06

柔らかな日差しの下、庭の剪定をしていた男は手触りのよい百合の花弁に触れ、去年よりも花の瑞々しく良い出来映えに口元を緩めた。
昨年は気候が著しく変動していたために植物の成長を妨げた。だが今年は暖冬や冷夏などといった異常気象がなかったおかげで植物は去年より、いや例年よりも美しく咲き誇っている。
これならば人前に出しても何ら問題はない。
美麗な顔を緩め満足げに笑うと、紐で縛っていた袂を下ろし細長い剪定鋏を袂の中に仕舞った。
一連の男の動作は指先から足さばき、全てに置いて柔らかく優雅な所作であり、まるで佳人のように見える。
更に言うならば男が着ているのは女性物の着物であり、しかも顔立ちもどちらかと言えば中性的だ。外見だけでは、知己の者でなければ彼が男性だと判断出来ない。
そんな美麗な男の淡い桜の色を思わせるような唇が、静かに開かれた。
「…ようやっと。あれに持っていく花が出来た」
百合の花が咲く茶色の鉢植えを優しく撫でると、珊瑚のような瞳を細める。その奥には隠しもせずに思いを馳せる者へ会える喜悦を表していた。
それもそのはずで、男は二年近く上手く咲かなかった花の世話で、会いたい者に会えなかったのだ。それは一口に言えば花が口実でないと会えないという意味合いでもある。他人から見れば他愛もない理由だろうが、彼にとって見れば重要な問題だった。
「終いにするか」
陽の位置を確認すると、そろそろ中に戻らねばいつも見ているテレビ番組が始まってしまう時間帯になっていた。
録画はしていたが、先週も見逃した番組故に今回ばかりは放送時間に見たい。
若葉色の袖を翻し、カラコロと下駄の音を立てて目と鼻の先にある家屋を目指す。
和装を好む彼と合わせて住居も瓦屋根の古めかしい木造建築と考えるだろうが、残念ながらそれは違う。
古いという意味では間違いではないが、その様式は舞妓や芸者の住むエンジュシティのようなものではない。
どちらかと言えば外観は近代建築に近く、土木建築なのか壁には赤煉瓦や使われている。少しばかり褪せた赤が、花に囲まれた庭ともあっていた。
「さて…、…?」
レトロな硝子戸を開くと視界の隅に何かが入る。首だけをそちらにやれば、テーブルに置いてあったポケギアが着信を知らせる明滅灯になっていることに気付き、相手が誰であるか見るために画面を開いた。
「…珍しい。天変地異か嵐の前触れか?」
彼がそんな発言をするのも仕方ない。何故ならば着信相手は玄姫であったからだ。
普段から自分から電話を使うことを好まず、颯に使わせているというのにどういう風の吹きまわしだろうか。
首を傾げつつ留守番電話を開くとポケギアを耳に当てる。
『どーも。玄姫です。今週中に我が家に集合だよ以上。』
「…理由も話さずいきなり用件のみを告げてどういう育ち方をなさいましたか?」
『うわぁ。きっついなぁ』
一気に冷気を纏った声音に苦笑という形で返す玄姫。
人をおちょくるような声音に無意識に目を眇めていくとそれを感じ取ったのか、その怒りを流す様に別の言葉を掛けてくる。
『まぁそれは置いといて。緊急に集まって欲しいのは本当だよ』
「だから用件を言え」
『…お前ならこちらが理由を話さなくともわかるだろう?何しろお前は「アイツ」のとこに居た情報屋なんだからね。新聞記事にもなったあのことを知らない筈がない』
アイツと言った部分だけ低くなった声音に、ほんの僅かに肩を揺らした。
次いで反射的に声を荒らげそうになるのをはっとした様子で踏み止まる。

「…その手には乗らない」
一呼吸置いて冷静さを取り戻すと極めて普段通りに返した。すると可笑しそうに笑う気配が聞こえた。
『なんだ。バレてたの』
「馬鹿にしてくれるな。伊達にお前の側にいたわけじゃない」
玄姫は人の過去を知ろうとしない。それは過去を知れば何かしらの影響を与えてしまうと知っているからだ。
それは他人だけではなく身内にも適用される。
過去に対して、常に受け身というのが昔からの玄姫の性質であった。
だからこそ普段は踏み入らない領域にわざと触れたのは余程切迫しているのだろう。形振り構っていられないのかもしれない。
相変わらず不器用な生き方に呆れて溜息を吐きたくなる。
『ごめんねー。でもさ…もう放って置けないんだよ』
明るい調子で言われた言葉に思わず軽く目を見張る。次いで何かを思い出したかのように、金の瞳が暗い哀惜が宿される。
「…あれはお前の所為では無かろう。寧ろ…、」
『知ってて何もしなかったなら同罪だろう。しかもオレは「アイツ」と違って逃げたんだからね。それを考えれば罪の意識を感じるのは当然だよ。アイツだけが…ルリだけが悪いわけじゃない』
ルリ、という誰かを差す名前は玄姫とは他に、限られた人間にしか知られていない渾名だ。
彼女の名前を言う時だけ小さくなる声は、罪悪感が込められているように感じられた。
「悪くない。あの事は、お前も、ルリも…そしてあの子も。誰も悪くなかったよ」
ただ皆が間違っていただけで、誰も悪くはなかった。
未だに己の所業に悔いる玄姫を諭すように語る男に玄姫は笑う。
『だから偲はルリに置いてきぼりにされたんだよ。わざわざオレのとこなんかにね』
馬鹿にするでもなくただ笑って言う玄姫。それなのに、何故か泣いているように白髪の男は思った。次いで思い起こすのは幼い頃ずっと側にいた小さな愛らしい少女の姿と笑顔。
「…そうかも知れないな」
あれは優しかったから。だが愚かな故に泣きながらも棄てることが出来なかった。迷いが生じ、見誤ってしまった。
『まぁ。アイツは馬鹿だったけど愚かじゃなかったよ。良くも悪くも色々やってくれた。だからこそオレも禍根を絶たなきゃね』
歩き出さなければならない。過去ばかりを見ていてはいけない。まるで自分に言い含めるように話す玄姫に、同じ穴の貉である偲は、慰める言葉を持っていなかった。
「…お前のそれは同情か?それとも哀れみか?」
偲はただ問い掛けることしか出来ない。それが玄姫が傷つくと理解していても。
不意に黙った玄姫は小さく、笑った。
『どっちもだよ。それと同族愛護ってとこかな』
護ってはいないけれど、と言葉なく続けられた先を偲は聞いていた。
「そうか…」
『あは。もういい?じゃあ待ってるよー』
切れた通話を暫く見つめると、偲は白い髪を乱暴に掻き上げて溜息を吐いた。
出来るならば今回の召集には行きたくはない。面倒だという訳ではなく、ただ単に嫌な予感がするのだ。玄姫に話を聞いた時から頭の何処か本能とも呼ぶべき場所で、これ以上無いほど絶え間無く脳髄が疼き、警鐘を鳴らし続けている。
今回の件は絶対に危険であると。
だが行くと言ってしまった手前、今更自分からは断れない。寧ろこの件を断ってしまった方が恐ろしいことになりそうだ。
どうしようもない葛藤に苛まれた偲は、静止したままのポケギアを握り、苦い表情を浮かべた。






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