体、縮みました
麗らかな陽気に温かな風がふわりと頬を撫でた。喧騒の最中にいた昨日とは大分違い、落ち着いた平常を取り戻した今日は、気が休まると言えば休まる。
だがそれは今までの彼女の日常が前提とされる話で、昨日から激変してしまったことを考えると安心感は一摘まみ程度しか得られない。むしろ今日から生きて行けるかすら定かではないのだから、状況の悪さは昨日から変わっていないのだ。

「あーもう…本当にわけ分からんない」

髪の毛を掻き乱すように頭を抱えると、ヒナタはその場に蹲った。
常識の枠を越えた出来事は、頭痛という形でも苦しめてくる。

まともに現状すら理解出来ていないというのに、いきなり二人の男女に見棄てられ、混乱する頭で煙に巻かれながら何とか建物を出れば、今度は大怪獣がサーカスも顔負けの曲芸を披露していたのだ。

建築物の解体現場の轟音よりも凄まじい音と、何かの叫び声は、ぬるま湯で育った自分では到底理解出来るものではない。
ただ、と付け足すようにヒナタは思う。
あの時見た怪獣たちは間違いなく、自分が知っているモノであると。

「てかポケモン以外にあり得ないよね…」
橙色の肌にドラゴンのような翼と口。尻尾には炎が燃え盛っていた。あれは間違いなくリザードンだ。

確かそれを指示していたのは小さな少年だったように思う。夜で視界が利かず、見えたのはシルエットだけだが、あの背丈から見てみてば、強ち間違えてはいない筈だ。

ふとそこまで考えて、はっとしたような表情を浮かべると、そんなことを考えている場合ではないことを思い出す。
自分は明日をも知れぬ天涯孤独の身だ。しかも食糧もなければ金銭の類いも一切所持していない。

「…生きていけないじゃない…」

改めて自分の現状を確認して、肝心なことを忘れていた自分を罵倒したくなった。

木々が生い茂る葉を揺らめかせるような自然の中で、専門の知識もない人間が一人で生きていける筈がない。

「よし…街だ。取り敢えず街に出よう」

周りを見渡しても木々ばかりだが、こんな巨体な研究所だ。街から物資を運ぶのにある程度の近場に建てるだろう。

「多分。いや、それは希望的観測か。研究所っていうくらいだし、街に影響出さないように遠いとこに建ててたりぃー…って、うっわぁ。止めよ。考えるだけで鬱になる…」

重い息を吐き出すと草を踏みしめる音を立てながらヒナタは歩き出した。
人が歩きやすいように舗装された道があるのを発見したため、それに沿って向かう。

◇◇◆

どれくらいの時間を歩いたのだろうか。しっとりとかいた汗と疲労具合からして、多分三十分程度か。
こんなに歩けども見えてくるのは緑と愛らしい花ばかり。流石に見えてこない終わりに、歩き出した当初よりも勢いはなかった。

時々持っている携帯電話や貰った袋を弄るが、電話は誰にも繋がらないし、袋の中身もポケモンの進化に必要な石ばかりで現状では使えない。
せめて袋の中身が食糧であればよかったのにと溜息を吐くと、見つけたばかりの何かの果実を手に水辺に座る。

実は建物から出る途中に、硝子に映っていた自分の姿を見たが、精々十四歳がいいところだった。
今現在、水辺に映る姿も昨日見た時の姿のままである。

「どーしようなぁ」

この姿では雇ってくれる場所がない。いや身分証をするものがないから最初から期待はしていないが、それでも見慣れた自家の年齢ではないことには、酷く取り乱しそうになる。
もしかしたら。
このままでは。
重い考えを払うために頭を振ると、手元にあった赤い実を何気なしに囓ってみた。
すると途端に口の中に広がる痛みを突き抜けた感覚に目を見開く。

「うぐッ!?」

辛い。とてつもなく辛い。いや、辛いを通り越してかなり痛い。
思わず口の中のモノを吹しそうになるのを何とか堪えて、水辺に顔ごと口を突っ込んで水を飲んだ。その際、衝撃で派手に水飛沫が舞ったが、口の中を鎮静化させることに必死になったヒナタは服が濡れることなどお構い無しだった。

「…か、からっかった…」

水面から顔を上げて、未だヒリヒリと痛む口の中に顔を顰める。
まるでハバネロを食べたあとのような痛みに、目にはうっすら涙が滲んでいた。

「これだと迂闊にそこら辺の木の実は食べれないかも…」

参ったというように食べ掛けの赤い実を見ると、何処からか草葉の擦れる音が聞こえてきた。

「(……まさか。野生のポケモン出てきちゃう、とか?)」

そうだとしたら自分の命は危うい。あの研究所がどういったことをしていたかは分からないが、善良な研究だけはしていなかった筈だ。
そうでなければ、あのトレーナーに研究所が奇襲されることはなかっただろう。
そしていつの間にかあの場所にいたヒナタだが、研究員であろうあの二人の男女の去り際に見せた様子からして、彼らと無関係ではない。
むしろ血縁か何かだろう。

そう考えると尚更、危険度は増す。
血縁である子供は必然的に恨まれる対象になるのだ。

「(ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイッ!!私が何をしたってっ!?)」

こちらに来た瞬間から碌でもないことばかりだ。
いや、来る前から碌でもない話を友人としていたから変わりはしないが、度合いが三段階程上がっている気がする。
草むらから見えた影に、人生の終焉を見たヒナタは固く目を瞑った。

『…タチー?』
「た、たち?」

だが聞こえてきたのは獰猛そうな獣の唸り声ではなく、敵愾心さえ無くさせる高い声だった。

反射的に顔を上げれば、そこには少々大きめの茶色い何かがキョトンとした顔でこちらを伺っている。

「おた、ち…?」
『タチタチッ』

確かそういった名称だったと口にすれば、オタチは一度草むらの中に潜り込んだ。
逃げたのだろうかと首を傾けると、今度はより間近な場所から尻尾立ちで現れる。

「(確かオタチって尻尾で立って自分の体を相手より大きくさせることで威嚇してくるんだっけ)」

だが目の前のオタチからは威嚇の声も上がっていない。
もしかしたら、人間に興味のあるオタチなのだろうか。
そうだとしたら、あの研究所の人間はこの辺りのポケモンには手を出さない研究でもしていたのだろう。

そうでなければ警戒心どころか、今頃自分は攻撃されていた筈だ。
ヒナタは自分でも納得のいく考えを導き出し、ならばオタチの好きなようにさせて置こうと決めた。

次いで立ち上がるとオタチがいる方向とは逆に足を向ける。
何しろ食べ物やら身分証などがない。
水は確保出来たものの、街を目指しながら木の実を見つけて食べなければ空腹で倒れてしまう。

「(時は金なり。浪費は苦なりぃー)」

子供の体力と足の短さでどれくらいまで歩けるか分からないが、行けるところまで行くしかない。
鼻歌でも歌いながら歩こうかなどと、考えていると背後から草葉の揺れる音がした。

「…ん?」

振り返ってみると、何故か先程のオタチが一メートル程の近さまで来ている。

「わー…近っ」

これは余りにも近すぎるのではないだろうか。
それともポケモンとは本来人懐こいものなのか。
首を傾げつつザクザクと草を踏み鳴らして歩くとガサガサと音を立てて着いてくる。

十分程歩いても一定の間を開けたまま、まだ着いてくるオタチに内心、首を傾げたくなった。
取り敢えず休憩を取る為に木の実の成っている木に近付いて、洋梨のような形をした木の実を毟り取ると匂いを嗅いでから少しだけ囓る。
どうやらこれは食べられるモノらしいと二口目を口に含むと視線を背後にやった。
そこにはやはり尻尾で立ったままのオタチの姿がある。

「……」

凝視してくる存在がいるのに、一人で食べるのも何か悪い気がして、近場にあった青い蜜柑と桃を毟り、オタチと自分の間に置いてみた。
するとオタチは多少の警戒はすれど、結局は置いた木の実に口をつける。

「(お。食べた)」

そのことに若干の喜びを感じつつ、ヒナタも近くに実っていた桃のような木の実を食べた。
桃は普通の果物のように甘く、瑞々しいものであった。


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