09

置いていくモノと置いていかれるモノ。
変わりゆくモノと変わらざるモノ。
流転し変化し何もかも享受したら、自分も何か変わっていただろうか。
そう自問すると、答えはいつも否定的な言葉しか返ってこない。

◇◇◆

凄まじい破裂音と爆発音が鼓膜を破裂させんばかりに辺り一体を埋めつくす。
戦場となっているその場は、壮大な白い神殿の廃墟から打って代わり、鮮烈なまでに赤く赤く燃え上がっていた。
怒号のような指示する声が、それに対抗するような意志のある声が赤々とした空間に響くと、双方に従うポケモンが自身の全力を奮い、炎や陰の塊をぶつけ合う。
その度に起こる揺れで脆くなった神殿の天井の大小様々な欠片が落ちてくるが、玄姫はそれらを物ともせずにただ真っ直ぐに歩んでいた。
ダークグレーのコートにズボン、黒い靴。白を基調とした普段とはまるで逆の色合いは、彼を知っている者なら違和感を抱くであろう。
だが玄姫の柔和とも言える顔立ちは今、何処となく沈んでいるように見えた。浮かべている感情は普段の柔らかな笑みでもなく、この戦場に嫌悪する険しい表情ですならない。
あるのはただ無だけ。
感情の何もかもを削げ落としたような無機質な無表情だった。
不意に彼の前に二人の影が立ち塞がる。少しばかり下げていた視線を上に上げるとエメラルドグリーンに奇抜な髪型をした二人の男女がキツイ眼差しで玄姫を見ていた。
「お前は何者だ?」
「オレはただの通りすがりだよ」
焦りも見せずに淡々とした声音で返すと、玄姫の態度が勘に障った二人の雰囲気が更に刺々しいものなる。
「知らばっくれないで!一般人がこの場に来るはずがない。お前はアカギ様の邪魔をしに来た者だろう!?」
敵意を滲ませた瞳で睨み付けてくる女は信用ならないと叫び、相方であろう男も同じ意見なのだろう、玄姫に警戒した色を瞳に宿していた。
余りにも敵愾心に満ちた二人の様子に玄姫は顔を俯ける。
その様子を見た彼らは内心嘲笑った。きっとこの男は二人のトレーナーを相手に出来る力もない人間だと思いこんだ。固めた善意の意志だけで来た、実力の伴わない弱いトレーナーだと。
だがそれは間違えた判断だった。
何故なら玄姫は怯えてなどいないからだ。
寧ろ怯えるべきだったのは彼らの方であるというのに、驕った自尊心が相手の力量を量る目を濁らせてしまった。
玄姫は彼らに見えないように表情を歪める。
どんなに威嚇しようとも所詮二人は中級程度の実力。アカギや幹部とは比べものにはならない。
この様子では彼らにも出会っていないのだろう、と胸中で付け足すと玄姫は俯けた表情を上げる。
するとその表情を見た二人の男女は凍りついたように身動きを止めた。
いや止めざる負えなかったのだ。
何故なら、目の前の男は笑っていたからだ。壮絶なまでに慈悲深げな笑みを無表情だった面を、塗り替えたように湛えている。
だがその瞳の光は浮かべた表情とは逆に、二人を凍りつかせるほど凄絶な冷たさを孕んでいた。
「去ねよ。お前らに用はない」
肌に冷気さえ感じさせるほど冷えきった声音を出す玄姫に、思わず後退りする男女だが彼らとてそう易々と敵に道を明け渡すわけにはいかない。
弱くとも自分たちは彼の組織の一員である、という意識が辛うじて彼らをその場に止めた。
再び闘争本能を燃やす二人を見て、玄姫はボールを放った。
すると出てきたのは逞しい肉体を持つ炎を纏う馬、ギャロップ。先行を取られ、慌てた二人がボールを放る暇も与えず玄姫は口を開く。
「夏人、燃やせ。」その言葉を聞いたギャロップは、文字通り最高温度の炎を目の前の敵に叩き付けた。
「なッ」
「っ!」
恐怖に目を見開いた二人の姿は燃える炎に閉ざされる。
それは彼らの驕りが招いた一瞬で終わる敗北の瞬間だった。

ザリッと地面を踏みしめる音が鳴る。
辺り一帯を嘗め尽くすように広がった炎が収縮すると、その場に立つのは玄姫一人だけとなっていた。
先ほどの暑さを思い出し、思わず溜息を吐くと横に並んだギャロップが小さく嘶く。
「ご苦労様夏人。戻っていいよ」
赤い光線がボールから伸びると、ギャロップは玄姫の手元のボールへと消えた。
ボタン部分を軽く押して大きさを小さくすると、ベルトへと装着する。
呆気なく終わった戦いは紛れもない玄姫の実力の強さを示していた。
もし彼らが自尊心よりも己の保身を考える者であれば、結果は違っていただろうに、と玄姫は思う。
自分のした所業の犠牲になった横たわる男女を見下ろすと、玄姫はそのまま足を神殿へと向ける。目指すは最深部。
途中幾人かの人間に会ったが、それら全ては手持ちにいる夏人達の一撃により倒れていった。
何処となく焦る玄姫の様子に夏人達はボールの中で視線を見合わせていたが、玄姫がそのことに気付くことはなかった。◆◆◇

コツ、と最後の一歩を踏み出した途端、全身に爆風が押し寄せてきた。
腕を翳して隙間から窺うと、前方では人とポケモンが争っていた。
片方は神と崇められるポケモンを解放しようと、自らの手持ちと共に敵と闘う幼い子供と黒服を纏う金色の髪を持つ女性。金色の髪の女性は確かリーグチャンピオンだった筈だ。
そして残された片方は、人間がポケモンと闘っていた。謂わずもがなアカギの味方であろう人間は女性だった。チャンピオンとはまた違う、腰まである抑えたような金の髪が激しい動きの度に波打つ。手榴弾や特殊な氷を纏った銃弾で、襲いくるポケモンと対等に闘っていた。
対するポケモンはガブリアス。ドラゴンタイプでも強い種族だ。
向かってくる攻撃をほとんど薙ぎ払い、代わりに火炎や光線を吐き出している。そのどれもが的確に急所を狙い、殺傷力に満ちていることから、相手の女性を相当憎んでいることがわかった。
様子を窺っていた玄姫は、やがて翳していた腕を下ろして小さく呟いた。
「やっと、見つけた」
安堵さえ含ませた声音を出すと、戦いて激しく揺れる足元など意にも介さず、真っ直ぐにその戦いに向かっていく。腰に回されたベルトに手を掛けながら玄姫は走っていった。
すると女性が体勢を崩しガブリアスがその鋭意な爪を彼女の心臓を突き破ろうと迫る。
この距離では彼らの元に辿り着くことが間に合わないことを悟ると、玄姫は腰に手を回して叫んだ。
「颯!かえんほうしゃだっ!」
その声に反応して一瞬ガブリアスの動きが鈍る。その隙を見逃さず、玄姫は最後の一歩を駆け出した。


次第に次々に繰り出される攻撃が女性を掠めるようになっていた。時々苦しげな表情を浮かべる女性が、徐々に近付いてきた間合いを取る為に手榴弾を出そうとする。
その一瞬を突いて、ガブリアスが一気に間合いを詰めて、あらんかぎりの力で腕を振りかざした。
驚愕に目を見開くかと思われた女性は、その攻撃を避けることもせずに呆然と立ち竦む。いや、まるでその瞬間を待っていたかのように自ら動きを止めていた。
それもその筈。彼女は待ち望んでいたのだ。
自分がこの時、この場でこの存在に存在を消されることを。
この瞬間の為に二年もの時間を掛けて温めてきた計画が終に実る。
自分という存在の終わりを対価としてやっと、終わることが出来るのだ。
全ては自身が引き起こした罪を清算せんが為に。
己が誤ちで消してしまった命を、遺された命で贖わん為に。
自分の心臓部の上、数十センチまで届いた鋭い爪に、彼女は安らかな思いを秘めて目を閉じる。
誰かが叫んだ気がしたが今はそんなことどうでもいい。
刹那、訪れた衝撃は、鈍い音を立てて体を地面に崩れ落とした。
敷き詰められた煉瓦に夥しい赤い液体が流れる。
「……やぁルリ。この間ぶりだね」
不意にここにある筈のない、声に彼女は目を見開いた。
何かを恐れるようにゆっくりとした動作で視線を上に向ける。
そこには彼女の古い知人である玄姫が、普段通りの親しい者に向ける柔らかい笑顔を浮かべていた。
ただし、その胸には赤黒く染まった鋭意な何かを生やして。
色を失って呆然とする彼女。するとそれまで笑顔を浮かべていた玄姫は耐えきれなくなったように口から大量の血液を吐き出す。
地面に跳ねたそれは彼女の服や肌に付き、震えた指先がぬるりとした感触を感じると、ルリと呼ばれた彼女は絶望に堕ちた。

「ぁ…、っ……」
力無く倒れる玄姫をルリは受け止めると、驚愕に見開いた声を出す。
彼女を攻撃したガブリアスも突然の出来事に体が止まっている。
「なんで…どうして、私を…庇ったりなんか…」
震える声にはありありと目の前の現実を信じまいとしているように感じられた。
普段気丈で何に対しても泰然とした態度である彼女だからこそ、貴重な姿に笑い出したくなる玄姫だが、笑い声は血と共に咳き込んだ形になる。
「…庇っ…た、?はは、違う……よ。オレは、庇った、んじゃ…ない、オレ、はね…」
自ら刺されに行ったんだよ。
その証拠とでも言うように玄姫のボールが付いたベルトは遥か後方に落ちている。
したり顔で言う玄姫にルリは言葉を失った。
彼女の浮かべた表情を見て満足した玄姫は、痛みで詰まる息を努めて落ち着かせる。
自身の喘鳴だけが鼓膜が振動していた。
玄姫は前々からルリがこの計画を仕出かすことに気付いていた。気付きながら止めなかったのは自分が彼女を止める権利を持たなかったからだ。
彼女が犯した罪に、誤りに、気付けなかった自分には止める術が無かったのだ。
だから玄姫は考えた。
誰にとってどうすることがいいのかを。
結果、自分にとっての最良を選ぶことしか出来なかった。
ルリが生きるか、玄姫が生きるか。
それしか、逃げ道は残されていなかったのだ。
憎しみに駆られたガブリアスは、きっと何かを殺すまで止まらないだろうから。
だからルリを生かすには、自分が生きることを諦めるしか無かった。
出来るなら生きることを選びたかったけれど、それで彼女に生涯に渡る貸しが作れるならば、自分の命をくれてやってもいいと思った。気位が高くて気丈な彼女のこと。こちらが貸しをつくれば、借りを返すまで生きることを諦めないと踏んだ、自分を対価にした卑怯で最低な貸し借りだ。
その貸しにはルリの命は当然、あの棺のことも含まれている。
「ふ、ふ…。ね、ルリ…これは貸し、だよ?」
口端から幾つも血を流しながら玄姫が笑う。
わかっているよね、言わんばかりの悪戯っ子の笑みをルリに向けた。
それを見た彼女は強く唇を噛んで、鮮やかなまでに不敵に微笑んだ。
「この私に…貸しを作るなんて、貴方だけよ?」
そう言って笑う彼女に、嗚呼これでこの子は大丈夫だ、と安堵した玄姫は、止まったままのガブリアスに震える腕で何かを差し出した。
「…き…み、に」
『、え?』
呆然と目を見開くガブリアス。
「玄姫ッ」
すると彼らを遮るように割り込んだのはボールに入っている筈の玄姫だった。玄姫の血濡れた体を支えていたルリを押し退けると、地面に横たえて傷口を圧迫する。
だが、血は止まることを知らないように玄姫の中から流れ落ちていった。
歯噛みする颯を驚いたように目を見た。
開く玄姫だが、やがてその目は柔らかく細められる。
「や…ぁ…はや、て」
「なんで、……っ何でこんな馬鹿な真似なんかしたッ!俺達をわざと置いて行きやがった上、こんなッ、本気でふざけるなよ!」
感情が昂り荒々しくなる口調とは裏腹に、傷口を必死に抑えた手は震えていた。
触れた部分から分かった玄姫は申し訳ない思いが込み上げる。後からきた偲たちは、その様子を見て苦い顔した。それぞれ面持ちが暗いものへ変わる。。出血量から見ただけで玄姫が助かる見込みはもう無かった。
颯もそれはわかっていたが止血をすることを止めようとはしない。目の前の現実を信じようとはしなかった。
「颯、」
「煩い。喋んじゃねぇ」
「、お前に…」
「口開くなってってんだろ!!」
聞きたくないと謂わんばかりに怒鳴る颯に玄姫は笑った。
「…っ言ってない、ことが、あっ、た…」
笑ったまま残酷にも話を続ける。

「もう……、話し、て…我慢、し、なくて…いいよ…『杏』」
「!?」
途端、堰を切ったように颯の双眸から堪えきれない涙が伝い落ちた。
言葉を紡ごうと何度か口を開けるも音は出ず、何度目かの試みでやっと絞り出すように声を出す。
「…なんで…」
「…」
「何で…今更ッ…」
悔しげに憤る颯に玄姫は苦しげに笑う。
「今だから…だよ…。サナの友達、その子、だから」
「ッ?」
玄姫の言葉に颯はガブリアスを振り向くとこれ以上ないほど凝視した。
「…ね。だから、あとは……頼んだ、よ、あ、んず」そう言うと玄姫は鼓動を停めた。
口許には柔らかな笑みを湛えたまま、その瞳から光を失う。

その一瞬後、囚われた神が解放されたが、颯達には歓喜の声を上げる彼らの様子など聞こえていなかった。


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