03




広いリビングには四人の人影があった。三人の青年と一人の少女はそれぞれの場所に黙ったまま座っている。
時計の秒針の動く音が響く中、徐に最初に口を開いたのは波奈だった。

「まず最初にお聞きしたいのはどうして私が異世界で生きていたと思ったのかということです。匂いだとか言っていましたけどそれに関係あるんですか?」
「やっぱりそこからだよね。うん。ちゃんと話すよ…そうだなぁ」

聞きたいことを口に出すと三人の中で颯が口を開く。
持っているカップの縁を親指で何度か撫でつけて言葉を選ぶように、記憶を手繰るように一度瞼を閉じた。
そして次に目を見開くと真っ直ぐに波奈のことを見つめて微笑んだ。

「僕と黒金が異世界の人間だと思ったのは君の匂いがとある人とよく似た匂いだったからなんだ」
「とある人…」
「僕と黒金の前の前のトレーナー…っていうか相棒だった女の子。さっき黒金が口にしたサナっていう子なんだけど聞き覚えはない?」
「いえ…残念ながら」

波奈が首を横に振ると颯は安心したような何処か残念そうな表情を浮かべた。黒金も背もたれに寄りかかりガシガシと乱暴に頭を掻いている。「赤の他人か…ならコイツの匂いは異世界人特有の匂いって奴なのかね」
「もしかしたらね。確証はないけど…。あぁ話が逸れちゃったね。それでサナっていう子が僕らの相棒だったんだけど君からは彼女とよく似た匂いがしたんだ。だからもしかして彼女の身内か何かかと思ってね」
「…それであのブリーとモモンと卵の大惨事に繋がるという訳だな?」
「あははは…あとできちんと買い直してくるよ。ゴメン。」

掌を合わせて謝罪する颯に静かに怒る偲は仕方ないとばかりに肩を竦めると、話しの続きを促すように掌をそっと颯に向けた。颯は苦笑すると顔をこちらにやる。
そして次の瞬間、突拍子もないことを口にした。

「それでだけど、ぶっちゃけた話、サナは異世界人だったんだよ。ここじゃない世界から来たんだ」
「…別の世界…?」

思わず声が震える。
波奈が小さく呟いた言葉を聞いた颯は頷いた。
別の世界から来た、ということは自分と同じ異世界から来た人間なのかもしれない。これが時代の違う世界から来た人間のことを指すなら、多分タイムスリップとかいう言葉を使う筈だ。
握り締めていた拳の力が抜けた。自分と同じ存在がここにいる。しかも同じ世界にだ。
微かな希望だが、今の自分にとっては何よりも嬉しい朗報であることに変わりはない。
孤独なのだと思っていた。自分だけがこの世界に来てしまったのだと。
けれど、違う。他にも居たのだ。

「そう。だから急いで君のとこに向かったわけ」
「じゃあ私以外にも別の世界から来た人間が、いた…?」
「そうだよ。僕らが君を異世界から来たんだと思ったのはそういうこと」

その言葉に思わず目の奥が熱くなる。自分以外にも別の世界から来た人間がいたのだ。
それは自分とサナ以外の異世界人もいるかもしれないということではないか。
そう思った波奈はほんの少しだけ希望を持つ。もし彼女が帰った証拠があるならば自分も自分の世界に帰れるかもしれない。

だが不安もある。颯はサナを前の前の相棒だと言っていた。それは今の彼らの相棒がサナという少女ではなくあの金髪のルリアゲハという女性だということでもある。
一抹の不安を抱えながら思い切って口を開いた。

「それで…そのサナという人は今どこに?」

彼女の消息を尋ねると瞬時に空気が固まった。
彼らの顔色と一瞬にして変わった空気を敏感に感じ取った波奈は嫌な予感がしながらも返答を待つ。
すると紅茶を口にしていた偲が受け皿にカップを戻すと視線を庭にやりながらそっと答えを口にした。

「死んだ。事故、…いや人災に巻き込まれてな。八年も前のことだが」
「……、」

言葉が詰まる。死んだ、ということはつまりサナという人間も自分と同じように、この世界の上位の存在に殺されたということなのか。
微かに浮上した気持ちがまた沈んでいく。必死に言われた言葉を理解しようと思考が停止しそうな頭を働かせていると、腕を組んでいた黒金が口を開いた。

「…ほとんど殺されたようなもんだけどな」

殺された。その言葉で頭に浮かんだのは最初に出会った瞬間に死んでくれと言ってきたあの生き物の存在だった。
エムリット。忘れようにも忘れられない名前だ。思わず眉間に皺を寄せるときつく唇を噛み締める。やはりこの世界に来た人間は皆あの神と呼ばれる生き物に殺されるしかないのか。
俯く波奈を見やり、不用意な発言で怯えさせたと思ったと思った颯はじろりと黒金を睨みつける。

「黒金。今言うことじゃないだろ」
「じゃあいつ言うんだ?コイツの心が落ち着いてから?もう少し後で?それとも言わないつもりかよ」
「そうじゃない。言わなきゃいけないけど、今言うことじゃないってことで…」
「ハッ。どんなに待ったとしても待ってる内容は変わらねぇのに空気だけ読んでちんたらやってたら無駄に時間だけ過ぎるだけだろ。なら今言うしかねぇじゃねぇか。後で全部が無駄にならねぇよーにな」

鼻で笑いながら告げる黒金に颯は眉間の皺を揉むように指先で抑えると「わかったから黒金はちょっと黙ってて」と投げやりに片手を振る。
そして遠慮がちな表情でこちらを見た。

「確かに、黒金の言う通り君には今言った方がいいかもね。僕らと同じ間違いをしないためにも…サナのことは」

身勝手なヒトの思いによって殺された女の子のことを。そして…。

「もう一人、僕たちの大切な、パートナーだった人のこともね」

そう言って何かを思い出すように瞼を伏せる颯は苦しげに口端を持ち上げほんの少しだけの微笑みを浮かべた。
波奈は混乱しそうになる頭で今言われた言葉を必死に纏める。サナという少女以外にも誰かの話をするらしいということはわかった。だが『パートナーだった人』とは一体誰を指すのか。

「パートナー…とは、その、サナさんとは別の…?」

疑問のままに言葉を発すると颯は一つ頷く。

「そう。『彼』は、きっと誰よりもサナに近くて、多分此処に居る誰よりも事情を知っていた奴だ」

その彼ももう居ないけれど。
呟くように言った颯の顔は、彼が俯いたことによってよくは見えなかった。

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