10

息もせず、静かに。
死に逝きたかった。
魂さえも切り捨てて。
生きることを放棄したくなった。
だって疲れきってしまったから。

世界は残酷だ。一番以外の望みは叶えられなくてもいいのに、逆に二番以降の望みばかりが叶う。
願う事と相反していくだけで、結局は叶わないのだから、まるで誰かの掌で踊らされているようにしか思えない。
それが嫌で何度も何度ももがいた。耐え難い人生を向けられ、子供のように足掻いた。
けれど何も変わらなかった。紛れもないこれが現実。
そして自分が生きた軌跡であった。

だけど本当は…。

◇◇◆

装置から解放された神々によって崩壊しかけていた柱が倒壊し、玄姫の躯はその下敷きとなった。泣き叫ぶ颯は取り戻そうと足掻いたが、それを無理矢理押し留めた偲だった。崩落していく神殿を後に一同は、最期に玄姫から渡された紙と鍵を頼りにある場所に向かった。
そこは玄姫がかつて裏の顔で使っていた隠れ家の一つだった。
暗い廊下を歩いていくと鉄製の扉が一枚出現する。鍵の掛けられたそれに持っていた差して鍵を回すとカチリと音を立てた。
扉を開くと外気よりも寒い冷気が肌を撫でる。思わず震えるも、手探りで部屋の明かりをつけるべく壁を触っていく。するとスイッチらしき凹凸を感じ、指先だけの感覚でそれを押す。
すると、部屋の照らした部分に置いてあるモノを見て、皆が雰囲気を硬くした。
「な…どう、して…」
瞠目する颯の手から、カサリと真っ白な紙が冷たい床の上に落ちた。
呆然と立ち竦む人影の中でやがて一つの影が覚束無い足取りでその棺に手をつく。ついでその中に入るモノを見た瞬間、ガブリアスであった彼は透明な雫を落とした。
「ッ…な、…さな、サナっサナッやっと、会えた…っやっと!」
真っ暗な部屋にたった一ヶ所だけ照らされた棺。
そこは紛れもなく、玄姫が最後に訪れた少女の遺体が眠る棺の間だった。
ガブリアスである彼が、暴挙に出た理由である少女は、彼が最後に見た姿のまま玄姫の手によって安置されていたのだ。
依頼したルリと偲以外、そのことを知らされていなかった颯達は愕然とした面持ちでそれを見た。
「…彼女はサナ。かつて玄姫の知己であるルリの誤りで消された少女であり、颯…いや。今はもう杏だな。お前の最初のパートナーでもあった」
淀みなく告げる偲に颯は目を見開いて驚きを現わにする。何故関係のない偲が自分しか知らない過去を知っているのか。
「昔、自分はルリの手持ちだった。あぁ勘違いするなよ。自分が玄姫の元に来たのはルリがまだその少女に出会う前のことだ」
ルリと聞いただけで殺気立つガブリアスにそう言うと、刺々しい気配が薄れていった。
そのことを感じ取り偲は話を続ける。
「ルリが彼女に手を掛けたのはルリが幼い頃に一家を惨殺されたことが原因だ」
「ざん、さつ…?」
言われた言葉が頭に入らない颯達を見て偲は笑う。
「アイツの家は金持ちでな。その裏には悪どいことをして資金を得たというのもある。まぁ怨恨か強盗かは分からないが、そういった理由で家族を殺されたあと、幼いルリは殺されずに襲われたんだ」当時旅に出ていた玄姫は久しぶりに逢いにいった彼女の姿を見て愕然とした。
そして話を聞いた後、怒りが頂点に達した彼は誰にも告げずに単身犯人を捕まえて亡き者としたらしい。
「だがそれが間違いだったんだ」
重々しく言った偲は、何処か遠くを見るように視点をずらす。
玄姫が戻った時、ルリは消息を絶っていた。
焦った玄姫はルリを捜索するために色々と手を尽くし、最後には裏の世界にまで入った。そこでやっとルリの情報は掴めたはいいが、相変わらず居場所までは突き止められない。
精魂削るように必死でルリの元へ辿り着いたときには、彼女は何の関係もないサナという少女を殺めていた。
「そのことは自分よりも当事者である杏と、そこにいる黒金の方が詳しい筈だ」
そう言われた二人は苦い思いで顔を歪める。
研究所という檻の中、優しく接してくれた少女が徐々に狂っていく姿と最期の瞬間。忘れることなど出来る筈がない。
その時ルリは言っていた。恨むならば自身の不遇とあの男を恨めばいい。
不意に颯の背中にある古傷が疼いた。
「サナが殺されたのは、育て屋の主人に接していた中で唯一、戸籍がなかったからだ」
「…は?冗談よせよ」
突如言われた信じがたい言葉に真っ先に反応したのは黒金だ。胸ぐらを掴み睨み付けてくる彼を気にした風もなく、表情を変えずに真実だと偲は言う。
「この少女には戸籍がない。それどころか、遺伝子すらこの世界の人間とは一致しなかった」
「てめぇ…ッ」
「だから玄姫はこの少女が自分と同じ類いの人間だと思ったらしい」
捻られていく胸元に掛けられた腕を掴むと、力ずくで黒金の手を離させた。
「同じだと?」
「アルセウスの創造した宇宙ではなく、別の原因で誕生した空間の人間ということだ」
黒金の殴るために振り上げられた拳を軽い動作で避ける偲はあくまで冷静だった。
「ざけんなッ!玄姫ってのはこの世界に存在してんだろうが!?」
「今はな。だが一番最初の前世では異世界に住んでいた。これもまた真実だ。事実、玄姫も自分にこの世界にはいない生き物や社会制度を話していたことがある」
そしてサナという少女をどんなに調べても浮上してくるのは自分と同じという証拠だけだった。
玄姫とて戸籍や血縁を探すだけ捜した上で出した答えだ。
だからこそ、彼は後悔したのだ。全てが遅すぎたことを。
「でも…サナを殺す理由には、ならない」
ぼんやりとしたまま杏が言うと、偲は顔を逸らした。
「…サナが世話になった主人はルリの一家を襲った犯人と全く同じ顔だったんだ」
「……」
「犯人が既にこの世にいないと知らないルリは、安穏とした生活を送る彼を許せなかった」
自分が味わっただけの苦しみを与えてやろう。
狂気に駆られたルリがまず最初に目をつけたのは一番存在を消しても目立たないサナだった。
偶然が引き起こした悪循環と言えばそれで終わりだが玄姫はそう思わず、これは自分が招いた結果だと絶望したのだ。
ルリもルリで玄姫から聞かされた話に絶望していた。
「そのあと、ルリは自らを葬る為に黒金を利用し、玄姫は杏を助け出したあと、それを止める為に動いていたんだ」
矛盾だらけの間違い。本来なら交錯することのなかった輪が、歪な形で出来上がってしまった現状。
もどかしささえ感じる連鎖は、結局は何処にも答えを見出だせない。
「俺は…本当にサナのこと好きだったよ。」
自分を卵から育ててくれた少女は心から自分を信頼してくれていた。そのことは今でも颯にとって大切なものだ。
「だけど、それと同じくらい玄姫も好きだったんだぁ…」
泣き出しそうな顔で颯は笑う姿に、黒金は己の姿を投影したのか偲を掴んでいた腕を離してサナの元へと向かった。

そんな彼の姿を見ながら颯は堪えきれないように表情を歪める。
あの場所から助けてくれた彼を、決して自分を見棄てなかった玄姫を、自分を優しく育ててくれた少女以上に颯は信頼していた。だから新しい名前も受け入れたのだ。
それ故にこのような虚しい形でしか知ることのできなかった事実に、玄姫自らが話してくれなかった信用の無さに傷付いている。
それは泡遠や夏人も同じ思いだ。
沈黙が降りた部屋に偲は更に言葉を重ねた。
「…玄姫はずっと、自分が異端であることを悩んでいたんだ」
転生という形でこの世界にいた彼は、辛かっただろう。
還らない記憶。清算されない魂。加算されていく人格。
それは常人には計り知れない苦痛を伴った筈だ。
しかもそんな突拍子もない話をするには、苦痛を上回る恐怖があったのだろう。
世界で唯一無二。孤独。
想像するだけでも薄ら寒くなるような現実に耐えた玄姫。
それを思うと言葉にならない思いが込み上げてくる。
「だから、余計に信頼してた奴らには言いたくなかったんだろう」
偲とて酒に酔った勢いで話を聞いて初めて知ったのだから、玄姫は偲にすら言うつもりはなかったのだ。
きっと最後の最期まで、言うつもりはなかったのだろう。

不意に颯は最初に彼と住むことになった時のことを思い出した。
柔らかな笑みを浮かべたあの声と共に。


(それじゃあ幾つか約束しよう)
(あはは。んや畏まらなくてもいいよ。とっても簡単なことだし。これ以外なら何を破っても怒らないし何も言わない)
(まず一つめ。オレが死んでも悲しまないこと)
(二つ目。オレが死んだら、君たちのその枷を必ず破壊すること)
(三つ目。オレのことを忘れること。ね?簡単だろう)


「全然、ッ簡単なんかじゃないよ…」
これ程まで深く根付いた記憶を今更消すことなど出来ない。
最期まで振り回していく玄姫の存在を思い、狂おしいまでに切望した。◇◇◇

望まぬ世界に縛られ続けた玄姫。
彼と同じ境遇の棺に横たわるサナという少女。
偶然によって繋がれた彼ら交錯する縁の中、終わっていった。
在るべき姿を有りの儘に。異物の無い正しさを追求した果てがこの事の顛末なのか、それとも偶然が呼んだ他愛ない悲運だったのか。
それを知る者は、いない。


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