05

カントーのとある地方。
目の前に広がる肥沃な大地は盛りが過ぎた為に青々とした艶のある野菜は刈り取られ、今は緑の色すら見えない。
「…ぜっ…くそ、」
そんな場所で荒く息を乱して膝から崩れ落ちる青年がここに一人。
赤く短い髪にはタオルを頭に巻き、体には髪と同じ色をしたジャージ服。
二日前まで新品だったそれらは肉体労働を強いられていく内に何年も使い古されたものと代わりなく見える。
疲労の濃い顔には幾つもの汗が滴っていた。衣服に覆われていない、男にしては白い素肌は長時間陽の光に照らされていた為に痛々しい程赤くなっている。
ちりちりとした小さな痛みに顔を顰めると青年は苛立たしげに舌打ちをした。
そんな彼の側でひたすら作業に没頭していたもう一人の青年は人相の悪くなっている相方に小さい息を漏らす。
「…あんまり眉間に皺寄せてるとその内取れなくなるぞ」
柄の長い鍬を右肩に担ぎ左手には鎌を持っていた。こちらも鎌と鍬を持って雑草相手に格闘していたのだろう。さらさらの薄水色の髪はヘアバンドで纏められているが、長時間の農作業で所々汚れていた。赤髪の青年が着ているものとは違い、青いジャージを着ているがその衣服も泥に塗れている。
息ひとつ乱していない様子を見ればまるで彼が働いていないように見えるが、実際は未だに荒く息を吐いている青年よりも多く動いていた。
「…イラつくなって言われたって無理に決まってんだろッ!つか何でお前は俺よりも働いてんのに疲れてないんだよ!?」
「心外だ。これでも結構疲れてるんだがな。あとそんなに大声を出すと体力が無くなるぞ」
感情を余り感じさせない淡々とした言葉を紡ぐ彼は、しっとりと汗のかいた額を肩に掛けたタオルで拭う。
「結構で終われてるとこがオっかねーよ」
口元を引き攣らせて涼しい顔色をする相方を見ると、何故かこちらを無言で見つめてきた。
黒水晶のような瞳はただ反射鏡のように見ている対象を映すばかりで何を考えているのか読み取らせない。
「夏人」
「…んだよ」
御座なりに返事をすると相手からは再び溜息を貰う。それが勘に障り益々眉間に皺を寄せると苛立ちから舌打ちが出た。
そもそもこういった類の奴を苦手とする自分としては話したくない相手だ。だが都合上どうしてもコレとは共に行かなければならず、文句は出せなかった。
今になって後悔する羽目になるなら最初に断るべきだったのだろう。
吐き出せない苛立ちに胸中を支配されていると突然頭上から大量の冷たい水が降ってきた。
「ぶはっ!泡遠!いきなり何しやがるッ!?」
全身がずぶ濡れになったが、一先ず首を振り顔に掛かる水を飛ばすと夏人は泡遠を睨み付ける。
一方睨み付けられた泡遠は特に気にした風もなく宥めるような仕草をした。
「落ち着け」
「これが怒られずにいられるかっ!返事したらしたで何も言わずに溜息吐くは、挙げ句の果て突然水掛けるとか何がしたいんだよ!?」
「落ち着け。」
沸き上がる感情のままま声を荒げると泡遠から感情の凪いだ静かな眼差しを向けられる。
「……んだよ、」
そういった眼差しが苦手な夏人は泡遠の視線に言葉を詰まらせる。
「この暑さで気が立つのもわかるがな…少しでも頭を冷やせ」
「…ッくそ!」
乱暴に舌打ちをして泡遠に背を向けると中断していた作業に戻った夏人。
頑ななその姿に泡遠は嘆息するとその場は胸に掛けていた懐中時計を取り出す。
金色の鎖に通された金属性の懐中時計。美しく細やかな装飾の施されたそれは芸術性に富んでいた。
時計盤の針は彼と口論をしていた所為で三十分も過ぎている。
泡遠としては熱くなりすぎて喧嘩を続行するより、互いに協力して作業を早く終わらせることの方がよっぽど有益だった。
 だからこそ夏人の負けん気の性格を逆手に取ったのだが、今の夏人の様子を見る限り、この方法を選んだのは失敗だったかもしれない。

夏人の場合、突然の事態に反応出来なかった自分への苛立ちを含めて怒鳴ったのもあるのだろう。
どうにも彼は周囲より自分が劣っていることが許せないらしい。
 それは多分、あの場所で孤高に生きてきた彼の誇りと、蓄積してきた努力があるからこそなのだろうが、如何せん、その性格の所為で、周囲との協調性が欠けている嫌いがある。
境遇を思えば仕方ないと思えるが、同情するだけでは何も変わらない。
それは夏人自身も解っているようで、時折もがいている節が見られる。
泡遠の言葉に反抗しつつも、自分に与えられた仕事をこなす忠実さがいい例だ。
「(まぁこれからだしな)」
時間はまだある。ゆっくり治して行けばいい。
瞬き一つの間に自分の気持ちに折り合いをつけ、さて自分も作業に戻るかと袖をまくると、不意に持っていたポケナビが着信を告げた。
首に巻いていたタオルで軽く汚れを落とすと、未だ鳴り続けるポケナビを持ち、表示された名前を確認する。
次いで泡遠は軽く目を見張った。
「…珍しい…」
心底そう思う。何しろ電話を掛けてきた相手は、電話を使う処か、電話を持つことすら面倒臭がる人間なのだ。
連絡が取れないのは不便だからと仲間内で協力して無理矢理持たせたが、やはりと言うべきか、彼は自ら率先して使うことが余りなかった。
必要最低限の連絡事項も、常に傍らにいる存在に任せきりにする始末。
ポケナビを持たせて三年が経つが、仲間たちも余りにも使わない彼に諦めかけていた。

だが今日、そんな思いを打ち砕く奇跡が起きた。
いや、もしかしたら彼の電話を借りた仲間が掛けてきたのかもしれないが、見えぬ通話相手故に期待は膨らむ。

震えそうになる指先を無理矢理抑えて通話ボタンを押した。
「…はい」
『やぁ泡遠。今は大丈夫かい?』
聞こえてきたのは、待ち望んだ彼の声。泡遠は、悲願は叶ったことに内心歓喜した。
「まだ作業中だ。」
『あはは。じゃあ夏人はキれまくりかな』
「手を抜くことをしない分、苛立ちも増してるな」
視線を夏人に向ければ、黙々と作業をする姿が見れたが、その表情は彼の苛立ちを表すかのように眉間には深い皺が刻まれている。
昼から変わらぬ照りつけるような暑さも相まって、我慢の限界も近い筈だ。水に属する自分でも、この暑さは堪える。
「一応、つい先程ガス抜きをしておいたが、早く帰らせないと暴れだすだろうな」
『そっかそっか。んじゃタイミングよかったかもね』
「どういうことだ?」
眉間に皺を寄せ、訝しげな泡遠に玄姫は平時の時よりも幾分か弾んだ声音で、その内容を告げた。
『んー?そのまんまの意味。「皆でお出掛け」でもしよっかなーって思ってさー…。さっきそっちの農家さんに今日中に切り上げて貰うように連絡しといたんだよ』
玄姫の言った言葉に僅かに肩を震わせた泡遠だが、その表情は変わらず無表情のままであった。
「…そうか。ならこちらもそろそろ準備をしておかねばな。何しろ俺も夏人も泥だらけだ」
『はは!じゃあ準備出来た頃に颯を迎えにやるねー。それじゃ』
「あぁ」
別れの挨拶と共に通話が切られ、電子音が何拍か鳴るのを確認してから此方も通話状態を解除する。
一度目を閉じると息を吐いた。
面倒事を避ける彼が動いたということは、それなりに厄介なことが起こる予兆だ。不意に最近の事件が脳裏を掠めるが、まさかと思い直す。
あれは大事だ。
これからくるだろう、それなりに波乱に満ちた日常に泡遠は些か頭が痛くなった気がした。


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