03

食器を片づけながら店を出て行くお客に笑顔で見送ると頬を染めて名残惜しそうに帰って行った。
大体お昼過ぎになった辺りから半数以下に減った客足にやっと一息を吐くとカウンターに近くに座っている老成した男性に柔らかく微笑まれる。
「お疲れ様だね颯君」
「っ…すみません、だらしないところ見せてしまって」
しまったと言う気持ちが面に出たのか颯を見ながら男性が目元の皺を更に深め、髭の生えた口を動した。
「気にすることはない。やっとピークが過ぎたんだ。気が弛んでも仕方ないさ」
「はは…以後気を付けます」
口に生えた髭を柔らかに笑う男性に颯も気恥ずかしそうに笑い返す。
この老成した男性は店の常連客だ。週に二回は必ず特等席に座りゆっくりしていくので、颯の記憶にもしっかり刻まれている。
男性が頼むのは紅茶や珈琲が多いが時々サンドイッチやサラダを頼む時もある。
今日は日替わりメニューである紅茶セットだけだが、かれこれ一時間以上は同じ場所に座っていた。
多分そろそろ帰る時間だろうと見当をつけていると男性は空になった茶器を置くと席を立つ。「では、私もそろそろお暇しようかな。そろそろ帰らないと妻の手料理が食べられなくなるからね」
「おや。もうお帰りですか?」
帽子を被り直す男性に声を掛けたのは店長である玄姫だった。いつの間にか後ろに居た店長の姿に思わず肩を震わせる颯だが、そんな彼の姿など目に留めず玄姫は男性に話し掛ける。
「いつもならもう三十分はいらっしゃるのに」
「はは。何、今日は結婚記念日でしてな。妻が腕によりをかけて夕食を作ってくれるようなんだよ」
殊の外嬉しそうに笑う男性の姿に玄姫はそうでしたかと穏やかに笑って返すと、申し訳なさそうに目を細めた。
「それは嬉しいですね。余計なことを言ってしまってすみません」
「構わないよ。逆にこんな老いぼれのことなど覚えていてくれて嬉しい限りだ。じゃあ私はこれで帰るとするよ」
「はい。またのお越しをお待ちしております」
「あぁ。今週中には必ず」
帽子を傾けて会釈して店を出て行く男性に玄姫と共に颯も深く頭を下げる。ドアに掛けられた鈴の音が涼やかな音を立てると扉の閉まる音が鳴った。暫らくしてからほぼ同時に顔を上げた二人は男性のテーブルから空になった食器を片づけて行く。
「そういえばあのお客さんって店長の知り合い?」
「なんで?」
濡れた布巾でテーブルを拭きながら疑問に思っていたことを尋ねると首を傾げてくる#neme#。そんな彼に目を向けずに作業をしている颯はトレイの上に食器を乗せると食器の擦れる音のするキッチンルームに向かった。
「だってお店始めたばっかの時から店長ってあのお客さんと結構親しげに話してたじゃない?だから気になっててさ」
「驚いた。開店初日にあんなにガチガチに固まってたのによく周りのこと見れたね」
「あれはっ…接客業経験初めてだったんだから仕方ないだろ?」
純粋に感心しての言葉だろうが颯には揶揄されて言われた言葉にしか聞こえない。#neme#に接客業を押し付けられて嫌々ながらやっていたあの時は本当に人生でも思い出したくない日々だった。
初日の数々の失態を思い返してしまい、眉間に皺を寄せて溜息を吐いていると隣から小さな笑い声が聞こえてくる。
「ぷっくく…そうだったね…くくっ。いやぁあの時は本当に助かったよ。オレだけじゃ目が回るほど忙しかっただろうしね」
右手で腹を抱えながら爆笑したいのを抑えている玄姫。悪気のない姿に思わず原型になってアイアンテールを食らわしたくなったが、未だ客のいる店内で暴力行為は出来ない。
我慢我慢と口の中で念仏のように呟くと颯は拳を固く握り締めて誓った。
この諸悪の根源である店長を営業終了時と共に絞めることを。
「いやぁ。いい思い出も思い返せたし、今日は後でキッシュでも作ろうかな」
「イタリアンピッツア風味ね。チーズとベーコン多めで」
「いいけどサラダは最初に食べてね」
やっぱり後日にしよう。夕飯につられて自分に誓ったことをあっさり覆した颯の決意はとても片手では足りなかった。だがそれを誰も知らないのが彼の唯一の救いなのかもしれない。
「じゃあお店もうちょっとだから頑張ろっかぁ」
「おーう」
気の抜けるような柔らかい掛け声に同じく緩く返事をすると再び扉が開く音がする。
「いらっしゃいませ」
日暮れはもうすぐそこだった。

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