
思わず飛び上がって言うと、坊主さんは、少し照れ臭そうに口端を緩めた。
さっさと行け、と、またしっしと追いやられながら、俺は、頭を下げて、昼休みの終わりのチャイムが響く廊下を走った。
……早く会いたい。
会って、確かめたい。
嫌われてるのかどうか確かめるのも変な話かもしれないけど、居てもたってもいられないんだ。
教えられた『化学資料室』に辿りつくと、引き戸はぴっちりと閉じられていた。
緊張して、手をかける。
音を立てないように引いて、中を覗いてみたけど誰もいなかった。
「あれ?」
いない、のかな。
鍵は開いてるのに、人の気配がない。
足を踏み入れると、部屋には、天板の黒い4人がけの実験机が10個くらい並んでいた。
電気のついていない教室は暗くて、少しかび臭い。
「ここじゃなかったら、一体どこに――」
部屋に足を踏み入れて、戸を閉めようと手をかけると、ぐっと抵抗を感じた。
「……てめえ」
「!」
静かな、ドスの聞いた声に、弾かれたように振り返る。
戸口には、戸に手をかけて目を細めた、虎兄ちゃんが立っていた。