回想回顧
ひたすら続く砂利道をヒナタはリュックサックを背負い、頬に汗を伝わせて歩いていた。小粒の石のざらざらとした感触は一歩進むごとに足の裏に感じられ、鈍い痛みがじわりと広がっていく。
時々顔を顰めてはゆっくりとした足取りになり、痛みが消えて回復したら、また速度を戻すことの繰り返し。

目的がない旅。始まりは成り行きであったが最終的には自分が自ら選んだことである。
ヒナタには帰る場所がない。何故なら、生まれた世界が違うから。自分を産んでくれた親も親しい友人も此処にはいない。
旅を終えても待っていていてくれる者がいなければ、何処かで野垂れ死んでも心配してくれる者もいないのだ。
謂わば天涯孤独の身の上が今の自分だ。

そんな現実を考えることが嫌だった。特に単調な同じ動作を繰り返す時間の中で自分がたった一人の存在ということを考えてしまうのが嫌だった。

だから、旅をすることを選んだのだ。
一つのことを考えないには、何かしらの目的がある方がいい。気分が沈没しないなら幾らでも考え事に没頭出来る。
旅の最中なら幾らでも別の考えで埋め尽くすことが出来た。
例えば明日までに歩く距離や、御飯の材料の調達。安全な寝床の確保や自分の手持ちの鍛え方。
旅の中では常に自分がどう生きていけるか考えなければいけなくなる。
だから旅を選んだのだ。

一人で何もしないで考え事をすると楽しみに発展するよりもマイナスな考えに落ちやすいことを知っていたから。
そうなると必然的に嫌なことを思い出す。出来れば忘れてしまいたい記憶を勝手に脳が思い出そうとするのだ。

いつもぎりぎりの処で抑え込んでいるものが、一人になると堰を切ったように途端に溢れ出す。
それを打ち消す為には別のことで考えを一杯にすればいいと気付いたのはいつの頃だったろうか。

馬鹿馬鹿しい話だが、そんな簡単な事に気付くまで自分は一年以上かかったのだ。
いや気付いたはいいが、意識の切り替え方が巧く出来ずにそれだけの時間を要したと言った方が聞こえはいいだろう。

自分は酷く不器用な人間だった。不器用でいて同調しやすかった。それ故に何かを選んで捨てることの出来ない人間だった。捨てられることが、何より怖いと思う人間だった。弱くて臆病で、その癖誰かが自分を受け入れてくれるのを待っているような強欲さがある。
ただそれだけの人間が、自分という存在だった。

◇◇◇

「あ…足が痛い」

地図の示す道なき道を歩き続けて二時間弱。旅人の為に整備された道はヒナタが研究所から歩いてきた道よりは楽だったが、やはり街中にあるものよりは歩くのに難がある。

おまけに背負っている荷物は本来入っている質量よりは軽いが、やはりそれなりに重く、体力が削られている今は背負うのすら少しばかり辛い。
歩きすぎた痛みのお陰で思考する気力は失われたが、一度休憩しなければ疲れて一日立てなくなる。

お笑い草にもならない事態に陥りたくないので、手頃な場所を見つけてからヒナタは服が汚れるのも構わず地面に腰を下ろした。
被っていた帽子を取るついでに、バックのポケットから買っておいたマップを広げると、指で道をなぞりながら現在地の確認をする。

二時間も歩いたので流石に伸びただろうと思ったが、実際はあまり進んでおらず、地図はまだ森の中腹より手前であった。

ヒナタが目的地としているのはワカバタウン。ウツギ博士が研究所を構える町だ。

山岳部でも、ましてや運動部でもなかった自分が目的地に着ける頃には一体何ヵ月先になるのか見当もつかない。
最悪の場合は一年以上の期間を見積もる覚悟だが、果たして電撃やら格闘技やら毒やら持っているモンスターと対峙する道中、生きていられるか。
想像するだけでも無事でいられる確率は低い。

考えることにも疲れて、溜息を吐き出すとぼんやりと木陰から覗く陽射しを見る。
きらきらと黄色味を帯びた色が網膜を刺激するように輝いていた。

ヒナタには、ふと思い至って自分を見下ろした時に、傷痕だらけの体を視界に入れても、箔がついて格好良くなったなどと前向きには考えられなかった。

元から綺麗な容姿でもないし、この顔立ちでは傷痕など悪目立ちだ。
そのことに多少なりとも落ち込んだが、旅をしていく上では傷の十や二十は覚悟しなくてはならない。
甘く見ていた旅というものにしっぺ返しを食らった気分だ、と苦笑すると軽い動作で立ち上がり、土を払ってから再び前に歩き出した。
「せめてコガネシティには行ってみたいなぁ」
確かあそこにはマサキという少年の実家があった筈だ。彼の家には沢山のイーヴイが居て、正にイーヴイだらけのイーヴイ尽くし。
確かイベントでイーヴイのタマゴが貰えたが、あれはあくまでゲームの世界の話だ。実際に貰える可能性は低い。
加えて言えば自分の現在の財政状況を考えると贅沢は言えないし、手持ちが増えて養えるかどうかもわからない。だからせめてこの目で沢山のイーヴイが見られればいい。
じんと痺れる足の痛みを感じながら、先の先の予定を立てて歩いていると、不意に腰に付けたモンスターボールが震え出す。手持ちが一匹しかいないので必然的にオタチしかいない。
これまで大人しくしていたのにいきなりどうしたのか。
疑問に思いながらもボールからオタチを出すと、ちょこんと目の前に座るオタチと目が合った。
「おーどうしたの。お腹でも空いた?」
試しに一つ尋ねてみると、理由は違うらしく首を横に振られた。
「じゃあボールの中が窮屈だったの?」
左手のボールを指差してバツ印をつくるジェスチャーをすると、その問いにも首を横に振るオタチ。
話は変わるが何故ポケモンというのは人間の言葉を理解出来るのだろうか。
ポケモンが人間の言葉を理解出来るなら、人間の方もポケモンの言葉を理解出来そうなものなのだが。
沸いた疑問を抑えつつ、オタチに更に尋ねようとしたところで、オタチは何の前触れも無く、ひょいと頭の上に乗ってきた。被っていた帽子が軽くずれる。

『タチィ』
「えー…頭の上に乗りたかったの?」
オタチの行動に結論付けるも、肯定する素振りを見せないところから、この問いも違うらしい。
ではこのオタチは何がしたいのか。残念ながら皆目見当もつかない。
仕方なく肩を竦めて歩き出すと、再び一人分の足音が砂利道を滑り始めた。
夏の陽光は厳しい。なるべく木陰を選んで歩いていかなければ、剥き出しの肌だけでなく、網膜も焼かれてしまいそうだ。
熱中症で倒れそうな暑さの中、態々日向を選ぶ筈がない。
日傘でもあれば良かったが、帽子があるだけマシというものだろう。
「(陽射し…って、あれってことはオタチやばいんじゃないか?)」
人間でも辛い暑さの上、毛皮を纏ったオタチが、痛いほど強い陽射しを直接浴びるのは大変宜しくない。
熱中症どころか日射病になってしまうのではないだろうか。
最初の旅の三日目、それもこんな森の中で、たった一匹の手持ちに逝かれてしまってはこの先生きていけない。最悪、野生ポケモンに襲われて土に還る以外に道はないだろう。
嫌な予想に身震いして頭に乗っているオタチを持ち上げて目の前にぶら下げた。
「あのさ君には悪いんだけど……」
『たち。』
べし。何故か唐突に顔面にオタチの尻尾を押しつけられる。
「……」
何か感じとったのだろうか。
とりあえず無言でオタチの尻尾を引き剥がすと、案外あっさり外れる。
「えーと…あのさオタチ、」
『タチ。』
べしっ。
「…、オタ…」
『タチィー。』
ベシッ。再び顔面に尻尾を食らった。心無しか先ほどよりも威力が強めだ。
流石に三度目だ。オタチにとって何か不都合な発言をしたことは確実に分かる。
だが今の自分の発言は短く、何処に直すとこがあったのか全く分からない。
とりあえず記憶を整頓してみよい。
まずは敬語を使わなかったことだろうか。いや、だが最初からこのオタチには敬語を使わずとも嫌そうな素振りは見せなかった。
では名前だろうか。そういえば先ほどから「オタチ」とか「きみ」とか言う時に関して顔を塞がれてる気がする。
「えー…もしかして名前?まさか、名前を言わないからとか?」
『たちたち』
確信が持てないながらもおそるおそる口に出すと漸く首が縦に振られた。
どうやら勘は当たっていたらしい。
良かった。一先ず理由がわからなくて愛想尽かされる羽目にはならなそうだ、と安堵の溜息を吐くと、困ったような笑みを浮かべる。
「あーすまん。そうえば名前のことすっかり忘れてたわ」
『たちぃー』
「うんうん。本当にごめんなさい」
不満そうな声を上げるオタチを撫でながらあやすと、何となく思い浮かんだ言葉を考えていく。
元々名付ける才能に恵まれていない自分がまともな名前をつけられるか心配だが、誠意を込めなければこのオタチには見抜かれそうだ。
「いい名前いい名前」と口に出しながら思い浮かべるのは、ポケモンの名前の付け方を伝授してくれた某友人の言っていたこと。
曰く、ポケモンに名前つけるのに迷ったら御菓子の名前とかポケモンの属性や見た目に基づいた名前にすればいい、とのこと。
オタチのタイプはノーマルで見た目はモモンガかイタチ。
何気なく一番名付けるのが難しい。
仕方なくぱっと浮かんだ平凡そうな名前を思い描く。だがどれもしっくりこない。
一先ず日陰の中に入り、落ち着いて考えてから十分。
漸く固めた名前は何となくこのオタチに合っている気がした。
「決めた。オタチ、君は今日から魔王だ」
『…』
「と、いうのはちょっとした冗談でしてー…本当の名前は『祥眞』だよ。ヨシマサね」
一瞬冷たくなったオタチの視線に冷や汗をかき、慌てて本物の名前を言う。
祥は祥瑞、つまり吉兆。眞は真の昔の漢を使って格好よくみせたかったから。読み方はただ単に面白いと思ったから『ショウマ』ではなく『ヨシマサ』。

無い知恵を振り絞った渾身の名前を吐き出し、ついでに簡単に名前の由来を言うと、むず痒さと気恥ずかしさが込み上げてきた。
真剣に考えたからこそ、冗談抜きで言うには勇気が出なかったのだ。
隣にオタチを置いて赤くなった顔を膝に埋めると、ぺしぺしと腕を叩かれる感触がした。
目線だけそちらに向けると、黒い瞳のオタチがこちらを覗いてくる。
「ごめん。ネーミングセンスなくて…」
申し訳なさから素直に謝罪の言葉を口にすると、オタチは膝を抱えている腕に体を擦り付けてきた。
そして何かを躊躇うように足下に視線を向け、こちらを伺うように見てくる。一体どうしたというのか。
不思議なオタチの行動を怪訝に思っていると、二、三度繰り返したくらいでやっと何か思い固まったらしい彼がピタリと視線をこちらに固定した。
『…そんなこと、ない』
「あー、は……うん?」
次いで聞こえてきたのは何故か人の言葉だった。
いや待て。もしかして鳴き声を人語と聞き間違えたのかもしれない。思わず耳を疑うと、それを塗り潰すように再び声が聞こえてきた。
『ありがとう…嬉しい、と思うよ名前』
「思うだけかい。…じゃなくて君話せたんだ」
混乱する頭で何とか返せた言葉は我ながら何とものんびりしたものだった。
だが言われたオタチは疑問に思うこともなかったのか、ゆったりとした口調で答える。
『うん。ポケモンの半数は、話せるのもいるよ?人間の言葉を理解出来るのは皆そう…』
ただし話せないポケモンもいるから、話せるポケモンは自分たちが悪目立ちして人間に捕獲されないように、常に人間の言葉を話さない。
気がいい人には話しかけたり、遠くから囁きかけたりする者もいることはいるが、ほとんどは口を閉ざしている。
ポケモンにはポケモンなりの常識と暗黙の了解があるのだ。
「へぇ」
『あんまり驚かないんだね』
首を傾げ、珍しい人間だと言ってくるオタチに苦笑するとひらひらと手を振った。
「うーん。一応これでも割りと驚いてるよ?でもまぁ人語理解出来るなら可能性としてはアリかなぁとか考えたことはあるよね。冷静に見えるならそのせいじゃないかな」
『そう?』
「そー。」
軽くあしらうとそれ以上は話さないと言わんばかりの態度をとる。
そしてポケモン世界を説明してくれた祥眞を横目に笑うと小さなオタチの手を握った。
「じゃあこれから宜しくね。祥眞君」
『どーもー…ふぁふ…』
眠たげな彼は、果たして戦えるのか。言い様のない不安が胸を過った。
「………とりま。君戦えます?」
『、いけるぜ』
「ねぇそれマジですよね?」

任せろと小さな手で胸を叩き強さを主張する動作が、不安を諦観に変えた。

(私を信用してくれた君に最大級の感謝を)

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