04

店が閉まると同時にやっと肩の力を抜くとカウンターのだらしなく寄りかかった颯に玄姫は柔らかく笑った。
「お疲れ様。」
「おーう…」
「今日はお客さん多かったもんねぇ」
布巾でテーブルを拭き終わると颯と同じようにカウンターに寄りかかる玄姫の顔もよく見れば疲れているように見える。
それに気付きながらも特に指摘することではないと判断し、別のことを口にした。
「スタッフ足りない時に限って何で増えんだ…」
せめてスタッフが充実している時に増えてくれたなら素直に喜べたのに。不満そうに口を尖らす颯にいつの間にか皿を洗い始めていた玄姫。
「まぁこんな日もあるって。それに材料取りに行ってるあっちもそれなりに大変だと思うよ」
「あー…まぁそうだろうな。農家行ったら明日まで二、三人は貸してくれって言われたし」
新鮮な青果を直売して貰う条件に農家に提案されたのが此方の働き手を時間がある時に貸すということだった。
確実に今頃彼らは馬車馬の如く働かされているだろう。颯自身何度か駆り出されていたので想像することは難くない。
「…僕、こっちで良かった。」
「あはは。農家の方が重労働だからね。颯は接客業の方が合ってるんじゃない?」
蛇口を捻り泡だらけの食器を水に流していく玄姫は軽く笑う。
何も言えない颯は口を閉ざして客のいない店内を適当に歩き始めた。手持ちぶさたでは難なので歩き消毒液と布巾を持ち、時々小さなゴミを見つけてはミニ箒セットで片付けていく。
ふらふらと適当にやっていくとテーブルに新聞紙が置いてあるのを発見した。客の誰かが置き忘れたか捨てていったのだろう。
溜息を吐きゴミ箱に捨てようと手を伸ばすと不意に気にする見出しが目に入ってきた。手に取って読んでいく内に颯は眉を寄せていく。
「……」
「何ー。なんか面白い記事でもあった?」
食器洗いが終わったのか颯の後ろから新聞を覗き込んでくる玄姫。だがそんな彼にも反応を示さず一心不乱に記事を凝視している颯に流石に可笑しいと感じた玄姫は彼が見ている記事に目を向ける。
程無くして颯が不動になった理由を見付けた玄姫はやんわりと目を細めた。
「…嗚呼。成る程ね」
何の感心も無さそうにそう呟くと玄姫は颯から離れて明日の仕込みをしにキッチンに戻る。
颯が見ていた記事にはリッシ湖エイチ湖シンジ湖の謎の蒸発。そしてその原因は神の怒りかそれとも某組織が関係しているのではと言うありきたりな文面があった。
普通ならもっと恐慌状態になっても可笑しくない。それだというのに、不安どころか表情さえ変えない玄姫に颯は不思議そうに首を傾けた。
「気になんないの?」
「気になるけど、まぁほっといても大丈夫でしょ。オレは自分に降りかからない火の粉はほっとく主義なの」
軽く手を振ってどうでもいいことをアピールすると玄姫は食器を棚に入れ始める。
「それはそうだけど」
「大体、神が人間に祟るなんて馬鹿馬鹿しい話だね。それだったら人間に祟るのは虐待されたゴーストポケモンって言われたほうがまだ信憑性はあるさ」
詰まらなそうに語る玄姫は手早く作業を終わらせると肩を回しながら言葉を続けた。
実際ゴーストポケモン以外にも人間に何かされたポケモンが傷害を為す事件は多々ある。
神として崇められている存在も実態は異能のポケモンだ。もし彼らが遥か昔の人間に酷いことをされたなら人間を恨んでいるかもしれないが、現在に至るまで神と崇められているポケモンを見たのは極僅か。
寧ろ恨む原因など作る機会がない。
「まぁ百歩譲って今回の湖の蒸発に神が関係するとしても、神自身が湖を蒸発させたとは思えないね」
「何でさ?」
「だって普通自分の安住の場所を自分で壊す?」
「…そういえばそうだ」
「でしょ。」
だから湖を蒸発させたのは神じゃない。
「多分…記事の言葉を信じるならその某組織が怪しいね」
楽しげに笑いながらそう言った玄姫の目は笑っていなかった。
「はぁ…なんて言うか、神っていう存在がいるかも知れない場所を荒らすとか…人間の考えてることは分からないや」
水道の蛇口を閉め、濡れた手をタオルで拭いながら言い切る玄姫はわざわざ椅子を持ってきて座る颯に顔を向ける。
「そう?案外単純だよ。人間ってのは」
「いや分からない。だって神でも人間でも住処を荒らされたら誰だって頭にくるじゃんか。なのに荒らすとか…正直考えられない。今頃、湖の神様キレて仕返しに行ってるんじゃない?」
湖を蒸発させたのも自分たちの科学技術を見せつけるためなのだろう。
理解不能なことに顔を歪める颯。水道の蛇口を閉め、濡れた手をタオルで拭いながら足を動かし、玄姫はその隣に腰かけた。
「荒らすだけなら、まだいいけどね」
「はぁ?十分悪どいじゃんか」
嫌そうに眉を寄せて抗議の声を上げる颯。その隣で座っている玄姫は自然な動作で足を組む。
「まぁね。だけどさ。こんな大事件を起こした犯人が湖を蒸発させただけで帰るとは思えないんだよ」
「じゃあ何が目的?」
記事に載せられた写真には広大な湖が消え、その所為で露出した大地が写されていた。
「多分、この湖に住んでる神様じゃないかな」
「…神、さまを?」
「うん。多分だけどね。こんな大規模なことするとしたら湖にいる神を手に入れることくらい考えてる筈だよ。もしかしたらもう手に入れてるかもね」
事も無下に大それたことを言う玄姫に唖然とした颯は暫く口を閉じることを忘れた。
「それ…現実にあったら大事だぞ」
「あり得ない現実ではないと思うけど?」
淡々として笑う玄姫にこれは何か確信があるのだと思った颯はそれを聞こうとして、止める。
彼が昔からそういったことには口を割らないことを見に染みて知っているからだ。
その代わりに彼は別のことを口にする。
「店長、は?」
「ん?」
「そこまで考えてるなら店長は助けに行く?」
恐る恐る口に出してから颯は自分の行動を後悔する。それは薄く笑う玄姫を目にしたからだ。
感情など感じさせない、ただ笑うだけの表情で玄姫は口を開く。
「行かないよ。だって面倒じゃない」
柔らかな口調で言われるそれは口先だけの言葉なのか、それとも心からの言葉なのか。颯には解らなかった。
玄姫の表情を見て固まってしまった颯に気付いたのか、玄姫は一呼吸置くとそれまで張り詰めていた空気を柔らかなものへと変える。
まるで今のことを無かったかのようにするように、可笑しなくらいにいつも通りに。
「…まぁでも。一応貸し出し中の『彼ら』を呼び戻すくらいはしとこうかなぁ」
「もうちょっと…気遣ってあげない?」
「んー…考えとく。さてと。仕込み仕込みー」
いつもの緩い笑みを浮かべ、軽い冗談を言うと、新聞紙を片手に持って玄姫はキッチンへと向かった。
完全に玄姫の姿がなくなったと同時に颯は深く息を吐き、全身から脱力する。
「(相変わらず、アイツのアレはこえー…)」
がしがしと乱暴に頭をかくと、椅子の背凭れ部分に額を乗せ、先程まで感じていた何とも言えない感情をやり過ごす。

颯にとって玄姫のあの目は一番苦手なモノだ。何も感じない、何もかもを諦めきったあの仄暗い色をした瞳が、心底恐ろしい。
時々何を考えているか分からない玄姫であるからこそ、あの無を全面に出した時が、より周囲に得体の知れない恐怖心を与える。

玄姫は何も言わない。
身元の知れない存在でも過去を聞き出そうとはしない。
それは玄姫なりの優しさなのかもしれないが、どこからどう見ても善人には見えない玄姫故に、颯は余計に恐怖を感じる。
玄姫の垣間見えたこの表情が、良くないものであることだけは颯の心に深く刻まれた。

◇◆◇
颯が恐怖に心を震わせている頃、キッチンの奥深くまで来たところで玄姫は足を止めた。
「…さて。」
持っていた新聞紙を目の前に広げると、先程見ていた事件の記事の見出しに視線を向ける。
畳まれていた所為で颯は見えなかったようだが、実はこの記事には現場の写真も掲載されていた。
そこには大々的に取り上げられた凄惨な事件現場と、隅の方に緑玉色の髪に頬元で切り揃えられた特徴的な髪型の女性が写っている。注意しなければ気付かない程度の大きさだが、その存在を知っている者には充分な大きさだ。
眉間に皺を刻み、まるで睨み付けるように写真部分を見ていた玄姫は不意に深く息を吐いた。
その溜息は苛立ちからではなく心底安堵したものからくるものだ。
「あー冷や冷やしたっ!アイツが気付く前に取ってきて良かったよホント」
シンクに腕をつき脱力しきった彼からは、先程までの威圧感など欠片も感じられず、普通の青年にしか見えない。
それは彼自身が故意に周囲に対してそう見えるように振る舞っているからこその賜物で、彼の性格は本来威圧感とは無縁のもの。寧ろ面倒事をことごとく嫌う性格なので、先程のような颯に対する態度は必要性がない限りあまり表に出すことはしない。
けれど玄姫は颯にこの写真を見られたくなかった。
この写真に写るものは、颯には苦い記憶しか呼び起こさないからだ。出来れば思い出すことがなければと願っていた。それは今も変わらず思っていること。
だからこそ玄姫は敢えて颯に恐れられような態度を取ったのだが。
「今頃颯はオレの態度にビクビクしてんだろーな。ぶっくく…っ」
予想したものよりも大きなリアクションで恐怖を現にした颯に、玄姫はそんな思いを吹き飛ばして、笑いを堪えるのが精一杯になってしまった。
だが颯には気付かれまいと必死に笑い転げたい衝動を隠していると益々怯えた態度になる颯の姿には、流石の玄姫の表情筋も危うく崩れ落ちるところになった。
「ぷっ…ぐくくっ…げぼっごほ!ぐっほ…あー笑った」
眦に残る涙を拭いながら、青年は本来の目的であったポケギアを取りに控え室へと足を向けた。


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