最初の始まり方




真っ黒の服に真っ黒のネクタイ。真っ黒のワンピースに真っ黒の瞳。ざわざわと騒ぐ人影はただ一つの話題を出して話していた。可哀想に可哀想にと何かの呪文のように繰り返される言葉は憐れみの情と同情が織り交ぜられ陰鬱な空気を作り上げている。

人影の視線の先にはまだあどけなさの残る面立ちの少年がいた。真っ黒の髪に真っ黒の瞳は日本人らしさを出している。襟元まで釦を止めた真っ黒な学ランを着て使い古された畳の上に四角形の形をした何かを抱えていた。敷かれた座布団の上に行儀よく正座をしているが、その視線は何も見ていないかのように焦点は合わずぼんやりとしている。まるで何か信じられないことを目の当たりにして脱力しているような様子は、少年の身に起こったことを知っている者の目には痛々しく映った。

「可哀想にね■■さん…まだお若いのに」

年配の女性の声が誰かの名前を上げる。その声音は憐れみが込められていた。その声に反応した別の誰かがここぞとばかりに口を合わせる。

「息子さんもまだ中学生でしょう?これからどうやって過ごしていくのか」
「噂じゃ保険が下りるから中学生まではギリギリ何とかって話しだけどな。高校とかは流石に…」
「じゃあ親戚の誰かが引き取ることになるの?」
「いや何処も無理だろうから本人の希望を聞き次第、孤児院か一人暮らしにでもってことになってるらしい」
「まぁ…仕方ないわよね」

掠れたような男性の声が少年の行く末を言うとそれまで何処か困惑を込めていた声がほっと安堵したようなものに変わった。そして一瞬はっとしたように一同は視線をちらりと座っている少年に向ける。話していた内容が少年に伝わることを恐れたのだろう。
だが少年は相も変わらず茫然とした様子で座り込んでいた。自分たちの会話に気づいていないのだと知った彼らは張り詰めた空気を和らげ、再びひそひそと少年に聞こえないように潜められた声で少年のこれからについて話していく。

少年がいる薄暗い部屋に夕焼けの濃い日差しが今日も最後とばかりに差し込んでいる。小さな背が丸まり抱えるように持っているのは薄っぺらい額縁だった。黒色をした額縁のガラス面に反射して飾られた写真の人物の顔が上手く見えない。影になっている部分の笑っている口元から下が見えた姿からスーツを着た男性だということが分かった。

少年は表情こそ浮かべないが少年を話題にして話し合う親戚の人間たちの声が聞こえていた。だが彼は会話内容を聞いても怒るでもなく悲しむこともしない。逆に親戚の人間達が言っていることに納得していたし、自分の家庭に突然他人の子供が来たら迷惑だろうとも思っていた。他人事のように冷静に考えられる余裕などありはしないだろうに。

写真に写る人物が少年の実の父親だということはこの葬式に来ている者は少年を含めた皆が知っている。少年には母親がいない為、父と子の父子家庭だった。だが少々優しすぎた父親としっかりとしながら素直な性格の息子に育った少年の間にはこれといって大きな溝などなく過ごしていた。彼の父親が昨夜亡くなるまでは確かに無かったのだ。

茫然自失とはこの事かと身を持って体験した少年は、これから燃やされるだろう父親の顔を思い浮かべる。父親は優しい人であった。少々家事は不得手であったがそれでも人格は出来た人間だったと思う。
一昨日など自分の進路について話し合っていた。高校を卒業したなら自分も就職を探そうと思っていたが、父親が大学は出ておけと説得してくるものだから結局話は纏まらず休日にでも再び討論しようと思っていたのだ。

「(…まぁ全部出来なくなったんだけど…)」

ぼんやりとする思考のまま顔を俯かせるとそこには一昨日見た姿より少し若い父親の姿が穏やかに微笑んでいる。今の父親は少しばかり白髪が多い。こっそり髪を染めて誤魔化してはいたがゴミ出しをする日に染髪剤のパッケージがゴミ袋越しに見えた。あの父はそういうことは気にしないと思っていたので、意外なこともあるものだと黙っていたのだが少しばかりからかってやればよかったかもしれない。

それももう会えないのだとわかっている今だからこそ思えることなのだが。
だが葬式を挙げても実感の湧かない身近な人の死。現実を受け入れることを拒否しているのだろうかと疑問に思うが今こうして父親のことを追想しているということは受け入れ始めているのだろう。
人が死ぬというのは実に呆気ないものだ。呆気なさすぎて怖いくらいに空しい。普通ならどうしてだとか、なんで死んだんだだとかそういった人の死を受け入れられずに咽び泣くべきなのだろう。
だが自分の心は不自然なまでに凪いでいた。家族がいなくなったというのに心が荒立つことはなかった。これは可笑しいことだと頭の何処かで警鐘が鳴るが自分にはどうすることもできない。身近な人の死に泣きもしない人間など可笑しいのだ。

だがそう思えば思うほど父親はまだ生きているのだと思っている自分がいるのを自覚した。いつも通りに、いつもの時間に玄関を開けて少々疲れた顔をして帰ってくるのだと思っているのだ。
ふと窓から差し込む日差しに気付き沈んでいく太陽を見つめる。ゆっくりと地平線に沈んで夜に近付いていく光景は一昨日と何ら変わらないものだ。一昨日もこうしてこの場所で沈む夕日を見つめて父親の帰りを待っていた。
だから今日も帰ってくるのだと思っている。太陽は一昨日も同じように過ぎていくのだから今日も同じように過ぎていつも通りの日常が来るのだと、思っていた。
そこまで考えて何かを思い出したように一瞬目を見開く。次いでゆっくりと瞼を閉じると口元に笑みを浮かべた。

「…ばかだなぁ…」

出した声は小さなものだった。誰にも聞こえないくらい、自分の耳でも聞きとれないくれないに小さな声を出した。だがその一言に込められたものは沢山の感情を孕んでいる。

「馬鹿、だよね」

震えそうになる口元を唇を噛み締めることで抑えるとふらりと立ち上がった。葬式の為に作られた棚に遺影を置くと振り返らずにその場を駈け出す。何も考えずに飛び出した少年はただ衝動のままに外へと出て行った。

少しの間を置いて先ほどの年配の女性が部屋の来て覗き込む。目当ての人間がいなかったのか首を傾げると近くを通りかかった女性に声を掛けた。

「あ!ねぇクロエ君見なかった?さっきまでここまでいたんだけど」
「さぁ…一人にでもなりたかったか、トイレにでも行ったんじゃないかしら?」
「…そう。わかったわ。ありがとう」
「いいえ」

推測で語る女性の言葉を受けて気遣うような表情を浮かべた年配の女性は部屋を後にした。

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