愚者は罰の花を咲かす 自らの知る限りを全て語り終えた颯は役目は済んだと思ったのかそのまま口を閉ざした。残りの二人も彼と同様に口を開くことはなく、降りた静寂をそのままに黙りこんでいる。 一方、今し方聞かされていた波奈は語られた内容の全てを理解しようと必死に情報を整理していた。いや正確には違う。整理しようとして失敗し、行き詰まっていた。何しろ語られた内容は到底実際行ったこととは思えないほど現実離れしていて、余りにも悲劇的過ぎる。それこそ壮大で、まるで出来の悪い夢物語のような話だった。 負の連鎖から連なる最終的に行き着いた関わった者達の末路は言葉を無くす程に酷い。話を聞いている間とて惨いと何度も思った。まるで誰も幸せになれない、寧ろ幸せにならないように仕組まれているように感じられて、他人だというのに胸が酷く痛んだ。 こんな理不尽があっていいのだろうか。虚しさしか残らないこれが現実だなんて、と。話を聞いただけの自分がこんなにも憤りを感じたのだから当事者である彼らは自分が抱いた感情以上に苦痛だったのだろう。そう思うと自分が同情していることすら勝手なことに思えて酷く恥ずかしい思いに駆られた。きっと彼らには自分の掛ける言葉すら空々しく感じられるだろう。 正直、こんな重い昔話ならばいっそ聞かなければ良かったと後悔した。知るだけでこんなに痛い思いをすると知っていたならば、聞きはしなかったのにと、子供のように駄々を捏ねたくなる。今更そんなことは出来やしないとわかっているけれど、意味も無く泣き出したい気分だった。 これは赤の他人の思い出なんて聞くだけでいいと、帰る手掛かりになればと欲張った罰なのだろうか。 自然と俯き加減になる視線を自分の膝元に落とすと行き場の無い、慰めの言葉を押し潰すように乗せていた手を固く握り締める。 「…安易に聞いてしまって、すみませんでした」 心からの深い謝罪を口にすると、颯は苦笑気味に笑った。 「君が謝ることじゃないよ。話すと言ったのはこっちなんだから。寧ろ僕たちの方こそ謝らないと。無理に昔話なんか聞かせたのに、落ち込ませてしまってごめんね」 何でもない風に謝ってくる颯に言葉無く首を横に振ることで、謝られることじゃないと否定すると彼は「ありがとう」と口にする。 「まぁ今となっては全部終わったことだしね。色々あったけど大部分は乗り越えたし大丈夫だよ」 「それよりも今はお前の方だ。オレたちは今話した通り、アイツとサナ以外の人間に異界人なんて知らねぇし、元の世界に帰ったって奴も知らねぇ…これからどうすんだ?」 深い皺を眉間に寄せた尋ねてくる黒金は鋭い視線を波奈に向けた。向けられた側の波奈は瞬きをすると視線を自分の膝に落とす。 正直に言えばどうするかは決めていない。というよりは、決める前の段階で彼らにこの場所に連れて来られた為に考える時間が無かったとも言える。だがそうは言ってもそれがただの言い訳にしか聞こえないのも事実で、困りに困り果てた波奈は悩んだ末に現状を口にした。 「お恥ずかしい話なんですが、まだ何も考えてなくて」 これから考えようかと、と口に出したところで黒金が深い溜め息を吐き出す。 「お前な、世の中甘くねぇぞ?ちんたら考えてたらいつの間にかくたばるのがオチだ」 目を細め呆れたような視線を向けられると、羞恥心が掻き立てられた。自覚をしているとは言え他人から改めて言われると尚のこと罰が悪い。ほんの少し顔を赤らめて顔を俯かせると颯が笑った。 「まぁ仕方ないよ…と、そういえば聞いてなかったけど。君はこの世界に来てからどのくらい経ったのかな?最初見つけた時は何も持ってなかったみたいだけど」 「え?あ…その…」 「どうした。何か問題でもあるのか?」 顎に指を当てながら聞いてくる颯にどう答えようか波奈が迷っていると、不思議そうに首を傾けながら偲が会話に入ってくる。 彼が首を僅かに動かすと少し長めの髪が揺れた。梅雨の時期が来ても髪の問題で悩むことも知らなそうな髪質なんだろうと、違うことを考えながら颯と偲に対する返答をする。 「問題、といえばそうですね。その…話していいものかわからない、ので…」 言葉を選ぼうとして悩みながら口に出そうとすると突然向かい側に腰かけていた黒金がその場から立ち上がり、波奈の真横に立った。ついで椅子がない隣に腰を落とす。突拍子もない黒金の行動に動揺したまま何も言えないでいると、唐突にがしりを頭を掴まれて左右に揺らされた。ぐらぐらと揺れる視界に一体自分は何をされているのかと事態を把握出来ないでいると掴まれていた頭は離され、手の平で何度か頭部を叩かれる。 肩を竦めて黒金の行動を甘んじて受け入れていると黒金は「あー…」と唸りながら口を開いた。 「あれだ。うだうだ言う前に口に出しちまえ。お前はそれくらいで丁度いい筈だ」 「え…と?あの…」 一体何のことだと思いつつ、もしかしてこれは励まされているのだろうかと考えが及ぶ。それならば先程の頭を揺らされる行動ももしかして頭を撫でるという行為だったのだろうか。必要以上に頭が揺れたのは恐らく加減不足の所為だろう。どうやら黒金は見た目通り不器用らしい。 そのことを少しだけ可笑しく感じたが、ここで感謝の言葉を言うのは失礼だと思い直して素直に肯定の言葉だけを口に出す。 「はい…頑張って、みます」 「おう」 短くそう返答するとそれに納得したのか、黒金はその場を離れて元居た場所に戻った。黒金が振り向く寸前まで忍び笑いを漏らしていた波奈と黒金以外の二人は、彼が自分達の方を見る前にその表情を上手く誤魔化すとこちらに視線を向ける。 向けられた波奈は彼らの視線を受け止めてそっと息を吐き出した。彼らに言う事、言うべきでないことを瞬時に分別しながら。そして再び浅く息を吸うとそっと声を出す。「そうですね。色々と言わなければならないことはありますが、取り敢えず最初に言った方がいいと思うことから口にします。」 「そうだな。それがいい」 軽く頷く偲の言葉にほっと安堵の息を漏らしながらも言葉を続けた。 「その…私はこの世界に来てまだ一日も経っていないんですが…」 「ちょっと待て。」 「は?え…でもまだ最初しか、」 「うん。ごめん僕もちょっと待って欲しいかな」 「え?」 話し始めた途端に遮られたことにうろたえていると、そんなこともお構いなしに颯が言葉を重ねて来る。 「波奈、それって本当?」 「それって…あ、はい。本当です」 「本当に一日しか経ってないの?」 恐る恐ると言った風に尋ねて来る颯に首を傾げながらも肯定すると、何故か彼は自身の頭を片手で押さえた。 「私が知る限りでは恐らく。気が付いたら森の中に居てそれから日が沈むのを見ていませんので、一日は経っていないと思います。突然のことにどうしたらいいのかわからなくて自分がどういう状況に立たされているのか考えていたら、颯さん達が来て今に至る、という感じですね」 颯の行動を疑問に思いつつエムリットとの会話を除いた自分が知る限りの最初の状況を話すと、目の前にいる三人の顔が渋くなっていく。そのことを不安に思いつつ様子を窺っているとやがて颯が両手で自分の顔を覆った。 「なんか…凄く複雑。僕がやったことってまるっきり誘拐犯じゃない?」 「それを言ったら俺達は共犯者だろうが。」 「ま、やっちまった今じゃそんなこと言っても今更だけどな。だけど、これでお前が言ってたことの意味がわかったな」 「何がでしょう?」 首を傾げながら尋ねると、黒金は頬杖をつきながら再び呆れた視線を向けて来る。 「ンだよ。自分で言ったことも忘れたのか?『時間は幾らでもある、行くところなんてない』とか言ってたじゃねーか」 「あ。そういえば言いましたね」 すっかり忘れていた自分の発言の内容を復唱されやっと思い出すと、黒金は「どーするんだよ?」と波奈以外の二人に問い掛けた。 「コイツこのままだとこの世界で生きていけないんじゃねーか?」 「うん。確かにそうだね」 「戸籍ならまぁ、アイツに任せておけばいいだろう。昔は色々と情報操作の仕事もやっていたようだし伝手も数多あるだろう」 「なら、あとは辻褄を合せないといけないね。波奈、突然で悪いんだけど君はこの世界についてどれくらいの知識を持ってるのかな?出来れば自分がわかるだけ口に出して欲しい。たとえばポケモンは何種類いるのかとか、街の施設はどんなのがあるのか、とかでもいいんだけど」 次々に出される話に頭を回転させながらなんとかついていくと、颯に質問されて自分が知る限りのこの世界の知識を話す。 ポケモンはポケモンフーズを食べること、カントーとジョウトとシンオウという地名の場所があること、ポケモンは151匹以上いるのは知っているが正確な種族番号と種族名は知らないこと等だ。何年もポケモンというゲームから離れていた所為で欠損した知識ばかりだが、現状ではこれが自身の精一杯であった。 ちなみに波奈が記憶を掘り起こして話した知識は、この世界では小学校一年生に上がるか上がらないかレベルのものだと言われ、思わず絶句したのは言うまでも無い。 だが考えてみれば、ポケモンが生活の一部として組み込まれている彼らからしたら、ポケモンのことを知らないということ事態が有り得ないことだ。 この年齢で知っているべきことを知らないということが尋常ならざることであるし、そもそも普通の人ならポケモンのことを知らないと言ったところで信じて貰えないだろう。 そう考えると自分は随分巡り合わせというものに恵まれている。 不幸中の幸いとはこのことかと思ったところで、ふと脳裏に引っ掛かりを感じた。 (…本当に?恵まれている?) 本当に恵まれているとしたら、今このような状況に陥っている筈が無いのではないか。 もし幸せだとしたら、知り合いが誰一人としていない世界に一人放り出されることもなく、今も自分が幸せの中にいることも理解せずにあの世界で生きていた筈だ。 毎朝登校して友人と話して、学校から帰ってくれば両親が揃うまで夕食を待ったりして…。 ふとそこで思考が止まった。 そういえばここに来る前、自分は一体何をしていたのだったか。 思い出そうと記憶を掘り起こすも、直前までの記憶が曖昧で思い出すことが出来ない。 それでも懸命に何をしていたのか思い出そうとするも、激しい痛みが頭に走った。 いきなり何故。ただ思い出そうとしただけで何故こんなことに。 縄のようなもので力の限り締めつけられるような痛みに呻き声を上げると、誰かが近くに立つ気配がした。 「眠れ」 そうして一言告げてくる声が聞こえた。 こんな痛みの中では眠ることなど出来やしないと胸中で反論するも、突然視界が切り離されたように真っ暗になる。 黒い。真っ黒だ。意識が途切れる直前、まるで世界ごと捨て置かれたような感覚がした。 訳もなく酷い寂しさが胸の内を満たした気がした。 . |