そして握り締めた




浅い眠りのまどろみの中にいることが一番好きだった。何も見えず何も聞こえない意識の遮断されたその空間は酷く居心地がよい。誰にも邪魔されない唯一の場所は自分が自分ではなくてもいい場所だった。けれど夢を見ることは未だに慣れない。夢だけは自分が自分でいることを示してくる。まるで、忘れるなとでも言うように。

◆◆◆

目覚めた時の音はぱちん、という音だった。
はっとして瞼を見開くと視界に入るのは自分の部屋では見慣れない桃の色。視界一杯に広がるそれが邪魔で未だ寝惚ける頭で退かそうとするとくすくすと笑い声が聞こえた。
余りに微かな音だったから幻聴か鳥の鳴き声だろうと考えると、ふっと目の前にあった桃色の物体が消える。まだ夢でも見ているのだろうと落ちてくる瞼をそのままに再び眠ろうとした。
『寝ちゃだめだよ』
高い声音と共に僅かに感じられた微風が耳朶を刺激する。やけに現実味のある感触に驚いて何事だと勢いよく体を起こすと信じ難いことが起こった。
そこは、森だった。しかも今まで行ったことのない類の森だ。現代ではもう外国か一部の国内くらいにしかないだろう原生樹林や大樹が日の光に反射して青々と茂っている。古代が息衝くと情緒ある言葉でも付きそうな森は、夢の続きかと思うほど現実味が感じられない。しかし手元に感じられる草の感触や青臭い匂いは紛れもなく本物である。だがこれが現実なら目覚める前まで確かにあった筈の自室は何処へ行ったのか。後から後から湧いてくる疑問は口に出しきれないほど多く、比例して驚愕の度合いは大きい。
だが信じ難いことはそれだけでは済まなかった。
許容量が越えてふわりふわりとする意識。そんな中、視界にまた桃色の物体が現れたのだ。
『おっはよー。どう?大自然の中で目覚めた気分はさ』
陽気な声音で普通の挨拶をしてくるそれは人間の形をしていない。それどころか今まで見てきた動物の形すらしていなかった。異生物。正にそんな言葉が当て嵌まる。
『異生物ってひっどいなー!これでも神様とか敬われる神聖な生き物にカテゴライズされるんだけど』
不満そうに口を尖らせるそれはふよふよと宙に浮いたまま長い尻尾を左右に振った。表情もやや不機嫌そうなところからこちらの言葉に不快な思いをしたようだ。どうやら人間の言葉を話すだけではなくこちらの言葉も理解出来るようだ。
そこまで考えて機と思考が一端止まる。はて。普通に流そうとしたが今自分は一言たりとも口に出してはいない。ということは心の中で思うだけに留めているということでもある。だがしかし目の前の異生物はこちらの考えに反応して言葉を返してきた。口には出していないのに、だ。表情には出していたから察しの良い者ならある程度の相手の心情は読み取れるだろうが、普通あれほど正確に人間の心は読み取ることは出来ない。
ならば何故こちらの考えが読まれたのか。思い浮かぶには思い浮かぶが非現実的過ぎるそれはお伽噺にしか思えないような事柄だった。
思い悩んで口を閉ざす。暫くそのままでいると不意に異生物は笑い出した。
『口には出さないで色んなこと考えてるんだね。おっかしいのー。あははそんなに心配しなくとも合ってる。合ってるよ。うん。こっちは君の心読んで答えてるんだよ』
よく出来ましたーと笑って拍手をしてくる異生物。まるで勉強の出来ない子が簡単な問題を懸命に解いてるのを笑っているような感じだ。つまりこちらは馬鹿にされているのだろう。気分が悪い。
眉間に皺を寄せて閉口することを続行すると異生物はにんまりと目を細める。
『黙っちゃう感じ?まぁいいけどね。こっちは心読めるから会話するには何ら問題はないよ。…まぁだからさ…間違って心読み過ぎたらごめんね?』
それは軽い脅しだった。つまりあちらは心を読みまくるから下手に悪態すらつけないということでもあるのだ。多分口を開いたとしても心を読んでくるのだろうからどちらにしても分はこちらが悪い。仮に口を開く代わりに心を読むなと約束させてこちらが二択のどちらを選ぼうともあちらはそんな約束すぐに反故出来るのだ。何しろ心を読まれたとしても読まれたことにもこちらは気付かないのだから。
何を選んでもあちらに有利にしかならない状態にどうするかと考えていると、異生物はふわふわと浮かんだまま小首を傾げる。
『無駄な足掻きなんてしないで喋ったら?諦めた方が事はさくさく進むと思うよ。こっちはどっちでもいいけどね』
そう言ってくるりと回転する異生物に訝しげな視線を向ける。喋ったらと言ったり喋らなくともいいと言ったり矛盾したことを言うなどどんな目的なんだ。さわさわと流れる風が小さな白い花弁を落とすのを見ながらそんなことを思うと回転し続けていた異生物と目を細める。
『黙っちゃう感じ?まぁいいけどね。こっちは心読めるから会話するには何ら問題はないよ。…まぁだからさ…間違って心読み過ぎたらごめんね?』
それは軽い脅しだった。つまりあちらは心を読みまくるから下手に悪態すらつけないということでもあるのだ。多分口を開いたとしても心を読んでくるのだろうからどちらにしても分はこちらが悪い。仮に口を開く代わりに心を読むなと約束させてこちらが二択のどちらを選ぼうともあちらはそんな約束すぐに反故出来るのだ。何しろ心を読まれたとしても読まれたことにもこちらは気付かないのだから。
何を選んでもあちらに有利にしかならない状態にどうするかと考えていると、異生物はふわふわと浮かんだまま小首を傾げる。
『無駄な足掻きなんてしないで喋ったら?諦めた方が事はさくさく進むと思うよ。こっちはどっちでもいいけどね』
そう言ってくるりと回転する異生物に訝しげな視線を向ける。喋ったらと言ったり喋らなくともいいと言ったり矛盾したことを言うなどどんな目的なんだ。さわさわと流れる風が小さな白い花弁を落とすのを見ながらそんなことを思うと回転し続けていた異生物は不意に静止してこちらを見る。
『ん?だってこっちの目的は君が死んでくれることだもん』
そう言って無邪気に笑う異生物に思わず真顔になった。次いで思わず口を開く。
「…なんで、どうして…そうなるの」
反射的に投げかけてしまった言葉だったが異生物は大して驚きもせずに再び回転し出した。ふわりふわりと飛ぶそれは重力など感じていないかのようにふわふわと宙を舞う。
『言うなれば理に触れるからってとこかな。こっちはこっちで事情があるから簡単に無視は出来ないんだよね。だからさ…さくっと死んでくれると嬉しいんだけど』
言いたいことを思う存分言う異生物に思わず眉間に皺が寄った。黙って聞いていたが異生物から言われた言葉に傷つかなかった訳ではない。
「…こっちだってはいそうですかって簡単には死ねないよ。何が起こってどうして死ななきゃいけないのかすらわからないって言うのに、いきなり…」
行き成り死んでくださいなどと言われても正直困惑するしかない。普通はもっと怒りを露わにすべきなのだろう。だがそれは死というものがいまいち理解出来ていない今の自分には及びつかない感情だった。
否。怒りよりも戸惑いの気持ちの方が多い。次々起こる事態についていけていないのだ。
『理不尽だっていいたいのかい?あぁもしかして自分だって巻き込まれた被害者だとでも言いたいのかな?』
「…違う、とは言えない。」
事実自分は被害者だと思う。仮に加害者だとしても自分の頭では及びもつかないことを何の意識もせずに犯したのだ。他人事のようにそんなことを思っていると不意に異生物は逆さまになっていた体をくるんと回してくすくすと笑う。ついでそれまで浮かべていた薄っぺらい笑みを引っ込めた。
『本気で、被害者だとでも思ってるの?』
その目はまるで憎いモノを蔑むように冷えた視線だった。思わず言葉が凍る。それほどまでに冷えた目を何故向けられるのかわからなかったが、目の前にいる異生物がただただ恐ろしく感じられた。
何も出来ずに硬直していると異生物はやがてゆったりと笑みを浮かべる。けれど目元だけは笑うことはなく冷えたままだった。
『まぁいいや…そう思ってるなら、それで…』
何となく引っかかる物言いだったが改めて問うことは躊躇われて行き場を無くした言葉は蟠りだけを残す。視線を漂わせる異生物から僅かに視線を逸らし、別のことを聞くことにした。
「そっちの言っていることはわからないけど…取り敢えず聞く。こっちが生きてもいい猶予は…」
あるのか、と続けようとして途中で止める。あるかないかで聞けば当然無いのだ。だからこそこの生き物はそれを伝えにこちらに来た。馬鹿らしい質問をしたことに後悔をしていると異生物は呟く。
『猶予、ねぇ』
ゆるりと尻尾を左右に揺らす。まるで何かを考えているように。
もしかして生きることが出来るのだろうか。幽かな希望を抱く。
「あるの…?」
『あるのかと聞かれたら無いと答えるしかないね』
中途半端に問いかけた言葉はこちらの心を読んだらしい異生物がにべもなく切り捨てた。一秒と待たずに返された返答に思わず沈黙すると数回瞼を瞬かせる。普通なら怒りや悲しみを抱くだろう場面なのに不思議と何の感情も込み上げてこない。
何故自分は何も思わないのだろうと淡々と考えていると、何かを思いついたかのように異生物はにんまりと笑った。
『でもそうだね…君が望むなら少しだけ時間をあげようか』
その言葉に顔を上げた。異生物の悪戯を思いついた子供のような無邪気な笑みは、その実良からぬことを考えていそうで背筋を言い様のない寒気が走る。思わず身震いをすると最後の抵抗とばかりに異生物を睨み付けた。

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